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~森好き*旅好き*ランダムノート~自然大好き、旅大好き。日々のあれこれ思いつくまま。森や自然の写真とともに。 November, 2009 宮脇昭先生講演会&苗木作り体験会のお知らせ (12月4~5日@長野)
宮脇昭先生の講演会、また先生が指導されるポット苗作り体験会が長野で開かれますので、お知らせいたします。
~ふるさとの森づくり講演会~
日時:12月4日(金) 14時~16時 場所:長野県上水内郡飯綱町町民会館ホール (最寄駅:JR信越本線牟礼駅) 主催:NPO法人 国際ふるさとの森づくり協会 (ReNaFo)
~苗木作り体験会~
日時:12月5日(土) 10時~11時 場所:長野県上水内郡飯綱町 国際ふるさとの森づくり協会長野事務所 (最寄駅:JR信越本線牟礼駅下車) 主催:NPO法人 国際ふるさとの森づくり協会 (ReNaFo)
詳細およびお申し込みは直接下記リンクからお願いいたします。 http://www.renafo.com/12051204.html
ご興味ある方は、ぜひお誘いあわせの上ご参加くださいませ。
秋の弘前城へ闇夜に浮かぶ弘前城を眺めた翌朝。昨夜とはうって変わって明るく、爽やかで、清々しい弘前城を心行くまで堪能することにする。平日ということもあり、それほど観光客も多くないのだが、目にした多くの方々がアジア圏からの旅行者であったのに驚いた。青森空港からは韓国、インチョン空港まで直行便が出ているのである。羽田・成田に出て海外に出るよりも韓国を経由したほうが早くて楽というのだからなんとも不思議な感じである。
さて、そんな秋の弘前城。ここで私は、実に多くのことを学ぶことになった。とりわけそれは、天守だけではないお城全体の複雑な構造と、計算されつくした守りの堅さとその美しさだ。そしてまた、土塁の機能にもいまさらながらいたく感心した。土塁の存在に、遅まきながら開眼してしまったといってもいいくらいだ。今までどうして土塁に目を向けなかったのかなと思ったのだが、やはり石垣ほど目立たないし、ともすれば元あった自然の地形だと思えてしまうほどに空間に溶け込んでいることが要因なのだろうと思う。
ちなみに、弘前城は日本に残る現存12天守のうちの一つだが、その天守には珍しい特徴がある。それは、天守であるのに、櫓のようであるということだ。石垣の上に構えている天守は、見る角度によって見事に表情が変わる。裏手にまわると、とてもシンプルな作りに見えるようにできている。が、その天守の内部に入ると、その違いはより明らかであり、敵の攻撃を阻む「石落とし」などがあるものの、実に構造がシンプルで不思議な感じがする。正直、私は天守内に足を踏み入れたところで、「???」という感覚に陥った。中には弘前城の歴史を知る展示物などがあるのだが、不思議なのは使われている木材がなんだかとてもシンプル、というか簡素な感じがするのである。3階建ての天守の最上階に上がっても、現代で使われているような角材で組まれた梁、天井がはっきりと見える。はて。なんでこんなに木材がシンプルなのでしょう。ちなみに、現存天守を巡っていると分かるのだが、大抵がエネルギーあふれる立派で高級な木材を使っており、「木造って素晴らしい~」と樹木好きにはたまらない感覚に包まれるのだが、弘前城にはそれがほとんど感じられない。実に不思議な感覚なのだ。
どうやら、後に調べたところ、弘前城はもともと1600年代初めに五層の立派な天守閣が作られたらしいが、その後すぐに落雷のために焼失しているそうだ。なんともったいない。しかしその後、200年ばかりの時を経て、ふたたび天守が建造されたらしいのだが、どうやらここがトリックらしい。そもそも天守ではなく、櫓として作られたものを、その後事実上の「天守」として扱うようになったそうなのだ。つまり、見張り台などの機能である櫓は天守と違って豪華な木材で作られないため、今残る弘前城の天守も、櫓が天守に昇格(?)したものであり、シンプルで質素な木材のまま残っているというわけである。しかし、だからといってこの天守が面白くないというわけでは毛頭ない。これだけシンプルな天守を見られるのはなかなかないだけではなく、寒い青森の特徴として、瓦が「銅瓦」であることも見てわかる。どうやら雪対策らしく、他のお城ではなかなか見られない特徴であろう。さすが、お城も、郷に入っては郷に従えとばかり、その土地土地の特徴があるのだから、なんとも楽しく奥深いというものである。
そんなわけで、少々変わった天守が楽しい弘前城であるが、見所はそれだけではもちろんなく、公園内のあちこちに現存している門もものすごく立派でかっこよく、そしてまた三重の水掘に、美しい曲線を描いた土塁が実に素晴らしいのもポイントだろう。公園内にはあちこちに解説の看板が立てられており、文化度がとても高いように感じた私は、この弘前城でお城の持つ巧みな構造に今更ながらえらく感心してしまった。そしてまた、園内は桜やイチョウだけではなく、常緑樹も多いし、季節の花々も愛でることができる。なんともバランスの取れた空間なのだろうと弘前市の感覚に感心してしまったのであった。
そういえば公園の中には、観光物産館のような場所もあり、弘前の名品が数多く用意されていた。はたまた、小学生が遠足でやってきてお弁当を食べているようなロケーションもあり、市民の憩いの場になっていることもわかって、なんだかとってもほほえましい。さらには、もう一つ、書いておきたいことがある。天守の北側にある櫓の近くで、弘前ならではのりんごのシャーベットが売られていた。お願いするとその場でコーンに盛ってくれるような、観光地ならではのシャーベット屋さんである。せっかく弘前まで来たのだからと、ひとつお願いした私だが、なんとその後小銭がないことに気がつき、大きなお札しかないことを告げると、「せっかくだから、食べていって~」と優しいお母さんにご馳走になってしまった。申し訳ないやら、ありがたいやらで、私は美味しくシャーベットを頂き、お礼を告げて弘前城を後にした。なんとも心温まる弘前時間であった(ぜひ、お城を訪れる機会があれば、このシャーベットを食べて頂きたいので、ブログにも書いておきます。爽やかで美味でございました)。
弘前の街を満喫した後、再びリンゴジュースやらリンゴのお菓子を買い、大好きな青森を離れることにする。特急と新幹線を乗り継ぎ、5時間以上かけて帰宅の途へ。またしても青森のことが好きになった、そしてお城も大好きになった楽しくありがたい旅。お世話になった皆様に心から感謝いたします。
November, 2009 弘前へ
むつ市での植樹祭を終えた後、青森を経由して私はひとり、次の目的地、弘前へと向かった。弘前を訪れるのはこれが初めてだ。普段であればそのまま青森から八戸を経由して東京に戻るのだが、旅の数日前にふと、「あ、弘前城に行きたい」と思い立ち、急遽ルートを変更したのである。弘前城は桜の名所として名高いのだが、私にとっては桜よりも何よりも、「現存12天守」のひとつなのであるということのほうが、圧倒的に重要である。そんなわけで、あと1日足せば弘前にも行けると気がつき、えいっと足を伸ばすことにした。時間とお金は有効活用しないとやっぱりもったいないのである。 夕方、弘前市内のホテルにチェックインした後、ライトアップされているという情報を頼りに、てくてくと弘前城を目指す。誰しもが「弘前城、とにかく広いよ~」と口にしていたので、それなりに覚悟していたのだが、実際に弘前城が位置する弘前公園にたどり着いて驚いた。なにせ、お堀が3重になっていたのである。つまり、それだけ、だだっ広い敷地であるということだ。しかも、お堀だけではない。門も土塁も石垣も、そして櫓も天守までもが、膨大な敷地の中に綺麗に残っているのだから心底驚きである。東北地方で最も素晴らしい状態の遺構という話も聞いていたが、本当にこんなにお城の構造がしっかりと残っているとは感激である。しかも、復元ではなく現存のものばかり。なんとまぁ、弘前は素晴らしい土地なのだろう。そんなことを弘前公園にたどり着いてすぐ感じてしまった。
とは言いつつも、ライトアップをされているという天守にたどり着くまでは正直真っ暗で怖かった。てっきり、皇居のお堀のライトアップのように、観光客や地元の人が見に来ているのかと思ったら、ひとっこ一人いないのである。時刻は夜7時前だというのに、真っ暗で本当に怖い。お堀を越え、門をくぐり、真っ暗な敷地内を歩きと恐る恐る暗闇を抜け、ライトアップされている天守を見つけたときは正直ほっとした。やっぱり、知らない土地に夜行くのは少々怖い。とはいえ、ライトアップはどうしても見たかった。そしてまたその美しい姿を見上げたときは、正直感嘆の声をあげた。闇夜に浮かぶ天守はなんだかどこか怪しくも輝かしい。怖さを乗り越えて、ここまではるばる来た甲斐があったというものだ。
しかしながら、ライトアップだけでは満足しない私は、翌朝ふたたび弘前公園を訪れることにした。どれだけお城が好きなんだと言われそうだが、弘前までやってきたのはお城を見るためだけなのだ。
明るい空の下、再び天守閣を眺めるのを楽しみにしながら、真っ暗の弘前公園をあとにした。
November, 2009 ふるさとの木によるふるさとの森づくり秋の下北半島は、紅葉と美味海の幸が楽しめるが、今回の旅の目的は、もちろんそんな贅沢なことだけではない。メインイベントは、毎度おなじみ植樹祭なのである。今年で4度目となる、NPO「GEMBU」主催の植樹祭だ。気がつけば毎回参加で、皆勤賞ものなのだから、どうりで下北半島に詳しくなっているわけである。勝手に下北半島宣伝担当を買ってでてもいいくらい、これまであっちこっち行っているのだから、いまや私にとって第3の故郷と言ってもおかしくないだろう。 さて、そんな今回の旅の目的である植樹祭。今回はむつ市の水道局の敷地内でその植樹が行われることになっていた。天気予報では雨だったが、朝迎えたお天気は曇り模様。毎度ながら、ほっとする瞬間である。気温もいつもより温かいようで、ついこの前まで最低気温が5度なんていう厳しさだったとは思えないほどである。 朝8時過ぎ。植樹会場に伺うと、すでに関係者や水道局の職員さんたちが準備に勤しんでおられた。敷地内の山の斜面には、「早く植えて~」と言わんばかりの苗木たちがたくさん待っている。1万本近い苗木たちは、ミズナラやコナラ、クリなど、寒い地域だけあって落葉広葉樹が多い。関東地域では滅多に見ない木も多く、苗木を見ても、「あなたはだーれ?」と首をかしげることもしばしばだ。これも、宮脇昭先生の提唱する「ふるさとの木による、ふるさとの森づくり」という植樹方法ならではだ。
私は以前から思ってきた。結局のところ、「ふるさとの木による、ふるさとの森づくり」という概念は、ごくごくシンプルで自然で、当たり前のことなのだと。「郷に入っては郷に従え」、「地産地消」、「所変われば、品変わる」。こんな言葉たちと、きっと同じようなことを意味しているのだろう。その土地、その地域独自のものをきちんと守り大事にしないと、いつかは自然も人間も、バランスが崩れてしまう。そんな、ごくごくシンプルな考えが、ずっと長い間ないがしろにされてきたのかもしれない。いまや、多くの日本人が、こぞって日本の歴史に興味を持ち、日本独自の文化に舞い戻り、誇りや価値観を取り戻そうとしている時代である。きっと、すべては同じ回帰現象なのかもしれない。ここのところ、私はこんなことを思うようになっている。 当初、700人近くの参加者を見越していた植樹祭だが、生憎インフルエンザの蔓延で地元の小学校が閉鎖となり、子供たち数百人が参加できないという突然の事態に見舞われていた。こうなると、参加者はぐんと減るのだが、その一方で、参加した人間にとっては植える苗木の数が倍増になるという嬉しいハプニングが起こるわけである。もともと、スタッフとしてお手伝いをする予定だった私だったが、植え手にまわっていいと聞き、ますますテンションがあがっていく。なにせここのところ、植樹祭の人気も知名度も着々と上昇しており、参加者が多くなりすぎて一人当たりの苗木の数があまり多くなく、さらには、私自身ほぼ毎回スタッフとして働くために、1本も植えないで終えるという植樹祭も珍しくないのである。そんな中にあって、いくらでも植えられる植樹祭というのは、はっきり言ってラッキーなのである。「一人50本は植えられるよ~」。そんなありがたい言葉に一気にわくわくしてしまうのだから、なんて単純な私なのだろうと思ってしまう。 朝9時半頃。いつものように開会式が始まり、主催者挨拶、来賓挨拶の後、宮脇昭先生の植樹指導と続いていく。学校閉鎖とは関係なく、集まってくれていた数十人の小学生達は、一番前に座り、先生の話にじっと耳を傾けている。早くから長い時間待っていたのに、騒いだり、ふざけたりすることもなく、なんてすごい小学生達だと感心してしまう。きっと、木々の生長に負けないくらい、みんなぐんぐんと大きく、素敵な大人になるんだろう。つい、そんな渋いことを思ってしまった。いやはや、すっかり私も大人になってしまったものだ。ついこの前まで子供だったというのにもかかわらず。
開会式を終えた後、各ブロックに別れていよいよ植樹が開始となる。傾斜の厳しい植栽地は前日の雨で非常にぬかるんでおり、開始前から、よりによって新しく、超お気に入りのスニーカーで来てしまったことを大いに悔やみ、猛省していた。が、ある時点から、えーい仕方ないと、思いっきりぐちゃんぐちゃんの泥の中に足を踏み入れ、一心不乱に木を植えることにした。なにせ、一人あたり数十本はあるという苗木たちが、いまかいまかと出番を待っているのである。普段、滅多に満足するまで木を植えられない私は、普段とは180度違うくらい寡黙に、ひとり静かにただひたすら木を植えた。まわりの参加者の方たちも、何度か経験したことのある人が多いようで、さしてサポートをする必要もなく、安心して木を植えることだけに傾注する。我ながら、驚くほどの集中力である。これだけの集中力と熱心さがあれば、他にもっと何かできるんじゃないかと思うのだが、どうやらこの熱意は植樹祭くらいでしか発揮されないようである。ある意味、不器用な私である。
開始から少し時間が経ったころ、グレーだった空は次第にどんよりと重くなり、時々雨粒が落ちてきた。急いでレインジャケットを羽織り、「お願いだから止んで~」と空に願うことにする。植樹祭にはこれまで50回以上出ているが、作業ができないような本降りになったことはこれまで一度もないのである。今回も、パラパラと雨粒は落ちてきたが、ふっと気がつくとその雨もあがり、まぶしい日差しが差し込むようになっていた。相変わらず、ありがたい天の味方である。そんな空の力も借り、参加者は黙々と次々に木を植え続けている。普通、自分が参加しているブロックが終われば、そのまま作業を終えて帰ってしまうものなのだが、今回の参加者の皆さんは、非常に自主的で、言われるよりも前にまだ手をつけていない植樹ブロックに移動し、次から次へと苗木を大地に植えていた。なんと素晴らしい、ボランティア精神だろう。私も、「まだまだ植えるぞ~」とばかり斜面を上がり、植えても植えてもまだ終わらない苗木たちと、なかなか言うことを聞かない土とずっと格闘していた。あとで仲間から、「珍しく声が聞こえなかった」と笑われたくらい静かに、そして夢中になって作業していたのだから、どれほど貴重な植樹祭だったかがよくわかるだろう。
作業開始後、2時間弱。植えても植えても飽きたらない私ではあったが、「もう下りないと、バスに間に合わない!」との再三の声かけに従い、いやいやながらも植栽地を後にする。「いや~、まだ帰りたくない~」と大声で叫んだら、周りの笑いを誘ってしまったのだが、苗木が残っているのに植樹現場を離れるというのはやはり寂しいことである。できることならば片付け作業までやりたかったが、帰りの時間もあり、後ろ髪を惹かれる思いで身支度を整え、宮脇先生や植樹仲間とともにバスに揺られて、一路、脇野沢方面へと向かう。お世話になった植樹祭関係者の皆様、友人たちには、いつもながら感謝感謝である。 バスの中から手を振り、別れを告げた後、50本以上は植えただろうかという疲れが突如出てきて、思わずバスの中で眠くなる。ありがたい、心地よい疲れである。しかし、うとうとしたところで脇ノ沢のフェリー乗り場へと無事到着。なんとか待っていてくれた雨雲も、フェリーに乗り込むと同時に一気にその表情を変えはじめ、待ちかねていたかのように一気に激しい雨粒を落としてきた。どしゃぶりの雨も、苗木にとっては恵みの雨となるのだろう。 やっぱり宮脇先生は、天気図を変える男だな。 いつもどおりのシナリオに、ふとしみじみと、そんなことを思っていた。 November, 2009 紅葉の下北半島へ八戸で迎える土曜日の朝。北の寒さを感じながら、電車に乗り込みさらに北上する。八戸駅を出発し、野辺地駅を経由し、本州最北端の下北半島へ。八戸から約2時間の電車の旅である。むつにくるのは、これで5度目だろうか。2年ぶりのむつ滞在となるが、今回もむつの友、通称、酒蔵嬢に駅で迎えられ、楽しいむつの旅がスタートとなる。少し早い紅葉の青森。美味しさも、美しさも、格別の季節である。
車に乗り込み、最初に向かったのは、青森に来た際に絶対に外すことのできないお店、「ラグノオ」。何かといえば、弘前に本社を構える青森県のお菓子屋さんなのだが、私は青森に来るとこのラグノオでお菓子を大人買いし、宅急便で他のお土産と一緒に自宅に送るというのが恒例行事になっているのである。ちなみに、私のイチオシが「パティシェのりんごスティック」である。毎日でも食べたいくらい美味しいアップルパイで、誰に差し上げても感嘆の声をあげてもらえるほど、素晴らしく、コストパフォーマンスの高いお菓子である。ちなみに、青森出身の文豪、太宰治先生の生誕100周年ということもあり、今年はラグノオでも太宰先生ゆかりのお菓子が発売されていた。いやはや青森、そしてラグノオ、期待を裏切ることのない素晴らしい土地である。ますます、青森好きに拍車がかかりそうである。 お菓子をどっさり買い込んで大満足した後、むつ市の中心部から車で30分ほど走った東通村にある、尻屋崎の灯台へと目指す。ここは、「寒立馬(かんだちめ)」と呼ばれるお馬さんたちがいることで有名な場所なのだが、私は2度目のお馬さん訪問である。初めて来たときも、晴天の下、かわいいお馬さんたちと触れ合えたのだが、今回も素晴らしく空は晴れ、そして海も綺麗という絶景のロケーションの中、うようよいる馬くんたちと遊ぶことにする。が、その前に、灯台近くのお店でひとまずランチ。秋鮭のいくらがたっぷりのったいくら丼をペロリと頂き、青森に来たことをしみじみと実感する。
おなかも一杯になったあと、あっちこっちにいる馬くんに近づき、ひたすら写真を撮ることだけに傾注する。いきなり蹴られても大変なので、むやみに体には触らないのだが、やっぱり馬はかわいいし、きれいである。ほれぼれしちゃうほどかっこいいのもいれば、ぼんやりしているのもいるのだが、爽やかな空の下でのんびりとしているお馬さんたちを眺めて、心がほんわりとほぐれていく。幸せで、あたたかな、ひと時である。
小一時間ほど尻屋崎で遊んだ後、お馬さんに別れを告げ、再び車で走り出す。途中、名産のブルーベリーを使ったソフトクリームなんぞを頂き、ますますテンションがあがった私たちは、むつ市の大畑地区を目指すことにする。このあたり、すでに紅葉が見ごろになっており、紅葉目当ての観光客も多いようだ。しかも、渓流沿いで紅葉を楽しめるという温泉があるというのだから、渓流温泉好きの私にはたまらない。これまで下北半島でいろんな温泉に入ってきたが、この奥薬研修景公園の「夫婦かっぱの湯」は初めて。赤く染まったもみじを眺めながらお風呂に浸かれるんだから、想像しただけで気持ちよさそうなのだが、ここは実際、私の温泉ランキングとしてもトップクラスの素晴らしさであった。開放感に溢れており、渓流の爽やかな風を受けながらお湯につかれるんだから、もう気持ち良いことこの上ない。きっと、春や夏は新緑が楽しめるのだろう。驚いたことに、それほど長く浸かっていなかったにもかかわらず、夜まで体がぽかぽかと温かかった。きっと、お湯が肌に合うのだろう。また絶対に行きたい、名湯「夫婦かっぱの湯」であった。
お湯でほっこりしたのち、酒蔵嬢宅にひさびさにお邪魔する。ここでも、美味しく楽しい時間を過ごした後、翌日に控える植樹祭の前夜祭のために、むつ市内のお鮨屋さんへ。現場入りしていた宮脇昭先生や植樹祭関係者、そして東京からやってきた植樹仲間と合流し、溢れんばかりの下北の海の幸をありがたく、美味しく堪能する。むつ湾のまろやかなホタテ、海峡サーモンをはじめとし、アワビにヒラメ、そして鯛の塩釜焼き。ビバ、下北半島。ありがとう、素晴らしき本州最北端の地。これで、私がお酒が飲めたら、きっと大変なことになっていただろう。アルコールを受け付けない体なのは、幸か不幸か、それは自分でもよくわからない。お酒好きにはたまらない銘酒「関の井」を片手に、仲間はすっかり酔いしれていた。
郷に入れば郷を喰え。そんなモットーを掲げる私には、楽しすぎる下北の旅。
ますます青森、そして下北半島が好きになった、秋の一日だった。 November, 2009 青森への夜ある金曜夜の東京駅。新幹線「はやて」に乗りこみ、一路、青森県八戸へ。なぜか私は、東北新幹線が好きだ。東海道新幹線よりもどこかしら居心地がいいのは単なる気のせいだろか。観光気分だからなのか。それとも車内の音楽がいいのだろうか。どこがどう好きなのか分からないが、最終の新幹線に乗って、3時間という長い時間をひとりゆったり過ごすことにする。
お夕飯を食べ、文庫本を読みふけるという穏やかな時間。実に幸せな、ひと時である。今回の旅のお供は、少し前に古本屋で偶然見つけた絶版の文庫1冊。30年前に出版された、『北極圏一万二千キロ』である。大好きな植村直己さんが記した北極圏の犬ぞり冒険記だ。私が生まれた年に出版された本を、30年もの時間を経て手にしたのだから、なんだかすごい時間の流れである。植村さんの他の本は何冊も読んでいるのに、どうして今まで読まなかったのかが不思議なくらいだ。
極寒の地を旅しながら、23時過ぎに八戸へと到着。東京よりもぐんと気温の低い青森に、思わず、「寒いっ」と声をもらしていた。
吐く息を白くさせながら、駅近くのホテルへチェックイン。 青森への旅、一晩目。 ひとまず八戸で、金曜の夜を終えることにした。
November, 2009 表現と顕示とここしばらく、ニュースを見るたびに、「自己表現」と「自己顕示」の境目って難しいなとしみじみ思っています。
自分の個性や感性、主観を表すのが自己表現で、自分の才能や外見、そして所有物をナルシストよろしくひけらかすのが自己顕示なのだろうか、と。
いまいち、線引きが分かりません。
自己表現がなんのためなのかも、自己顕示がどの程度から危険として人の目に映るのかも、なんだかいまいちよく分からなくなってきた今日この頃です。
とりあえず少なくとも、自分の欲望のために、自分の生活レベルを高めるために、人を傷つけたり、あざむいたり、殺めたりすることだけはしてはいけないということは、やっぱり誰の目にも明らかなんだろうと、ごく普通に思います。 複雑怪奇な世の中でも、大切なものはたぶんごくごくシンプルです。 できるだけ毎日、心も体も機嫌よく、そして健やかに過ごしたいものです。
November, 2009 読書の秋に最近、ふとした瞬間に、こんな質問を投げかけられた。
「マンガとかって、読んだりする?」
あまりにも寝耳に水の質問だったので、私は「へっ??何??」と訊き返していた。話の流れからは、そんな問いかけは浮かんでこなかったのだ。 どうやら、私がいつも活字の本ばかりを読んでいることに対しての素朴な疑問だったようなのだが、そう言われてみれば、私は普段ほとんどマンガを読むことはない。別に、嫌いとかいう話ではなく、ただ単に読まないというか、特に読みたいものもないという次元の話なのだが、やっぱり普通それなりに読むものなのだろうか。あんまり考えたこともないのだが、振り返ってみれば、小中学生のときは、集英社系の少女マンガをごく普通に読んでいた。高校生の時はと言えば、古典の勉強も兼ねて、源氏物語の「あさきゆめみし」を何回も読破したりもしたのだが、今ではほとんどマンガには縁のない生活をずっと送っている。 そもそも、フィクションよりもノンフィクションが好きという性格の私である。フィクションを読む時間があるのなら、本当に起きたことを、知らないことを、もっと知りたいという人間なのだ。ある意味、冷めているというか、史実的なところに興味があるため、どうしても作られた話よりも、リアルな出来事に興味が向かう。しかも、活字好きということもあって、なかなかフィクションでイラストのマンガには興味が向かない。もちろん面白いマンガは山ほどあるとは思うのだが、はまってしまうと抜け出せない私であるため、むやみにも手を出さないような感じである。 とはいえ、今になって、読みたいなぁと思うものがでてきた。それは、マンガ版の日本の歴史。またしても史実なわけだが、城めぐりをしていたら、案の定、歴史の知識が足りないことを痛感し、やっぱりここでちゃんと復習しておくかと思ったのだ。別に、歴史の教科書を読んでもいいのだが、マンガのほうが古代から現代まで短期間で一気に追えそうだという安易な考えで、今読んでいる本が終わったら、どっぷり読みふけろうと思っているわけである。そしてまた、それと同時にお城の本にもどっぷりとはまりたいし、読みたい本が次から次へと出てきて困るような今日この頃なのである。 時間があるうちに1冊でも多くの本をと思う、読書の秋。
October, 2009 活字ブログ
思いのほか、「四国・中国城めぐりの旅」に時間がかかってしまったのだが、最近、ひょんなことから、こんなことを思うようになった。
それは、
「私のブログって、全然女らしくない」
ということである。 いや、そもそも、「ブログとかいうよりも前に、一人の人間として女らしくないぞ」と言われてしまうと、ぐぅーーの音も出ないのだが、なにせ私のブログには、かわいらしい絵文字が一切と言っていいほどない。なぜ突然そんなことを思ったかと言えば、最近たまたま目にしたブログの数々で、私の許容範囲を超えるほどの絵文字が使われていたのである。目にした瞬間、「うっ・・・・・」と、思わずしばらく固まってしまった。それは女性のブログだけではなく、男性のブログも多くあったのだが、私は、その時しみじみと思ったのである。
「そっか、私、絵文字使う男の人、ダメなんだ」
ブログだけではなく、メールでも異様なまでに絵文字を使われると、なんとなく、気分的に引いてしまう傾向がある。しかも、それが男性であれば、うにゃにゃと一気にテンションが下がる。差別しているわけでもなんでもなく、個人的で勝手な解釈なので、こんなことを言うと、人からどう判断されるかもよくわからない。が、ただ単に私は、とにかく絵文字よりも活字が圧倒的に好きな人間なのである。しかも、女性的な文章よりも、ノンフィクションストーリーみたいな、冷静で淡々としていて、時にガツンとくるような男性的な文章が好きなのだ。そんなわけで、男性が絵文字を多用していると、なんとなく悲しくなるということが、最近ようやっと判明した。いや、判明したところで、何がどうなるわけでもないのだが、そんな深層心理があるからこそ、もしかしたら私のブログは重いのかもしれない。いや、重いというよりも、真っ黒で活字のオンパレードという雰囲気なのだろう。決して「軽くて読みやすい」といったブログではなく、その対極をなすようなものだろうと自分でも思っている。 女性らしくないブログだからなのか、(私の知る限り、)読者の割合としては男性のほうが多いようである。しかも、業種的には、出版系やらマスコミ系やらの活字系職業の方が多いらしく、それはある意味、ありがたいことでもある。なにせ、私のブログ、モットーは「読むブログ」なのだ。「見るブログ」、「眺めるブログ」ではないのであり、活字好き、ノンフィクション好きの方に読んで頂けると、個人的にとても嬉しいのである。 そんなわけで、私のブログは何年経っても相変わらず活字ばかりだし、写真もまったく女性らしくない。絵文字もなければ、可愛らしいネタもなく、華やかさなんてほぼ皆無である。
前世というものがあったのであれば、私はきっと、男性だったんだろう。
そんなことすら思う、今日この頃だ。
いつも読んで頂いているあなたが、男性であれ、女性であれ、これからもどうぞご贔屓のほどを。
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