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June, 2009 小動物な私 vol.3
2009/4/26
ある時はペンギン、そしてある時はポニーに例えられる小動物系な私。
まるでペットか家畜扱いなわけだが、実際のところは、動物の持つあたたかさや優しさを欲しているのは、私のほうなのである。
もともと動物好きの私だが、ここ数カ月はとりわけ、動物園や水族館、そしてありとあらゆる動物に触れるような機会を体と心がじぃっと静かに欲している。しかも最近、たまたまもらった雑誌に「猫カフェ」なる空間の紹介が載っており、私は密かにこの不思議なカフェに行ってみたいと思っている。
どうやらそれは、ここ数年、都内などで流行っている場所であり、部屋の中に何匹ものネコにゃんがいて、遊んだり、寝たり、ふらふらしているという。その猫世界にお邪魔した人、つまりお客さんは、お茶やらコーヒーやらを頂きながら、その猫たちを眺めたり、遊んだりできるという空間だというのだから驚きだ。
飼い犬を連れていけるドッグカフェの存在は昔からあったが、今は、逆にネコに会いに行くようなスタイルのカフェが増えているなんて、なんとまぁ、病んでいるような現代人には、うってつけのカフェである。
調べてみると、わりとリーズナブルな価格で、可愛い子ネコたちを眺めたりすることもできるらしい。夜遅くまでオープンしているお店もあるようだし、私はここ2か月ほどそのカフェに興味津々である。
とは言え、まだ一度たりともその猫空間には足を運べていない。
ネコと戯れることができるとき、それはきっと、ある意味、仕事の波が穏やかになったときを意味しているのかもしれない。
小さく、体力もない、小動物系らしい私。今度は一体、どんな動物に例えられるのか。
ある意味ちょっと怖いのであった。
March, 2009 「環境ジャーナリストの会」講演会のお知らせ
2009/2/16(分)
今回は環境系講演会のお知らせです。
環境系のジャーナリストで構成される「環境ジャーナリストの会」主催の連続講座が行われております。一般の方は会費2000円ですが、アットホームな雰囲気の中貴重なお話を伺えるいい機会です。ご興味ある方は、こちらのサイトからお申し込みください。
3月 9 日(月)19時~21時 地球・人間環境フォーラム会議室にて(最寄り:本郷三丁目駅) 「生物多様性とジャーナリズム」 元毎日新聞論説委員/早稲田大学院教授 原 剛 氏
3月16日(月) 19時~21時 地球・人間環境フォーラム会議室にて(最寄り:本郷三丁目駅) 「世界の辺境で生物多様性を書く」 読売新聞科学部 佐 藤 淳 氏
July, 2008 サミットへの疑問 vol.3
2008/7/12
サミットへの疑問シリーズ、これで最終編だが、私が一番書きたかったのは、いや、毒を吐きたかったのは、今回のテーマである。警護でも、おべんちゃらでもなく、肝心かなめの議題について、本当は書きたかったのである。
さて。洞爺湖サミットでの主要テーマは、大きく分けて4つ。もうだいぶ前に閉幕してしまったし、日本では偏った報道ばかりしていたので意外とちゃんと認識していなかったが、テーマは「環境」の1つではなく4つあったのである。
1.世界経済 2.環境・気候変動 3.開発・アフリカ 4.政治問題
連日続けられていた報道は、ほとんどがこのうちの「環境・気候変動」、特に「温暖化問題」に集中していたものであった。もちろん、「2050年までにCO2を50%以上削減」という目標の共有が、一番のサミットの成果として独り歩きしていたものの、この裏でありとあらゆることが議論されていた。が、実は私は、今回のサミットが始まる前から気になりはじめ、そして期間中も変だなぁと思い、さらには終わってからも「なんでだよ」と思っていたことがあった。温暖化対策のことだけではない、危機を迎えている食糧問題、エネルギー資源問題のことだけではない。全体に関わる非常に重要な言葉が、完全に抜け落ちていたような気がしていたのである。
実際、洞爺湖サミットのオフィシャルホームページ上に掲載されているサミット概要にも、この言葉は見当たらない。新聞でもテレビでも、どうしてこの言葉が聞かれないのだろうと不思議に思っていたが、やっぱりどうも抜け落ちているような気がしてならない。いや、誰しもが気づいていないのか、それとも「タブー視」しているのか、その答えは前者のような気もするが、あまりにも机上の空論で話が進められているような気がして、私は非常に釈然としなかった。
完全に抜け落ちていたキーワード、それが意図したものかどうかはさておき、それは、世界の「人口」である。ここで、「そうだっ!」と相づちを打ってくださる方が一体どれほどいらっしゃるか私には皆目見当がつかないが、これほどまでに重要なテーマ、キーワードが、どうしてあれほど各国の首脳陣がずらりと揃った席で、機会で出てこなかったのか、私にはまったくもって理解ができない。
今現在、地球上の人口は、約66億人と言われている。もちろん、世界人口を正確に把握することも、将来の人口を予想するのも、非常に難しいことではあるが、とりあえず今現在67億人に手が届きそうな数の人がこの青い地球ただ一つの上に暮らしているのである。ちなみに、10年前の1998年はと言えば、まだ60億人を切っていた。ものの10年で6億人も増えているのである。たったの10年で、日本があと5個増えちゃうくらいのすごいスピードで、世の中の人の数は増えているわけである。
そして、サミット上でさんざん話題になったのが、そう、2050年のことである。その時には私も、生きているとすればかなりの年になっているわけだが、100%生きていないとも言い切れないし、ビミョ-に遠い将来である。そんな42年後の2050年には、大ざっぱにみても世界人口が90億人になっていると予測されている。
さて、ここで考えてほしい。今、ひと部屋に6人が暮らしているとしよう。食べ物も足りなくなってきたし、エネルギーも足りなくなってきた。貧富の差が生まれ、いがみ合いと壮絶な競争が生まれているとしよう。しかし、ここにあと3人追加して、9人が一緒に暮らすことになるとする。食料もエネルギーも、これからさして増えていくとは思いにくい。人が過密になって、ますます暮らしにくい生活になることも想像に難くない。そんなとき一体このひと部屋で何が起きていくのだろう。人はどう自分の生活を守り、人と人との関係を築いていくのだろう。
話を元に戻そう。2050年の「CO2、50%以上削減」目標のことである。人口が現在の1.5倍近くになる2050年に、CO2を今よりも、少なくとも50%は削減させているというビジョンだ。「いつと比べて50%減?」とも思うが、それも定かではない。というわけで、仮に2008年を基準年としても、人口66億人の今から、人口90億人の2050年までにCO2を半減させなければならないというのである。人口が約1.4倍にも増えている90億人の地球で、CO2を今の50%以下にさせるという目標。これがどれくらい過酷なことかは、さして考えなくても簡単に想像がつくであろう。まぁ変な例えだが、ダイエットに例えてみれば、今よりも1.5倍のカロリーをとりつつも、今よりも半分近い体重にしろみたいな難題であるだろう。しかし、人口問題には触れられず、サミットではこれが一番の話題になり、成果となったというわけだ。
さて問題は、CO2のことだけなんかではない。私がこれ以上に怖いのは、食糧と資源のことである。今ですら、「食糧危機!」、「資源高騰!」と連日問題になり、食糧と資源の獲得のために、各国が躍起になっている時代である。価格にいたっては、石油が上がり、鉱物があがり、小麦も上がるし、トウモロコシも上がる。石油も飼料も高くなるのだから、魚も肉もこれからますます値上がりするのは目に見えている。66億人が、生きていくための食糧とエネルギーを得るために奔走し、さらには食として消費されるための食糧を、石油に代わるエネルギーにするなんてことを平気でやっている時代である。今ですら混乱状態、混沌状態であるにもかかわらず、これが人口90億人になったらどうなるのだろう。もちろん、日々の技術革新も、大きな食の変化もあろう。土を使わず、水と電気で野菜が、しかもビルの中で育ってしまう時代ではある。しかし、世界の作付面積がこれ以上画期的に増えるとも考えにくい今、どうやって、そして一体誰が、90億人の人間を食わしていくことができるのだろう。実際、今、日本が頼っている多くの輸入相手国で、様々な食物の輸出停止が起きているくらいだ。中国は、自国の作付面積が増えないことを警戒し、地球の裏側の国の土地を買い占め始めている。それも、食糧確保のためだ。こんな時代があとどれくらい続くのだろう。誰がこのベクトルを変えていくのだろう。それは、サミットか、はたまた国連か。そんなことはおとぎ話の世界であろう。とにかく問題は地球上の人口が、急速に増え続けていることにある。1.5倍の人口を養うには、地球があと1つは必要であろう。そんなこと誰にもできないのは明確なのだから、早く手を打たなければならないのだ。こんなこと、もう何年も前からわかりきっていたことである。あらゆる学者、エコノミストはすでに警鐘を鳴らし続けている。一体、各国首脳陣が集まるサミットで、何を最優先課題としなければならなかったのだろうか。もちろん、バースコントロールは人間のプライベートな生活に関わることだ。そんなの国に統制されるものでもなければ、義務付けられるべきことでもないと思う。とはいえ、国家統制として1979年から続けられているいわゆる「一人っ子政策」の中国ですら、人口は現状維持どころか増え続けている。人口12億なんて言っていたのは遠い昔の話だ。今では、戸籍のない、つまり戸籍を登録できない闇の子供たちを含めて14億人とも言われている。しかし、そんな中国でもここ数年、「少子高齢化」の波が襲ってきている。日本よりも事態は深刻だ。これ以上人を増やしたくはない中国は、この先どんな手を打っていくのだろうか。
さて、まとめに入ろう。
「少子高齢化でお先真っ暗」なんて、日本は嘆いている場合ではない。国が、国民が生き残るためには、今後嫌でも人数の増加を抑えていかなければならないのだ。温暖化問題には賛否両論いろいろあるが、これが真実であるとすれば、尚更の話であろう。食糧輸入大国が、資源輸入大国が、2050年に生き残っているためには、そして子供たちの命が守られるためには、適正な人口にゆっくりと戻っていくしかないのである。食糧も資源も、そして自然も、すべて地球上にあるものは無限ではなく有限なのだ。有限である地球の産物を、無限に増えていく人類は、いつまで享受できるのだろうか。好きなだけむさぼっておきながら、今になってぎゃぁぎゃぁ騒ぐ人間は、地球にとってどんな存在なのであろうか。2050年までにCO2半減、そんな目標すら、世界の人口が増えてしまえば、まったく無意味な絵空事にしかならない。どんなに努力したとしても、人口が急激に増えてしまえば、あっという間にその成果は消えてしまうのだ。これからますます経済発展をさせる数多の国が、豊かになれば、どうなるか。人口が増え、快適な暮らしを手にし始めるのも、ごく自然のことだ。貧困の悪連鎖を続ける国々が、国の方針と教育を変えずに人口を増やし続けたらどうなるか。いまですら、食糧が高くて買うことができず、あらゆる弊害が出ているではないか。そんなこと、考えてみれば、誰もが簡単に想像できるだろう。もちろん私は、子供を産まないほうが良いとか、そんな短絡的なことを述べているのではない。大事なのは全体のバランスだ。これが崩れたとき、今ある命さえ絶たれてしまうことになるのだから、どうにかしてバランスをとり続けなければならないのである。
世の中の、治者よ、智者よ、賢人よ。一過性の過熱するエコブームなんかに乗って、猫も杓子も「温暖化反対」、「地球を救おう」なんて薄っぺらい言葉を並べるのは、やめてくれ。もう警告は、ずっと昔から何度も何度も繰り返されている。さんざん地球に救われているのは、多めに見てもらっているのは、この人間のほうなのだ。これ以上、人口が増えたとき、どんなしっぺ返しがやってくるか、それを考えてもみてほしい。目先のことだけを考えて、きれいな言葉だけを並べて、大声で煽るのはやめてくれ。本質はもっと、他のところにあるのだから。
これからのキーワード。それは「人口抑制」と、それを支える「教育」であると、私は心の底から思っている。これの解決なしに、さんざん騒がれている温暖化問題も、食糧問題も、そしてエネルギー問題も、根本的な解決の糸口は見えないのである。
次のサミットで、この「人口」がテーマにあがってこないとするならば、もうそれは、自国の利益優先で何も考えていない愚か者のパーティーだと、私はきっと思うであろう。
July, 2008 サミットへの疑問 vol.2
2008/7/11
さて、話の続きはサミットである。
警備の態勢に半ば辟易していたのはこの私だが、サミットが閉幕してから時間が過ぎた今(これを書いているのは7月30日)、「洞爺湖サミット」の言葉を聞くのは、対外、何かのレポートとか雑誌の記事とか、そういう類の中である。ま、それはさておき、話は私のサミットに対する疑問である。そもそも、最初から全然何も期待していなかった私は、あまりの過熱ぶりに辟易を通り越して、嫌気を覚えていた。開催前の新聞報道、マスコミ報道も、なんだかもうお祭りのような騒ぎで、なんでそんなに猫も杓子も「サミット!」、「温暖化!」、「CO2!」と言っているのかと不思議でならなかった。大体、考えても見てほしい。主要国の首脳陣が集まって議論して、それで世の中がらっと上手く変わっていたら、もう今頃とっくに世の中ハッピーだらけである。そもそも、自分自身の国を背負って集まってきているんだから、あぁでもないこうでもない意見が対立してまとまらないのは目に見えている。そこをなんとかまとめるのが、ま、サミットの役割と言えるだろうが、今まで何回もやってきてそれがとっくに功を奏していたら、今頃になって、やれ温暖化がやばいだの、食糧が足りないだの、そんなとっくの昔から完全にわかりきっていたことが問題になって、もめるわけないのである。そしてまた、サミットに妙に期待して、「これで解決策が、方向性が見つかる」なんて思うのも、それはそれでナンセンスだ。サミット終了後、政府関係者は「成功に終わった」とか「一定の成果」とかおっしゃるし、一方のマスコミや学者陣、そしてまた一般の方は「かなり不満」、「成果なし」、「呆れた」と仰る。まぁ、開催国だからなおさらやはり期待してしまうのだろう。しかし、こう思うと、人の 見方は千差万別、十人十色だと思うような気もしてくる。もちろん、最初から期待しなければ、裏切られることもないわけだが。そしてまた、膨大なお金と人資源、そして様々なエネルギーをここにつぎ込むくらいなら、テレビ会議でもやって、その分の資金をもっと違うものに充てればいいのにとも思ったりする(これは少々過激な発言だが)。
首相同士で握手している写真よりも、国民はもっと明確な方向性と解決策を、もっと明るい話題を求めているんですけど、とひとり苦言を心の中で呈している私なのであった。
まだこの話、続きます。
July, 2008 サミットへの疑問 vol.1
2008/7/10
七夕の日から3日間にわたり開催されていた北海道・洞爺湖サミット。このブログを書いているのは、今日、7月28日なので、閉幕してからだいぶ時間も経っているが、もう頃合いもいいかと思うので、つらつらと毒、いやある種の暴言を吐いてみたい。
まずは、開催時の厳戒体制への疑問だ。私はサミットの10日ほど前に札幌に行ったが、その時ですらあちらこちらに警察が立っていた。ま、これに対しては特に何も思わない。開催の本拠地なのだから、それくらい普通ではあろうと思う。が、私が妙に気になったのは、東京での警備体制のことだ。これは本当に、日々暮らしている人間からすれば、半ば「辟易」してしまうほどのレベルであり、私はちょっとイヤになっていた。
まず、サミット前からそれはそれは至る所に警察が立っていた。東京駅なんて、ものの20メートルおきくらいに人が立っているんじゃないかというほどに、妙に物々しい雰囲気だった。ま、これはまぁ、首都でテロがあったりしたら困るというものなのだろう。が、うーんと思ったのは、これではない。開催前からしばらくの間、コインロッカーの使用停止が続けられていた。私は普段、東京ではロッカーを使わないが、あれだけの観光客、ビジネスマンが大勢やってくる山手線の駅(もちろん、駅の外でも同じだ)で、コインロッカーが使えないとは信じられない暴挙であると私は思う。そして、さらにはごみ箱。こちらもまた、「使用中止」の張り紙で、封がされていた。何も、捨てられない。何も、預けられない。ただ、我慢。この期間に東京にいらした方は、さぞかしご不便だったことだろうと、私は心中お察ししてしまう。まぁそれも、サミット期間に何かあったらいけないという予防策なのだろうが、札幌から飛行機で1時間半も離れている東京でこれほどまでに厳戒態勢とはと、正直少々飽き飽きしていた。非国民!と言われるかもしれないが、サミットに何の期待もしていない私は、ますますそう疑問に思っていた。
さて、次は中身に入ろう。
私が疑問なのは、警備の問題だけではもちろんなかったのである。
January, 2008 真夜中の違和感
2008/1/25
真夜中、ふとテレビを見たら温暖化問題がとりあげられていた。こんな時間になんだろうと思ってよく見ると、テレビ朝日名物とも言える真夜中の討論番組である。私はこの番組が昔から苦手なのだが、テーマがテーマと言うこともありちょっとの間テレビの前から離れなかった。
しかし、見ているうちに気分が悪くなってきた。私の具合が悪いと言うわけではない。番組を見ていたら、気分が変になってきたのである。やはり、私の波長とは何かが合わないのであろう。
そして私は同時にこうも思ったのである。朝方まで延々と繰り返される討論をひたすらだらだらと流すよりも、きっちりと短い時間におさめて放映したほうが、番組を見たい視聴者サイドからすれば、ずっとエコである。つまり、テレビを見るのに必要とする電力がもっとずっと少ないのではないかと。もちろん、編集した段階で、意図的に内容が歪められる可能性は否定できないが。
私はそのままテレビを消し、ベッドにもぐることにした。
環境問題の本末転倒ぶりに、疑問を覚えることが増え続けている今日この頃。
November, 2007 常緑広葉樹が
2007/10/22
お昼休み、少々用があり、オフィスからすぐそこの旧芝離宮恩賜庭園へと向かう。JR浜松町駅すぐ横に位置するこの庭園は、江戸時代の大名庭園だったこともあり、都会の中の緑のオアシスとして大事に残されている。庭園には多くの常緑広葉樹、たとえばタブノキやどんぐりの木であるスダジイ、アカガシなども多く、実にいい木が残されているので、私の大のお気に入りの場所である。木々以外にも花々が多いこともあり、季節の移り変わりを楽しむことができ、私にはほっとできる場所、リラックスできる場所ともなっている。
そんな庭園に私はしばらくぶりに足を運ぶことにした。ちょっと木について見ておきたいことがあったのだ。お天気もいいこともあり、後輩を誘うと、みな一緒に来るという。お昼ごはんとピクニックシートを持って、秋空の爽やかな空気の中、実にいい気分でランチタイムを過ごすことにした。空は青いし、木々は豊かに緑をたたえている。実に清清しく、リフレッシュできるというありがたい環境である。
しかしその後、私はとある異変に気がつくことになった。今まで何度も見ている木々が、不思議なほどに枝打ちされているのである。しかも、もくもくと鬱蒼とした木々であるはずの常緑広葉樹、スタジイ、アカガシが見事にスカスカにされている。私はそれを見て、一気に気持ちが悪くなった。こんなに変などんぐりの木は見たことがない。一体全体、どうしてこんなにひどい状況になっているのだろう。
そこで私はちょっと考えてみた。スダジイはスダジイでも、切られている木々は、植えられている場所に特徴がある。それは、人が通る場所や憩いの場所となっているところに育っている木であったのだ。人が足を運ばない庭園の端の部分の木は何も変化がなさそうだ。つまり、おそらく、もちろんこれは私の勝手な憶測であるわけだが、何か病気にかかったなどではなく、そして全ての木々をというわけではなく、人が休む場所、人が歩く場所に太陽光をもっと取り込むためなのではないかという結論に至ったのだ。暗くて危ないというクレームでもあったのだろうか。しかし、それも変と言えば変である。なにせ、庭園の開園時間は9時から5時までなのだ。別に夜暗くなっている時に人が入れるわけでもないし、防犯上の理由もあるとは思えない。だとしたら、ちょっと暗くなりがちな常緑広葉樹の木の枝を落としたのはなぜなのだろう。葉を落とすことで、二酸化炭素の吸収源も、一気に減るというにもかかわらず。いやそれとも、落ち葉やどんぐりの落ちる時期に備えて、面倒なことは避けようととった手段だったのか。
そんなことを考えながら、私はまたいつものように仕事に戻っていった。
そういえば、この旧芝離宮恩賜庭園、管轄は東京都である。もしも税金を使って緑を増やそうとしている一方で、税金を使って貴重な常緑広葉樹の無駄な枝打ちをしているとしたならば、私は開いた口がふさがらない。
October, 2007 目標は、エコドライブ
2007/10/13
私は車の運転が苦手である。何をのっけからと思われそうだが、車の運転はしなくてもいいならできるだけしたくないというほどの苦手さである。最初の教習所の段階から苦手だったが、数年前に自分の不注意で車で死にかけてからというもの、一人で乗るのはおろか、人が隣にいてもできるだけ運転は避けるようにしている。とは言え、自分で運転しなければならない必要性が皆無と言うわけでもなく、この日も恐る恐るハンドルを握ったわけである。しかも、よりによって、ひとりで通ったことの無い大通りで、私は心の中でひぃひぃ言いながらも、手に汗握りつつ、ハンドルを切っていたわけなのだ。目的地まで無事に到着後、用を済ませ、再びハンドルを握り始めたわけだが、どういうわけかいささか心に余裕が出てきてなんとなく楽しくなってしまう。いかんいかん。なにせ、車がプリウスやハイブリッドカーであればまだいいが、そんなにエコな車は家にはまだないのである。なるべくアイドリングをしないよう、なるべく急発進・急ブレーキをしないよう、いろんなことに心がけなければならないわけだ。しかし、エコ意識はあるわりには。腕が伴っていないのが私である。 曲がるべきところを間違えてしまい、結局ぐるっとまわって、ガソリンの無駄使いを少々する羽目になる。あぁ、むつかしい。車に乗らなくて良いところに住んでいれば、もっとエコになるのだろうか。そんな、そもそも論を考えつつも、無事に家まで戻れたことに、感謝なんてしてしまう小心者の私なのであった。
運転もエコも、一筋縄ではいかないなぁ。
September, 2007 温度設定に思う
2007/8/16
最近気になっていること。それは、電車の温度設定はどうなっているのだろうということだ。
私は万年冷え性人間なので、移動の際の冷房対策には余念がないのだが、最近どうも、長い時間乗る電車ほど、意外と寒くないということに気がついたのである。新幹線や特急など、意外と寒そうだが、予想以上に冷えないのだ。逆に、短い時間しか乗らないような電車のほうがぐっと車内が冷えている。まぁ、ドアの開閉が頻繁にあればあるほど、外気の熱が車内に入るため、設定温度を低くしないといけないのだろうが、意外と新幹線のほうがほのかにあったかくて私にはありがたいと密かに思っているのである(スーツ姿のサラリーマンのみなさまには暑いのだろうか?)。
そんなんだから、JRや私鉄の会社も色々考えているんだなぁとかなんだか最近思ってしまう。
でも、飛行機は、いつも寒いんだよねぇ。上空だから、仕方ないのか。どうしたもんだろう。
August, 2007 「似て非なるもの」 ~vol.4 エコ編~
2007/7/20
「エコバッグ」という名の高級ブランド品に大金をつぎ込むことと、すでに持っているバッグや紙袋をエコバッグとして使うこと。
エコはエコでも、それじゃ全く、似て非なるもの。
この傾向、どうしたものか。
March, 2007 「三種のエコ神器」シリーズ その参2007/3/4
さて、今回は「三種のエコ神器」シリーズ最終回、その参をお届けします。
今日のお題?いや、エコ神器は、「マイ箸!」です。
さて、みなさま。お箸の国の日本人、いやアジア人の食文化っていうのは、いいと思いませぬか?もちろん、西欧のフォーク&ナイフもそれはそれでいいんですが、私はお箸が大好きです(笑)。そして、お米が大好きです(笑)。和食なら「米+汁+焼き物+煮物+香の物」みたいな組合せであれば、幸せ感じちゃいます(単純)。また、中華でもマレーシア料理でもベトナム料理でも、「米+スープ+炒め物」なんていう、組合せが大好きです(これまた単純)。何せ、米好きですので、きちんとした中華やマレー料理のコースで、前菜から始まり、スープ、炒め物数種、そして最後にチャーハン(とか、ナシゴレン系)とか出されて、お米が炒め物に遠い(時間的に・・)のが嫌なのです(笑)。私は、「炒め物はご飯と一緒に食べたいのよぉ~~~」な人なので、「早くご飯ちょうだいっ!」とうずうずしてしまうほどに、根っからの米好き庶民なのであります(ははは)。やっぱ、青菜の炒め物とか、茄子の炒め物とか、麻婆豆腐とかとお米の組合せは王道かつベストコンビネーションだと思っております。「だから何よ?」と訊かれると困っちゃうけど・・・。
と、いうわけで、お米大好き人間の私にとって、「お箸」は大事な文化でもあり、道具でもあるのです(少々こじつけっぽいが)。そんな私は、ここ半年、いつも「マイ箸」をカバンに入れて、外で割り箸を出された時には、100%とは言えませんが(状況にもよるし)、なるべく「マイ箸」を使って、割り箸を使うのを減らそうと思っております。
かつて割り箸と言えば、「木材がもったいない!」という派と、「いや、余った木材の有効活用だ!」という派の二派に分かれていたような気がします。両方とも「うーん、ごもっとも」なんですが、実際はと言えば、割り箸のパッケージの裏を見れば、「中国製」とかで、国産材の有効活用になってないじゃん・・・と思うことが無きにしも非ずです。また、「環境に配慮して、植林したポプラの木材を使用しています」という説明書きがなされているのもありますが、「うーん、わざわざお金かけて植林して、で、割り箸になってものの20分で捨てられるのか・・・」と思うと、ちょっち切なくなります(私だけ?)。しかも、もちろん、CO2排出して生み出して、CO2出して運ばれているわけですからなおさら「うーむ」とか思っちゃうわけです。
もちろん、色々な企業が割り箸やお手拭などを製造されていますが、裏を見ると、「間伐材を使用しています」とか、「非木材のケナフを使用しています」とか書いてあるのが最近の傾向です。また、「この割り箸の売上げの○%を自然保護活動に寄付しています」とかいうのもあります。
みなさん、ちょっとずつ色々やっているのが、よくよく見ると、わかるものです。必要な時には、やっぱり、「どっちがいいのかなー」と考えて選ぶようにしたいなとは思ってます。例えば、「中国産」よりは「国内間伐材使用」とかね。
さて、本題ですが、前回の「その弐 エコバッグ&風呂敷編」でも書きましたが、どんなに有効活用が進んでも、全体量が増えちゃダメなんですねぇ。全体量が増えれば、またエネルギー・資源がどーんどん使われて、CO2もガンガン出るわけです。もちろん、現状維持だとしても十分使い過ぎなわけです。「有効活用」と「全体量を小さくすること」。この両方がやっぱり必要なんですね。もちろん、経済を考えると、「うーむ」とうなっちゃうこともあるわけですが(モノが売れなきゃ、世の中回りませんしねぇ)、それでも、「不要なもの」、「もったいないもの」を少しずつ省いていかないと、ゆくゆくの人間社会は、資源・エネルギー的には「貯金ゼロ!!!あとは自分で苦労しろ!!!」となり、地球的には「もう限界!!!人間のエゴでもう地球は終わり!!」となっちゃうかもしれないんですねぇ。かつては沢山あったもの(資源・エネルギー)を無節操に使い続けてきて、もう残りが少ないわけです。ま、例えてみれば、代々続いてきた遺産を使って暮らしてたけど、使いすぎでもう底が尽きちゃったと(笑)。これからは自分達で苦労して働かなきゃ、お給料日が来ないわけです(来てもいつ来るかはわからないし、いくらかもわからないけどサ)。そんなわけですから、「できるとこからコツコツと」何かしらの使用量を少なくしないとまずいわけですねぇ。
と、いうことで、割り箸をマイ箸に変えるだけでも、「超ちっちゃい」ながらも「全体量を小さくすること」に微量に貢献できるかなと考えています。とはいえ、難しいことはさておいても、コンビニのお弁当を食べるときなどに、「パシッ」と割って、上手くふたつに割れずに斜めになっちゃって、「なんか刺さって、痛いかも~」というお箸で食べるより、木目のいいお箸なんかで食べたほうが気分がいいわけです。そして、飲み屋に行って、お刺身をつまむにも、お蕎麦をすするにも、味気ない割り箸よりも、ちょっとお気に入りのステキなお箸のほうが、なんとなく「美味しく」感じちゃうものなんです(単純)。
美味しいご飯を、美味しく食べるという考えだけでも、実は割り箸よりも「マイ箸」のほうが、断然いいのかもしれません。実際、使い始めると、「うーん、なんとなく高級感が出て美味しいかも~」となってきちゃうわけです。
ちなみに私が使っているのは、お箸の専門店「兵佐衛門」さんの携帯箸「八四郎」です。小さく、軽く、そして実にいい仕事がなされていて、私のお薦めの一膳です。銀座の箸専門店「夏野」、また全国のデパートなどでも売られているそうなので、見つけた方はぜひどうぞ(しかし、どうやら生産がストップ?されるらしいので、お気をつけ下さいまし)。
ちっちゃいとこからコツコツと。美味しく、楽しく、そしてエコな「マイ箸」。始めてみてはいかがでしょう。
「三種のエコ神器」。誰でも気負わず簡単に、そしてすぐにできます。
みなさま、どうぞ、お試しあれ。
March, 2007 「三種のエコ神器」シリーズ その弐2007/3/3
今回は「三種のエコ神器」シリーズその弐をお送りします~。
「エコ神器」ふたつ目は、もうすっかり定番中の定番、「マイバッグ&風呂敷」でございます。お買い物の際には、なるべく持っていたいものですね。
さて、ここで簡単なクイズです。最近「有料化か?!」で話題のスーパーのレジ袋ですが、一人当たりの平均年間使用量(幼児を除く)は、次のうちどれでしょう?
①約100枚
②約300枚
③約500枚
クイズの答えは一番下にあります~。
と、いうわけで、毎日のようにごくごく当たり前に目にし、接しているレジ袋ですが、ほんの一瞬、もしくは数時間ものを入れておくために膨大なエネルギー・資源(原油などなど)を使って生み出されているわけです。しかも、膨大なエネルギーを使ってあちこちに運ばれ、一方でCO2をガンガン出しているにもかかわらず、お店で一瞬使われてその後すぐに「ポイッ」とゴミにされてしまうことも多いという、ちょっと可哀想?なレジ袋くんです。ま、それよりも、「もったいないぃ~」のが強いですが、たかが飲み物一本や、ガム一個だけでレジ袋にわざわざ入れさせている人を見ると、「うーむ」とうなる今日この頃なのであります(ちょっと過剰反応?!)。
もちろん、袋として再度有効活用し、最後は分別回収させて再資源化すればいいんですが、どーんなにリサイクル率を上げても、使われている全体量が減らないと、資源はどしどし減ってしまうんですねぇ。例えば、仮にレジ袋のリサイクル率が100%だとしても(そんなわけはないけど)、生産量が2倍、3倍になれば、結局全体で必要とするエネルギー・資源量は減らないので、あんまりよろしくないということです。そして、「リサイクル」は素晴らしい事ですが、「リサイクル」するにも、エネルギー・資源、そしてお金はかかるんですねぇ。なので、「Let's リサイクル!」だけではなく、使う量もちょっとずつガマンしたり、考えて減らす(つまり「リデュース/Reduce」)。全体の大きさを少しずつ小さくする。環境を考えると、この「リデュース」が一番大事なんですね(前々から政府あげて「3R(リデュース、リユース、リサイクル)」を広めようとしてますが、どれほどまでに、この“3つの優先順位”がきちんと理解され、浸透しているかは、私にもナゾです)。
もちろん、レジ袋だけではなく、紙袋も、さらには過剰な包装もなるべく断ることが大切ですが、毎度毎度100%全てを断ることももちろん無理なので、やっぱり出来るところで地味ぃにコツコツが大切になってきますね。
そこで、私がいつも大概バッグに入れて持ち歩いているのが、「マイバッグ」や「マイ風呂敷」です。もちろん、買い物の際に手に持っているバッグにそのままポンと品物入れて納まれば、何の問題もないですが、ちっちゃな袋や畳んで小さくなる風呂敷を1枚入れておくと、グンと便利になります。
べつに、「エコバッグ」をわざわざ買わなくても、ショップでもらったような袋を1枚入れておくだけでもいいですし、風呂敷であれば、超軽い上にどーんな形にでも自由自在に包め、いらなくなったら畳んでしまえばオッケーなので、とっても重宝します。柄にもよりますが、スカーフになったり、ひざ掛けにできるのもありますね(前の小池百合子環境大臣は「もったいないふろしき」をひたすらPRしてましたが、今ではあまり聞かなくなっちゃいました。大臣変わったからかなぁ~)。あとは、パソコン包んだり、洋服包んだり、ワイン包んだり、ブックカバーにしたり(風呂敷の包み方の本もふえてきましたよ)、風呂敷自体を変形させて巾着にしたり、バッグにしたりと、その用途は本当に無限大です。旅行にも実に便利ですね。
別に、わざわざ高くてオシャレなのを買わなくても、1枚くらい家にあると思いますし、最近では可愛い風呂敷も増えたので、プレゼントのラッピングの変わりに風呂敷に包んで贈り物というのもいいですね。またそれを普段使っていただければ、なお良しです。
私の場合、日舞を習っていること(最近お稽古行けてませんが・・・)、そして着物が好きなこと、更には昔から普通に親が使っていることの影響もあって、風呂敷は、実に普通に日常生活に入り込んでいます。大きな風呂敷でなく、小布みたいなのでも普段使いできるようになると、面白いですよ。
お店で買い物をした際、変な形のものでも、さささっとフィットさせて包んで持って帰ることもできます。あ、それから、スーパーへのお買い物の際には、こんなエコバッグもあります。うちでは母が使ってます。デザインもいろいろあるし、フェアトレード製品で、ますますステキなバッグたちです。ご興味ある方はぜひどうぞ。
毎日毎日、「100%」しっかりできなくてもいいんです。10回に1回でも、5回に1回でも、ちょっとずつできるところからやる。そしてそれがだんだん習慣になる。そしてその日々のちっちゃな行動が、いずれかの、そして数年後、数十年後の自分達の生活に還ってきます。地球をおかしくさせるのも、普通に戻すのも、日々のちっちゃな行動次第なんですね。少しずつでも、出来るところから、楽しみながらでもやってみる。それが、何よりも、まず大事です。
今日のお話は、「マイバッグ&風呂敷」についてでした。次回「その参」は、「マイ箸」のお話です~。
※ クイズの答え※
答えは、②の300枚になります。つまり、日本国民のだいたーいの人がほぼ毎日1枚のレジ袋をもらっている計算になりますね。うーん、すごい数だ。もちろん、これは「平均」ですし、大きさはスーパーのLLサイズのレジ袋での計算とのことです(日本ポリオレフィンフィルム工業組合HPより)。コンビニの袋はもっとちっちゃいので、枚数にすれば、本当はもう少し多い数になるかもしれませんね。「袋はいいです!」その一言を、出来るとこからやっていきましょう~♪
March, 2007 「三種のエコ神器」シリーズ その壱2007/3/2
(先日の高熱で記憶が飛んでいるので、しばらくは、シリーズものをお届けしたいと思います・・・・) さて、ここのところ、新聞でもテレビでも、環境問題や地球温暖化の話がやたらめったら目に付くようになった気がする。まぁ、環境担当者であるからこそ、敏感に気がついているということもあるのだが、それにしてもここのところ学者も政府も、そして企業も民間もその意識がどんどんと高まり、「どうにかしなきゃ!」という焦り感がふつふつと高まってきているような気がする。これはとってもいい事だ。だって、環境問題って、決して「こむつかしい話」ではなく、「みんなの生活」そのものなのだから。みんなが行動するしか答えはないのだから。そんなことを思っている今日この頃(っていうか、前からだけどサ)なのである。
とは言えそこで必ず聞かれるのが、「でも、一人でやったってなんにも変わんないしー」である。私にしてみれば、「それを言っちゃあ、オシマイよ~」(ちょっと江戸っ子風)なのだが、意外と「なんかやりたいけど、いまいちやれない」という人はいまだ多いようである(じゃんねんながら)。
というわけで、これからシリーズで、実にフツーに誰でもなーんにも気にせずできる、そして超使える「三種のエコ神器」ばなしを展開してまいります。実に、簡単で、すでにやっている人も増えてはいるのだが、まだまだ広がりは少なく「へ?何それ!?」と言われることも多いので、私が日頃やっている(持っている)ことをブログにアップして参ります。ご関心を持った方は、ぜひトライしてみてくださいね~。
さて、「三種のエコ神器」シリーズその壱。
それは、、、「マイ・タンブラー!」です。
もう、私にとっては、「超フツー」なグッズですが、まーだまだ持っている方は少ないのですね~。
私が使っているマイ・タンブラーちゃん。使い始めてかれこれ半年以上が経ちますが、これは究極便利な代物なのです。毎日毎日いつもどこへでも一緒の可愛いドリンク入れなのです。
「タンブラーってどんなのよ?」とお思いの方は、スターバックスなどで売られている、水筒みたいなのをイメージしてみてください。もちろん、タンブラーじゃなくても、水筒も今は密かなブームですので、持ち歩いている方もいらっしゃいます。私もこのタンブラーを使う前は、片手でパカっと開けて、そのまま飲める、「THERMOS」(サーモス)の魔法瓶タイプのマグを持ち歩いていました(300ml位の)。が、あるとき、ふとしたきっかけに無くしてしまい(自分でも信じられん)、それ以降はこのタンブラーを使っています。
が!信じられないほど、私にとってはタンブラーのほうが使い勝手が良しなのです(もちろん、サーモスは超素晴らしく、お薦めです)。魔法瓶のほうが温度がずっと保ちますが、逆にそれが私にはあだとなって?「熱すぎてゴクゴク飲めない~っ!」という状況だったわけです。ま、逆を言えば、タンブラーだと保温機能があまりないので、時間が経てば少々ぬるくなっちゃうわけですが、逆にそれが「歩きながらでもどこでもゴクゴク飲める」という利点になっているという具合です。家やオフィスで紅茶や緑茶、ハーブティー、その他ジュースなどを入れて、いつも持ち歩けば、とーっても便利というわけです。
さらには、、、スターバックス、タリーズ、エクセルシオールカフェでは、マイ・タンブラーを持っていけば、「20円引き」というちっちゃなハッピーも味わえます。それから、タンブラーはすすいでくれますので、ご安心を。ドトールでは割引はないけど、頼めば入れてくれました。あとのカフェでは経験まだナシ。これからトライします。他の魔法瓶タイプのでもやってくれるとは思います。
そしてそして、私はタンブラーを持ち歩くことで、恐ろしいほどにペットボトルと紙コップの消費量が減りました(清涼飲料メーカーと紙コップメーカーにとっては敵か・・・)。おそらく、前の5分の1、10分の1くらいになったのでは??と思います。もちろん、コンビニとかで飲み物を買うこともありますが、紙パックとか缶のものを選んで移し返すと、飲みきらなくても良いという利点もあります。
というわけで、いつでもどこでも気に入った飲み物を持ち歩けて、更には、エコロジーなマイ・タンブラー。「三種のエコ神器」の一つ目に数えているわけです。
では、、、個人的にどーんなのが使い勝手がいいかというポイントを簡単にご紹介致します。ご購入を検討される方は、ご参考にどうぞ・・・・。
~ポイントその壱~ 「マイ・タンブラー」はきちっとフタが閉まるものを選ぶべし
モノによっては、フタがスライド式だったり、穴が空いている(つまり閉まらない)ものもあったりします。が、いつでもどこでも一緒にいられるものは、「フタがきちんと閉まるもの!」というのが大原則です。これなら、カバンに入れても、ゴロンと倒れても、大丈夫! スライド式だと漏れてしまったりもしますので、「カッチリ」とフタが閉まるのを個人的にお薦めします。
~ポイントその弐~ 「マイ・タンブラー」は適度なサイズを選ぶべし
個人差もありますが、あんまり欲張って大きいものを選ぶと、持ち運びに苦労します(カバンに入らないとか、重いとか)。あまり大きすぎず、とは言え小さすぎてもだめなので、適当な容量が入るのをお薦めします。250ml~350mlくらいがいいかなーと思います。
~ポイントその参~ 「マイ・タンブラー」のデザインはノンブランドを選ぶべし
これについては、ちょっと個人的見解(っていうか、全部そうだけど 笑)ですが、あえて、お店のブランドのログマーク(例えば、スターバックスのマークや、タリーズのマークなど)が付いてないものをお薦めします。と、言うのも、スターバックスなどで売られているタンブラーも実に可愛くて魅力的なんですが、他のお店で「タンブラー割引」をしてもらう際に、ちょっと気が引けるかもしれないからです(笑)。スタバのロゴの入ったタンブラーで、タリーズに行くのは気が引ける・・・・のは私だけ? と、いうわけで、できればお店のロゴが入ってないもの、もしくは、自分で好きなデザインを差し替えられるものなどもgoodだと思っております。
と、いうわけで、今日の話は、「マイ・タンブラー」!
美味しく、楽しく、リーズナブルで嬉しいエコグッズのご紹介でした。ぜひみなさまトライしてみてね~。
次回のお話は、おなじみの「マイバッグ&風呂敷」です~。
February, 2007 大切なのは!2007/1/30
夜7時。足早に表参道を駆けぬけて、セミナー会場へ。今宵も先週に引き続き、環境省とNHKが共催のセミナーに参加である。
今宵のスピーカーは、NHKエンタープライズのエグゼクティヴ・プロデューサー北村卓三氏。テーマは、「環境番組制作の仕事」。北村氏は、以前より「おはようジャーナル」、「クローズアップ現代」などを担当し、今は「スタジオパークからこんにちは」を手がけていらっしゃるらしい。
私は日頃、ドキュメンタリー番組が好きなので、今回のテーマにはもちろん関心大なわけだが、セミナー内で見せて頂いた北村氏作成の過去の番組「地球だい好き 新環境時代」の内容自体に、並々ならぬ関心を覚えてしまった。よりによって、見せて頂いた番組のテーマが、「森林」なのである(つまり、私にはどんぴしゃ)。東北のとある林業家が一斉造林された不健康なスギ林を前に、林業をずっと続けることができるように、広葉樹と共生する健康な混合林を作っていったという話なのである。私は前々から、スギ、ヒノキだけの林は不健康で、暗くて、動植物もあまりいなく、地震にも災害にも弱いと思っていたが(これは宮脇昭先生の理論)、この番組で紹介されていた林業家の方も、ぴったり同じことを体験し、実感していたというのである。しかも、人工的に植えられたスギだけだと、必ず間伐が必要になるため、人件費もそうとうかかる。しかも、間伐したら、最後に木材として残るのは3分の1というのだから、もったいないこと極まりない(間伐材の有効利用ができない場合)。もちろん、スギだけの森では(いや、スギに限らず、ヒノキだって、マツだって、単一の木しかない森ではだが)、動植物もいなく、さわやかな森独特の雰囲気もない。そこで、広葉樹とともにスギを共生させたところ、台風にも負けない、立派な健康な森が出来上がり、そして次第に動物も植物も増えていったというのである。さらには、近所の子供たちにとっては憩いそして学習の森となり、地域とも共生できる森になったという。もちろん、一般的な林業家の方から見れば、広葉樹と共生させるスギ・ヒノキ林なんてメンドクサイのだろうが(一気に切ったり、植えたり出来ないだろうし)、これからは自然の法則(多様性に富んだバランスの取れた森という意味)を取り入れた林業家が増えるといいなと思ったりもしたのである。
森に限らず、自然界に一番大切なのは、やっぱり何よりも「多様性」なのだ。宮脇先生はいつもこうおっしゃっている。「多様性こそ、自然の最も強い表現力」。考えても見て欲しい。山にスギしか植わっていないということは、例えて言うならば、海にクラゲしかいないのと同じだ。川に鮭しかいないのと同じだ。一種類だけしかいなかったら、どうやって食料を得て、どうやって命を繋げていくのか。そりゃ、人の手で永遠に人工的にやるしかないわけだ。大切なのは、色々な種類がバランスよく混ざって、適材適所で競争しながら共生すること。これは人間社会だって同じだ。どんなに社長がすごくても、社員がみなロボットみたいな画一的な人間だったら、どうだろう。どんなに素晴らしいサッカー選手を集めても、全員がキーパーだったら話にならない(当たり前だ)。全員がピッチャーの野球チームだって何の意味も無い(当たり前すぎる)。どんなに素晴らしく優秀な指揮者がぞろりと並んだって、オーケストラのそれぞれの楽器演奏者がいなければ、演奏なんかできないのである。それに、別の観点で言えば、毎日毎日おんなじ食べ物だけを食べたら体に悪いだろう。いくら好きだからといって、一種類の食べ物のみを食べ続けることなど不可能だ。そして、体にいい食べ物だって、真夜中に膨大に摂っちゃ、太ったり胃をもたらしたりする。つーまーり、世の中に大切なのは「多様性!」、「バランス!」、そして「適材適所!」。これを理解すると、色々なことがしっくり、そして「すとん」とくる。そう、大切なのはこの3つだ(いや、世の中には色々大切なものはもっとあるのは知っているが)。そして、今自分がやるべきことは、「適材適所」の部分だ(もちろん、人生は試行錯誤の連続だから、いつかこの「適所」が分かればいいわけだ)。うーん、しっくりきた(←自己満足とも言う)。
映像を見ながら、北村氏の話を聞きながら、色々なことを考える。
北村氏はこう語っていた。「映像を通じて、人が考えを変えたり、動いたりするような一石を投じられればいいな」と。
テレビの影響は、いい意味でも悪い意味でも偉大だ。全てを過信してもいけないし、全てを斜に構えすぎてもいけない。そこらへんのバランス感覚と真偽を見抜く力も視聴者には大切なのだろう。真面目に努力している人が、バカを見ないような社会が早く確立して欲しいものである。
セミナー終了後、近くのカフェで遅めの夕食。ラストオーダーの時間に入ったため、美味しいスイーツとミルクティーも慌しく頂くことになる。
人のいない、10時前のカフェ。入る前の「時間感覚」も、私には必要だったのかもしれない。。。 あちゃー。
January, 2007 稲本正氏にお会いして2007/1/23
夜7時前。大急ぎで表参道へと向う。
今宵の目的は、環境省やNHKが共催という異色の環境関連のセミナーである。今宵は、NPO「ドングリの会」の代表であり、また同時に、企業である「オークヴィレッジ」の代表でもいらっしゃる、稲本正さんのお話を伺うことになっている。
稲本さんに興味を持ち始めたのは数年前。稲本さんはNPOドングリの会のほうでは、さまざまな植樹活動や環境保全活動を展開され、そしてオークヴィレッジのほうでは、日本の木材を使った家具や食器作りなどを行っておられる(元々は、オークヴィレッジの活動のほうが先。またオークヴィレッジの家具については、都内では新宿紀伊国屋書店の8階のギャラリーで購入できる)。オークヴィレッジの3つの理念が「100年かかって育った木は100年使えるモノに」、「お椀から建物まで」、「こども一人、ドングリ一粒」というのだから、うーーーん素敵と思っているのである。その他にも、トヨタ自動車が出資している「トヨタ白川郷自然學校」の校長も務められており、その様々なご活躍と考えには前から私も興味を持っていたのである。偶然、今夜稲本さんのお話を直接、そして近い場所で拝聴できるというので、私ものこのことやってきたというわけである。
稲本さんをお見かけすると、なんだか私の頭の中で「?」マークが広がっていった。「うにに?」と思ったのだ。何が「?」なのかを理解するまでには、自分でも時間がかかったのだが、私の中のイメージと実際の稲本さんが違ったのだ。理由は簡単。私のイメージは昔撮影されたお写真のお顔だったのだ。実際にお会いしたほうが、断然素敵な雰囲気である。想像以上に面白く、ユーモア溢れる言葉に、私はぐいぐいと引き込まれていった。時に、厳しいお考えを発せられることもあったが、実に私も共感を覚えるものばかりだった。それは例えば、今の日本の林業のあり方(つまりダメってこと)や、国産木材の活用方法(まだまだダメってこと)について、また日本のNPO活動(まだまだ未成熟だということ)についてなどだ。これらについては、かなり辛口なご意見をお持ちであったが、それと同時に、独自のいいアイディアや方法を考えておられ、実践もしておられる。私も聞いている時に「うんうん、そうよ、そうなのよっ!」とえらく頷いてしまう。稲本さんの考え方が非常に現実的で(冷めているとかいう話ではない)、理にかなっているのは、やはり、その活動の範囲や、関係者の多様性にもよるのかもしれない。やはり、日本だと、役人は役人。学者は学者。商人は商人。NPOはNPOと、その個々の考えや理念を突き通し、他者を排除したり、貶めようとすることが残念ながら多いように思うのだ。もっとお互い協力してシェアすればいいじゃんと思うのだが、どーもコミュニケーション作りが下手なのか、エゴを突き通しやすいのか、個々の利害関係を強調しすぎているような気がしてならないのである。例えば、NPOなどでは、過激な運動をして、本末転倒な影響を出したり、または、違うNPOを攻撃したりしていることもある。はたまた、役所では、自分の権利やお金に妙なこだわりがあって、ぜーんぜん世の中にメリットのないことに邁進していたりもする(ま、企業や商人の場合は、競争社会が前提なのでちょいと話が違うとは思うが)。
そんな中、稲本さんのように、企業も起こし、NPOもやり、そして社会のために色々な立場で尽力して、もっと楽しくいい社会を作ろうと考えている方にお会いできると、私は妙に晴れやかで、すっきりとしたいい気分になる。やっぱり、いい事やっている人の話は面白いし、説得力がある。現場で長年様々な経験をされている人の話は、薄っぺらいキレイ事を並べた原稿を読んでいるような人とは、雲泥の差を感じてしまうわけである。
約2時間にわたる稲本さんのお話を伺って、様々なことが脳内で覚醒されていった。私も自分の立場で植樹もするし、出来るだけ外材よりも国産の木材を使いたいと思っている。木材も、地産地消のほうがいいに決まっている。お話の中で、ヨーロッパから木材を輸入する時には、アフリカをぐるっと回って、日本まで船で運んでいると聞いて、ひぃーっと思ってしまった。わざわざ船で迂回してはるばる日本に運ぶんだから、エネルギーも金もかかっているのも当然だし、CO2出しまくりなのも当然である。国産の木材を使わないのは、もちろん林業関係者が減っていることと、人件費がかさみすぎて、切っても赤字売っても赤字になるからであり、そしてさらには外材のほうが安くつくからである。なんだか、こうして考えると、世の中無駄ばっかりだ。まぁ、極端だが例えてみれば、自分の家の隣にある農家の畑でカボチャを作ると、人件費がべらぼうに高いから一個500円するが、メキシコから運べば、船代出しても人件費が安いから300円で済むみたいな話なのである。しかし、もちろん、後者のほうが、時間もかかるし、エネルギーもかかる。そして、CO2も出す。が、一般の買い手には「安いほうがいい」となるわけである。うーーむ。厄介である。
稲本さんは、この厄介な林業のシステムにもメスを入れておられるし、最近ではようやく行政側も林業問題(雇用や価格など)に本腰を入れている感じなので、もう少ししたら、国産の木材がもっともっと有効活用されるようになるのかもしれない。日本中に有り余るほど溢れかえっているスギ・ヒノキの人工林にきちんと手を入れて、間伐をすれば間伐材が有効活用されるようになるし、雇用も生まれる。そして、きちんとした理解でスギ・ヒノキだけの単一植林地に、広葉樹などを植樹すれば、もっと元気のある健康な森ができる(※注)。山が豊かになればゆくゆくは、動物が戻ってくるかもしれない(一筋縄ではいかないが)。そんなわけで、国産の木材を使う動きというのは、僅かずつではあるが増えている。が、やはり国民ひとりひとりがそんなことを気にするようになったら、ますますいいのだろうと、私は夢物語のようなことを考えてもいるのである。なにせ、私は、大の花粉症である(スギの逆襲としか思えない 苦笑)。私以外にも花粉症に苦しんでいる人は、このご時世、山ほどいる。そんななか、増えすぎておかしくなったスギ・ヒノキが適正量まで抑えられ、林業が再生し、もっと木材を有効活用できれば言うことはない。にもかかわらず、某県は、これから膨大なスギ・ヒノキを植えるだとか、林野庁はスギ花粉の出ないスギの開発と植林を考えているというのだから、私は開いた口がふさがらない。あんぐり。無駄なことに金かけさせたら、日本の役所は天下一品だな。全く何かんがえているんだか。とか、思ってしまうわけなのである(別に、公務員を批判しているわけでも、役所全てを批判しているわけでもない。が、あまりにも腐った“役所体質”がこの世にあるのは、事実である)。
(※注:健康な森というのは人が手を入れて管理しているもの、という考え方があるが、これは半分正しく、半分間違いである。とりわけスギ・ヒノキなど、木材生産のために一斉造林された人工林は、人間が手を入れ続けない限り、健康にはならない。が、もともとある自然な森(正確に言えば原生林だが、原生林はもうほっとんどないので、原生林に近い森、自然林などを含む。ただ自然林、天然林という言葉の定義は生態学的、林業的には少々異なるらしいが・・・)では、森自身のエコシステムがもともとあるため、人間が手を入れる必要はない。つまり、一度手を入れてしまった森は、基本的にはずっと管理が必要なので、お金も人件費もかかるというわけである。ちなみに、宮脇昭先生(横浜国大名誉教授)の森は、基本的に3年経てば間伐、枝打ちなどなどの管理費がいらない。だからみんな宮脇方式を取り入れるわけだ)。
そんなこんなで(?)、稲本さんの実に現実的かつ前向きなお話を聞いて、気分がすっきりした。足取り軽く、表参道を離れ、京橋のカフェでほっと一息。
勉強すること、見ること、やること。まだまだ山ほど積もってる。
無為な時間を送らぬように。
January, 2007 ゴア氏の声に耳を傾けて2007/1/15
突然舞い込んだいい知らせにワクワクしながら、都内某所へ。
非公開の会場へ向うと、そこにはすでに数百名のスーツ姿が溢れかえっていた。あちらこちらに、見覚えのある顔が浮かんでいる。そうそうたるメンバーがここに来ているんだろうと思いながら、私は最後列の末席に座って待っていた。
今日お目にかかれるのは、いや、正しくは、遠くからお見かけできるのは、あの前米国副大統領のアル・ゴア氏。もちろん、ドキュメンタリー映画『不都合な真実』のプロモーションをかねての来日で、この場所では、とある人々を対象にした記念講演会が開かれることになっていた。
ゴア氏が現れると、割れんばかりの拍手が鳴りだした。思っていたよりもとても体の大きなゴア氏に私はちょっとびっくりしてしまう。
遠くのほうから聞こえてくるゴア氏の声は、いい意味で実に政治家らしい。そして何より、抜群にスピーチが上手いし、見事なほどに説得力がある。ただ単に薄っぺらい言葉を並べたり、原稿を棒読みするようなことなどは一切ない。長年蓄積された環境問題に対するお考えもはっきりと明確で、私は非常に感銘を覚えてしまった。
私は時折、ふと思うことがある。例えば多くのアメリカの企業家や有名人は、世のため人のためとして巨額な寄付、またボランティア活動を自ら率先して行っている。こんなニュースを耳にするたび、なんでこんなにも金持ち国家の日本で、そういう人があまり出てこないのだろうとなんとなく思ってしまうのだ。いや、もちろん、売名行為や偽善と見る人もいるのは承知だし、巨万な冨を獲得しているごくごく一部の人たちの活動であるのはわかっている。が、しかし、それでもやはり、なんで日本にはあんまりそういう人がニュースに出てこないのだろうと、素朴な疑問を以前から抱いているのも事実である。
もちろん、どちらかといえば、日本人は「陰の立役者」的な傾向が強いかもしれない。日の目を見られなくとも、真っ直ぐに世の中に貢献している人が沢山いるのも日本人の特徴なのかもしれない。とは言え、一般的に日本では、どうしても「ボランティア活動」というと、なんだか胡散臭いとか、偽善的とか、いい人ぶっていると見られてしまう節がある。私にはいまいち解せないのだが、社会貢献自体にあまりニュース性がないのか、それとも、関心が集まりにくいのか、あまり世の中の重要項目として取り上げてもらえないような気もしている。もちろん、ここ数年で、企業の社会貢献活動が注目を浴びているが、それでもまだまだ世の中に浸透しているとは言えない様な気もするのである。
もちろん、今日お見かけしたゴア氏には、世界様々な場所での講演依頼があり、そして金銭的メリットがあるのも当然だろう(今日のこの非公開の講演会にそんなメリットがあるかどうかは、私にはよくわからないが、たぶん無いと思う)。が、それを「ビジネス」ととるか、「ボランティア」ととるかには、もしかしたら賛否両論色々あるかもしれないが、それが仮にビジネスだとしても、世の中への波及効果、そして社会への効果は、計り知れないほどに大きいものであると思っている。
豊富な知識とたゆまぬ努力。カリスマ的な存在感と圧倒的なリーダー力。そして、何よりも人間力と前向きな思い。こんな力を兼ね備えた人々は、例えどんな分野であっても、実にかっこいい。
世の中のすごい人、もっともっと、出てきてほしいな。
(『不都合な真実』の映画については、3個前のブログに書きましたので、ご興味ある方はぜひ読んでみてくださいm(_ _)m )。
January, 2007 「不都合な真実」みなさま
日頃よりご愛読頂いているみなさま、そして初めてアクセスして頂いたみなさま、どうもありがとうございます。
過去のブログが滞っている最中ですが、いち早くアップしたいことがありますので、今日は大切なお話をさせて頂こうと思います。
昨日の1月21日、六本木ヒルズで、映画「不都合な真実」を見てまいりました。おそらく、テレビや新聞、雑誌などですでに紹介されているため、この映画の存在をご存知の方、そしてすでにこの土日でご覧になった方も多いことでしょう。
私にとっては、まさしく「首を長くして待ち続けた」劇場公開でありました。そもそも、この映画は、アル・ゴア前米国副大統領による地球温暖化問題についてのドキュメンタリー映画ですが、昨年の5月頃から米国で上映が開始されておりました。ドキュメンタリー映画としては異例のヒットであり、アカデミー賞受賞候補でもあります。私は昨年の6月に、アメリカでいち早く見たという大先輩から、この映画の存在を伺い、早く日本でも公開しないかなと待っておりました。当初は、10月下旬に日本で劇場公開という情報が広く流れておりましたが、残念ながらその後延期となり、1月20日にようやく一般上映となったわけです。
半年以上待ち続けた、この映画。都内ですら、ほとんどまだ上映している映画館がなく、六本木ヒルズとあと数館といったところです。まぁ、ハリウッド映画のような派手さもエンターテイメントさもない映画なのは事実ですが、これからおそらく、全米で拡大し続けたように、日本でも各地へ広がっていくのだろうと思っております。
さて、この映画。すでに様々な情報やコメント、レビューを読まれた方もいらっしゃるかもしれません。見る方によっては、「衝撃的」、「怖い」、「恐ろしい」といったような言葉が出てくる映画かもしれません。しかし、少しでも環境問題に興味や関心がある方、または勉強されていたり、実際に環境活動に取り組まれている方には、そういった単なる「恐ろしい」イメージというよりも、事実と現状を再度認識し、そして気持ちをきちんと確かめた上で、これからどう行動をしていくかをもう一度しっかりと確認させてくれるような、素晴らしい映画のように思います。環境問題について(わずかながらとは言え)ここ数年考え、行動をしてきた私にとっても、この映画は、いい意味での「おさらい/復習/再確認」の映画だったように思います。今まで思っていたこと、知っていたことを、映画という形で、そして約2時間という極めて短い時間で、まとめてくれる実にいい映画であると感じています。
おそらく、この映画をすでにご覧になった方、もしくは、これから見ようと思っている方は、環境問題にわずかながらでも興味関心がある方かもしれません。もしくは、そういった方に誘われた方かもしれません。もちろん、そのような方には、この映画は非常に有益であり、ますます興味関心を強めさせてくれる絶好の機会だと思っています。しかし、もっともっと重要なのは、環境問題に全く興味を持っていない、環境問題なんて関係ない、地球温暖化なんてウソだと思っているような方に、この映画を見て頂くことだと私は心底思っています。
長い時間本を読んだり、人の話を聞くのが面倒だとしても、映画ならたったの2時間で、地球温暖化の現状そして対策がなんとなくでも頭に入ります。ただ、2時間座ってスクリーンを眺めているだけで、それなりの知識がなんとなくでも入るのです。こんな素晴らしい手法を選び、地球の危機的状況を世界中説いているゴア氏には、心底敬服の思いです。映画の中で語られるゴア氏の言葉や心境には、ただ共感あるのみです。1週間前、私はとある非公開の場所で、ゴア氏のご講演を直接伺いましたが、そのパワーと強いメッセージには、ただただ感服致しました。
きっと環境問題について興味の無い方は、こういう風におっしゃるかもしれません。「自分ひとりやったって無駄。何にも変わらない」。実によくよく聞かれる言葉です。これに対しての答えも、この映画では用意してくれています。「今更やっても遅いでしょ」。これに対しても同様です。疑問やネガティブな考えをお持ちの方がこの映画を見たら、もしかしたら、目から鱗が落ちるかもしれません。
(映画を見に行かれる方は、ぜひ最後まで席を立たずに見てください。「終わったから帰ろう」と思ったところから、とっても大切なことが続きます。最後の最後までぜひご覧になってください。)
環境問題をすでに知り、考えておられる方がこの映画を見れば、より一層、自分自身の行動や考えを改めてよく考えることになるかもしれません。それはそれは、とっても大切で、すばらしいことです。しかし、あえて言うならば、私はそれよりももっと大事なのは、全く環境問題に関心を持っていない方が、いかにこの映画で、何かを「知り」、「気づき」、「感じ」、「考え」、「行動」するかが重要なのだと思っています。たった1本の、たった1回の映画で、なにが変わるか、変わらないかはもちろん人それぞれです。しかし、全く知らなかった人が、何かを知り、行動するようになったら、そのパワーは計り知れないものとなります。そして、それを他の1人にでも伝えたら、そのパワーはますます強力なものと変わっていきます。
私は日頃、こう考えています。「知る」の力は、何よりも偉大。ブログでもすでに何度も書いています。「知っている」と「知らない」では、雲泥の差です。これからの行動が少しずつでも変わるためには、まずは「知る」の力が必要です。
ありがたいことに、世界的な企業である「テトラパック」社(紙パックのジュースの裏を見れば、大抵このテトラパックのマークがついてますので、ご存知の方も多いでしょう)によって、映画のチケット代が500円になるというキャンペーンも展開されています。全国で5ヶ所、あと3日間(全て日曜)限りですが、こういった先進的な考えを持つ企業がこれからはますます評価される時代になるのでしょう。
映画をご覧になりたい方で、お子様をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。映画の中では時折、キャラクターも出てくるので、小学生くらいなら楽しめるかもしれません。実際に劇場では、小学生や中学生と思しき子供さんも親子で見ていらっしゃいました。
劇場に足を運べない方もいらっしゃると思います。そんな方には、劇場公開とほぼ同時タイミングで発売された書籍「不都合な真実」で何かを知ることができるかもしれません(価格は映画より高いですが、そうとう厚くて、中身もしっかりしています)。
自分には何も出来ないと思っている方。まずは、映画をご覧になってください。それで何かが発見できれば、もうけものです。まずは、知らなくても、出来なくても、この映画を見ると言うことだけで、何かが変わるかもしれません。
最後に。環境問題は、他人事でも、外国の事でもありません。温暖化問題は、誰のことでもなく、自分のことです。自分が生きていけるかどうかは、自分の日々の小さな行動にかかっています。これを読んで、「えらくキレイごとを並べているな」と思われる方も、いらっしゃるでしょう。確かに、言葉にすると、キレイごとになるのも、仕方のないことかもしれません。でも、たった2時間の映画ですから、まずはご覧になってください。そうしたら、何かに気がつくかもしれません。
決して、見終わった後、重い暗い気持ちに包まれる映画ではありません。最後には、ポジティブになれる映画です。
みなさま、一刻も早く、劇場へ。
これは私からみなさまへのささやかなお願いです。
長文を読んで頂き、どうもありがとうございました。
ayano
<追伸>
映画を見る方に、これだけはお願いです。こんなことはもちろん言わずもがなですが、劇場でのマナーは守りましょう。よりよって、私は、ずーーーーっとガサガサむしゃむしゃ、ズズズズズゥーと音を立ててものを食べ飲みしている人の隣でした。何も映画館でそんなにガッツリ食べなくても・・・というほどの環境でした(涙)。マナーはお互い守りたいですね。
January, 2007 アクセス御礼&宮脇昭先生講演会のお知らせみなみなさま
日頃よりご愛読頂いているみなさま、そして初めて訪れてくださったみなさま、アクセスどうもありがとうございます~m(_ _)m。
Liveスペースのトップページでこのブログを紹介頂いてからというもの、私はこんな心境が続いております。
「なんということでしょう~」
(↑テレビ朝日の番組「大改造!劇的ビフォーアフター」調に読んでくださいまし。そして、BGMには松谷卓氏のピアノのメロディーを・・・(笑)。)
そうです、アクセス数が多くて、びっくりしております。まぁ、一時的なものとは重々承知ですが、それでも沢山の方にアクセス頂いてありがたい限りです。また、ブログの内容に関して、ご質問がある方は、ぜひメールをくださいまし。
実際、色々お問い合わせを頂き、ご質問などにもお答えしております。何かしらお手伝いできるようなことがあれば、これ幸いであります。
さて、今日はひとつみなさまにお知らせです。私が恩師とも仰ぐ、宮脇昭先生(横浜国立大学名誉教授/御年78歳)がいらっしゃる研究所主催の、一般公開シンポジウムが開催されます。今回は環境教育がメインテーマですので、ぜひともお子さんをお持ちの方にも聞いて頂きたいと思っております。宮脇先生のパワーを生で感じたい方、植樹や自然、生物多様性に興味がある方は、ぜひこちらからお申込み下さい。もちろん無料ですよ☆
日時:2月4日(日) 午後1時~5時
場所:パシフィコ横浜国際会議場(みなとみらい)
今までは、私が見聞きしたり、体験したりしたレポート(ブログ)がメインでしたが、「はっ!事前アナウンスすれば、みんな行けるじゃん!」と今更ながら(遅いって)気がついた次第です。これからは、植樹祭関連(日本全国)や、環境関連、社会貢献関連、また旅や写真などに関するいい情報を入手したら、できるだけブログで紹介したいと思います。
みなさま、これからもどうぞよろしくお願い致します☆
ayano
(1月19日 pm) December, 2006 「エコプロダクツ2006」へ2006/12/16
午前11時前。お台場にあるビックサイトへ到着。土曜の朝だと言うのに、なんでこんなに早くから動いているかと言えば、今日はエコプロダクツ展が開かれているからだ。
エコプロダクツは、言ってみれば東京モーターショーやゲームショウみたいなもので、その「エコロジー版」みたいな展示会である。昨年から私はこのエコプロダクツに足を運ぶようになり、昨日のシンポジウムに続き、本日もお台場までゆるゆる都営バスみんくるに乗ってやってきたのである。
11時ジャストに、指定された会場まで向かい、職場の仲間と合流。以前から申し込んでいたエコセミナーに参加することにする。エコプロダクツでは様々なシンポジウムやセミナー、また体験型イベントが開かれているが、今回選んだのは少し異色なイベント、その名もスーパー環境落語「大江戸区エコツアー2030」だ。一瞬、「はっ?」と思ってしまうこのイベント。なんだか不思議で面白そうではないかと、行ってみる事にしたのだった。
さて、この環境落語。噺家は、三遊亭京楽氏。どうやらあの円楽師匠の門下で真打であるそうだ。私は寄席に通うほどの落語好きではないが、ひとたび聞き始めると、ひとりで始終大笑いしているようなちょいと古風な(?)人間なので、ちょっとこの落語は楽しみでもある。しかも、環境落語なんて聞いたこともない。いやはや、どんなものだろうと聞き始めると、それはそれはなんともユーモアで斬新な落語ではないか。
話はこうだ。時は2030年。東京都内に「大江戸区」なるものが存在する。ここに入るにはいくつかの条件があり、それをくぐると、江戸の町に入れることになる。が、ここには電気もインターネットも何もなく、江戸時代の町人の町がそのまま残っているというわけである。この大江戸区を訪れたとある夫婦とその甥っ子は、まったく現代の東京と異なる文化、町並み、風習に最初は驚きや戸惑いを示していたが、次第に江戸の良さ、そして環境に非常に配慮された生活があることを知るようになる。そこで、今まで忘れていた日本人としての心、また社会のつながり、モノを大切にする気持ちなどを再確認することになる-。
と、いうわけで、実にいい声かつ面白い京楽氏の話に引き込まれながらも、江戸の時代がいかに素晴らしいものだったかを私も再認識させられることになる。江戸の頃、町では様々なものが極めて大事に扱われていた。例えば、薪・藁を燃やした灰や人・動物の排泄物は土壌の肥料として買われたり、鋳物屋と呼ばれる鍋などの修理屋さんがいたり。また、紙、古着、蝋燭などありとあらゆるものが無駄なく使われ、全てが資源として生まれ変わったという。はっきり言って、今騒いでいる「3R」なんて、江戸時代にはとっくに当たり前のものとして受け入れられていたわけである。それにしても、どうして江戸の頃に普通に広まっていたことが、今ではギャーギャー騒ぎ立てても出来ないという有様なのだろう。はっきり言って、実に奇妙だ。いや、それもこれも、人間が物質的に豊かになったからなのだろう。モノが増えあちらこちらへ動き、そして金がまわり続けて、世の中は「発展」という変化を遂げてきたのだ。別に誰が悪いわけでもなく、ただ自然な流れなのだが、「環境」というと北欧やドイツ、またアメリカなどから輸入してどうにか対策をしようというアイディアがなんだか悲しくもなってくる。もっと足元を見れば、後ろを振り返れば、世界に誇れる素晴らしい「持続的な」社会があったというにもかかわらず。
約1時間の環境落語の後、京楽氏によるトークショーが行われる。どうしてこの環境落語を行うようになったのか、そんなエピソードを伺っているうちに、あぁ、この落語がもっと色んなところで聞けるようになったらどんなにいいことだろうと私は心底思っていた。こんなことをやっている人、そうそういない。京楽氏は環境落語以外に、防災落語や福祉落語も行っていると言う。こんな素晴らしい人がもっともっと知られればいいなぁと思いながら、楽しくそして知的な落語も終了を迎える。お土産には京楽氏の名前の入った渋い緑色の素敵な風呂敷を頂いた。これでまたレジ袋・紙袋を削減されれば、もっともっといいのだが。
環境落語の後、エコプロダクツの展示場をしばらく散策。今年は昨年よりも多い550企業・団体が出展とかで、昨年よりもスペースが格段に広くなっている。企業、団体、NPO、NGO、学校などがエコロジーに関する製品やアイディア、取り組みなどを紹介しているが、今日は土曜日と言うこともあり家族連れが目立つ。子供たちは、各ブースでそれぞれクイズラリーなどに参加し、ゲーム感覚で環境に関する知識を吸収したり、実験を目の前でやったりすることもできる。環境の入門編、導入としては、このエコプロダクツに参加することはとても有意義だろう。もちろん、子供も大人も、出展ブースに足を運べば、様々なグッズやお土産をもらえるので、それを目当てに来ている人も多いのかもしれないが。
そんな中、私が見た限りの中で一番目を引き、関心をしたのが、小売のあの「イオン」だ。小売業界でこのエコプロダクツに出展している企業はほとんどない。大抵メーカー系が多いのだが、イオンは以前からきちんと出展している。環境への活動がすでに高く評価されているイオンだが、今年のイオンのスタイルは私もたいそう感心した。イオンのコーナーには、まるでお店のように生鮮品や食品などが並んでいたのだが、子供がそこに入る際には、スタッフから説明を受け、買い物カゴを渡されるのだ。私ははたからその様子を見て観察していたのだが、子供たちはママたちに付き添われながらも、自分で大きなカゴを持ち、好きな食品などをカゴへいくつか入れていく。そして、最後には、レジ(受付)に行って、こういう風に言うのである。「レジ袋はいりませんっ!」。いやはや、さすが、小売大手イオン、実にあっぱれである。私はこのアイディアに大層感銘を受けた。別に、大してすごい事でもないと言えばそうなのだが、他の出展企業は大抵、最初にカードを渡されて、ブース内の展示パネルを見ていくつかのクイズに答え、最後にそのカードと引き換えに何かお土産をもらうという仕組みなのである。が、イオンの場合、自分で買い物の疑似体験をし、レジ袋を断るという行為で、最後に何かプレゼントをもらうというシステムである。ここに私は小さいようで大きな違いがあると思っている。いや、クイズに答えるのもそれはそれでいい。が、それよりも、日常の買い物時にどうしたらいいかという基本的なことを体で学ばすという考えに、私はいたく感心したのである。さすがは、「イオン」である。
以前私は、イオンの岡田卓也名誉会長の話を直接伺ったことがある(一対一という意味ではない)。そのときに、社会や環境に対する哲学を伺い、私はえらくぶっ飛んだものであった。こんな創業者がいたら、そりゃあ成功して当然だよなと心底思ったのだ。ちなみに、前々から私はブログで書いているが、イオンは以前から宮脇昭先生(横浜国大名誉教授)の指導の下、各店舗で植樹祭を行っている。その規模、570ヶ所627万本(2006年11月30日現在)。そして、岡田名誉会長自ら、80歳を超える今でさえ、年に10回くらいは植樹祭に出て木を植えているというのだから、それはそれは並大抵のお方ではない。そんな創業者を持つイオンの姿勢を、私はこのエコプロダクツで改めて認識することになる。もちろん私は、イオン一辺倒であるわけでも、大型ショッピングセンターを礼賛しているわけでもなんでもない。大型店よりも個人店のほうが本当は好きなのだ。が、しかし、企業が拡大し発展していくためには、こういった社会・環境への配慮や、顧客との環境活動を取り入れていくことが重要であるのは当然だし、これは高く評価されるべきなのだろうと心底思う。
エコプロダクツ展で学ぶことは沢山ある。世の中では実に多くの、そして様々な人たちが、社会、環境のために色々努力をしていることがよく伝わってくる。それはそれは素晴らしいことだ。しかし、私は今回それとは違うあるマイナス面にも気がつき始めた。それは、「エコ」というテーマにもかかわらず、よく見れば、ものすごく無駄が多いようにも思えることだ。パンフレットや紙袋などがそれはそれは大量に配られているし、そんなにいい紙使わなくても・・・と思ってしまうようなものも多い。また、大企業ならではかもしれないが、あまりにも電気が使われていて、「そんなに電気使って明るくする必要がどこにあるんだ・・・」と思うようなことさえもある。エコプロダクツへの来場者数は約15万人(3日間)。膨大なエネルギー資源が投入されている一方で、果たして15万人の今後の生活スタイル、そして環境に対する意識・行動がどう変わり、どのくらいの効果があるのかは定かではない。もちろん、そんなことを計算することなど到底不可能なのだが、ただ単に「楽しいイベント3日間」で終わってしまうのではないかという思いを密かに抱いているのも事実である。
杞憂であれば、いいのだが。
December, 2006 「ninemillionサポーターズスペース」のお知らせみなさま
さて、日々のアクセスまことにありがとうございます。これはリアルタイムブログでございます(ただいま12/5の夕刻)。
Live Spaceで私のブログが紹介されてからというもの、信じられないくらいの(私にとっては)アクセスを頂いております。
どうもありがとうございます。これからもどうぞ宜しくお願いします。
また、「のだめカンタービレ」や「タータンショップヨーク」で検索して来られた方、ヨークの正式ブログはこちらです。http://york.weblogs.jp/jorvic/ お探しの商品が見つかるといいですね(通販は今はやってないので、店頭販売のみだと思いますが)。また、ヨークのご質問なら、こちらへどうぞ。sundyayano@yahoo.co.jp スタッフではないですが、お手伝いはしますので。
さて、ご存知かとは思いますが、Live Spaceのほうで、新たなスペースが生まれたそうです。
世界の難民の子供たちに教育やスポーツの機会を与えるプロジェクトを紹介しているそうです。
私も非常に興味関心があるので、こちらでお知らせさせて頂きます。
ではみなさま、これからもどうぞご愛読の程、宜しくお願い致します。
ayano
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