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2008年11月 神宮の森を歩く (後編)
2008/10/27
(前編から続く)
神宮の深い森を歩くこと10分ほど。目的地の明治神宮会館へと到着した。こんなところにこんな建物があったなんて全く知らなかった。この日ここを訪れたのは、とあるシンポジウムが開かれていたからだ。偶然、新聞で募集広告を目にし、休みの日ということもあってすぐに参加登録をしてしまった。別に、場所に惹かれてというわけではない。パネリストがびっくりするほど豪華だったからだ。ミーハーと言えばその通りだが、こんな機会はなかなかないと、私はひとり土曜の午後、豪華パネリストの話に耳を傾けることにした。
この日のシンポジウムは主催が産経新聞ということもあり、2000名近くの観客席はびっくりするほど年配の方々で埋め尽くされていた。私はまるで最少年齢という部類に入るだろうか。「君に伝えたい、日本」というテーマだったため、若者向けのシンポジウムかと思っていたのだが、おそらく、40代以上70代くらいまでの参加者が圧倒的に多かった。20代は2~3%もいただろうか。それくらい、一瞬びっくりするほどの観客席だった。そんな中、私は遠くの席から舞台を眺め、耳を傾け、そして時に笑い、時に大きく頷いていた。
私が一瞬にして「これ、行きたい」と思ってしまったシンポジウムのパネリスト陣は、この方たちだ。ジャーナリスト・櫻井よしこ氏、評論家・日下公人氏、京都産業大学教授・ロマーノ・ヴルピッタ氏、文芸評論家・慶応義塾大学教授の福田和也氏、そして脳科学者・茂木健一郎氏。そう、あの茂木先生である。私は3年以上前から茂木先生がなんとなく好きなので、この機会を逃してはいけないとこのシンポジウムへやってきたわけである。そんなパネリストたちが語ることは、ごく真っ当で頷いてしまうことが多く、日本が、日本人がこれからどうやって歩んでいくべきかといった熱い話が多かった。そんな中、私が一番笑い、そして一番心に残ったのは、やはり茂木先生の言葉だ。弱気で悲観的な日本人が多すぎることを踏まえて、先生はこんなことをおっしゃった。
「楽観的じゃないと脳は正常に働かないんです。」
さすが脳科学者、なんとなく納得させられる言葉である。そして先生は最後にこうおっしゃった。
「とにかく、根拠のない自信を持て!」
私はいい意味でこの言葉に打ちのめされた。「根拠のない自信なんて持つな」と口々に言われそうなこの世の中において、あえて「根拠のない自信を持て」というその強さとポジティブな精神に、なんとなく救われた気がしていた。そうか、根拠のない自信か。それって、なんだかすごく大事かも。そんなことに妙に納得しながらも、神宮の森の中で、「森好き」で有名な茂木先生のお話を聞けて、とっても心が満たされていた。
夕方4時半頃。暗くなり始めた参道を歩きながら、木々を仰ぎ見、ドングリや落ち葉をいじったりする。カラスの鳴き声と閉門のアナウンスが重なりあい、なんとなくさみしい雰囲気が広がっている。今度ここに来るときは、どんな季節の時だろうか。
そんなことを思いながら、神宮の森を離れ、代々木駅へと向かっていった。
2008年11月 神宮の森を歩く (前編)
2008/10/26
休日の午後。
久しぶりに原宿の駅に降りると、一瞬、あまりの景色にくらっとした。日本にいるはずなのに、なんだかどこか遠い国に降り立ったような気がする。
一体ここは、どこなんだ。
周りの多くは外国からの観光客のようだった。欧米系の方もいればアジア系の方もいる。英語や韓国語、中国語にスペイン語が、あっちこっちから聞こえてくる。そしてまた、どこの文化とも断定できないようなコスチューム姿も、以前と変わらずやはり多い。私はあまりの衝撃的な空気の中、ここ原宿が、なんだか東京の中でも極めて特別な場所になっていることをひしひしと感じていた。昔はこれほどまで、観光客が多かっただろうか。そして、こんな独特の街ができていただろうか。そんなことを頭の中で考えながら、私は明治神宮の森を目指し、雑踏の中を足早に抜けていった。
神宮の鳥居を見上げた後、南参道をひとり進んでいく。玉砂利のザクザクという音を踏みしめながら森に入ると、それまで感じていたあの不思議な感覚が一瞬にして消え去った。参拝者も観光客も多いのに、静寂という澄んだ空気が神宮の森を包んでいるようだった。いや、正しくは、この森こそが心地よい静けさをつくっているのだろう。
あぁ、そうか。この森が、あったんじゃないか。
私は深い森の中を歩きながら、自分自身でも驚くほどシンプルな答えを見つけていた。ここのところずっと、深い自然な森に入ることがなかったのだ。最後に訪れた自然の森は、もう1年以上前になるのだろうか。木はずっと植えていても、もともと森のないところや、荒れた森を健康な森に蘇らせるのが植樹の目的であり、本当に健康で気持ちの良い森に入る機会というのはここのところ全くと言っていいほどない。約90年前に人工的に作られたこの神宮の森は、いまや、自然林と思えるほど大きく素晴らしい森になっている。きっと、人工林と知らない方も、世の中にたくさんいらっしゃるのだろう。そんな神宮の森を久しぶりに訪れた私は、こんな東京のど真ん中に、これだけの森がしっかりと今日まで息づいていることに、今更ながら感心しきっていた。遠くには電車の音も聞こえるが、それよりもなによりも、木々が風に揺れる音、そして鳥たちの声が、すっと心地よく耳に入ってくる。参道に落ちていたドングリの実を見つけて、ひとつ拾ってみる。手のひらのドングリを眺めていたら、あぁそうかと納得した。ずっと何かが足りない気がしていたのは、きっと自然に触れていなかったからだ。そういえばここのところ、旅先もどういうわけか街の中が多かった。深い大自然に還ることもなく、なんとなく時間が過ぎてしまった今、足りないのはごくシンプルな自然の力だったのだ。
青さがわずかに残るドングリを手にしたまま、南参道を歩いていた。七五三の時期ということもあって、あたりは着物姿の親子連れも多い。外国人観光客は着物姿の日本人を見つけては、シャッターを切ったり、一緒に写真撮影をしたりしている。
思い思いの神宮の森。
深い緑の中を歩きながら、目的の場所へと私は足早に向かっていった。
2008年10月 浮かぶ月
2008/10/21
いつだったか。休みの日の夜、誰もいないオフィス街を歩いていた。いつもはサラリーマンがいる通りなのに、休みとあってひっそりしている。灯りもないし、人もいない。どこかさみしげな静かなその通り。
ふっと後ろが気になって、足を止めて振り返ってみる。後ろには何もいない。あたりには誰もいない。
なんだ、気のせいか。
そう思って、前を向こうとしたその瞬間。晴れた夜空にぽっかり美しく浮かんでいた。ちょうど視線の先に、きれいな月が待っていた。
どことなく欠けているそのまあるい月。凛とした空気の中。
そっか、呼んでいたのは月でしたか。
そんなことをちょっと思いながら、歩いては振り返り、歩いては仰いでみる。
月が綺麗な日は、なんだかちょっといい気分。これまた秋の夜長の楽しみだろうか。
2008年8月 夜の大井にて
2008/8/13
とある日の夜。珍しくほぼ定時に上がり、数人で大井へと向かう。訪れた先は、初めての場所。そう、夜の大井と言えば簡単だろう。トゥインクルでおなじみ大井競馬場へ向かっていたのである。
大井を訪れるのはこれが初めてだ。とはいえ、競馬場自体はその昔、一度連れられて訪れたことがあるので、実に久しぶりのお馬さん見学となる。たまたま競馬好きの上司やらにふと声をかけられ、久しぶりに馬をみたいなぁと、ほいほいとついてきたわけである。愛用の一眼レフを持って、みなで夜の競馬場へと向かうことにした。
初めて訪れる大井は、お盆期間にもかかわらず客でひしめき合っていた。新聞片手ににらめっこする人、子供と一緒に遊んでいるママ。なんだか不思議な夜のテーマパークだ。私はと言えば、勝負よりも馬が見たいだけなので、さして勝負を気にせず、ひたすらパドックの馬たちを写真に収めていた。
しかし、お馬さんは、なんてきれいで可愛い動物なのであろう。毛の色が違ったり、体の大きさが違ったり、気性が激しかったりと、いろいろな個性があってとても面白い。しかも、不思議なことにパドックで馬を見ていると、この子が来そうだなぁというのがやっぱりなんとなくわかる気がするのだ。実際、倍率も騎手も気にせず、お馬さんの様子だけで選んで馬券を買ったら、4レース中2レースの1着が当たったので、やっぱり本物をしっかり見て、馬の「気」を感じたほうがいいんだろうなぁ、なんてことを思っていた。いやもちろん、当たってと言っても、買ったのが100円とかだから、全然元は取れていないのだが。
走る馬を眺めていたら、なんだか実際に触れてたくなっていた。最後に馬に触ったのは、もう1年半近く前のことか。馬にせよ、動物にせよ、そして植物にせよ、生きているものに触れるのは、やっぱり大事なことなんだろうな。
そんなことを、夜の大井で、なんとなく思っていた。
2008年8月 パンダのお話 vol.5
2008/8/11
今回も、またしても、パンダです。
が、しつこいっ!という声が聞こえてきそうなので、パンダシリーズは、今回で終わりにいたします(と言うのは冗談ですが、シリーズ自体はこれでおしまい)。
さて、パンダ関連ばなしで最近気になるものはふたつ。
ひとつは、任天堂DSから出ているパンダのゲーム「パンダさん日記」。またしてもDSであります。そう、ブログ愛読者の皆様にはおわかりでしょう。私はDSを買えないのです(わからない方は少し前の「麗しのドラクエ」をご参照ください)。そのため、このソフトももちろん買えません。とはいえ、バーチャルなパンダにはそれほど興味がありません・・・。がしかし、そう、CMが始まったのでご存知の方もいらっしゃるでしょう。パンダの映画、これはリアルなドキュメンタリー映画が上映されるのです。
その名も、
ベタな名前にくらっときますが、テレビで菅野美穂さんのCMが流れております。パンダたちの様子がこれでもかと映像に収められているようです。
見たい・・・パンダ・・・・。
ちなみに、8月30日から上映開始との話です。見たい・・・。パンダ好きには危険な映画です。ぜひ、パンダ好きの方、動物好きの方、お子様連れの方は映画館へ・・・(私はまわし者じゃございません・・・)。
と、パンダ♪パンダ♪パンダ♪の連載も、これにておしまいです。
お付き合い頂いたみなさま、どうもありがとう。
パンダのお話 vol.4
2008/8/10
さて、ふたたびパンダである。
「このブログを読んで頂いているということは、きっとあなたはパンダが嫌いな方ではないですよね・・・」
と、少々不安にも思ってはいるのだが、まだまだパンダの話が続くのである。しつこい・・・?いや、シリーズものなので・・・というわけで、そう、話はパンダである。
とある休みの日。めずらしく夕方に八重洲をぶらぶらしていると、八重洲ブックセンターが気になった。別に買うものもないのだが、なんとなくあちこち歩き回り、気になったものを手にとっては、また棚に戻すという所作を繰り返していた。結局、何の欲しい本も見つからないまま私は出口付近に戻ることにする。が、そこには小さなCDのコーナーが。数少ないCDの種類ではあったが、たまたまそこにあったのは、前々から買おうか迷っていた小野リサさんのベストアルバムである。あぁ、欲しかったんだよなぁこれと思いながらヘッドフォンを耳に当てて視聴する。そしてその瞬間、またしてもそのままレジに向かっていた。リサさんの声は昔から変わらず優しく温かく、そして穏やか。そんなリサさんのCDを久々に手に取り、いや、CD自体買うのが久々なのだが、私はすぐさまレジに向かっていた。そして前の人の清算が終わる直前に、私はふっと見慣れないコーナーを発見したのである。
そう、本題はCDではない。パンダである。
私の視界にふっと入ってきたのは、なんだか妙な引力を発しているコーナーだった。私は引っ張られるように近づくと、そこにあったのは、ポストカードやノート、さらにはクリアファイルなどの文具。そう、そのすべてが、なんとパンダなのである。しかも、私がこよなく愛する中国・臥龍のパンダ保護研究センターや上野動物園でかつて撮られたパンダたち。ポストカードは30種類近く、そしてノートやクリアファイルもかなり数多くある。なかには私が前から欲しかったものもあり、もう平常心ではいられなかった。私は、「これもいい、こっちもかわいい、あぁどうしよう、こんなにあったら選べないよぉ~」と一人で悩み、15分くらいそこから離れられなかった。恐るべし、パンダの引力。しかも、これらのカードや文具はすべて私が好きな会社「Greeting Life」のものであり、その商品の多くは、売り上げの一部が臥龍のパンダ保護研究センターに寄付されるという商品でもある(おそらく、WWFジャパンとのコラボでもある)。なんて、素晴らしいパンダコーナーなのだろう。
結局私は、カード数枚とクリアファイル2種を選びぬいた。他の選べなかったパンダたちに後ろ髪をひかれながらも、「全部は買えない~ごめん~」と意を決してレジへ向かった。パンダブーム再来の途端、こんなパンダにめぐりあえて私は大満足である。なにせ、なかなかこれだけパンダばっかりのコーナーなんて普段出会えないし、今まで見たこともないからだ。ほくほく顔で店を出る頃、私はパンダのポストカードをオフィスに飾ろうとひとり心の中で決めていた。
というわけで、パンダ好きの方にはたまらない、パンダグッズは「Greeting Life」から発売されており、ネットショッピングも可能である。って、私はまわし者ではないのだけれど。
さてまだ次も、パンダ!です。
パンダのお話 vol.3
2008/8/9
(前回から続く)
とある夜、本屋で偶然見つけた一冊の本。タイトルは実にシンプルだ。その名も『パンダ通』。「パンダどおり」ではなく、「パンダみち」でもなく、「パンダつう」と読むらしい。パンダの本であるには違いないのだが、著者が2人でこれが面白い組み合わせなのだ。書き手は、「徹子の部屋」でおなじみ黒柳徹子さん、そして、日本でいちばん有名な動物カメラマンの岩合光昭さんである。この2人の組み合わせが最初意外な感じもしたのだが、実は黒柳さんは相当なパンダ好きのお方で、毎年中国・臥龍にあるパンダ保護研究センターにかなりの額を寄付をされているということを私は前から知っていた。これは、中国ビジネスに精通されている方から直接お聞きしたので、確かな情報だと思うのだが、私も昔から行きたいと思っている臥龍のパンダセンターに、黒柳さんは昔からよく訪れているそうだ。最近の中国四川省の大地震でこの保護センタ―もかなり被害を受けたらしく、私はちょっとだけ寄付をしたのだが、早くパンダが元気に育てる環境が戻ってきてほしいなぁと密かに思っている(ちなみに、パンダ保護区への支援募金がWWFジャパンでも現在行われていますので、ご希望の方はWWFのサイトをご覧くださいませ)。
さて、話を元に戻そう。そう、『パンダ通』の本のことである。この本は、日本で最初にパンダをこよなく愛してしまったパンダ博士の黒柳さんと、世界で初めて野生パンダを撮影した岩合さんによる素晴らしい本であった。黒柳さんとパンダの長いおつきあいが語られ、そしてパンダのどこが可愛いのかどこが不思議なのが、面白く綴られている。さらには、ありとあらゆる可愛いパンダの姿と生態を、写真を通じて世の中に広めてくださっている岩合さんならではのお話も実に興味深い。「ほぉー、パンダってそんなことするんですか」と、私は読みながら感心しっぱなしであった。さらには、岩合さん撮影のパンダの写真がこれでもかとこの本に収められている。これがはっきり言って超可愛いし、超危険でもある。私が即買いしたのも、ページを開いた途端に可愛い赤ちゃんパンダの写真が出てきて、一瞬にして落ちたからだ。しかも、この『パンダ通』。朝日新書から発売されているのだが、何とたったの800円でお釣りがくるという、ものすごいコストパフォーマンスの高さである。発売は去年の11月頃らしく、新書コーナーにあったらなかなか気づかないだろうなぁとも思うのだが、運良くこの夜見つけられてラッキーであった。
とにもかくにも、偶然見つけたこの本で、私はパンダブームのスイッチが再び入ってしまった。恐るべし、パンダ好きの心をくすぐりゆさぶるこの、『パンダ通』。
これ以降、私はありとあらゆるところで「パンダ、パンダ♪」という日々が始まっている。
パンダ話、まだまだ続く。
2008年8月 パンダのお話 vol.2
2008/8/8
さて、話はパンダである。
私には好きな動物の周期的ブームのようなものがあるのだが、今はもっぱらパンダである。もちろん、白くまも黒クマもブームがときどきやってきては、その度に私の周りはカレンダーやポストカード、ぬいぐるみなどであちこち白くまやら黒クマだらけになる。そして今はというと、ひょんなことから始まった何回目?何十回目?かのパンダブームの真っ最中なのである。
さて、そんなパンダブームは、1か月ほど前にふいにはじまった。それはとある夜のこと、私が本屋にふらっと訪れた時の出来事だ。実に久々に本屋さんに足を運んだ私は、なんだか妙にうきうきしていた。仕事で忙しくなると削られるのが、本屋で過ごす時間であるからだ。確かその日は、実に久々に夜8時過ぎの本屋に行くことができて、「あれ・・・?一体いつぶりですか・・・?」と自問自答するほどであった。その日はなんとなく、前から読みたかった中国系の思想の本、といっても現代中国ではなく、古代の思想家のほうなのだが、そんな本を探そうとふらふら本棚の間をさまよっていた。そこで私は、偶然「中国」特集の平棚に出会う。中国というテーマだからこの中にも探しているような本はあるだろうか。そう思って何気なく近づくと、そこにあったのは、私が求めていた本というよりも、現代中国の話やら、政治経済やら、文化の裏話といった多種多様な本であった。ここにはないかなぁといささか諦め、足を動かそうとしたその時。私の目に飛び込んできたのは、一瞬読めない、いや、「なんですかこれは・・?」と理解するまでにほんの少しだけ固まってしまうようなタイトルであった。そう、それが私のパンダブーム再びの火付け役であったのだ。
私が偶然見つけた本、その名もズバリ、
『パンダ通』。
「バンダどおり・・?パンダみち・・?パンダつう・・・?」
私はその摩訶不思議なタイトルに惹かれ、ついつい手を伸ばしていた。帯には可愛いパンダの写真。パンダの本であることには違いないだろうが、一体これは何の本なのだろう。
私はその本を手に取り、ぱらぱらとめくり始めた。そしてものの3秒後には、レジへと足が向かっていた。
(つづく)
パンダのお話 vol.1
2008/8/7
どうでもいい話といえばどうでもいいことだけれど、私はパンダが大好きである。
「好きな動物は?」と訊かれたら、「パンダ、白クマ、黒クマ、犬に赤ちゃんアザラシ!」と即答できるくらいだ。
そんなパンダを私がいつから好きだったかは定かではない。しかし、おそらく私が7歳くらいの頃に、上野動物園にパンダを見に連れて行ってもらった記憶があるので、そのあたりからきっと好きなのだろうと思う。もっともその時は、おそらくは生まれたばかりのトントンを見ようと、ものすごい人でごった返していた記憶のほうが鮮明に残っている。肩車かだっこをしてもらってもそれほどよくは見えなかったような気もする。しかし、その経験のおかげなのか、いまや私は無類の動物好き。とりわけ白くてフワフワした動物をこよなく愛する人間になってしまっているのである。
さて、そんなパンダの話を、これまたシリーズでつらつらと書いていくことにしよう。
パンダが好きではない人は、どうぞご容赦を。って、パンダが嫌いな人なんて、あんまり世の中にいないとは思うけれど。
2008年6月 空を眺めて
2008/5/18
ある日の休日。夕暮れ前。
近くの教会の玄関前に男の子が一人。よく会う小学生だ。
地面にあおむけになって空を眺めているその男の子。
「そんなところで寝て、なにしてーんの?」
そう声をかけると、こんな言葉が返ってきた。
「さっきまで上にいた雲が、ぜんぶあっちに行っちゃったんだよ~。曇ってはやいな~。」
その子の真上にあった白い雲は、青い空を背景に、西の方向へ動いて行ったらしい。夕暮れの、風の力だ。
久しぶりに空を眺め、じっと雲の動きを追って見る。
自然とは、どこか遠くにあるものではなく、自分を包む全てのいのちを意味するのだろう。
たまには、空を、眺めてみては。
2008年5月 新緑の頃に
2008/5/2
4月から5月にかけて、垣根など街中のいたるところが朱のような赤色で染まっている。新緑と同時に目を楽しませてくれる、葉っぱの赤ちゃんたちだ。まだ葉緑素を持たない赤色の葉っぱを見ると、あぁ、春だなぁとしみじみ思う。深緑の大人の葉っぱもあれば、薄黄緑色や真っ赤の赤ちゃん葉っぱもある。いずれ同じ緑になる常緑樹の葉っぱでも、形も色も違うこの時期は、なんだかちょっと嬉しくなってしまう。
風薫る5月。この新緑の季節、健やかな日々が皆さまにもたらされますよう。
2008年4月 宵の桜を2008年3月 月を眺めて
2008/2/26
とある夜、10時過ぎ。オフィス街の横断歩道。赤信号で足をとめた。
寒い中、ただ待っていると、ふっと東の空が気になった。見上げると、雲に隠れた月がぼんやりぼんやり浮いている。
満月からは幾晩かが経っているけれど、どことなくまんまるで黄色いその月。
じぃっと見ていると、雲は次第に薄らいできた。徐々に月がその顔を出し、空は少しずつ明るんでいく。
月明かりに気を取られすぎ、はっと前を見ると、すでに信号は赤から青へ。横断歩道を歩きながら、時折何度も月を見上げてみる。どんどんと空は明るみ、どことなく欠けた満月も、雲から顔を出しきっていた。
横断歩道を渡りきり、空はビルに阻まれた。
「あーあ、見えなくなっちゃった」
そう思いながら歩いていると、すぐさまビルの合間から、月がひょっこり顔を出してくる。
形を変え、色を変え、その姿が刻々と変わる月を見ていたら、なんだか不思議な気分になった。
やっぱり、人間は月に支配されているんだろうなぁ。
そんなことを思いながら。
2008年2月 富士山を眺めながら
2008/2/14
ここのところ、空気が澄んでいるせいか、はたまた気温がグンと低いせいか、朝の通勤時に富士山が見えることが多い。はっきり裾野まで見える日もあるし、どことなくぼんやりと山頂が浮かんでいるような日もある。とはいえ、朝早く眠たいときに富士山が見えると、なんだか心がしゃきっとする。日本人なら誰しもが似たようなことを感じるのかもしれない。
そんな富士山を毎日のように眺めていた頃、ふいに一本の吉報が飛び込んできた。アルピニストであり、富士山清掃活動などの環境活動家としても知られる野口健さんが、植村直己冒険賞を受賞されたのである。ちょうど、植村さんの代表作中の代表作、『青春を山に賭けて』の終わり部分、しかも、私の大好きなアラスカ・マッキンリー山(もっと言えば植村さんが最期に消息を絶った場所でもある)に挑んでいる頃の話を読んでいた矢先にこのニュースが入ってきたため、「おぉ、なんてタイムリーな」とびっくりしたのであった。おりしも、この名著は、今回受賞された野口健さんの人生をも変えた本である。色々なことが重なり、私はひとり静かに驚いていたのである。
しかし、受賞の話を聞いた時、実際には、「あれ?まだとってなかったの?」という驚きのほうが強かった。野口さんはもうだいぶ前に7大陸最高峰を史上最年少で達成されていたので、植村直己冒険賞はとっくの昔に受賞されていたとてっきり思っていたのである。ちなみにこの賞、過去の受賞者には、あの素晴らしきグレートジャーニーで有名な関野吉晴氏、また登山家として名高い山野井妙子夫妻などもおられる。選考委員には、河合雅雄氏、椎名誠氏、西木正明氏など、やはり、「おぉっ」という方々が並んでいる。なんとも素敵な賞であることに違いない。
そんな野口さんは今回、34歳の若さでこの賞を受賞された。ちなみに、植村さんが五大陸最高峰を世界で初めて制覇し、『青春を山に賭けて』を執筆したのは、弱冠29歳のときである。今から30年以上も前のことではあるが、人生29年目という若さであの偉業を成し遂げたとは、私にはにわかに信じにくい事実である。そしてあの、あっけらかんとした強さと明るさ、そしてひたむきさを、やっぱり好きだなぁと思うのである。
自分とそれほど歳の変わらない人々の偉業を知り、自分がいくらも前に進んでいないことを改めてしみじみと実感した。前へ、前へ、の思いは、一体どこへ消えているのだろう。
そんなことをまた、富士山を眺めながらふと思うのであった。
2007年12月 満月の夜
2007/12/25
そういえばクリスマスイブ、今年は満月の日に当たっていた。
静かな空に浮かぶ満月が、オレンジ色から白く輝く月に変わるのを見て、なんだか心も満たされた気になった。
次の満月の日は、どこで何をしているだろう。
2007年11月 花を考えて
2007/10/26
毎週オフィスでお花を活ける生活を始めてから数ヶ月。お花を全く習っていなかったド素人の私だが、毎週毎週無理やりにでも花に触れるようになったことで、ありがたいことにいろいろなことを学ぶようになった。それまでは花の扱いもよくわからず、さらには花の顔をもいまいち理解していなかったが、最近ではお花を見るたびに、どう飾ってあげればその子の顔が一番きれいに見えるかを考えるようになった。どこをどうすれば、一番素敵に見えるのか。些細だけれど、そんなことを気にするようになったのだ。そんなごく小さなことも、私にとっては新しい感覚であり、今では生活にうるおいを与えてくれる瞬間だったりもする。
毎週金曜日、仕事を終えると、私はオフィスにあるお花を片付けることにしている。土日の休みを前に適宜処分するのだが、実は私はお花を捨てるのが苦手なのである。「まだ咲いているのに、捨てちゃかわいそうだなぁ」。そんなことを思ってしまい、枯れ気味でも捨てられずにいたりする。残せるものは活かし、もう終わりを迎えているものには別れを告げる。そんな取捨選択は、ちょっと厳しくも悲しい現実なのである。
花の美しさと命をしっかり考えるのも、結構なんだか奥が深い。
毎週金曜日、そんなことをいつも思ってしまう私なのであった。
2007年8月 先人に学ぶ2007/8/12
久々にどこへも出かけない休みの日。部屋の中でそうだと思い出し、クローゼットをごそごそと探してみる。
約1年ぶりに見つけ出したもの。それは、風鈴。
環境問題を身近なものとして感じるようになったのは、4、5年前からだ。環境の知識と経験の量が増えるのと反比例するように、 それまで夏に当たり前につかっていたクーラーの使用量はぐんぐんと減り、今では自分の部屋ではどんなに暑くてもクーラーをつけることはなくなった。もちろん、部屋にいるのは、平日の夜中と土日しかないわけだが、いくら夜中でも熱帯夜はあるわけで、それはそれは結構自分でもつらいわけである。
仕事が少し落ち着いたお盆シーズンに入り、ふっと私は風鈴の存在を思い出した。そうだ、今年はまだ出していなかった。いつも出すのは7月ころだったが、今年はすっかりその存在すらも忘れかけていた。
時おり吹く風に揺られ、チリンチリンと涼しげな音を奏でているガラスの風鈴。
音に涼を感じ、心と体の清涼感を求めた先人の知恵、
これこそ今、一番見習わなければならないものなのだろう。
2007年8月 外へ外へ
2007/8/8
ごく久々に、日中外に出て外部の会合へと向かう。ここのところ外出の機会が全くなくなり、ずっとオフィスにこもっているので、平日の昼間に外に出るのが妙に新鮮である。
ふと思うのだが、昼間に内にばかりこもっていると、人間としての五感がどんどん失われるような気がしてしまう。太陽の光を浴びるわけでも、風に吹かれるわけでも、そして汗をかくわけでもなく、同じ温度、湿度の中でひたすら暮らしていると、五感だけではなく、人間としての生物的な能力も衰えてしまうような感じがする。
疲れていても、土日に外に出たくなってしまうのは、そんな日頃の生活が少なからず影響しているのかもしれない。
活けると植えるじゃ大違い
2007/8/6
最近、私は日々の生活の中で花に触れる機会が圧倒的に増えた。別に自然の中で花を触っているわけでも眺めているわけでもないのだが、職場で花を活ける担当になったため、毎週毎週ありとあらゆる花に接することになったのだ。
とはいえ、私は華道を習っているわけでも、フラワーアレンジメントを習っているわけでもなんでもない。花に関してはずぶの素人なのである。そんな私が花屋さんから届けられる色々な種類の花とにらめっこをして数箇所に花を活けるのだから、かなりえらいこっちゃな事態なわけである。
もともと、木も草も花も好きな私だが、大きな花瓶に活けるのはやはりかなり難しい。毎回悪戦苦闘してかなりの時間をかけて体裁をつくろうわけだが、いつも思うのは、自然の森を作るのと花を活けるのじゃ大違いということだ。特に、宮脇昭先生の「宮脇方式」での植樹の場合、色々な種類を混ぜ混ぜして植え、しかも自然な森をつくるために、きれいに苗木を一列に並べるのではなく、適度な間隔をもたせながらギザギザに植わるようにする。そのため、美的感覚はそれほど重視しないのだ。一方、花を活けるためには、ぐちゃぐちゃに活けていい訳ではもちろんなく、それぞれの花の色や大きさ、そして顔をどう活かしてまとめるかがこれまたえらく難しい。美的感覚のない私は毎回頭を悩まされながらも、「習うより慣れよ」という感覚で試行錯誤しているわけである。とは言え、やはり生きている花を触るのは、精神安定剤の役割も果たしてくれるようで、週に1、2度でも「生」に触れることで、心が落ち着くような気もしている。
いっそのこと華道やアレンジメントの基本だけでも習いたいが、なかなかそんな時間も見つけられない。当分は、自己流かつ「習うより慣れよ」のモットーでいきそうな今日この頃なのであった。
2007年8月 念ずれば花開く?
2007/7/15
日本列島を巨大台風が襲っていた三連休ど真ん中。せっかくの休みだというのに大雨、暴風、さらに雷雨と最悪なお天気である。さぞかし全国各地で大きなため息の声が漏れていたに違いない。
そんなとんでもない天気の日曜日。私はのっぴきならない用事で、どうしても家を出なければならなかった。前日から冷や冷やしながら何度も天気予報や電車の運行情報を確認し続けたが、最悪なことに出かける時間のほぼジャストには、自宅付近が台風の暴風域に入ることが予想されていた。
午前中、身支度を整え、荷物をバッグに詰めていく。びしょぬれになることを覚悟し、着替えや、靴、タオルなどをしっかりと用意。お天気だったらこんなことしなくてもいいのに・・・・。普段、自称「晴れ女」の私がこんな悪天候にぶつかることは滅多にないのだが、やはり超大型台風の勢いにはかなわないらしい。まぁ、当たり前か。
そうこうしているうちに、外に目をやると、恐ろしいほどに大雨が降っている。雨雲は今にも落ちてきそうなほどにどんよりと黒く、そして重い。こんな雲じゃさすがに動かないか。私は半ばあきらめモードになりながらも、その巨大バケツをひっくり返したような大雨の空に向かって、じぃーっと祈ってみたのである。
「お願いだから、あと15分後に止んでちょうだい!!!!駅までの10分だけでいいからっ!!!」
そう。駅までの約10分だけでも小雨になってくれれば、だいぶ楽なのだ。今日に限って親もいないため、駅までは徒歩で行くしかない。そう思って、どう考えても真っ暗すぎる空に向かってえぇ~っい!と念じたわけである。
とはいえ、私もさすがに本当に雨が止むとは信じることもできないまま、リュックを背負い、傘を用意し、相当な覚悟で家を出ることにした。電車が動かないといけないから、早めに家を出ることにしよう。
そう思い、私はえいっと玄関のドアを開けた。すると、目の前には信じられない光景が広がっていたのである。
私はあまりの事態に「ひぃえぇ~っ!!!!」と驚愕の声をあげていた。そう、私の目に映ったのは、信じられないほどに爽やかで完全なる雨上がりの空だったのだ。太陽はさんさんと輝き、雨粒はひとつも落ちてこない。涼しげな風がそよぐ雨上がりの夏が、私の周りには広がっていたのである。
もう、それはそれは信じられないほどの天気の移り変わりだった。つい15分前まであんな地獄絵図のようなどしゃぶりだったのに、今では素晴らしい雨上がりの最高の天気である。あぁ、なんてこった。信じられない。私はあまりのタイミングに思わず、「ひぃ~」としり込みしつつも、「ありがちょ~~っ!!」と感謝の念を覚えていた。そしてこのチャンスを逃すまいと、私は傘をさすこともなく、サンダル履きのまま「ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんらんっ」モード全快で駅まで向かったのであった。
駅に無事到着後、電車を待っていると、またしても小雨がパラパラと振り出した。ほんの10分ほどの雨雲の合間に当たっていたらしい。あぁ、なんて素晴らしいタイミング。暴風域に入っているというにもかかわらず、すごいラッキーぶりである。あまりの運のよさに私はついつい、「うーん、あたしって晴れ女かも、やっぱり・・・」と、一人電車の中で感慨深く思ってしまったのであった。
そんなわけで私は雨に濡れることも、電車の遅れの影響もさして受けることもなく、無事に用を済ませ、その後夕方ひとり新幹線に乗って、一路大阪へと向かっていった。
静岡を過ぎたあたりで、ふと外に目をやると、水田の上に光り輝く大きな虹が浮かんでいた。
雨上がりの空は、いつも美しい。
ありがたい運に、今日は、ただ、深謝。
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