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November, 2009 表現と顕示とここしばらく、ニュースを見るたびに、「自己表現」と「自己顕示」の境目って難しいなとしみじみ思っています。
自分の個性や感性、主観を表すのが自己表現で、自分の才能や外見、そして所有物をナルシストよろしくひけらかすのが自己顕示なのだろうか、と。
いまいち、線引きが分かりません。
自己表現がなんのためなのかも、自己顕示がどの程度から危険として人の目に映るのかも、なんだかいまいちよく分からなくなってきた今日この頃です。
とりあえず少なくとも、自分の欲望のために、自分の生活レベルを高めるために、人を傷つけたり、あざむいたり、殺めたりすることだけはしてはいけないということは、やっぱり誰の目にも明らかなんだろうと、ごく普通に思います。 複雑怪奇な世の中でも、大切なものはたぶんごくごくシンプルです。 できるだけ毎日、心も体も機嫌よく、そして健やかに過ごしたいものです。
August, 2009 選挙後の今日
大混乱の選挙戦に加えて、台風の関東直撃。波乱含みのここ数日ではあるが、私はと言えば、台風の影響で、信じられないほど早くの夜7時過ぎに帰宅した。こんなに早く家に帰るのは、台風の日か、はたまた具合の悪い日か。そのどちらかという程度なのだから、普段どれだけ家にいないかが今更ながらよくわかる。
さてそんなわけで、選挙戦は民主党の圧勝であった。別に私がそんなことを言わなくてもいいのだが、民主党のどなたかが「勝ち過ぎだ」と仰っていたように、これほど勝つとは私も思っていなかった。結局のところ、いつも選挙の度に、「今回こそ民主党か?」という期待や関心が寄せられながらも、蓋を開けてみれば「やっぱり自民党」という結果を繰り返してきた過去である。そんなわけで、今回もそんな感じかと思っていたのだが、いやはや、やっぱり世の中、相当景気が悪いんだろう。そうしみじみ思ってしまったほどである。
自民党にも民主党にも1票も入れていない私には、この世の中の大きな変化が、なんだか厚いガラスの壁の向こうで行われているようにも思えてくる。他人事というわけではないが、あまりの変化になんとなく現実感が帯びてこない。それくらい、未知なる展開とも言えるのだろうが、民主党が政権をとるなんて、まだちょっとイメージができないのである。
それにしても、あれだけ新人候補や若手候補者が当選したのだから、これからはぐらんぐらんと今まで以上に政治基盤が揺れてしまったりもするのだろうか。それとも、新しい土台が早く出来上がって、結構サクサクと物事が組み立てられていくのだろうか。どんな風に展開するのか、そして変化していくのか、そんなことは私にはちっともわからないし、それほどまだ強い興味も持てていない。
3カ月後、半年後、1年後。
「やっぱり、民主党にして正解だったな」
そう、思うのか。
「やっぱり、自民党のほうがマシだったな」
そう、思うのか。
吉と出るか、凶と出るか。
飽きっぽい日本人の性格もあるし、「大凶」だけは避けてほしいと思う、選挙後の今日。
August, 2009 選挙戦を前に
「民主党、あんまり好きじゃないんだけど」
お酒の席で選挙戦の話になった。自民党が良いとは思わないが、民主党も好きでない私がこう口にすると、みんなが次々とこう返してきた。
「えぇ?じゃあ、麻生さんがいいわけ?だったら、民主党のほうがいいでしょう?まだ?」
いやいや、そんなことは言っていない。別に、誰がいいとかではないのである。私は民主党の某氏がむかーしから嫌いなのである。
「だってさ、あんな人がいる党に日本任せられないじゃん」
そう暴言を吐くと、「まぁ、それはそうだけど、まだ自民党よりましじゃないか~?」という答えが返ってきた。
いや、違うのである。
私が言いたいのは、「自民党よりは、民主党のほうがマシ」という比較の話ではなく、絶対的にどこかに任せたくなるような党がないことに対して、うーむと思っているということなのだ。
これまで、「この人よりは、あっちの人のほうがまだいいだろう」との判断によって、首相がころころと変わってきたわけである。こんなに国の代表があれよあれよという間に変わる国なんて、そうそうないわけで、「えーっと、2年前って首相誰だったっけ??」と、みんなで一代ずつ首相を遡るようなのも、異様といえば異様である。
そんなわけで、私は、「自民党が嫌だから民主党がいい」という理論にはならないのだ。では他にどんな候補があるかと言えば、公明党、社民党、さらには今回から恐ろしいほどの勢いで前に出てきた幸福実現党なんてのもあるのだが、実際には大川隆法氏率いる「幸福の科学」が政党に色を変えただけでの話であり、もちろん私は関心や期待なんてこれっぽちもない。大体、日本の人口を3億人にするなんて発想が、まずもってありえない。そう思うのは私だけだろうか。まぁ、言論の自由も、思想の自由も日本にはあるのだから、いいのだが。
さらには、私の職業柄とも言うべきか、「○○党は嘘つきです」、「○○党なんかに任せられますか」などといった罵りの言葉が嫌というほど書かれているパンフレットが、毎日私の職場にはたくさん届いている。足の引っ張り合いというか、罵り合いというか、そんなのを目にするだけでも、いい気持ちにならないどころか、こんな輩たちに国を任せていいわけないだろうという気が起きてくる。
実際のところ、私が住んでいる市では、自民党、民主党、幸福実現党の候補者しか出馬していないので、どれもイマイチで選挙にはいく気が起きてこない。とはいえ、選挙権を持つ大人としては、やはり選挙に行く義務はあるわけで、さぁどうしようかねぇといったのが、本音のところだ。
さぁ、選挙。どうなるだろうか。
恐ろしい日本の展開が待っているような、そんな気すらしてしまう土曜日の午後。
April, 2009 ありがとうの距離
2009/3/28
そういえば最近、ふと気がついた。
バスの運転手さんにもタクシーの運転手さんにも言うけれど、電車の運転手さんには言わないな。
顔が見えないからだろうか。それとも、とても遠いからなのだろうか。
「ありがとう」と人との距離には、やっぱりなにか、関係があるのかもしれない。
April, 2009 独り言
2009/3/14
ミサイルなんて打つ余裕が少しでもあるのなら、自国の貧しき国民に、病める国民に、手を差し伸べたらいかがだろう。
金も、時間も、人までをも、そんな無駄なものに費やすなら、もう少しまともなことをしたらどうだ。
大バカな指導者のせいで、なんで周りがピリピリしないといけないのだろう。
なんでこんなことのために、周りが金と時間と人を費やさなければならないんだろう。
もうちょっと頭を使えと、文句のひとつでもふたつでも、言ってやりたい気分である。
ここのところ、ニュースを見るたび、ずっとそんなことを思っている。
February, 2009 マナーについて思うこと vol.5
2009/2/7
いつのことだっただろうか。おそらく、もうそれは、1、2か月前のある朝の出来事だ。
平日の朝、時折カフェに立ち寄って一杯のカフェラテを飲むのは、私にとって至福の時だ。ものの10分程度という短い時間であっても、一瞬気分を落ち着かせ、気持ちをリセットするのは、とても大切な瞬間だと思っている。
その日も私は、少しだけ時間があったので、通勤途中にあるチェーン系カフェに立ち寄った。店内は広く、開放感があり、ジャズがかかっていて居心地も良い。私は壁側にあるソファ席に座り、ぼけっとしながら温かい1杯のカフェラテを飲んでいた。
私の席からちょうどまっすぐ視線を伸ばした所に、通りに面したカウンター席があった。外からはもちろん店内が見える、よくある普通のカウンター席である。
何気なくその席に目をやると、一人の若い女性が座っていた。こちらから顔は見えないが、おそらく20代前半という格好だろうか。遠目ではあるが、その彼女が何をやっているかは、簡単に想像がついた。鏡に向かい、どうやらお化粧に勤しんでいるらしい。朝の風景としては、まぁ、いまや、あり得ないことではない。
「通りから見えるカウンター席でお化粧するのは、結構勇気がいるだろうなぁ。」
そんなことをただなんとなく思っていた。
別に何かをじっと見ていたわけではない。私の視線の先には通りに面したカウンター席があり、その手前では別の男性がテーブル席に座って何かを読んでいた。カフェは思い思いの時間を過ごす場所。いろんな人がいるなぁと思いながら、ふっと視線を上げると、カウンター席の彼女が、どうやら大きな声で話をしていた。携帯で話をしながら、鏡をずっと覗きこんでいるらしい。
「もうすぐ行くから~」
そんな会話の一端が、こちらのほうまで聞こえてきた。まぁこれもまた、よくある光景と言えるのだろう。しかし、それからが少しずつ違っていた。
彼女は、カウンター席に座りながら、そう、通りに面しているのは百も承知でお化粧を済ませ、そして長い髪をアップにし始めた。ちょっと結わいたというのではなく、ブラシを使い、髪をまとめ、頭のてっぺんで大きなおだんごをつくり、ピンでばしばしと留めていった。すぐ横には朝食をとる人、コーヒーを楽しむ人がいる中で、である。
「うーん、ちょっと、それはやりすぎじゃないか??」
一瞬、私はそう思っていた。しかしそれと同時に、彼女はおもむろに席を立ち、バッグをいじり始めた。私は、「あぁ、帰るんだな」と思い、どういうわけかほっとしてしまっていた。朝からなんだか冷や冷やするなぁなんて思いながら、まだ残っているカフェラテに視線を落そうとしていた。
しかし、次の瞬間である。
「カパッ」という何か不思議な音が、遠くから聞こえてきた。
「は?カパッって何の音?」
そう思い、顔を上げ、視線を投げた途端に、なんともすごい勢いの音が店内に広がったのである。
「シューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
一瞬、何が何だかよくわからなかった。しかしその音は、なんとヘアスプレ-の音だったのである。つまりそう、そのカウンター席の女性、席を立って店を離れたのではなく、席を立っておもむろにカバンからスプレーをとりだし、カパッとキャップをとり、頭の上からすごい勢いでスプレーを吹き付け始めたのである。しかも「シュッ」とごく一瞬ではなく、「シューーーーーーーーーーーーー!!!」と何秒も何十秒にも感じるほど長い間、だ。
あまりの出来事に私はあっけにとられ、そのまま呆然としてしまっていた。いや、私だけではない。私の目の前にいた男性も、近くに座っていた他のお客さんも、あまりの突拍子のなさに、みな目が点になっているようだった。
すぐそばには、飲み物を飲む人も、サンドイッチを食べている人もいる。あんなに勢いよくスプレーを放ったら、完全に近くの人にまでかかってしまうのは、どう考えても明らかだ。
あまりの展開にびっくりしていると、彼女はまた大きな声で携帯で話しながら、鏡を覗き、荷物をまとめ、店をばたばたと出ていった。残された周りの客は、目の前で起きた異様な事態を、ただただ黙って理解しようとしているようだった。
公共の場で過ごす時間。
それは自分の大切な時間であるということと同時に、他の誰かの大切な時間と空間であるということを、やはり心のどこかでいつも持ち続けていなければならないのだろう。
マナーについて思うこと。
それは、「人のふり見て、我がふり直せ」という使い古された一言に、結局やっぱり尽きるのかもしれない。
February, 2009 マナーについて思うこと vol.4
2009/2/6
今思い出してもぎょっとすることがあった。ある日の夜、カフェで起こった出来事だ。
その日私は、夜9時過ぎにとあるカフェにいた。カウンター席に座りパソコンに向かい、時おり飲み物を飲みながら、ごく普通に静かにカフェでの時間を楽しんでいた。
隣の席に二人組が座ったのは、おそらく9時半ごろだった。自分の荷物をこちらに寄せ、ふっと目をやると、隣に位置したその男性はごく普通の爽やかな30代半ばのサラリーマンという感じである。そして、ひと目見た瞬間、「あぁ、この人おしゃれなんだな」という出で立ちであった。いや、決して「かっこいい」とか「素敵」という意味での「おしゃれ」ではない。どちらかというと、「うっ」と一瞬引いてしまうような、それはまるで、セレクトショップのウィンドウに飾られているような、キメキメ感満載の洋服、そしてブランド物という組み合わせで、私は一瞬、ぴたっと視線が固まってしまっていた。
いや別に、洋服がどうだとか、持ち物がどうだとか、そんなことが言いたいのではもちろんない。
私はこの夜、ごく稀なる不快な体験をした。こんなにぐるぐると頭と心が回るのも珍しいというような時間である。
私は変わらず、パソコンにひとり向かっていた。たぶんそれは、ネットをやっているか、ブログの原稿を書いているかという、ごく普通の時間ではあったが、実に平穏で気持ちの良い時間であった。しかし、隣に人が座ったことで、それはすべて不愉快きわまりない時間へと変わっていった。実に、奇妙な展開がそこから始まっていったのである。
何も気にしていなかった私は、当初普通にキーボードを叩いていた。隣の二人組は、飲んだ後なのかよくわからないが、実にテンションが高く、店内中の誰もが会話を理解できてしまいそうなほどに、大声でそしてはっきりと話をしていた。別に、それくらいなら私もたいして気には留めない。カフェでは静かにしていろなんて言う気は毛頭ないのである。
しかし、その異様なテンションは、変な方向へと話を引っ張っていっていた。静かな落ち着いたカフェで、大声で話をしているのだから、すぐ隣にいる私は、嫌でも話が耳に入ってしまう。
最初はごく普通な話をしていたその二人。なぜか途中から、お酒のせいなのか、テンションのせいなのか、怪しい会話へと移っていた。おそらくそれを引っ張っていたのは、どちらか一方ではなく、お互いの力なのだろうが、次第に聞くに堪えない内容に、いや、聞きたくて聞いているわけではないのだが、耳にするのに堪えない内容になっていた。
そこは明るく、落ち着いて、こじんまりとした癒し系のカフェである。音楽も静かめだし、誰もが心地よく時間を過ごしている空間だ。そこでその輩、何を考えているのか、どういうわけか、過去の女遍歴を語りだした。いや、別に、普通の内容であれば、私もまったく気にはしない。が、その全身キメキメ男、こともあろうに過去の女性との性遍歴を赤裸々に、しかも大きな声で話し始めたのである。その内容は、おそらく店内にいるすべての客が「おいおい、何話してんだ」と思うこと間違いない内容である。ブログ上ではごくぼんやりと書くが、ま、言ってみれば、「誰々とはどこでどういう感じでして、しかも、あんなことが好きな変態だったし、誰々はこういうのが好きで・・・(以下、延々と続く)」というような内容であった。
ハッキリ言って、大バカ者である。一体全体、明るく静かな癒し系のカフェで、しかもすぐそばに普通に客がいる中で、堂々と自分の性遍歴を大声で話す輩がどこにいる。まだ、個室の居酒屋や、深夜の人のいないお店とかであれば、話はわかる。もしくは、人目を気にしながらというのであればまだわかるが、状況はそうではない。全員が聞こえるような声で、自信満々に語っているのだから、もうどうしようもない。私は嫌でも入ってくるその会話を耳にしながら、心の中でうんざりしていた。30分以上、そんな調子だったのだから、おそらく店内にいる人は全員同じような気持ちをもっていたのかもしれない。見た目は、爽やかそうな男性であったが、やはりはじめに感じた「うっ」というのは、「人は見た目がものを言う」という言葉を密かに表わしていたのかもしれない。しかも、その男性が語っていた相手が、男性ではなく女性であったのだから、ますます驚きである。
そんなわけで、私はこの夜、マナーというのはその人をすべて表わしてしまうような怖いものであるということを、痛感した。「人のふり見て」であるからには、自分も気をつけないといけないわけである。
壁に耳あり、障子に目あり。
そんな言葉すら浮かんできてしまう、実に奇妙な出来事だった。
February, 2009 マナーについて思うこと vol.3
2009/2/5
つい最近、私はとある休みの日に、とあるカフェへと入った。ほんの10分ほど入って、ちょっと座ってやりたいことがあったのだ。
駅前にあるそのカフェは、ごくごく普通の、どこにでもあるチェーン系のカフェである。リーズナブルな値段であるにもかかわらず、紙コップでなく食器できちんと出してくれるのが私の好きなところであり、私はオーダーをした後、飲み物を手にし、禁煙席のカウンターの端に席をとった。壁側が好きな私は、大抵、端の席につくのだが、このときも普通にカウンター席に座り、温かい豆乳ラテを飲みながらちょっとした作業に勤しんでいた。ほんの10分程度で席を立つつもりでいた。
下を向きながら自分のことに集中していると、ふっと、何かがひっかかった。何かが、変なのである。下を向いていた私は、思わずふっと顔をあげた。
「何だろう、この匂い。」
そう思って、何気なく横を見ると、空いていた隣の席に男性がひとり座っていた。コーヒーをテーブルに置き、席をとっていたその男性。見た目は60代ぐらいのスーツ姿の男性である。私は、その男性を目にした瞬間、思わず自分の中で、こう叫んでいた。
「え?ここって、禁煙席じゃなかったんだっ?!」
何年も前からその店を知っていたのだが、私が実際に店内に入るのはごくたまにという程度である。しかし、ずっと前から、禁煙席と喫煙席の範囲はわかっていたつもりでいた。そしてこの日も、何にも考えずに、普通に禁煙席に座ったつもりだった。周りにはタバコを吸っている人もいないし、私もそのつもりでいたのである。
しかし、隣に座った男性を目にした瞬間、思わず私は自分の間違いにはっと気がつかされていた。
「しまった、ここって、喫煙席だったんだ」
タバコが苦手な私は、思わず自分の間違いを恥じ、禁煙席に移動したいと思った。しかし、ほんの10分程度で席を立つ予定の私は、今更動くのも面倒かと結局その場にとどまることにした。
風はどういうわけか私のほうに流れていた。豆乳ラテを飲みながら、タバコの煙を浴びるのは、私にとって決して快い時間なんかではない。
「おかしいなぁ、ここって禁煙じゃなかったっけ」
そう思いながら、私はふっとある看板を思いだした。レジカウンターの近くで、きちんと喫煙席と禁煙席の場所を示す立て看板を目にしていたのである。その指示によれば、お店の奥が喫煙席で、手前が禁煙席だったはずなのだ。
私は、しっくりこないながらも、自分の座っているテーブルに視線を戻し、目の前に置いてあるバッグを少しよけてみることにした。私が間違っているかどうか、自分の目で確かめようと思ったのである。
するとそこには、いつものように「禁煙席」のシールが貼られていた。必ず、1席ずつ、1テーブルずつに禁煙席を表示するシールが貼られているお店なのである。
いぶかしげに思いながら、ぐるっと辺りを見渡すことにした。やはり、どの席にも禁煙のシールが貼られている。だとすれば、隣に座る男性の席も、間違いなく禁煙席であろう。
ふっと目をやると、その男性は2本目のタバコに火をつけようとしていた。火を点け終わり、タバコの箱を置いたそのすぐ脇には、私のテーブルと同じ禁煙のシールが貼られていた。
「あの、ここ、禁煙席なんですけど・・・」
そう喉元まで言葉が出そうになっていた。間違っているのは、私ではなく、その男性のほうだったのだ。しかし、下手に声をかけると、何を言われるかわからないようなそんな怖い雰囲気でもある。
セルフサービス形式のカフェということもあり、この時店員さんが店内を歩き回ることはなかった。このルール違反に気が付いていたのは、はたして私だけだろうか、それとも周りも気づいていたのだろうか。
タバコをくゆらせながら、コーヒーを飲んでいたその男性。途中で、あたりをきょろきょろと見渡していたのは、周りに煙がなかったことを不思議に思ったからだろうか。それとも、いそいそとごまかしたかったからだろうか。
その真相はよくわからないが、私は結局、何も言うこともできず、そのまま店を後にした。
その後、この出来事を友に話すと、「それは絶対確信犯でしょう~」という答えが返ってきた。本当に確信犯だったのか、それとも単なる間違いだったのか、それは誰にもわからない。しかし、喫煙者にとって、吸う場所を確かめるというのは、たぶんきっと、ごくごく当たり前のマナーなのではないか、そう思っていた。
私はタバコを吸う人をとがめているわけでも、何でもない。ただ単に、人としてのマナーは最低限守ってほしいということだ。
禁煙席でタバコを吸う人を初めて見て、私はぎょっとしたとともに、「気をつける」というマナーの基礎の基礎を改めて学ばされたような気がしていた。
こんなこと、そう滅多に起きるとは思わないのだけれども。
マナーについて思うこと vol.2
2009/2/4
最近気になる、マナーの話。
昔からよく耳にしたのは、「まったく、最近の若いやつは」というフレーズであったと思う。いつの時代も大人が若者の行動や言動に眉をひそめるのは、ごく当り前のことだったのだろうと思う。
しかし、最近、これが当てはまらなくなってきたような気がする。それは別に、かつての若者が大人になったからとか、そういうことではないだろう。
しかし、
「ちょっと、いい大人が何してんの~」
というようなことが、ここのところ妙に目につくようになったのである。
たとえばカフェで、たとえば電車で。場所はどこでもいいが、大声で携帯で話すいい大人たち。携帯に不慣れな世代なのかも知れないが、堂々と、「いま?電車なのよ~、でも平気よ~」とか言っている方、マナーモードに全くせずに、堂々と着メロを、しかも何度も鳴らしているような大人を見ると辟易してしまう。そしてまた、新幹線やバスなどの乗り物で、ごみを散らかしっぱなしにして堂々と降りるような常識外れな人々。もちろんこれは、若い人から大人まで様々だが、意外と「どうみてもいい年齢の大人」であるにもかかわらず、どうしようもないマナーを露呈させているという方も少なくないようである。
そういえば最近私は気がついたのだが、カフェやレストラン、電車やバスなど、色々な公共の場で人が去る時にはある種の傾向が見られることがわかった。これは特定の年齢に限った話ではないが、いい大人であることが多い。たとえば、セルフ形式のカフェなどで、テーブルをくっつけたり、椅子を移動させたり、はたまたいくつかの椅子を一人で使っていたとしよう。帰る際にそれらを元の場所にきちんと戻さず、そのまま放置して店を出るようなタイプの方というのは、同時に、トレイやごみなどを片付けないでぐちゃぐちゃのまま席を離れていることも結構あるようである(しかも、ひどい時には持ち込んだゴミまで残してあったりする)。また、新幹線やバスなどで、降りる際に大量のゴミを残してあるような座席は、大概リクライニングシートがえらく倒れていたりして、後ろに迷惑がかかりそうな角度になっていたりもする。
つまり、何が言いたいかというと、結局のところ、大人だろうが、若者だろうが、子供だろうが、しっかりできる人は、いや、普通の人は、普通にマナーを持って社会で生活しているが、マナーに欠けているタイプの方は、きっと一部分だけではなく、全体的にあれもこれもマナー違反をしてしまっているのではないか、ということだ。本人が気づいているかどうかはさておき、自分のことだけ考えて周囲に気を配ることが出来ないと、密かにとんでもない事をしでかしているかも知れない。とりわけ大人になってからというのは、よっぽどのことがない限り誰も注意もアドバイスもしてくれないわけで、そうなると余計えらいこっちゃになってしまうのだろう。やはり、こういうごくごく基礎的なことは、小さい頃からしっかりと身につけておかないと後々大変なのかもしれない。やはり、教育がものを言うのだろうか。そんなことをついつい思ってしまう最近の私なのである。
と、うだうだ書いてしまったが、私が度肝を抜かれたマナー違反集は次回以降ご紹介したいと思う。誰に言っても、「ありえない・・・」と言われたので、おそらく私の判断もそう間違ってはいないはずだ。
そんなわけで、このシリーズ、しばらく続きます。
February, 2009 マナーについて考えてみる vol.1
2009/2/3
ここしばらく、どういうわけか、私は「マナー」について考えることが多い。なぜかありとあらゆる公共の場で、「それマナー違反じゃないの・・・?」と感じることが増えたのである。それが私のせいなのか、特に年齢を重ねたゆえなのか、それともやっぱり本当にマナー違反であるのかどうかは、なかなか判断がしにくいのだが、「やっぱりどう考えてもおかしいでしょう、それは」ということが妙に増えた気がする。公の場での振舞い方に敏感に反応するのは、私の性格ゆえかもしれないが、ちょっと「度を越した」マナー違反が集まってしまったので、シリーズもので書いてみたいと思っている。
ちなみに、三省堂大辞林によると、マナーとは
「行儀。作法。礼儀。」
を、意味している。
決してお行儀がいいわけでも、礼儀作法がバッチリというわけでもない私だが、「人のふり見て・・・」という戒めの意味も込めて、これからちょっと書いてみよう。
次回へ続く。
February, 2009 東京都港区にて
2009/1/29
私が普段一日の大半を過ごしているのは、東京都港区である。こう書くとなんだか聞こえはいいのだが、何気に港区というのは実に不思議な区だと思う。なにせ、あの海の上のちょっと不思議な存在のお台場、そして新しい汐留をはじめとして、新橋、虎ノ門、浜松町、田町といったサラリーマン街、そして外国人も多く高級感も漂う神谷町、六本木、それに麻布、白金、高輪、赤坂、青山、さらには、ほとんど渋谷区と思いこんでいた表参道駅、そして誰もが品川区だと思っている品川駅までが、港区の範囲なのである。なんでこんなにカバー率が高いんだろう。そう不思議に思っているのは、おそらく私だけではないはずだ。
そんな不思議ちゃん港区だが、私が勤務しているのはもちろん高級感など全くないサラリーマン街である。間違っても六本木や青山が私に似合うはずもなく、私はいたって庶民的な港区を楽しんで生きているわけである。
さて、そんな港区では、いますごいことが起きている。いや、別に、何かイベントをやっているわけでもないし、新しい何かができているわけでもないのだが、私には妙に引っかかることなのである。
これに気が付き始めたのは、去年の終わりごろからだ。世間では不況の波がどしどしと押し寄せ、お先真っ暗感が漂い始めた頃である。その当時、何も気にしていなかった私だが、ある日のとある忘年会で、私は日ごろお世話になっている方からこんなことを言われたのである。
「とにかく、今、マンション買い時だから!前の3分の1とかなんだから、とりあえず、買っちゃえ~!」
いやもちろん、お酒の席での話である。別にその人がどれくらい真剣にその話を私にしたかは、想像に難くないし、私も「へ~、そんなに今って買い時なんですかぁ~」とのん気に聞いていただけである。世間では確かにマンション価格が暴落しているとかなんとか言われているし、それもたぶん本当なのかもしれない。
そんなことを言われてからというもの、私は以前よりも妙に不動産の広告が気になり始めた。いや、別に、買いたいとか、そういう次元の話ではない。本当にそんなに価格が下がっているのか?と、ただ単に興味を持ち始めたのだ。
しかし驚いたことに、私が気になり始めたその時点ですでに、毎週毎週金曜日の朝刊にあれだけどさっと挟まっていた不動産の広告も、ほぼ皆無に近い状態になっていたのである。
どうやら、あまりにも景気が悪くなり始めたせいで、不動産の広告はどんどん削られ、印刷屋さんも暇になってしまうほど、折り込み広告の需要がなかったらしい。
しかし、そんなすっからかんの新聞広告も、年を越してしばらくしたのち、ふたたび異変が起こり始めた。1月に入り毎週金曜日には、またしてもマンションの広告が以前のように入り始めたのである。あの、妙に大きく、妙にいい紙で、そして妙にキランキランとした華やかなマンション広告が、再び勢いをつけて戻ってきたのだ。
とは言え、実際には、広告の中には変化が起きていた。私は久しぶりに沢山のマンション広告を眺めると、信じられないものを目にしたのである。それは、以前とは比べようもないほどの価格設定ぶりである。
そもそも、私が目にしているのは港区のマンション広告ばかりである。それはそれは高級な、六本木、麻布、白金、高輪、赤坂などばかりであり、どう考えても普通の人が買えそうにない超ハイクラスな物件ばかりである。しかし、その広告にも異変が起こり始めていた。以前なら、「1億、2億、3億円台」という、なんだそりゃな価格のマンションばかりだったにもかかわらず、最近では、「3千万、4千万、5千万円台から」という価格のマンションがごろごろ出ているのである。そしてまた、「キャンセル出ました!」とかいう広告も前より多い気がしている。もちろん、1億だの1.5億だのというマンションも確かにあるようだが、以前に比べたら価格の最低ラインが一気に落ちたような気もする。やはり、これって、不況の影響、そしてマンション価格暴落の結果なのだろうか。
私は再び毎週金曜日にどどっとくるようになったマンション広告を眺めては、不動産業界の動向と今の景気をなんとなく垣間見るような気がしてしまう。
この黒い大波、一体いつまで続くのだろう。
そんなことを思いながらも、「東京の夜景を見下ろすラグジュアリーな空間」だのなんだの言っている広告を、冷めた目で眺めたりしている私なのであった。
January, 2009 銀座で思うこと
2009/1/9
新年になって数日過ぎた頃から私はふと異変を感じ始めていた。
銀座の大通りを夜に歩いていたときの話だ。数日にわたり同じ場所を歩いていたが、どうも様子が変なのである。うーむなんだろう。何が変なのだろう。そう思いながら私は銀座を歩いていた。そこでふっと気がついた。妙に、人が、いないのである。最初はたまたまかと思っていた。しかし、どう考えても、明らかに人が少ないような気がする。12月にはそれなりに人がいたのに、一体どこに消えてしまったのだろう。そう思うほどに通りは静かな様子を見せていた。
あまりにも不思議に思ったので、銀座近くの京橋のカフェで、顔なじみの店員さんに質問を投げかけてみると、「飲食店はどこも空いているみたいですよ」とのこと。そうか、やっぱりそうなのか。高級クラブ街だってお客さんが少ないという話だし、きっとどこもかしこも不況の影響なのだろうか。
とはいえ、みんな、どこにいるのだろう。
ひと気の少ない銀座を歩きながら、世の移り変わりを感じる今日この頃なのであった。
January, 2009 年賀状に思ったこと
2009/1/6
今年の年賀状、いろんな方から頂いたが、ちょっと私には気になることがあった。いや、年賀状だけではなく、メールでも同じなのだが、年上の多くの先輩方から同じようなメッセージを頂いたのである。それは別に、私だけに対してではないのかもしれないし、私にのみ書いたことなのかもしれないのだが、とにかく妙に引っかかった。簡単に言うと、こんなことだ。
「今年は元気で、明るくいきましょう」
いや別に、毎年これを書く方もいらっしゃるだろうが、今までかつてこれほどいろんな方に同じようなメッセージを頂いたこともないような気がしてしまう。おそらくそれは、「世の中先行き不安で暗くなっているけど、とにかく気分は明るく前向きに頑張っていきましょう」という意味がかなり込められているようにも感じてしまう。
そしてまた、こんなメッセージをとある方から頂いた。
「今年は特に、あなたの明るい笑顔が必要になりそうですね」
自分がどんなふうに笑っているのか意識してはいないが、作り笑いが苦手でケラケラ笑う私は、以前、「屈託のない笑顔だねぇ」と言われたこともあるし、きっとおそらくあっけらかんとした能天気な笑いを人に見せているのだろう。
「お先真っ暗大恐慌」と必要以上に煽りたてるようなマスコミの論調とは違って、「そんなに必要以上に煽ってどうすんの」と私はずっと思っている。煽るよりも、もっといいニュースの芽を見つけたほうがいいじゃないか、と。
「明るく元気に」、そうやって地道に頑張っていきましょう。
年賀状を眺めながら、そんなことを思っていた。
December, 2008 クリスマスに思う2008/12/24
クリスマスになると思い出すものがある。それは2年前のクリスマスに放送されたTBS「情熱大陸」の映像だ。
この回の情熱大陸では国連WFPのスーダン代表でおられる忍足謙朗さんのドキュメンタリーが放送された。スーダンは世界でももっとも過酷な飢餓状態にある地域で、戦乱の中危険と隣り合わせになりながら、現地の人に食糧をいかに届け、いかに命を救うかという現場の大変さを垣間見ることが出来た。もちろん、25分ほどのほんのわずかの映像ではあったが、日曜のクリスマスであることを逆に最大限に活かし、食糧危機についての強いメッセージが打ち出されていたように思う。そういえば、最近の情熱大陸でも、国連WFPのインド代表である玉村美保子さんのドキュメンタリーが流れていた。これも、情熱大陸の姿勢なのだと思いたい。
プレゼントにパーティーにと浮き足立つこの季節、クリスマスの優しさと温かさをどこか遠くの誰かにもと、そんなことを少し思っていた。
街の中で2008/12/22
クリスマスを前にバタバタと買い物をしていると、ふと私はとあることに気がついた。
平日にしろ休日にしろ、なんだか買い物客がいつもより妙に気がする。銀座であれ有楽町であれ、なんとなく去年よりも混んでいないように思えるのは気のせいだろうか。
今年のクリスマス商戦はいまいちというニュースも聞いていたがやっぱりそれも本当だったのだろう。
日常の生活の中で不況を身に感じた出来事だった。
December, 2008 訃報を前に
2008/12/9
季節の変わり目には、訃報が多い。気温の変化が、体に堪えるからだろうか。12月に入り数本の訃報が私のもとに入ってきた。秘書という仕事柄、弔電を送ることも多いのだが、祝電と違って弔電を打つのはやはり少し気が重い。おめでたいことではない上に、突然やってくる訃報は、どことなく心がしんみりする。
そんな中、寝耳に水の知らせが入ってきた。以前少しお世話になっていた方で、まだ50代半ばだというのに、突然この世を去られたという。いつも明るく朗らかで、とっても元気そうなイメージの方だったので、私は思わず聞く耳を疑った。あまりにも突然すぎる悲報だったのだ。
「御冥福をお祈りいたします」
そう伝えるしかない弔電を前に、なんだか心が沈んでいた。
December, 2008 師走の習慣
2008/12/8
師走に入ると不思議なことに、夜に入るメールが一気に少なくなる。夕方まではじゃかじゃかとメールが入ったり、しょっちゅう電話が鳴るのに、夜になるとぱたっと止まる。もちろんそれは、普通に就業時間が終わっていることもあるのだが、それよりも何よりも、世間が忘年会シーズン真っ只中ということが大きな理由なのだろうと思う。
「すみません、今日は6時過ぎには出ちゃいます」
そんなことがメールでも、電話でも、そしていたところからもちらほらと聞こえてくる。
「忘年会なのでお先に失礼します」
それほど躊躇なしに言えるこの言葉。これはやっぱり年末ならではの、社会的に認められる珍しい行事なのだろう。
そういえば、ぐるなびの広告にこんなことが書いてあった。
「忘年会が盛り上がる会社は、いい会社だと思う」
会社の忘年会に限らず、年の瀬を迎えたこの師走12月に、人と会い、人と語らい、人とともに時間を過ごすという忘年会という日本の習慣は、意味のある大切なことなのだろう。
「今年も1年、お疲れ様。」
そんな気持ちが、夜のあちこちに、なんだか溢れているような気がしています。
December, 2008 オリンピックのこと
2008/12/3
だいぶ前からあちこちで話題になっているが、2016年のオリンピック開催を東京でという動きが出ている。おそらく、昭和39年のあの輝かしい東京オリンピックをもう一度という感じなのだろうが、私はどうもしっくりこない。東京でオリンピックなんてやったらまたいらぬ箱物作ったり、税金かけたりとえらい大変なんじゃないかと思ってしまうのだ。まぁ、直接的、間接的な収入もあちこちであるのだろうが、こんな狭くてぎっちりした東京でわざわざオリンピックやらなくても、他にいい場所は山ほどあるんじゃなかろうか。まぁ、「Yokoso ジャパン」のおかげなのか外国人観光客がどっと増えている今、もしもオリンピック開催となれば相乗効果が生み出されるのかもしれないが、だからといって別に東京じゃなくていいんじゃないかと、私は密かに思っている。
オリンピックにさして興味がないからそう思うのだろうか。それとも、非国民だから思うのだろうか。いずれにせよ、誘致のために膨大な金をかけるよりも、なんかもっとまともなことにその金と時間と人力を費やしたらいかがだろうと思ってしまう。人間としての道徳教育とか、社会保障対策とか、医療対策とか、やることはもっと他にある気がするぞ。企業や団体だって、さして必要でないものに寄付するほど、財力に余裕はないわけであって。ま、そんなこといったら、万博も同じかもしれないけど。
そんなことを思うの、自分だけなのだろうか。
December, 2008 世の中の動きに
2008/11/27
ついこの前まで、やれ「ぷちバブル」だの、「売り手市場」だの騒がれていたのに、気がついたらもう、「世の中お先真っ暗」、「この世の終わり」みたいなことになっている今日この頃。かつて、売り手市場からもっとも遠い世界、不況中の不況、しかも一番のどん底という環境の中で丸1年かけて就職活動を行っていた私には、なんだか最近の移り変わりはあまりにも目まぐるしく、そしてなんだかフィクションの中の出来事のように思えてしまう。
「新卒採用なし」という企業も多かったその当時、60社も蹴られた私はほぼノイローゼぎみになっていた。しかし、結局あの1年の「暗黒の時代」というのは、私にとって社会の厳しさと世の中の難しさを嫌というほどに体感する、ある種貴重な時間でもあったのだろうと今は思う。あの就職活動のおかげで、私はあまり世の中に対して期待をもたなくなった。覚めたという意味とも違うが、結局、世の中ってこんなもんかという開き直りをするようにもなりはじめたのだ。最終面接まで進んで、「うちは女の子いらないんだよね」とかのたまう方も普通にいたし、「好きな食べ物は何ですか」とかいう最終面接もあった。そう思うと、いくつも内定をもらってしまえたらしいここ数年の景気の良さは、一方でうらやましくもあるし、その一方で少々心配にもなってしまっていた。
いずれにせよ、過去はもうやり直すこともできず、時計の針を戻すこともできない今、やるべきことはなんなのか、それをこれからひとりひとりが考えていかなければならない時代になったのかなぁと、そんなことを思ってみた。
どうやって生きていくか。本当に、難しい時代になりました。
そういうのは、まだ少し早いかもしれないけれど。
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