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2009年2月 初春のにらみ (後編)
2009/1/25
久しぶりに訪れた新橋演舞場。幕が開き、三味線の音が聞こえた時、なんだか心がすっと落ち着いていくような感じがした。日本舞踊を少しなりとも習った私にとって、三味線や笛、太鼓の音というのは、自分が思っていた以上に心地良いもののようだ。久方ぶりの生の音を耳にし、思わず背筋がシャンと伸びる。あぁ、日本人なんだなと思うのは、きっとこんな時なのかもしれない。
一幕目は五穀豊穣を願うおめでたい踊りとして知られる「二人三番叟」。私が昔から大好きな演目であり、内容を知らなくても、ストーリーがわからなくても、見ているだけで笑ってしまうユーモアたっぷりの踊りである。あまりにも手数が多く、飛んだり跳ねたり、さらにはスピードも速いため、相当なエネルギーが必要な踊りだと思うのだが、実際に踊り手が疲れているかどうかはさておき、踊りの中で、「もうつかれた~」、「お前、あとは踊っといてくれ~」とへたばってしまう振りつけがあるという実に珍しい踊りである。市川右近氏と市川猿弥氏の二人の息の合った間の取り方が格別素晴らしく、「こりゃあ春から縁起が良いなぁ」という古めかしげなフレーズが頭の中でぐるぐるとまわるほどだった。新年早々この舞台を見たら、そりゃもう、春から福来たるという感じだろう。今度はお正月にでもみたいぞと思うような素晴らしい踊りで、私は感心しきっていた。
一幕目ののち、会場中の全ての人が心待ちにしていたであろう、市川海老蔵氏の登場である。「口上」と呼ばれるご挨拶のために舞台ど真ん中に一人で現れた海老蔵氏。客席中が身を乗り出して食い入るように見つめていたのが、妙に印象的である。生の海老蔵氏を見るのは、これが初めてだが、やはり、相当な美男子なのだろう。あれだけ顔が整っている歌舞伎役者、今まで見たことがない。とりわけ今回は市川家伝統の「にらみ」が披露がされるということもあり、私もじじじぃっと舞台に注目していた。これぞ歌舞伎と言わんばかりの「にらみ」は、確かに「おぉ~」と思わせるものであり、これまた縁起物と思えるものであった。海老蔵氏の「にらみ」なんて、普段の舞台でそう簡単に見られるわけもなく、特に年の初めにらまれると、その年は「無病息災」で過ごせると言われているらしい。いやはや、にらみの幸運に預かれて、これまたありがたやというわけである。
口上ののち、2幕目には「義経千本桜」、そして3幕目には舞踊「お祭り」が披露された。個人的には市川段治郎氏の芝居に心打たれたが、やっぱり特筆すべきなのは、今回の主役である海老蔵氏であろう。そもそも、若手歌舞伎役者の中でも群を抜いて人気のある海老蔵氏だが、私が驚いたのはその台詞や芝居、踊りというよりも、舞台に映えるその身体そのものである。こう言うと、「なに見てたんだ」と言われそうだが、私がこれまで歌舞伎、踊りの舞台を何度も見てきた中で、これほどまでに体の美しかった役者さんは正直おらず、あまりの素晴らしい肉体ぶりに、きっと多くの方々がクラクラしていたのではないかと思うほどだった。おそらく、役柄として肌を大きく出していたことも要因だろうが、鍛えあげられたその肉体は、どんなに豪華な着物よりも何倍も美しく、そしてはるかにまばゆいものだった。いやはや、あんな身体見せられたら、もう言葉なんて出やしません。そんなことを考えながら、華のある海老蔵氏の芝居をじっと見つめ、そして貫禄の出てきた中村獅堂氏の渋い声に浸っていたら、あっという間に幕が下りてしまった。
いつもながら思うのだが、歌舞伎というのは11時に始まる午前の部でも、終了するのは午後3時半過ぎであり、一度に三幕も見られてなかなかお得な舞台である。途中の幕間で幕の内弁当を頂いたりすれば、なおのこと楽しい時間の過ごし方だ。これで数千円台からのチケットがあるのだから、やっぱりもっと頻繁に足を運ぶべきなのだろう。歌舞伎座も建て替えられてしまうし、今のうちにもっと歌舞伎を見ておこう。そんなことを思ってしまった。
どきどきそわそわくらくらの舞台も、満足のうちに終了する。すぐさま夜の部の支度を始める役者陣は、さぞかしタイトなスケジュールなのだろう。こんなのを毎日毎日続けるのだから、体力のない私は心底尊敬してしまう。
次回歌舞伎を眺めるのは、いつどこで、どんな時になるのだろう。
友とふたり、冷たい風を受けながら、東銀座を離れていった。
2009年2月 初春のにらみ (前編)
2009/1/24
休日土曜。ひょんなところから訪れた幸運のおかげで、朝11時前、東銀座のとある場所にいた。冷たい風が吹きすさぶ中、友と合流し、至福の時を味わうことにした。実に久しぶりにのぞく、伝統芸能の世界である。
歌舞伎のチケットが急に舞い込んできたのは、ものの2日前のことだった。ありがたいことに色々な人の手をすりぬけ、チケットは私のもとへやってきた。予定が入っていたもののすぐに調整をし、この幸運をありがたく頂戴することにした。ただの歌舞伎のチケットではない。新春花形歌舞伎のかなりいい席のチケットだ。しかも出演者には、市川海老蔵氏、中村獅堂氏をはじめとした豪華役者陣がずらりと並んでいる。私はお声がかかった瞬間、「はっ!これって自分で買おうとしていた歌舞伎じゃないの!!」と心底驚いた。実は12月頃に興行の広告を見て、チケットを買おうとしたのである。しかし結局、その後私は体調を崩したり、忙しかったりとそのことも忘れていたのだが、まさか自分のもとへそんなチケットがやってくるとは思いもよらず、あまりのタイミングの良さに小躍りしてしまいそうなほどだった。
久しぶりに訪れる新橋演舞場。たしか前回は昨年の5月に見た歌舞伎であった。その際は、市川染五郎氏と市川亀治郎氏の踊りを見て、私は完全に脱帽してしまった。踊りの名手として名高い両氏だけあると、すっかり参ってしてしまったのだ。あれほどに素晴らしい踊りはそうそう見られるわけもなく、私の中で最も印象的な舞台としていまだに覚えている。そんなわけで、今回は一体どんな素晴らしい舞台が見られるのだろう、そうわくわくしながら、私は2階席へと向かっていた。久しぶりに凛とした和の世界に浸れるのだ。
新春モードふたたびと、赤いシートに身をゆだねる。
わくわくどきどきの心を抱えながら、幕が開くのをただじっと待っていた。
2008年10月 夜の永田町で
2008/9/23
夜19時前。大急ぎで地下鉄に乗り込み、永田町へと向かう。祝日の夜にバタバタしているのは、自分の時間管理がなっていないせいだ。ありとあらゆることをやりすぎて、時間はずるずると押していた。本当は18時頃には永田町に着いているはずだったのに、小一時間ほど遅れてようやく到着する。すでに外は暗く、日も完全に落ちていた。肌寒い風を受けながら、足早に目的地へと向かっていく。夕暮れを通り越した永田町の夜は、休みの日ということもあり、ひっそりと静まり返っていた。なんだかどこか、心細い感じがする。
深い地下鉄から地上に上がり、歩くこと10分程度。ようやく目的地である国立劇場へと到着。前々からこの日は予定を入れていたにもかかわらず、前の予定がずるずると押してしまい、こんなに遅い到着となってしまった。とはいえ、まだ、遅刻ではない。20時まで開かれている日本舞踊の舞台を見に来た私は、見る予定だった踊りを見逃すこともなく、ギリギリセーフで客席へと滑り込んだ。ほっ、と一安心。見渡せば、久しぶりにお見かけする日舞のお稽古場の方があちこちにいらっしゃる。日本舞踊を大学時代から始めた私ではあるが、発表会の度にお稽古に戻ったり、また離れたりで、きちんとカウントしても丸5年程度しか芸歴がない。しかししばらく離れていたにもかかわらず、今回はベテランの大先輩が出る舞台ということもあって、ありがたくお声がけ頂いた。しばらくぶりの舞台。そして久しぶりの国立劇場。遅い時間ではあったが、私はきちんとこの場所に来られたことを嬉しく思っていた。
私にとって国立劇場は、忘れることのできない思い出の場所だ。生れて初めての本格的な踊りの発表会が、この国立劇場だったのだ。本来であればこの舞台に立つこともできないレベルであったにもかかわらず、先生のご厚意もあり、大学3年生の頃に初舞台を踏ませて頂いた。それからもう、だいぶ時間が経ってしまったが、久しぶりに訪れた国立劇場のせいか、昔のことをふと思い出していた。それから何度も舞台には立ったが、あのときほど怖かった舞台はない。しかし今となれば、本当にありがたく、素晴らしい経験だったの一言に尽きる。あのときに無理をしてでも舞台に立ったのは、やはり無駄ではなく、貴重な機会だったと今でも思っている。
久しぶりに舞台を見たせいか、私はすっかり昔の感覚に戻りそうになっていた。三味線や太鼓の音を聴き、踊りの形を見る。やっぱり、生の舞台は、感じるものが違う。テレビで見るのとはわけが違うのだ。小一時間客席から眺めただけなのに、私の頭の中はすっかり踊りモードに切り替わっていた。
ひさしぶりにお稽古したいなぁ。
そんなことを思いながら、舞台を見終えたのち、楽屋へご挨拶。
いろいろな方とお話ししたのち、東京駅行きのバスに乗り込む。
すぅっと静かに、夜の永田町を後にした。
2008年5月 お手本な休日
2008/5/3
それは実に気持ちの良い1日だった。有意義で無駄のない、充実した土曜日だった。
確か天気予報では、1日雨と言っていたはずだ。しかし、朝9時頃。家を出ると曇り空だったせいで、私はそんな天気予報のことなんてすっかりどこかへ忘れていた。うっかり、傘を持たずに家を出てしまったのだ。
10時前。東京に到着すると、ポツポツと雨が降り始めていた。地下街に入ったため全く濡れなかったが、傘を持たない私はこれからの天気をちょっと案じていた。いくら雨逃れ女でも、今日1日逃れきることなどできないだろう。
そんなことを思いながら、10時の開店数分前のタータンショップヨークに駆け込んだ。のだめちゃんでおなじみのタータンチェックのお洋服屋さんである。シャッターは少ししか開いていなかったが、中をのぞくと仲良しの店員さん。ありがたいことに、中に入り、ものの3分で用を済ませた。今日は、買うのではなく、出すのである。以前に買ったワンピースの丈つめをお願いし、「じゃね~」と開店前に店を出る。そしてそのまま走って山手線に駆け込み、10時10分には有楽町駅近くの眼科に駆け込んでいた。実は数日前に訪れたところ、平日夜だったこともあり、コンタクトレンズのための検査と診察で1時間半という恐ろしい待ち時間で購入をあきらめていたのである。が、うって変わって、今日はゴールデンウィークの朝一番ということもあり、ものの30分程度で会計までが済んでしまった。混雑が、いかに時間を浪費するのかを、身をもって実感した。
その後、パラパラ雨を逃れながら、走って東銀座へと向かっていく。コンタクトレンズを買ったのが10時40分。そして、目的地の新橋演舞場に到着したのが、10時57分。開演前ギリギリで、滑り込みである。
実はこの日、新橋演舞場を訪れたのは、突然舞い込んできたチケットのおかげであった。実にありがたいことに、かなりいい席のチケットを譲り受けてしまったのである。しかも、今月の舞台は五月大歌舞伎。私の好きな歌舞伎、そして舞踊が見られ、さらには超豪華キャストが目白押しというのだから、それはそれはもうありがたいことこの上ない。久々に新橋演舞場を訪れ、大急ぎで指定の座席へ。ほどなく場内が暗くなり、私はどっぷりと伝統芸能の世界へと入り込むことになる。実に、久しぶりの、和の世界に、だ。
11時から始まった午前の部は、途中2回の幕間をはさみ、15時半過ぎに終了という非常にたっぷりとした充実の時間であった。キャストには、歌舞伎を知らない方でも名前はご存知であろうという方ばかり。中村吉右衛門氏、市川染五郎氏、市川亀治郎氏に、中村福助氏などなど。こんな素晴らしいキャストを見られるなんて、実に贅沢な舞台だ。1時間半に及ぶ歌舞伎「毛谷村」ののち、舞踊が3本。超有名な「藤娘」に始まり「三社祭」、「勢獅子」と続く。さらに、最後にはまたしても1時間半もの歌舞伎。私は、以前から日本舞踊を少々かじっているせいか、歌舞伎よりも舞踊を見るときに、気合いが入ってしまう癖があるのだが、今回もそれはそれは素晴らしい舞台で、私は心底日舞の世界に酔いしれていた。
女形として名高い中村福助氏の「藤娘」も実に艶やかでかわいらしく、非常に素晴らしかったが、実はこの日、私が一番脱帽したのは、市川染五郎氏の舞踊であった。歌舞伎の役ももちろん良かったのだが、市川亀治郎氏との2人踊り「三社祭」を見て、私はとにかく驚愕してしまった。以前、確か染五郎氏の何かの踊りを見た気もするのだが、これほどまでに踊りの名手だったとは、と心底驚いてしまったのである。名実ともに知られる染五郎、亀治郎両氏だが、この二人があわさると、こんなにも素晴らしい舞踊が生まれるとは。私の期待はいい意味で大きく裏切られ、その実力とセンスに脱帽するしかなかった。間の取り方、息の合わせ方がもちろんぴったりなのは言うまでもないが、それ以上に空気の作り方とみなぎるエネルギーに圧倒され、吸い込まれるようだった。「三社祭」はテンポが早い上に、手数も多く、飛んだり跳ねたりという大きな振りも多い踊りである。一呼吸も十分に置く余裕がないようなノンストップの動きなのだ。しかも、信じられないことに、その直前には1時間半の歌舞伎を魅せており、さらに直後にはいくつもの違う演目が待ちかねている。午前の部で4時間近く舞台に立ち続け、そして夜の部でも通し狂言に出演する。これをほぼ毎日1か月続けるというのだから、ある意味、歌舞伎役者は、様々なジャンルの舞踊の中でも、最もハードな演じ手、踊り手に違いない。今まで歌舞伎を何度も見てきたにもかかわらず、これほどまでに役者のタフさとプロ意識を感じたことがなく、私は改めて歌舞伎の奥深さ、そして花形役者の真の力に恐れ入ったのであった。終わった瞬間、割れんばかりの拍手が起こったのは言うまでもない。できることならば、この日の舞踊をもう一度生で見てみたい。いや、できることならば、DVDで発売してくれないだろうかというほどに、素晴らしすぎる舞台であった。
大満足すぎる歌舞伎の世界ののち、新橋演舞場を出ると、雨上がりの空が待ち受けていた。爽やかな風を受けながら、時刻を見ると、3時45分。ちょうど4時15分からのジムのレッスンに出られる。私はごった返した銀座の街をすり抜け、遅刻することなくジムへと到着した。その後、1時間ゆったりと体を動かしジムを出、さらにいくつかの買い物をスムーズに済ませ、7時頃に帰途に就くことにした。
平日ではできないようなことばかりをぎゅっと凝縮した土曜日の休日。買い物に、病院に、歌舞伎に、運動。ありがたいほどに時間の流れがよく、雨にも降られず、いい休日のお手本のような1日だった。
こんな日はちょっと、やっぱり得した気分だ。それが人間というものだろう。
2007年7月 舞台写真を300枚2007/6/24
朝9時前、池袋の東口にある豊島区公会堂へと向かう。こんな日曜日に朝から何と思われそうだが、今日は私が長年お世話になっている日本舞踊のお稽古場の勉強会なのである。私はといえば、何せ怠け者であるため、前回の11月の舞台が終わった後、仕事の忙しさにかまけてお稽古に通っていないのだが、他のお弟子さんたちは一生懸命お稽古を続けており(私と違って・・・)、日ごろの成果をミニ発表会のような勉強会で披露するというわけである。私が今回ここに来たのは舞台で踊るためではなく、お手伝いのほうである。しかも、役が最初から決まっており、「カメラマンやって!!」というお達しだったため、終日カメラマンとして今日ははせ参じたというわけなのである。
楽屋に到着し、しばらくぶりの先生方やお弟子さんたちにご挨拶後、カメラの準備をし始める。先日、私の不手際でカメラを少々壊してしまったのだが、キャノンのサポートセンターでばっちり直してもらい、さらに初のオーバーホールまでやって完璧な状態に仕上がっているので、カメラ自体にまったく問題はない。ただ、私の愛用一眼レフちゃんは、デジタルではなくフィルムのため、現像が仕上がるまでは、はっきり言ってかなり恐怖なのである。万が一、写っていなかったら・・・。もしも、下手でどうしようもなかったら・・・・。そんなプレッシャーとささやかな悪夢が頭をよぎる。が、いままでかつてそんな失態と失敗はなかったので、今日もいつものように開き直ってばシャッターを切ることにする。
まずは楽屋の様子をカシャカシャとひたすら収めていくことにする。お化粧をしたり、着物を着付けられている女の子たちの様子は、凛として少々色っぽく、そしてまたどこか緊張の面持ちでもあり、シャッターを切る私もはっきり言って、撮りがいがあるものだ。人の顔を思いっきり撮れる機会というのも、意外とありそうでないものだ。横顔や、斜めの顔、目をつぶったりしているところなど、女性が一番きれいな姿をできるだけ収めてみたかった。私は小一時間ほど楽屋でシャッターを切り続け、次に、本番の舞台を撮るため、客席へと移動した。
11時からの開園の後、長い休憩は一切なしで夕方5時ごろまでノンストップで演目が続くことになっていた。曲と曲と幕間は約2分。番数は30以上であり、ほぼ一日座席に座り続け、ほぼ休みなくファインダーをのぞき続けることになる。最初の何番かは短めの曲ばかりで、あっという間に一曲が終わってしまい、こちらも気が急きひやひやものである。長めの曲になれば、一曲あたり10分から20分くらいにもなるので、だいぶこちらもラクなのだが、それでも知らない曲を聴きながら、どこでどう決めのポーズがくるかを狙い、いかにシャッターチャンスを逃さないかというのは、ある意味チャレンジともいえる。
日本舞踊の舞台だけではないと思うが、実は、こういった踊りの写真を撮る際に大切なのは、単なるカメラの技術やセンスだけではないと思っている。上手に撮れるかどうかは、ただ単に写真自体が上手い下手ではなく、実はいかに舞台、踊りを熟知しているかにかかっているのだ。つまり、どんなに腕が良くてもまったくもって日本舞踊を知らない人が写真を撮ったならば、なかなかそうそうしっかりとはまった形の写真は撮れないのである。それより、日本舞踊を良く知り、どこでどう決まりのポーズがあるかを知っている、もしくは、予想できる人じゃないと、写真はきちんと撮れないのである。わたしもかつて自分の舞台の写真を友達などから頂いたことがあるが、不思議なことに、日本舞踊とは言わなくとも、歌舞伎などの舞台が好きな人ほど、決めのいいポーズをきちんと押さえているものだった。
そんなわけで、ある程度の日本舞踊の知識・経験があり、さらにはカメラ好きという私に、今回は「カメラマン役」という大役が回ってきたらしい。責任重大だとプレッシャーを感じつつ、私は昼から夕方までほぼ席を立つこともなく、ただひたすらシャッターを切りまくった。辛そうと思われそうだが、意外と、撮っているほうは楽しめているものでもある。なにせ、上手な人になればなるほど、私が予想したところでぱっちりポーズをとってくれるので、お互い「はいっ!ここっ!」というところの写真が撮れるものなのだ。私の「よしここだっ!」と、踊り手の「決め!」のタイミングが見事に重なると、不思議な快感を覚えるものである。これは、舞台で自分が踊っている時にも同じことで、自分が音楽にぴたっとはめてポーズを決めた瞬間に、待ってましたとばかりバシャッとフラッシュをたかれると、ある種の快感を覚えてしまうものなのだ。そんなわけで、私は妙な高揚感と達成感を覚えながら、結局約300枚もの写真を半日で収めたのである。それにしても、我ながら、よく撮った。人生でこんなに密度の高いカメラ時間もそうそうないだろう。いい機会に感謝である。
すべての踊りが終了後、記念撮影、片付けをしてみなで池袋の和風居酒屋へ。ここでもカメラマンとなりつつも、おいしいお夕飯をみなで楽しく頂き、夜の9時過ぎにようやくお開きとなる。
カメラマンの一日は、ある意味、日舞とカメラの格好の修行ともなった。
いい機会、そして経験に、感謝。
2006年12月 写真アップのお知らせみなさま
いつもブログを読んで頂き、どうもありがとうございます☆
ようやくですが、11月23日に行った日本舞踊の発表会の写真が出来ました(プロに取って頂いたものです)。
過去の舞台写真などとあわせて、フォトアルバム内(上から2番目・・・)にいれてあります。
踊りや着物などに興味がある方はもちろん、「日舞ってどんなん?」と疑問の方にも、ぜひ見て頂ければ幸いです(なにせ、日本人にさえあんまり知られていない世界なので・・・)。
ちなみに、アップすると勝手に容量がちっちゃくなるので、ちょっと画像の質が落ちちゃってます(残念)。ご了承を・・・。
これからもどうぞよろしくお願い致します☆
ayano
(↓この写真は、舞台写真ではなくて舞台裏で撮って頂いたものです・・・。写真はクリックすると大きくなります。)
2006年11月 舞台当日「表と裏」。2006/11/23
朝6時ごろ。眼を覚ましてすぐに身支度。外を見やれば天気は曇り。天気予報では雨とひたすら聞いていたため、曇り空に少しほっとする。
着物に着替え、自宅を出る。手には大きな荷物。ガラガラとキャリーを引きながらの出発である。
8時半過ぎ。日舞の発表会を行う日本橋劇場に到着である。先生や仲間と合流し、バタバタと長い一日が始まる。私の出番は3時過ぎだが、何せ、初舞台の後輩達が妙に多い。私の前までは初舞台組みがいて、私の次からは名取(試験を受けて芸名を頂いた方)である。つまり、立場的に私は中堅なのでビミョーな役割である。自分だけに専念するわけにもいかず、朝からバッタバッタと着物で走り回り、3時間以上かけて後輩たちの面倒を見ていたら、一段楽したところでもうグッタリふらふらである。「あぁ~、もう動けないぃ~。もう自分の踊らなくていいよぉ~。づかれだぁ~。」というくらいに疲労モードである。これから2時間以上かけて自分の支度をしないといけないのにもかかわらず、着物を着て座っているだけでも辛いなんて、本末転倒である。とはいえ、誰も初舞台組みの面倒を見なければ楽屋ではパニックになるわけで、「じゃぁ次あっち行って!はい次はこっちよ!」と面倒を見るわけである。悲しき中間管理職(ちょっと意味が違うが)。
そんなこんなで1時前からようやく自分の世界に浸り、身支度を整え、気持ちを引き締める。踊りの音楽をイヤフォンで聴き、心を落ち着かせる。
顔を洗い、顔師さんのもとへ。お化粧をして頂いたら、次は衣装。重いけれど可憐な衣装を身にまとい、最後はカツラである。全てがプロの職人さんによるものなので、こちらも緊張の上、見も気も引き締まる。びしっと最後にカツラを被ったら、これで踊り子が完成だ(まぁ、“見た目だけ”だけれども 苦笑)。
お写真を撮って頂いた後、舞台袖で関係者にご挨拶。花道から出る踊りのため、裏からまわって花道へ移動すると、会場はすでに真っ暗になっていた。踊りの名は「屋敷娘」。屋敷娘とは大名の奥方に仕えて、身の回りのお世話をする女性のことだ。江戸時代に、武家や裕福な商人の娘がお行儀見習いのために屋敷娘として大きなお屋敷に仕えたというが、その女性をモチーフにした踊りなのである。今の年頃で言えばおそらく15~17歳前後だろうか。まだ少し幼さやおしゃまな感じも残る娘だが、これからお行儀の良い女性になるというちょいと難しい設定でもある。
そんな「屋敷娘」の舞。舞台に出てしまえば、あとは野となれ山となれ。お稽古で教わったことを丁寧にやれば、15分で幕は閉じる。途中何回かミスもあったが、とりあえず舞台では倒れることもなく、そして大きな失敗もなく、なんとか全てをやりきることが出来た。終わった途端、先生に「いつの間にか腕を上げたわね~」と言われたが、それよりもとんでもないごまかしを舞台でしていたことを恥じていた。やっぱり舞台は難しい。しかし同時に、やはり舞台は気持ち良い。正味3ヶ月という短期集中でなんとか乗り切った舞台だが、役を終えてほっとひと段落。気持ちがどんどん緩んでいき、「はぁ、終わった」とぼけっとしてしまう。短いようで長く濃い3ヶ月は、ようやくこれで終了だ。これからはしばらくはちょっと休もうと思いつつ、楽屋に戻ると畳にへたり込む。見に来てくださったたくさんの方と写真を撮ったり、話をしたのち、「屋敷娘」から「素の自分」へ戻る。カツラを外し、衣装を着替え、化粧を落とし、シャワーを浴びる。湯上りの浴衣になったら、ほっと一息。「はぁ、終わった」。
芸事というのは本当に奥が深い世界である。「ここまでやれば終わり、完璧」というものでは全く無い。例え同じ踊りでも、初心者ならこの程度、ベテランならこれくらいまでと、どんどんレベルが高くなってくる。昔は難しくて出来なかったような動きでも、今ではすんなりと出来てしまうものがある。先生はこれを「引き出し」と言う。色々な踊りを経験すると、たくさん「引き出し」ができ、次の踊りをするときにそれが活かされていくのだ。もちろん、これは踊りに限ったことではなく、芸事や勉強・知識でも引き出しが多いほうが良いわけだが、私もまだまだこれからもどんどん「引き出し」を作っていかなければならない。
夜9時前。全ての演目が終了後、大急ぎでみなで片づけをした後、ご挨拶をして解散。長い1日は小雨降る中幕を閉じた。帰宅後、出来たばかりのDVDを見ると、思っていたよりもマシな踊りでほっとひと安心である。数々のミスも、それほどはひどくない。そして、昔よりは少しずつだが確実に成長しているのが自分でもよく分かる。客席に座っていた時に、見知らぬ方からお褒めの言葉を頂いたり、先輩方に評価を頂いたりもして、嬉しい限りである。
とはいえ、今回一番嬉しかったこと。それは、舞台に上がる前。舞台上で黒子のように様々なお世話をしてくださる「後見(こうけん)」という役の男性の先生方にご挨拶した際のこと。3名いる先生にご挨拶しようと待っていると、1人がふとこちらに気が付いた。すると、私の顔を見た瞬間、ぼそっとこう呟かれた。
「あ、綺麗・・・」。
何百人も何千人もの舞台を見ておられる先生にそう言って頂けたのが何気に一番嬉しかったりした。「踊り」よりも「外見」なんて、全然精進していない、か。
お世話になった皆様、支えて頂いた皆様に深謝。
(プロのカメラマンに撮って頂いた写真は、出来上がったらブログにアップします)
2006年11月 波乱含みの前日は2006/11/22
お昼ごろ。具合が悪くなり、薬をごっくんと飲むが、悲しいかなあんまり効いてくれない。
「う゛~、明日発表会なのにぃ~」と思っていると、ますます不調である。しまいには貧血を起こし、倒れる前に上司の許可をもらって役員応接室の革張りのソファーになだれ込む。そして、ひたすら寝る。
気が付けば1時間半ほど寝てしまっていた。体調もなんとか戻り、ふらふらの足取りでデスクに戻る。
日本舞踊の発表会では、いっつも何かに襲われる。相手が突然辞めたり、急遽怪我で代役に変わったり。踊りを変える羽目になったり、本番で衣装にミスがあったり。一筋縄でいかないのが、私のいつものパターンだ。なぜだか毎回何かしら起こる。そして今回は、よりによって体調絶不調である。
「こんなんで、明日踊れるんかいな・・・」
不安を抱え、本番はすぐそこ。
2006年11月 「下ざらい」へ2006/11/20
昼過ぎ。
会社を出て、東京駅方面へ。今日は木曜日に控えた日舞の発表会のリハーサルのため、午後は休みをとっている。手短に買い物を済まそうと思ったが、残念ながら探しているものが一向に見つからない。しかたなく、全てを一箇所で買える場所「浅草」まで足を伸ばすことにする。
平日の浅草は、外国人の観光客で溢れている。メインストリートの仲見世通りはいつもの賑わいだ。とはいえ私が行く先はこの仲見世通りではなく、1本右横の細い路地である。雷門から浅草寺に向って歩くと、細い道の右手に「飯田屋」という店が出てくる。ここは私が大学一年から時折お世話になっている店だ。日本舞踊にまつわるものの多くを、この店で買い求めることが出来る。それは衣装や肌着、足袋から始まって、扇子や手ぬぐいなどの小道具、さらには髪飾りなどなど、ありとあらゆるものだ。さらに、一般の方でも使える巾着や風呂敷、和小物などが数多く並ぶ。決して高いものではなく、非常にお手頃価格のものも多いので、知らない人にでも安心である。そんな頼もしい「飯田屋」さんで発表会の際に必要なものを色々と買い込み、店員さんと話をしていると、「何踊られるの?」とふと訊かれる。「屋敷娘です」と答えると、「あら、古典舞踊だから大変でしょ。1年くらいかかった?」と再び訊かれる。「・・・・いや、3ヶ月です・・・。時間がなくってひたすら特訓です・・・」と応えると、「あらまぁ、それは大変ね。でも、腕が良いのね」とかなんとか言っていただくが、腕とか技術ではなく、単に「切羽詰った感」と「勢い」で乗り切るしかないのである。しかし、古典舞踊(日本舞踊の中にはいろんなジャンルがあり、最近出来た新舞踊とかいうジャンルもあるが、私がやっているのは数百年もの歴史のあるような古典である。。。)には1年もかけるのか・・・と改めて常識を教えられたようで、ちょいと動揺する。しかしまぁ、時間はもう戻らない。やるべきことは目の前のリハーサル・・・である。
浅草を離れ、地下鉄を乗り継いで新宿区内の区民ホールへ。朝から晩までリハーサルが行われているが、午後過ぎに入った私はさして手伝いをする暇もなく、挨拶、着替えを済まし、自分の番を待つ(ちなみに、日舞のリハーサルは「下ざらい」と呼ばれている。どうやら日本の伝統芸能の場合にはこの「下ざらい」という言葉が一般的らしい(長唄とかもそうらしい)。が、普通の人には「は?」と言われるので、一応「リハーサル」としている)。
実はこのリハーサル。本番よりもある意味緊張するものである。場所も衣装も当日とは違うが、やはり音響や小道具などなどプロのスタッフ陣を目の前に、舞台の立ち位置や細かなことを確認するのである。ただ単に踊れば良いというものでもなく、ありとあらゆることを気にしてたくさんの人の前で踊るのだから、もう胃が痛い。本番になればある意味「えーい!」と気合が入るが、まだリハーサルの段階ではそこまで突き抜けてもいない。そんなわけだから、「あぁ、胃が痛い~、早く終わりたい~」と2時間近く呟きながら、ひったすら踊りの音楽をイヤフォンで聴き続け、振りや手順を確認したわけである。
そうこうしているうちに6時半ごろようやく自分の番がやってくる。踊り自体は15分弱と長くはないのだが、途中休みがほっとんどないため、かなり体力が奪われる。最近、お稽古のたびに途中で貧血を起こしかけていたので、リハーサルではどうなることかと心配していたが、一応それなりに事なきを得、なんとか終了。関係者にお礼を言って舞台を後にすると、あとで稽古場仲間から「先生からお呼び出しよ~」と告げられる。「ひぃ~っ、何をしでかしたんだぁ~」と恐れおののきつつ、着替え終わった後に先生のもとに恐る恐る近づくと、どうやら小道具の使い方が下手だったらしい。お稽古時と本番では小道具のモノも大きさも違うので、無様な小道具扱いに先生からダメだしである。15分ほど手ほどきを頂いた後、ようやく終了。踊りの世界は、本当に難しく奥が深い・・・。
全てのリハーサルを終え、9時前に片付けも終了し、解散。地下鉄にもぐり、お稽古場仲間と今日の出来を慰めあうことになる。ビデオを撮ってもらっているので、それを今日は見て、明日がいよいよ最後の稽古。
「あぁ~、どうしよう~」と皆で言いながら、発表会までの日数はあっという間に過ぎていく。はぁ。
2006年10月 鍛練の日々2006/10/25
仕事後、足早に護国寺駅へ。先週の水曜日はお稽古場が激混みで、帰宅したのが真夜中だったため、今週こそはと早めに稽古場へ向うことにした。
7時過ぎ。稽古場のドアを開くと、なにやらいつもと様子が違う。はて・・・?と思うと、なんとガラガラである。お弟子さんは一人しかいない。
あまりの予想外の光景に「きょとん」としていた私を見て、先生がこうおっしゃる。「今日は、発表会見に行った人がたくさんいるから空いてるのよ~」と。「なーるほど、そっか」と思い、ラッキーとばかりに急いで浴衣に着替えることにする。
7時半過ぎ。稽古を開始。いつもよりもじっくりできるのはありがたいが、今日は究極重い練習用の衣装を身に纏っているため、恐ろしく疲れる。まるで敷き布団のようなその着物。重い衣装に慣れていないと、本番できちんとした衣装を着けた際にきちんと踊れないのだ。練習で苦労して、本番では楽に踊る。それが私の中での鉄則である。
1時間弱の稽古を終えた頃には、汗で浴衣もぐしょぐしょになっていた。もう立っているのもやっとというほどに、全身がふらふらとしてしまっている。「あぁ~、あっついぃ~、つかれだぁ~」と着物を脱いで、ほっと一息。
華麗な舞台のためには、日々の泥臭い稽古しかない。発表会まであと1ヶ月。ただ、ただ、稽古あるのみ。
2006年10月 秋の夜長は2006/10/18
夜7時ごろ。気分的に大きな仕事を終えた夜。
すぐに帰って寝たいのはやまやまだが、今日も日舞のお稽古が待っている。重い腰を上げて、いざ護国寺駅方面へ。
8時ごろ、稽古場に到着すると、私の前にはすでに3名のお弟子さん。これは1時間半は待ちそうだ・・・と思い、コンビニのおむすびを食べながら、しばし談笑。その後、踊りの復習をしながら、待つこと2時間。ようやく順番が回ってきた。
稽古を始める時点で、すでに自分の中でのタイムリミットは過ぎていた。さて、今宵帰れるのは何時だろう。そんな一抹の不安を覚えつつ、手短に稽古を付けて頂く。
稽古終了後、ぐったりしたところで急いで身支度。足早に駅に向い、時刻を計算すると、帰宅は深夜。はぁ、と軽くため息をつく。
12時半過ぎ、ようやく帰宅。秋の夜長もいささか長すぎ。
2006年10月 秋の夜長に「かつら合わせ」2006/10/5
仕事終了後、急ぎ足で地下鉄に乗り込む。
向かった先は護国寺近くの日本舞踊の稽古場。木曜日は稽古の日ではないのだが、今日は用がある。その目的は「かつら合わせ」だ。
さて、「かつら合わせ」なるものをご存知だろうか。もしもご存知ならば日本舞踊や歌舞伎に詳しい方に違いない。もしくは、結婚式で和装を選ばれた方かもしれない。そもそも私がこの言葉を知ったのは日本舞踊の世界に足を踏み入れてからだ。全く知らなくても何もおかしくもないこの「かつら合わせ」。実は日本舞踊の舞台に立つ際には、無くてはならない行事のひとつなのである。
稽古場にたどり着き先生にご挨拶。お弟子仲間の皆さんにも挨拶してしばらく待っていると、声がかかる。もうすぐ私の番らしい。支度をして待っていると「次の方~」とお呼びがかかる。部屋に入る手前でいったん正座になり「よろしくお願い致します」とご挨拶。「はい、こちらへどうぞ」と促され、座布団に着く。すると「踊りは?」と訊かれるので、すぐに私の踊る予定の曲名を告げ、再度「よろしくお願い致します」と三人の「鬘師さん」つまり職人さんに頭を下げる。 「かつら合わせ」とは、簡単に言えば、日本舞踊や歌舞伎の舞台でかぶるかつらのサイズを合わせることだ。舞台で使うかつらと言うのは、言ってみればオーダーメイドであり、和装の結婚式でかぶるような既製品のかつらではない。かつらは衣装と同じように、踊る曲によって、また演じる登場人物によって全てが少しずつ異なっている。お姫様なら豪華絢爛なあんみつ姫のようだし、花魁ならボリュームたっぷりの髪に、これでもかとかんざしが刺さっている。芸者ならばしっとりと色っぽく、ちょいと地味目である。はたまた町娘ならもっと庶民的だし、子供なら髪の毛のボリュームがかなり少ない。男役であっても商人や色男、妖怪もどきなど、様々なキャラクターがあり、それに応じて頭のボリュームや形、飾りも異なるのである。もちろん、ある程度のデザインは決まっているのだが、「もっと豪華にして!!」とお願いすれば、金ぴかな飾りをジャラジャラと付けてくれたりもする。そんな様々なタイプのかつらだが、けっして初めから出来上がっている既製品ではない。「かつら合わせ」と呼ばれる今日の作業から、踊り手の頭の形や顔の形に応じて、職人さんが一から作るわけである。
職人さんの前の座布団に座り、背筋をピンと伸ばす。かつら合わせの始まりは、羽二重(はぶたえ)を頭に巻くことだ。「羽二重」というのはかつらをかぶる前に、頭に巻きつける布のことを意味している。よく歌舞伎役者が舞台裏などで化粧をしている映像や写真があるが、大抵その際には頭にこの羽二重を巻きつけていることが多い気もする。
職人さん2人がかりで、羽二重をビシッと締めて頂く。頭が引き締まると同時に、一気に気までもが引き締まってくる。発表会が近いことを体で感じるような貴重な機会でもある。そして羽二重の次には金属製の専用の型を頭にはめる。「台金」(だいがね)と呼ばれる、頭の大部分をすっぽりと覆うような金属製の形である。これもサイズはいろいろで、人によって違うらしい。
この台金の作業工程は、ある意味シンプルである。台金を頭にかぶせ、どこが頭やおでこに当たっているか、どこか曲がっているかなどをチェックする。そして、頭から外し、その都度金槌で叩いて微調整をしていく。まるで、刀や銅製の鍋を作るときのように、何度も叩いたり、延ばしたり、また角度をつけたりして頭にフィットする形を作り上げていくわけである。そしてこの台金が頭にぴったりはまったら、いよいよ次は顔周りの細部の調整に入る。役によっても異なるが、女役の場合、台金はおでこ周りの生え際、後れ毛あたりまでもをカバーしている。そのため、踊り手の顔が一番引き立ち、かつらがぴったり映えるようにするためにも、台金にハサミを入れて微妙な角度や幅を調整していくのである。ほんの数ミリ単位でも顔の印象は違って見えるため、何度も頭にかぶせたり、外したりを繰り返して、型を少しずつ整えていく。この作業により、長時間かぶっていても、痛くなく、またゆるまないようなかつらの土台を作るのだ。このかつら合わせの最中、少しでも痛いところがあれば、鬘師さんに申し出る必要がある。そうしなければ、本番は地獄なのだ。重くきついかつらを被って舞台に出てしまうと、下手をすれば、激痛が走り、具合が悪くなることもある。こめかみやおでこに金属部分が刺さっているような感触になってしまうのだ。本番、素敵なかつらを被り、華麗に変身するには、このような職人さんの長年の経験や技が裏で生きていることを忘れてはいけないのである。
約30分の作業の後、かつら合わせが終了する。台金ができれば、あとは鬘師さん任せである。この台金を基に、髪を貼ったり、植え込んだりして、それぞれの役に合わせたかつらを結っていくわけである。そして、かんざしや飾りを挿して、完成である。発表会の当日には、化粧と衣装を済ませた上で、最後にこのかつらを頭に被る。そして首の後ろで、かつらに付いている紐のようなものをびしっと締めて、かつらが外れないようにするのである。
こんな手の込んだ、舞台用のかつら。オーダーメイドではあるが、終了しても頂くことはもちろんできない。たった一度きりの使用である。それでもお値段はかなりするのだが、なにせ職人さんの手間ひまがえらくかかっている。お値段はそれなりにするのだが、日本舞踊にはなくてはならないものであり、これを外すわけにはいかないのである。貧乏人には痛い出費だが、職人さんの日当や手間ひま、材料を考えれば、まぁ、納得してしまうわけである。和の芸能にはやはり、お金がかかるものである・・・・(痛)。
かつら合わせを終了後、先生が用意してくださったお夕飯をお弟子さんと一緒に頂く。今日はお稽古はないので、9時前にお稽古場を離れて、銀座方面へ。ジムに立ち寄り、しばしの運動。踊りの世界は優雅でも、体力つけないとダメなんだよなぁ・・・と思いつつ、有酸素運動にふける。そしてストレッチ少々と岩盤浴。
秋の夜長は、まったくもってフル活動。一体いつまで持つことやら・・・。
2006年9月 歌舞伎の世界を覗いてみれば2006/9/23
朝10時半ごろ。家を出て母とともに、恒例の教会へ。礼拝の後、姪っ子やちびっ子たちとまぎれてみなでご飯を食べ、その後、ひとり東京へ。
2時過ぎ。オフィスに一旦到着後、しばし雑用にとりかかる。全ての用を済ませ、3時半ごろ、次は護国寺駅まで地下鉄の旅。
4時半過ぎに日本舞踊のお稽古場へと到着。嬉しいことに、空いている。先週は2時間待ちだったが、今日は運良く30分ほどですぐにお稽古を付けていただくことになる。が、時間があると、色々なお話を伺いたくなってしまうのが、日舞の世界だ。今回習っている踊りの背景や歌舞伎、日舞の歴史について、先生の話に耳を傾けているとあっという間に時間が過ぎる。とりわけ、歌舞伎、日舞の長い長い伝統には今更ながら驚かされる。
約400年の歴史を持つ、日本の伝統文化「歌舞伎」。もともとは、出雲阿国から始まった舞が発祥とされているが、その後、それが広く伝わり遊女が舞う女歌舞伎になったとされている。が、なにせ色香漂う遊女の踊りということで、ま、その時代にもいろいろな問題が出たらしく、女歌舞伎はいったん禁止されている。しかし、やっぱり「楽しい美しい踊りを見たい!」という人々の欲望はとどまるところを知らず、今度は女性ではなく、若くてキレイな男の子たちが舞う若衆歌舞伎が始まった。が、やっぱりそうなるとあっちの道に走っちゃうのが、人間の欲望なのだろう。みんな、美しい男の子とそうなっちゃうわけである(どうやら、男色らしい・・・)。と、いうわけで、「風紀上よろしくない」との理由から、女歌舞伎も若衆歌舞伎も全て禁止。そして、楽しみを奪われた人々を次に満足させ、現代にまで引き継がれているのが、男性役者のみの「野郎歌舞伎」なわけである。
と、いうわけで、風紀上問題のないように、舞台には男性しか立てないことになっている(つまり、女性蔑視なんかではない)。そのため、今でも歌舞伎役者は男性しかいないわけである。
さて、この野郎歌舞伎。男性が全ての役を務めるわけだから、ある意味えらいこっちゃである。ま、今の宝塚はその逆バージョンになるのだろうが、いかつい(?)男性が、若い娘や遊女やらの役をやるのだから、相当大変なのである。なにせ、大きな体を、か細く、女らしく見せなければならないのである。そのため、着物の袖は長く(振袖のように)、そして、帯の幅は広くと、見た目からして美しい女に見せるために、様々な手法が取られているらしい。私はてっきり、もともと着物のデザイン(袖や帯その他)があって、それが歌舞伎に取り入れられたのかと思っていたのだが、先生のお話を伺っていると、どうやら逆らしい。すべて、歌舞伎の舞台上で、いかに美しく、いかに可愛らしく、いかに色っぽくみせるかという職人の研究に研究を重ねた上での試行錯誤のたまものらしい。いやはや、これには今更ながら驚きである。そして、当時の人気スターの着物デザインなどが、町の一般の人の憧れ、最先端のファッションであったそうだ。つまり、今で言うならば、「エビちゃんスタイル」を真似た洋服やアクセサリーが飛ぶように売れ、こぞってみなが「エビちゃん」ファッションに包まれる、といった具合であろう。時代は変われど、人間の心理や欲望などは、さほど変わりがないのであろう。
そもそも、この歌舞伎の歴史。1600年代から始まっているが、どうやら江戸時代に入り、人々の生活に余裕ができた頃から、一般民衆の楽しみとして広まったものらしい。それまでは戦国時代であり、生きていくことに精一杯だった人々にようやく平穏が訪れ、生活にも余裕が出てきた頃に、ちょうどタイミングよく出雲阿国が現れたのである。それからというもの、「余興」の存在を楽しみ始めた民衆に支持され、いまだに絶えることなく、現代まで引き継がれているわけである。いやはや、実に歴史と文化はすごいものである。どこかでいったん糸が途切れてしまえば、今の時代に歌舞伎は存在しないのである。伝統文化を大切にすることがいかに大変で、いかに大切なことかがわかる気がする。やはり、日本人たるもの先人の守り抜いてきた文化は大切にしなければ・・・と思ってしまう。
さて、そんな長い歴史の歌舞伎だが、そこから演劇要素ではなく、舞踊要素だけを抽出したのが、今の日本舞踊である。色んな説があるが、もともとは歌舞伎ということは間違いない。日本舞踊の中でも様々な流派があり、今では約200の流派があると言われているが、私が習っているのは、5大流派の中の花柳流である。おそらく、規模としては一番に大きいらしいので、街中で「花柳流日本舞踊稽古場」みたいな看板を見かけることも多いだろう。別に私は、花柳流に習いたくて習っているというよりも、初めて触れた日舞が花柳だったため、いまだにずっと流派は変えていないわけである。
そんな、長い間人々に愛され続けている歌舞伎と日本舞踊。習い始めてまだ10年未満の私の踊りには、まったくもって伝統文化の素晴らしさなど微塵も感じられない。今日も「もっと、色気と可愛らしさを出しなさ~い!」、「女の恥じらいをみせるのよ~!」などと先生に言われるが、私にはそんな色気も女らしさもありやしません。結局、今日も「あぁ~、できないよぉ~。わかんないよぉ~」と泣き言を言いながら、大騒ぎして稽古を付けて頂くのであった。
いやはや、奥深い日舞の世界。大切なのは「守・破・離」の3つらしい。「守」は、「型をきちっと守る」こと。「破」は、「型を一度破ってみる」こと。そして「離」は、「型を離れて、ひいて見てみる」ことだそうだ。お茶の世界で言われているらしいこの言葉。私はいつになったら出来るのだろうか。
稽古場を離れ、6時半ごろいったん銀座方面へ。ジムで岩盤浴のつもりが、今日は祝日営業のため、7時で閉館といわれてしまう。ごーん。ショックである。仕方なく、東京駅付近で食事を済ませ、買い物の後、高速バスで一路茨城県つくば市へ。9時半頃、市内のホテルでゆっくり一泊。
明日は山の中でボランティア。「色気と可愛らしさ」は全く持って必要なさそうだ。ふぅ~。
2006年9月 優雅な影には2006/8/25
仕事後、とある場所へ出向く。日頃お世話になる方へ、少々おみやげ物を手渡しにいく。
しばらくぶりにお話し、ケーキなんぞをご馳走になる。小1時間ばかりお話後、有楽町線で護国寺へ。
9日ぶりの日舞の稽古は、体に堪える。とはいえ、お稽古を休むことは後に自分の首を絞めることになる。
日舞は一見優雅で楽な踊りに見えるのだが、実は、水面でもがいている白鳥(自分的にはアヒル)のようなものである。ゆっくりで優雅な踊りほど、筋肉と体力を使うのだ。カンボジアで見たアプサラダンスもかなりゆっくりの妖艶な踊りだったが、なんだか日舞に共通するものがある。
美しく見せるって、ホント、なんでも大変。
2006年8月 久々に稽古場へ2006/8/12
夕方、山手線に乗ろうとホームに行くと、人が恐ろしいほど溜まっている。「なんだ?」と思えば落雷で電車がストップしたようだ。京浜東北線もひどく遅れ、何本待っても人が車内に溢れ返っている。電車にも乗れないし、改札にも長蛇の列。人の波をかき分けて、ホームと改札を行ったり来たりするが、結局JRを諦め地下鉄で遠回りすることにする。振り替え切符をもらい、大江戸線にもぐりこむ。悪天候のため、東京湾大華火は延期になったらしいが、いたるところで浴衣を着た女の子達を見かける。襟がはだけ、着崩れた浴衣姿に少々嫌悪感を覚えながら、月島で乗り換え、有楽町線で護国寺駅へ。東京の動線はえらく脆弱だ。
護国寺駅に来るのは実に久しぶり。もう1年以上来ていないだろうか。ここへ来る時はいつも身が引き締まる。なぜなら、日本舞踊の稽古場がこの近くにあるのだ。大学入学後にサークル活動として日舞を始め、当時は大学の構内で先生にお稽古をつけて頂いていたが、卒業後は先生のご自宅兼稽古場にお邪魔している。とは言え、私が日舞の稽古に通うのは、平均すれば1年のうちの半分くらいで、発表会の前にしか現れない怠け者の弟子なのである。
今回も一年ばかりお稽古に通っていなかったのだが、秋に行われる発表会へのお誘いを先生方から幾度も受け、悩みぬいた挙句に、「・・・出ます」と返事をしてしまった。11月23日の発表会まであと3ヶ月しかないというのにもかかわらず、相も変わらずエンジンがかかるまで時間がかかり、ようやく今日久々にお稽古場へと伺うことと相成った。
久々に先生にお会いし、早速、演目を決めることになる。「芸者の役もいいし、町娘も良いし、でも遊女もいいなぁー」とかなんとかわがままを言うが、そうも言ってられず、早々に踊りを決めて、お稽古開始。人気の踊りが今回は運良く誰にも取られず空いていたので、可愛らしい踊りを練習することにする。
これから始まるハードな練習を考えると、ちょっと色々辛いのだが、ま、やると決めたからにはやらないと。
倒れないように、エネルギー8分目で頑張るか。
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