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2008年10月 『荒野へ』 vol.3
2008/10/10
(前回から続く)
ある日の夜。私は日比谷の映画館へと向かっていた。ネットでチケットの予約が取れない仕組みだったので、急いで窓口に行くと、運良くまだ席があいているという。夜7時半過ぎに映画館に入り、しばらく上映の時間を待っていた。意外なことに客席はほぼ満員で、女性のほうがやたらと多いようだった。映画の中身から言えば、男性のほうが多いのではないかと思っていたのだが、私のように一人で見に来ている女性のほうが、思いのほか多かった。
夜8時過ぎ。真っ暗の中、静かに映画が始まる。一週間近くずっと読んでいたジョン・クラカワー著『荒野へ』を原作とした映画、「Into The Wild」だ。2007年にアメリカで公開され、この秋、日本でも公開がされている。あまり大きな映画館では上映されていないようだが、確実に客が集まり、かなり高い評価を受けているらしい。
原作を読み終えたばかりの私は、なんとなく頭の中が不思議な感覚になっていた。ストーリーは全部知っているのにもかかわらず、これから始まるのは全く知らないストーリー展開なのだ。しかし、そんなことは別にもうどうでもよくなっていた。オープニングから、目の前に、私がこよなく愛するアラスカの景色が広がっていたのである。アラスカ鉄道が映し出されたとき、それだけでもう私はなんだか泣きそうになっていた。アラスカに帰りたい。そう思っていた。
この映画は、多少脚色をされているとはいえ、すべて事実に基づいている。ストーリーは、1990年初め、ある裕福な家の、そして優秀な若者が、家も、家族も捨てて、放浪の旅に出ることから始まる。そして、約2年の旅を経て、最後は北の大地アラスカの荒野で、謎の死を迎えてしまう。原作の『荒野へ』は、実によくできたノンフィクションストーリーで、ジョン・クラカワー氏が主人公に関係するおびただしい数の人に、綿密で、丁寧な取材を行っている。そんな原作をもとに、この映画が作られているわけだが、映画も本当に丁寧に、そして時間をかけてじっくり使られているのが、ものすごくよくわかる。おそらくは、監督のショーン・ペン氏のこだわりと徹底ぶりもすごいのだろう。そして、主役を演じるエミール・ハーシュの演技も、もう、半端ではない。私は見ている途中、作られた映画なのか、ドキュメンタリー映像なのかわからなくなったほどだ。そして、何より感じたのは、アラスカの映像の美しさだ。とにかくかなりの年月がかけられて、数々の映像がおさめられたのであろう。べつに最初から最後までが全てアラスカで撮影されたわけではないのだが、出てきたアラスカの映像を見れば、どれだけ時間を費やしたかという苦労が伺える。おそらく、アラスカに興味のない方、行ったことのない方には、あまりピンと来ないとは思うのだが、何度もアラスカを訪れている私にとって、目の前に映し出されている景色は私に馴染みのあるものであり、かつ私が大好きな自然に他ならない。そして、あれだけの美しい映像、しかも、あっという間にうつりゆく季節の美しいところを、あれだけぎゅっと凝縮させてまとめているのだから、よっぽどカメラを回しているのだろうと思ったのだ。
私は、ストーリーはもちろんのこと、約2時間の間、とにかく北アメリカとアラスカの景色に見入っていた。やはり、結末を知っていても、最後の最期は、ぼろぼろと泣いた。決して、楽しく明るく幸せな気持ちにはならないのだが、映像と、語りと、音楽ががつんと胸を打ち、いつまでも心に響き続ける素晴らしい映画だった。
帰り道。ふっと、こんなことを思っていた。
旅に出た人間よりも、旅人の帰りを待つ人間のほうが、ずっともっと不安なのかもしれない、と。
2008年10月 『荒野へ』 vol.2
2008/10/9
(前回から続く)
ジョン・クラカワーの『荒野へ』を読み終わった頃、私はアラスカに帰りたいとずっと思っていた。あの雄大で豊かな大地に帰りたいと思ったのだ。しかしそんなこと、すぐには叶うわけもない。少なくともあと半年以上は、アラスカ行きの目途も立たないのである。しかし、ふっと思い出した。そういえば、この本を原作とした映画がちょうど公開されていたのである。すっかり、映画のことをほったらかして本に夢中になっていた私は、急いで調べることにした。
ありがたいことに、その映画はまだ上映中であった。しかも運良く、私が普段いるエリアで、だ。一体いつまで公開されているのかはわからなかったが、とりあえず早めに見に行かないとまたいつものように見逃してしまう。そう思って、とにかく時間がとれたらすぐに見に行こうと決めたのだ。ありがたいことに、仕事はいつもより落ち着いていた。
この機会を逃さないよう。
行ける日を考えながら、「映画、映画、映画」、そう心の中で繰り返していた。
2008年10月 『荒野へ』 vol.1
2008/10/8
一週間くらい前から、とある本を読んでいた。前々からタイトルは知っていたが、実際には読むことのなかった翻訳本だ。
その本をやっぱり読んでみたいと思ったのは、ある雑誌で最近紹介されていたことを知ったからだ。文庫本が出ていることを知り、私はいつの日かの夜に本屋へ向かったのである。しかし、肝心な出版社を覚えてこず、ふらふらと文庫棚を探したが、どうにもこうにもみつからない。それほど縁もなかったかと、検索機を使う前に諦めて店の外へ出ようとした。その日はそんなに強い執着心がなかったのだ。しかし、諦めて、くるっと方向を変えたその瞬間、ふと視線を落とした平棚の真ん中に、欲しかった文庫本が並べられていた。出版社別の棚ではないところに、なぜかその本が置かれていた。
「あ、あった」
そう思って私は、すぐさまその文庫を手に取った。タイトルは、『荒野へ』。作者は、私の好きなノンフィクションストーリー 『空へ-エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』を描いた、ジョン・クラカワー氏だ。ページをめくるやいなや、私はそのままレジへと向かっていた。文庫本の嬉しいところは、金額を気にしなくていいところだろう。私はその本がいくらするのかも確かめず、すぐに会計を済ませ、帰りがけ、歩きながら本を読み始めていた。それくらい、私にとっては面白そうな内容だったからだ。
それからというもの、私は寝ても覚めてもその本の中にいた。ここのところ活字病になりつつあったので、いい本に出会えてその症状はますます強くなっていた。
1日、2日、3日。
読み始めてから3日ほどで、私はその本を読み終えた。比較的厚さがある文庫だったが、次から次へとページが進み、あまり長さを感じなかったのだ。読んでいる最中も、読んだ後も、私は実に不思議な気分だった。フィクションのようで、完全なるノンフィクションの話が目の前には展開されているのだが、自分の中でいろいろな考えや過去の経験がぐるぐると回り、現実と空想の境目がいまいちよくわからなくなっていたからだ。
不思議な感覚で数日を過ごしたのち、私の頭の中はようやっと冴えてきた。
面白い本を読むと、その世界にどっぷりとはまってしまうのは、私の悪い癖だろうか。それとも誰もが経験する、当たり前の事なのだろうか。
あれこれといろんなことを考え続けていたが、結局やっぱり、私はアラスカに帰りたくなっていた。
1年以上戻っていないアラスカに、今度はいつ帰れるのだろう。
そう思いながら、読み終わった文庫を、何度も何度もめくっていた。
2008年8月 雪のマッキンリーへ
2008/7/15
そういえば、もう、1か月ほど前のこと。ある日新聞を見ていたら、気になる記事が小さく出ていた。写真もないし、それほどは目立たない記事。それは、元F1レーサーで今は登山家としても活躍中の、片山右京氏の記事であった。数行の記事は、右京氏がアラスカ・マッキンリー山(6194m)への登頂を成功したことを伝えていた。折しも少し前、75歳というお歳で、登山家の三浦雄一郎氏が2度目のエベレスト登頂成功をさせており、新聞やテレビでもかなり頻繁に報道されていた。そんな中、右京氏のマッキンリー登頂成功のニュースである。それほど大きく取り上げられてはいなかったようだが、私は右京氏の成功に心の中でひとりワクワクしてしまっていた。そう、私の大好きなアラスカ、そして威風堂々とそびえるあのマッキンリーに登られたというのだから嬉しくないはずがない。私の中ではマッキンリーという名前よりも、地元名の「デナリ」という響きのほうがしっくりくるが、何回も見たあの雪山に、あの右京氏がチャンレンジしたというのがかなり印象的だった。昨年一度、植樹祭の際に右京氏を目の前でお見かけしたが、山男というごついイメージはなく、小柄な感じの優しい印象が残っている。そんな右京氏が、あの美しくも険しいマッキンリーに成功したというのだから、どれほどの実力と可能性をお持ちなのだろう。私は、このニュースを目にしたとき、一瞬クラっとしてしまっていた。うーむ、やばい。ますます素敵だ。単純な私は、そう思って、しばらくぼけーっとしてしまっていた。
あぁ、アラスカに行きたいな。デナリを眺めたいな。
しばらくぶりに、アラスカに引っ張られたような、突然のいい知らせ。
素敵な人が世の中にはいるんだなぁと思いながら、私もアラスカに帰りたくなっていた。
2007年10月 東京生活ふたたび
2007/10/1
月曜の朝。普段でさえつらい月曜の朝。しかも、今日はアメリカ明けの月曜の朝である。
咳き込みながら久々のオフィスに向かうと、なんだか色んなものが違って見える。人も違うし、環境も違う。そんなこと、もちろんないのだが、本当に私はいつもここで毎日の大半を過ごしていたのだろうかと思うと、不思議な気分になる。
お土産をみんなに渡しながら話していると、私の頭の中は英語と日本語がぐっちゃぐちゃになっていた。頭の中がまだ、日常モードになっていない。友からはこんなことを帰国後早々に言われていた。
「無事に東京生活に戻れるように」。
東京モードには一体いつ戻れるのだろう。そんなことを思いながらも、結局いつものように夜遅くまで残業をしていると、ふとこんなことを思ってしまう。本当に、私はアラスカに、アメリカに行っていたのだろうか。一瞬の夢のような気もするし、ものすごく長かった夢のような気もしてしまう。本当にさっきまで寒いアラスカの大地にいたのだろうか。そんなことをふと考えてしまう。
戻るところがあるからこそ、ふらっと旅に出てしまうのだろうか。
今度の旅は、いつ、どこへ、私は向かうことだろう。
アラスカ旅日記 ~ 9th day 旅の終わりに ~
2007/9/30
ロサンゼルスからのフライトの中。
体調不良の私には少々厳しい状況が長い時間続いていた。目をつむり、ウォークマンを聴きながら、何度も眠りに落ちかけるのだが、どうも眠りの淵のほんの少し手前で目が覚めてしまう。どうにもこうにも、私は移動中眠りにつくのが苦手なのだ。それは飛行機でも、たとえ新幹線でも。旅人であるのにもかかわらず、どこでも眠れるということがないのである。しかも、慢性的に眠りが浅い。とは言え、一度熟睡すると、なかなか起きない。どうにかこの体質、治らないものだろうか。そんなことを思ってしまう。が、今日はとりわけ眠りまでの道のりが遠い。よりによって、後ろのシート3列が非常識的にうるさいのである。並大抵のうるささではない。アジア人のおばちゃま3人衆は、約11時間のフライト中、8時時間くらいはずーっとひたすらしゃべっていた。イヤフォンから流れる音の隙間から、彼女たちのすさまじい会話が延々と聞こえていたのだった。
どうにか11時間のフライトを経て、成田空港へと無事到着。熱もあがらずなんとか自力で帰ってこられて一安心である。電車を乗り継ぎ、迎えに来てくれていた母の車でひさびさの自宅へと戻ると、玄関を開けた瞬間、突然、こんな声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ~」
何かと思えば、つい一昨日に5歳の誕生日を迎えた姪っ子のお出迎えである。しかし、なぜに、「いらっしゃいませ」なのだろう。そんなことを不思議に思いつつも、「あややぁ~」と近寄ってくる姪っ子にすぐにお土産を渡すことにする。かわいいアラスカのTシャツ、そしてディズニープリンセスの塗り絵である。予想以上にディズニーを気に入った姪っ子ももう5歳。今日は遅ればせながら、28歳と5歳の合同お誕生日会である。
食事を済ませ、ケーキを食べ、自分の部屋に戻ると、日本に帰ってきたことをしみじみと実感する。
旅の始まりはいつも慌しい。そして、旅の終わりはいつもどこかが物悲しい。
それでもなぜだかとんでもない爽快感とエネルギーを、いつもいつも感じてしまうのはなぜだろう。
知らない場所を求めても、知っている場所に戻っても、結局いつも思うのは、自然は何より偉大だし、人は何よりあたたかい。たくさんの恵みに触れ、たくさんの心に会う。旅というのは、そういうものなのかもしれない。そんなことをふと思うようになった。
お世話になったすべての皆様に、心から、感謝。
アラスカ旅日記 ~8th day 最後の最後で ~
2007/9/29
朝8時過ぎ。アメリカ最後の朝を迎える。シャワーを浴び、食事を頂き、そしてパッキングをしていると、本当に私は1週間もアメリカにいたのだろうかと不思議な気分になる。
友とパートナーに車で送ってもらい、11時過ぎにロスの空港へと到着する。お世話になった友のパートナーにお礼と別れを告げ、私は友と空港内へ。なぜか空いているノースウエスト航空のチェックインカウンターに向かい、いつものようにチェックインをするが、私はここでいつもと少し違う行動に出た。事前にネット上でチェックインは済ませていたのだが、どうしてもしたいことがあったのだ。
カウンター越しのスタッフに話しかけ、こう質問してみる。「今日、ビジネスクラス空いてますか?」と。実は、私の体調はかなり厳しいところまできており、もしも空いているのならビジネスクラスで横になって帰りたいと思ったのである。すると、私はすぐさまこう訊き返された。「支払いは?」と。もちろん、この私がキャッシュやカードで支払えるわけもなく、当然私の強い味方であるマイレージでのアップグレ-ドを使いたかったのである。たしか、ビジネスへのアップグレードは片道3万マイルでできるはずなのだ。しかし、スペイン語なまりの彼はこう返してきた。「当日のアップグレードは無理です。事前に電話で申し込みをされないと、受けられません」と。私はその瞬間、見事に落胆した。あぁ、これから12時間もあの狭い席で拘束されるのか、と。すると、そのスタッフはこう訊いてきた。「マイレージはどれくらい持ってるの?」と。私はこの瞬間、すぐに何かを察知した。こんなにも幼くていい加減な格好をしている人間がビジネスクラスにアップグレードしたいと言い出したことを、おそらく相手は不快にもしくは不思議に思ったのだろう、と。私はなんとなく悔しいので、こう言い返してしまった。「10万以上持ってる!」と。しかし、そうとは言え、やはり答えは先ほどと同じだった。「次からは、事前にお電話で申し込みをしてください。そうすればアップグレードできますから」と。あぁ、悲しい結末である。仕方なく私はエコノミークラスのボーディングパスを受けとり、チェックインを済ませるしかなかった。
その後、友としばらく話をしたのち、ボーディングタイムも近づいてきたこともあって、別れを告げることになる。楽しい時間はかくもあっという間。お世話になった友にお礼を告げ、ひとりゲートへ向かうことになる。やはり、見送りは、するほうもされるほうも、なんだか切ない気分である。
いよいよ日本に帰るのかと思いつつも、長い列に並んで手荷物検査を待っていると、係員にふとこんなことを質問される。「これ、あなたのボーディングパス?」。何を言っているんだろうと私は不思議に思い、「そうだよ」と答えるが、なんだか変な質問が次から次へと続く。しかも相手はスペイン語なまりで、言っていることがよくわからない。メキシコが近いロサンゼルスの特徴でもあるが、英語のイントネーションがなじみにくく、ちょっと苦戦してしまう。すると、別のスタッフが現れ、「あなた、どこに行くの?」と訊いてくる。「え?パスにTOKYOって書いてあるじゃん」と思うのだが、なにやら神妙な面持ちで私を見ているのである。さらには、「どこでこのチケットもらったの?」、「どこからここまできたの?」と質問が続き、私はいささかパニックに陥りそうになっていた。「ちょっと待ってよ、なになになに?なんなのさ?!」。するとそのスタッフは、ついにこう言ってきたのである。
「私に着いてきて」。
それを聞いた私は荷物を持ちながら急いで彼女に着いていった。そして、少し前に私のボーディングパスとIDをチェックしたスタッフのところまで戻ると、彼女はこんなことを訊いていた。「あなた、何チェックしてるのよ。どうして彼女通したのよ」。私はもうわけがわからず、「なに?!あたし飛行機のれないわけっ?!なんなの~っ?!」と心配になってきた。そして彼女はこう言って来たのである。
「ここは違うターミナルだから、ターミナル2まで移動して」。
「はっ???ターミナル2ってなに??ここはどこ?どうやっていくの?バス?シャトル?なになにどうすればいいわけ???」と私は半ばパニックに近かった。なんですぐそこでチェックインしたのに、別のターミナルまで移動しないといけないわけ???と。すると、彼女はこう言う。「ただひたすらここをまっすぐ歩いていって」。「へ??歩いていけんの??」と私はなんだか合点がいかなかった。ターミナルが違うって、成田空港みたいに離れてるんじゃないの??と思ったのだ。しかし、「とにかく、まっすぐよ。急いで。」と彼女に押し出されたのである。
時刻はすでに、ボーディングタイムを迎えている。出発までは1時間あるが、ちょっと不安になってきた。「やばい、乗り遅れたら自腹だっ!!!」。そう、ビジネスクラスなんて言ってられない事態である。私は荷物を持ちながら、ひたすら歩を進めるしかなかった。「どこにターミナル2なんて書いてあるのよ~!!!」と思いながら、ひたすら歩いていた。どこまで行けばいいのかもわからず、数分立った所でキョロキョロしていると、とあるスタッフに突然声をかけられた。
「NARITA?」。
「成田行きは成田行きだけど、私はターミナル2に行かなきゃ行けないのよ~」と思いながら、私はその声を無視して通り過ぎようとした。しかし、なんとなく救いを求めて、「すみません、ターミナル2ってどこですか?」と訊いてパスを見せると、「ここだよ」という答えが返ってきたではないか。ちょっと待ってよ、どこがどうターミナル2なのよ。全然分かれてないじゃない。そう思いながらも、数名のスタッフに「NARITA??走れ!!」と急かされ、がらがらの手荷物検査をものすごい勢いで通り抜けたのである。
しかししかししかし、私は腑に落ちなかった。どこがどうターミナル2なんだ??と。後でわかったことだが、どうやらロスの空港のターミナルと言うのはちょっと構造がわかりにくい。てっきり、成田みたいに完全に離れているものかと思ったら、どうやら構造は全く異なり、半分は一応つながっているようなのである。あぁ、ややこしい。しかし、あとで冷静になって考えてみると、どうやらそもそも、この慌しい出来事は私の単純ミスによるものであったのだ。ロスの空港は、搭乗口のナンバーによって手荷物検査の場所が全く分かれており、私はボーディングパスにある座席番号と搭乗口の番号を見間違え、それによって、自分が進むべき手荷物検査の方向を間違えたというわけなのであった。いやはや、実に単純すぎてお粗末である。私のゲートは29番、そして座席が30番だったのだが、よりによってゲート29までと、ゲート30からの手荷物検査は、正反対の位置にあったのである。そのため私は「ゲートは30だからこっちか」と思ってしまい、さらには、チェックをしてくれたスタッフもその事実に気がつかず、ぎりぎりまでその間違いに気がつかないまま、最終的には「走れ!!」と言われる羽目になったのだ。いやはや、なんとも旅にはアクシデントがつきものというか、なんというか。。。
そんなわけで私のアメリカ出発は実に慌しかった。ボーディングには間に合ったが、走って水を買い、走ってカフェで紅茶を買い、すぐに機体に乗り込むことになった。まったくもって、センチメンタルな空気さえも微塵に感じられないわけである。それもこれも、元はといえば自分が悪いわけだが、空港内のお店を見る時間も無く飛び乗ったのは少々残念であった。
機内に入り自分の座席に着くと、どっと疲れが出てきた。が、それと同時にものすごい落胆をも覚えてしまったのだ。よりによって、機体はボーイングの777か何かである。窓側でも3列シート、かつ、パーソナルテレビはない。行きに乗ってきたシアトル便はエアバス330で、窓側は2列シート、さらにはもちろんテレビもある。すっかりこのところエアバスに慣れていた私は、「えぇ~っ」とちょっとショックであった。しかも、シアトルよりも、ロスからのほうが、飛行時間は1時間以上長いのである。うーむ。同じ料金払っているのに、どうして路線によってこんなに違うんだ??といささか疑問である(まぁ、この成田-ロサンゼルス間は、乗客数もおそらく500名以上の一番大きな機体なので、仕方ないかもしれないが・・・)。
そんなこんなで私はビジネスクラスにもふられ、パーソナルテレビにもふられ(正確にはふられてはいないけど)、長い長い空の旅がこうして慌しくも始まっていった。
2007年10月 アラスカ旅日記 ~7th day The Magic Kingdom ~
2007/9/28
朝8時前。ロサンゼルスの友の家で目が覚める。夜中に飲んだ薬のせいか、なんとなくまだ頭と体がクラクラして、ベッドから起きられない。よりによって今日はディズニーランドに行く日だというのに、いったい私は大丈夫なのだろうか。
結局、開園時刻の10時に一番のりしようと思っていた私たちだが、私の体調が戻るまでにしばし時間がかかり、アナハイムのディズニーランドに着いたころには11時を軽くまわっていた。しかし、そのおかげで、そしてまたいいタイミングで薬を飲んで眠くなったおかげでか、車の中で熟睡でき、さらには体力が戻っていた。送ってくれた友のパートナーにお礼を告げ、いよいよディズニーに向かうと、お天気はちょうど良い曇り空。カンカンに晴れてたいらちょっと厳しいが、このくらいの涼しさが今の私にはありがたいといったところである。
前々から友が用意してくれておいたパスポートを持って、園内に入る。ワンデーチケットはひとり66ドル。日本円で7000円以上と少々値が張る。日本のパスポートが5800円だから、やはり安いとは言えないだろう。しかも日本のように18歳以上の「大人」だけではなく、「10歳以上」は同じ料金の66ドルになる。そして、3歳から9歳までが56ドル。当初私たちはこの値段だけを見て、「高い・・・・!」と思っていたわけだが、実は1日ディズニーで過ごしたところ、この値段設定の理由がなんとなくわかってきたのである。そこには、おそらく、日本のディズニーとの違いもあるし、ターゲットの客層の違いもあるのかもしれない。
待ちに待ったディズニーを目の前に、ワクワクしながら園内に入ったわけだが、時見事にハロウィンシーズンであり、感激ものである。私は日本でもハロウィンシーズンには訪れたことがないので、それだけでかなりテンションがあがってしまう。しかも、ディズニー本場のアメリカ、ハロウィン本場のアメリカ、というのだから、いやでも楽しくなってしまう。不思議なことにこの光景を目にした直後から、私の体調不良はちょっとずつどこかへ消えはじめていった。やはり、「夢と魔法の王国」は伊達じゃないのである。
エントランスから始まり、いたるところがハロウィンのJack-o'-Lantern で溢れかえっている。ミッキーもミニーもプーさんもハロウィンで、はっきり言ってもう、えらいこっちゃである。しかも、こんなにすごい被写体があるのに、1日しかいられないなんて、カメラ好きには少々酷とでも言いたいくらいである。私も友も、あっちこっちのハロウィンモードに完全に魅せられて、おかしくなり始めていた。いや、むしろ、完全に魔法にかかっているというくらいの勢いである。私たちはハロウィンに浮かれつつも、まだ一度も体験したことのないアナハイムディズニーをめいっぱい楽しむことにした。ジャングルクルーズに始まり、カリブの海賊、スプラッシュマウンテンにハロウィン版ホーンテッドマンション。プーさん、ピノキオ、白雪姫そして不思議の国のアリスなど。信じられないが、金曜日ということもあり、ほとんど待ち時間がない。スプラッシュマウンテンで10分程度というレベルで、サクサク進みすぎて驚きなのである。しかも、古くからあるアトラクションで一番並んだのがピーターパンというのだからちょっと不思議なのである。
日本のディズニーランドにはここ6年ほど足を運んでいない私だが、おそらく今まで10回弱は行っており、それなりに記憶も鮮明にあるのだが、日本のアトラクションと比べると、どうもアナハイム版のというか本場のアトラクションのほうが、なんだか面白いような本格的なような気もしていた。中には、スプラッシュマウンテンなど、日本のよりもサイズが小さくて、「あれ?なんかちょっと違う??」と思うのもあるが(悪い意味ではない)、大概は、「こっちのほうが完成度高いかも・・?」と思ったのである。中でも、カリブの海賊、ホーンテッドマンション、ピーターパン、そしてIt’s a small world は、日本よりも圧倒的に手がこんでいて楽しかったように思う。そういう意味では、アトラクション自体の楽しさは、もしかしたらアナハイムのほうが少し上なのかもしれない。
しかし、甘いもの大好き、おやつ大好き人間の私たちにとっては、少々「?」なことも多かったのは事実である。日本でディズニーランドといえば、アトラクションやショーも楽しみだが、買い物も大きな楽しみのひとつであるのは誰もが思うことだろう。テーマごとに色々なタイプのお土産があったり、ワゴンでスナックやスイーツなどがもう、選びきれないほどに売られていたりと、それも醍醐味のひとつだと思っている。が、その醍醐味は、どうやら日本独自というか、かなり日本らしいものであったのかもしれないということに、私たちはここアナハイムで次第に気がつかされていったのだ。まず、ギフトショップに入ると、日本ではいやというほどに置いてある、クッキーやチョコレート、キャンディーなどのあの可愛いパッケージの山が、さして見当たらないのである。大概が文房具とかぬいぐるみとか、さらにはお洋服やアクセサリーなどなどで占められており、こちらのグッズはかなり充実している。そして、お土産用ではなく、パーク内で食べたくなるようなあのワゴンで売られているスナックやスイーツもかなり種類が少ないのである。日本でおなじみのチュロスはたしか3ドルで売られており美味だったが、その他いつもなら「あれも食べたい!これも食べたい!」と思うようなスイーツがあまりない。アイスやフレッシュフルーツ、そしてフレッシュベジタブル(生のキャロットや生のカリフラワーをかじる習慣があるアメリカならではだと思われる)などはそれなりにあるが、やれデザートだ、やれ限定ものだのというのが、あまりないようなのだ。ポップコーンはもちろんあったが、味もそんなに種類がないように思われる。かろうじて?ハロウィン限定タンブラーに入ったホットチョコレートはあったが(これはカップ込みで5ドルとかなりここではお買い得)、日本と比べるとどうしても、「意外と食べ物系ないねぇ」と思うことがしばしばだった。
そして私たちは、色々見たり食べたりして、ある種の結論にたどり着いたのである。そう、入園料の違いから始まり、アトラクションの違い、そして食べ物やお土産、グッズの違いをすべて色々考えると、この結論にいたったのである。つまり、アメリカのディズニーランドではアトラクション重視であり、物を食べなくても、買わなくても、ある程度のランニングコストが最初から取れるシステムになっているがゆえ、そもそもの入園料が少々高めである。そして、一方の日本のディズニーランドはといえば、入園料自体は比較的リーズナブルだが、その分、飲食代やお土産代で一人当たり平均1万円は落ちているので、結果的に売り上げがよくなる、と。やはり、日本人は「お土産」を異常に買うという事実が、あの「日本版ディズニーランド」を作っている一番の要因なのだろう。そんなことを、身をもって感じてしまった。「夢と魔法の王国」に行って、なんでそんなこと考えるんだよと言われそうだが、比べるとどうしても、こういう結論になるのである。別に冷めているわけではなく、ディズニーが大好きだからこそ生じる疑問や考えである。実際、日本では、閉園前に大量のおみやげ物を両手に持って帰る人がそこかしこにいるが、どうやらアメリカではそれほど買い物してないんじゃないか?という人が多いようにも思えた。大概すごい買い物しているのは、日本人観光客である(あんまり数は見なかったけど)。私はといえば、お洋服やお菓子、姪っ子へのお土産などでちょっとは買い物したが、やはりいい「お土産」になるお菓子類が極めて少なく、日本との違いをまじまじと感じたのである。何度も言うが、別に、冷めているわけではなく、「比較文化」をしているだけである。どっちが楽しいか?と訊かれれば、おそらく私は「アメリカのほうが楽しい!」と答えるので、その点については自信を持って、オススメしたい(誰にだよって突っ込まれそうだけど)。
そんなわけで私たちは、昼前から魔法にかかり、ありとあらゆるアトラクションを楽しみ、最後には、一番新しいアトラクションである「ファインディング・ニモ」もしっかりと1時間弱並んで堪能したのである。いやはや、実に、楽しかった。夕暮れ時から夜にかけては、ライトアップも本当に美しく、これまたJack-o'-Lantern が見事に映えていて、感激ものであった。もう、写真を1日で1000枚撮れと言われれば、楽勝で撮れそうなほどに、素敵で可愛らしい夢の国であった。
夜8時過ぎ、全てを満喫した頃に、友のパートナーが迎えにきてくれる。「楽しかったぁ~」と無邪気に帰る私たちを快く迎えに来ていただき、感謝ものである。楽しかったアナハイムのディズニーを離れ、帰りがけレストランで食事をしたのち、ロサンゼルスの友の宅へと車を走らせる。なんとか体も1日もち、倒れずにすんで、ほっと一安心である。
帰宅後いつものように、お土産を出してあーでもないこーでもない言いながら、楽しかった一日を振り返る。
気がつけば、もう、アメリカを離れる時間が近づいている。長かったようで短かった1日、そしてアメリカ滞在は、あっという間に過ぎ去っていった。
2007年10月 アラスカ旅日記 ~6th day ロサンゼルスへ ~
2007/9/27
朝5時過ぎ。フェアバンクス発のアラスカ航空は、シアトル空港へ近づいていた。まだ太陽が昇らないシアトルの町並みを上から眺めると、こんなにきれいな場所だったっけ?と一瞬自分の目を疑ってしまった。オレンジの光がきらきらと輝いていて、とても可愛らしい。こんなにシアトルが美しいのは、初めてだ。機内はあいにく満席でほとんど睡眠もとれていなかったが、時間通りにシアトルに到着しただけで、ありがたいことなのだろう。
眠たい目をこすりながら飛行機を降り、ターミナルを移動する。そういえばほんの何日か前にもここでこうしていたな、なんて思いながら、この数日に起こったことを振り返ったりする。時間は、確実に、人を変え、成長させているのだろう。そんなことをしみじみと思ってしまう。
次のフライトまでは1時間弱。さほど待ちぼうけになることもなく、ありがたいものである。カフェでブルーベリーマフィンとラテを買い、早めの朝ごはんをとったところでボーディング開始。朝一番のフライトということもあり、機内にはかなりの余裕がある。隣の席があくだけで、こんなにも空の旅は快適になるのだから、人間同士の距離というのがいかに大切であるかがよくわかる。
機体に乗り込み外を眺めていると、しばらくして美しい朝焼けが現れた。こんなにも燃えてまぶしい朝焼けは、生まれて初めて見たかもしれない。思わずシャッターを切ってしまった。
離陸を待ちながら、ふと眼下に目をやると、あっちこっちでコンテナを積んだ車が移動しているのが目に入る。空港ではおなじみの光景なのに、今日は妙に見入ってしまう。「どっからきたバゲッジでも、ちゃんと積み込まれて運ぶんだからすごいよな」。なんて、今まで考えたことも無いことを思ってしまう。が、しかし、この考えが仇となったか、それとも何かの直感だったかは定かではないが、この後、私の身にはトラブルが起こるのである。そんなこと、この時点では、想像さえしていなかったのだが。
ロサンゼルス行きのアラスカ航空は、ほぼ定刻どおりに出発し、快適なフライトが始まった。途中、機体の左手には私の大好きなマウントレーニア(Mt.Rainier)と思しき雪山が見える(もしかしたら、Mt.St.Helensかもしれないが)。遠くには朝焼けと水平線と山並みが入り混じったような光も見える。シアトルからロサンゼルスまで南下するフライトは初めてということもあり、まだ見たことの無い空からの景色を思わず楽しんでしまった。
朝9時半過ぎ。ロサンゼルス空港に無事到着。久々の大都会ということもあり、なんだか不思議な感覚である。ロスは私にとって、生まれてはじめて訪れたアメリカの街。まだ二十歳の大学三年生のときに、キャンプツアーに参加するために訪れたこの街は、私にとってなんだか思い出深い場所にもなっている。それから7年後、2度目のロス滞在が、友を訪れる旅になろうとは想像さえできなかった。
飛行機を降り、バゲッジクレームへと向かう。きょろきょろしながら歩を進めていくと、ふっと前から友が現れた。一年ぶりの再会にもかかわらず、私たちは、実に、淡々としていた。いい意味で、ごく普通に、ごく当たり前のように、不思議なほどにすんなりと再会の時を迎えたのである。普通1年ぶりに会ったら、なんかこう、感動的なことが起こりそうな気もするのだが、そんなことも、取り立ててない。実に、普通に、「よっ」と挨拶をし、まるで1年の時間なんてなかったかのような感覚だったのである。今回、私がロス経由で日本に帰るのは、パートナーの留学にあわせてこちらに住んでいる友に会うためだ。そして前々から、「私がロスに行くときは、ディズニーランドに行くぞ!」というのが彼女との合言葉だったのだが、それを実現させるためのロス訪問でもあったのである。
そんな久々の再会を果たし、そしてまた久々に友のパートナーとも再会した後、しばらくバゲッジクレームの前で私の荷物を待っていた。が、待てど暮らせど、さしてバゲッジが出てこない。たまに出てきては、すぐに終わってしまい、変だなぁと思いながらも私たちは20分ほど待ちぼうけていた。が、しかし。あまりにもおかしいので、友がスタッフに「アラスカ航空の便、まだバゲッジ出てくる?」と訊いたところ、なんとこんな答えが返ってきたのである。
「もう、全部出たわよ」。
私は一瞬、耳を疑った。「もう、全部出たって、どーいうことですか?!」。周りには、同じように待ちぼうけ状態の人々が何人もいる。おいおい、こんなに待ってんのに、全部出たってどういうことよ。私はむかっとしながらも状況を把握しようとすると、どうやら乗り継ぎのシアトル空港で、積み込むはずのコンテナ一台がどっかにいったか、取り残されてしまったらしい。ああ、なんてこった。私の荷物はどこなのよ~っ!!よりによって、そう、あの時私は、そう、シアトル空港で「バゲッジ全部きちんと届いてすごいよなぁ」なんて、今までかつて思ったことのないことを考えていたのである。しかし、あれは、きっと、そう何かの知らせだったのだ。こんなことなら、感心なんかしなきゃよかった・・・。私はどよーんと凹み、「あぁ~、あたしの荷物がぁ~、せっかく作ったジャムが~。あぁ~、友へのお土産が~。着替えも化粧品もぜんぶなぁいよぉ~」とうなだれていたのである。なにせ、この私、長い人生、世界中あちこち飛び回っているが、ロストバゲッジは初めてなのである。あぁ、どうしてこんなにいい子なのに(←バカ)、こんなことになっちゃうのよ。私は憤りを覚えながらも、仕方なくすぐ横にあるカスタマーセンターのようなところに並び、見つかったら友の家まで運んでもらうよう、手続きをした。そして、「バッグの中に、何か目印になるものは入ってる?」と訊かれたので、やけになっていた私は、「瓶ビール2本と、ジャムの瓶がたくさんっ!!」と答えると、「それはわかりすいわね!」とスタッフに笑われた(もちろん、ビールは自分用ではなく、お土産用である)。とはいえ、私は真剣なのである。大概はその日中には届くというが、このまま届かなかったらどうしよう。私はどよんとした気持ちを抱えたまま、久々のロス滞在を迎える羽目になった。
車で迎えに来てくれていた2人と一緒に、一路ロサンゼルス市内の友宅へ。飛行機ではほとんど眠れなかったこと、さらにはこの時点で体調が悪化していたこともあり、すぐに眠くなってしまう。友宅にお邪魔し、シャワーを浴びた時点で、頭がふらふらとし始めていた。ちょっとソファーで目をつむったら、完全に眠りに落ちてしまったほどである。さらに、目を覚ましたときには、自分がいったいどれほどの間眠りについていたかわからないくらいだった。しかし、このふかーい眠りで体もだいぶ楽になり、その後友とランチに出かけられるほどになっていた。いやはや、睡眠とは、かくもすごいものであるとは、驚きなのである。
友の運転する車に乗り、サンタモニカ近くのベトナム料理レストランへと向かう。久々にあっさり味のベトナムフォーを食べて、体がシャキッとすっきりする。いやはや、アジアの料理って、なんかいいな。久々にアジアの味に触れて、ちょっと元気が戻ってくる。実に、いいチョイスであった。
その後、爽やかな青空の下ドライブを楽しみ、ビーチまで出たところで、お散歩とする。爽やかな風を受けながら、砂浜沿いを歩くのは、とても気持ちがいい。青い空とパームツリーが良く映えて、ついついシャッターを切ってしまう。時折ショップをのぞいたり、景色を眺めたり。ゆるゆるとして、いい時間である。
ジョギングをしたり、ビーチバレーをしたり、はたまたサイクリングをしたりという人がそこかしこに溢れる「これぞ、LA!」という雰囲気を楽しんでいると、ふと前からひとりの女の子がやってきた。息を切らして半泣き状態のその彼女。年は私たちとさして変わらないようである。一体全体どうしたのだろうと思っていると、彼女はこんなようなことを言ってきた。「お財布をなくしちゃって、ベニスビーチから歩いてきたの。電話もかけられなくてバスにも乗れなくて困っているんだど、できたら1ドル頂けないかしら」。私と友は一瞬顔を見合わせた。アメリカで歩いていると、何食わぬ顔で「バス代ないんだけど、クォーター(25セント)ちょうだい」とか言ってくる人が確かにいるのである。実際、外国人である私も、何度かこの手の声を掛けられたことがあり、大抵が、まぁ、ただ単にお金ほしさのサギっぽいのであるのだが、今回はどうも違いそうな感じがしてしまう。キャメロン・ディアスみたいなその可愛い女の子を前に、私は一瞬どうしようかと思ったのだが、かなりの距離を歩き、足を引きずっているような彼女を見過ごすこともできず、私はつい「1ドルでいいの?」と訊いてしまった。そしてお財布から1ドル紙幣を取り出し、彼女に「はい」と手渡した。すると、彼女は「本当にありがとう。神様のご加護がありますように」と手を合わせおじぎをし、そのまま急ぎ足で反対方向へと向かっていった。
あまりに突然のことで、一瞬何がなんだかわからなくなった私たちだったが、冷静になってから色んな話をしはじめた。確かに、日本でも海外でも、こういったサギもどきの話はあるのである。実際、だまされそうになったこともあるし、本当にウソかどうか疑わしいものもある。その時々で対応は違うが、やはり、サギであればこちらは受け入れられないし、本当であれば助けたほうがいい。私の中で、今会った彼女は、おそらく本当に困っていたのだろうという結論に至ったのだ。もしも自分が同じ立場だったら、救いの手を誰かに求めていたかもしれない。そう思って素直に受け入れたのである。世の中、よく言うものである。「情けは、人の、ためならず」。世の中持ちつ持たれつなんだから、このくらいは当然のことだろう。「自分がしたことは、きっといつか、回りまわって自分に戻って来るんだよ」。そんなことを友と話していた。
ビーチでの散策を終え、車に乗り込み、今度は友御用達の日系スーパーへと向かう。日本の食べ物や雑貨が所狭しと並んでいるが、値段が倍近くして、一瞬びっくりしてしまう。うーむ、輸入するとこんなに高くなっちゃうってことは、普段買っている輸入もののお菓子やらはきっと相当ボラれているんだろうか、なんて不謹慎なことさえ思ってしまう。とは言え、お金うんぬんではなく、モノうんぬんなのだから、仕方ない。私は、日本価格の1.5倍近いお金を出して、日本の製薬会社の風邪薬を買った。そう、やはり、背に腹は変えられないし、アメリカの薬は経験上ちょっと怖いのである。下手すると、全身麻痺しちゃうしさ・・・。そう思い、ちょっとお高めの薬をようやくゲットした。これで、ちょっとは、安心なのである。
その後、またしても友いきつけのスーパーマーケット。Trader Joe’sへと向かう。どうやら、オーガニック系の食品も多く、結構楽しいスーパーらしい。今までアメリカには何度も訪れている私だが、ここは初めてだ。店内をあちこち楽しく物色した後、ここでお土産用にいくつかの食品を買い、そしてお店オリジナルのおしゃれな買い物袋を買うことにした。普通のビニール袋だと持って帰れないが、これだとしっかりして機内持ち込みとして持って帰れると思ったのだ。値段も安いし、いい記念にもなる。そう思って、私は食品やらと買い物袋を購入し、満足して友と帰宅の途に着いた。
家に着いたのち、お財布の中身を整理していると、ふとさっき訪れたスーパーのレシートに目が行った。買ったお菓子はいくらだっただろう。そんなことを思いながら眺めていると、不思議なことに気がついた。さっき買った買い物バッグが、レシートに記載されていないのである。「あれ?変だなぁ?」と思い、計算してみるが、やはりおかしい。もしや・・・?と思い、友に訊くと、「家からバッグ持ってきたと思われたんじゃない?」との答え。しかし、「でも、普通、値札ついていたら、それその場で切るんだけどね。変だねぇ」とも言う。確かに私は買うつもりで新しい買い物袋をレジに出したのに、どうやらそれは、「これに入れて」という意味でとられていたようなのだ。しかし、私は同時に思い出した。この買い物袋、値段が99セントだったのだ。Taxを入れても、きっと1ドル5セントくらいに違いない。私はそう思った瞬間、はっと気がついた。
「あ、あのキャメロン・ディアス似の女の子に渡したの、1ドルだっ!」。
そう、この2つが結びついているとは思いにくいのだが、確かに私は1ドルを見ず知らずの彼女にあげ、そして私はほぼ1ドルの価値のものを別の形で頂いてしまったのだ。しかも、こんなこと、滅多に起きる話でもない。もちろん、次の日お店に行って1ドル払ったほうがいいわけだが、それも大変なので、この1ドル分は他にいいことに使おうと思ったのである。いやはや、「情けは人のためならず」とは言ったが、まさかすぐにこんな形でリターンしてくるとは予想だにせず、世の中不思議なほどに良くできていると、しみじみ思い知ったのであった。
その後、ありがたいことに、どこかへ行っていた私の荷物が突如無事に届けられた。中身を確認すると、まったく問題もない。これでほっと一安心である。それから、あれこれ友と話しながら買ってきたばかりの薬を飲み、ふとソファーに横になると、途端に意識が消えていった。目を覚ましたときには、2時間近くの時が完全に過ぎていた。自分でも何が起きたかわからないほどだったが、体を起こすと全ての感覚がぐわんぐわんとし、頭も意識も朦朧としていたのである。私は自分自身の体に何が起こっているかさえもよくわからなかったが、しばらくして、飲んだ薬のせいだということを理解しはじめた。よりによって、よりによって、である。そう、私は、成分が強すぎて恐ろしいアメリカ製の薬を避け、日本製の風邪薬をあえて飲んだというにもかかわらず、とんでもなく強すぎて、完全に麻痺状態に陥ってしまったのだ。私は、使用上の注意をもう一度よく読み、用量を確かめたのだが、確かに何も間違ってはいなかった。ただし、おそらくそれは、日本人仕様ではなく、アメリカ人仕様の薬として売られていたのかもしれない。明らかに、どう考えても、強すぎるのである。私は、いきなり大人一人分の量の薬を飲んでしまったことをえらく反省すると同時に、自分の体がいかに小さいかを痛感した。まぁ、日本人女子だから、仕方ないのだが。
その後、友お手製のお夕飯を美味しく頂き、12時頃早めにベッドに入ることにする。
明日は念願のディズニーランドだというのに、果たして私は大丈夫なのだろうか。
クラクラ、ふらふらしたままの頭と心でそんなことを考えながら、ロスの夜が過ぎていく。
2007年10月 アラスカ旅日記 ~5th day 大自然アラスカの中で ~
2007/9/26
朝8時。今日もいつものように、21頭のアラスカンハスキーたちに朝ごはんをあげることから、1日が始まる。昨日よりも気温は低くないようで、外で遊んでいてもそれほど寒さが気にならない。みんなにご飯をあげて、クリーニングをしたのち、今度は自分の朝ごはんかと思いきや、その前に他の子にも朝ごはんをあげることにする。お相手は、犬でもなく猫でもなく、空を飛んでいる鳥である。家のすぐ回りは森であり、その中で暮らしている鳥がご飯の時間になると、やってくるのだという。私は、鳥にえさをやるというのはどうやってやるのかと不思議に思っていたのだが、鳥小屋にえさを置いてあげるのではなく、手のひらに鳥のえさ、例えばひまわりの種などを置いて、ただ待っているだけだという。そうすると、勝手に鳥さん自身がひゅーんと富んできて、手の上ちょこんと乗って、食べるのだという。
私も半信半疑ながら言われたように手にえさを乗せ、ただじっと待っていた。しばらくは鳥の声さえ聞こえていなかったが、少しするとあっちからこっちから数羽の鳥がやってきて、木の上から私の様子を眺めている。さて、この子達はどうやって私のところまでやってくるのだろうと思っていると、突如、急滑降した鳥が見事なコントロールで私の手の上に現れたのだ。それはそれは、見事な飛行で、私は心底驚いた。どんなところからでも確実に私の手のひらにちょこんと乗るのである。しかし、手のひらをまっすぐにせず、ちょっとでもグーにしていると、鳥は直前で危ないことを察知してか、方向転換して逃げてしまう。はたまた、他の鳥とぶつかりそうになると、どちらかが急遽地面に降りたりして、一羽がいなくなるまでじっと待っていたりする。そして消えると、ぴょんとジャンプして私の手にやってくるのである。彼らは口いっぱいに餌をほうばれるだけほうばり、一度巣や木に戻ってえさを隠し、そしてまたえさをもらいに戻ってくる。つまり、しばらく何度も飛行を繰り返すというわけである。
小さな鳥たちが翼を広げ、ひゅーんとやってきては、私の手のひらにちょこんと乗り、さらにくちばしでえさをつつき、口に運び、そしてまたばっと翼を広げて木に向かって羽ばたいていく。そんな鳥の動きを、私はものすごい近いところ、というよりも、手のひらの皮膚の感覚をフルに使って感じていた。何より、手から去っていく特の、足の跳躍の力がすごい。こんな小さな鳥が大きな森の中で生きていくには、やはり己の持つ力が必要なのだろう。そんなことを、何度も繰り返される営みの中で、私はしみじみと感じていた。いまだ感じたことのない、自然の、動物の、鳥の生命力のようなものを、まじまじと感じざるを得なかった。
鳥さんたちに朝ごはんをあげたあと、私はママPat特製のフレンチトーストなどをほお張り、満腹で眠くなっていた。その後、今日のアクテビティーは何をしたいかと聞かれたので、今日もゆるゆる気分の私は、「うーん犬と散歩」と答え、森の中を散策しにでかけることにした。
今日一緒だった犬は、21頭中の2頭で、子犬の頃からかわいがっていた子たちである。しかも、そのうちの1頭は、信じられないくらい小心者で怖がりの男の子。とは言え、私にはそんなことをおくびにも出さず、とってもよくなついてくれるかわいい子なのだが、どうやら私にだけは特別らしい。しかし、私が普通のビニール袋を手に持っているときは、こっちを警戒して近づこうとしなかったので、やっぱり本来は小心者な子なのだろう。そんな2頭を外に離し、森の中の散歩に出かける。冬を目前に控えたフェアバンクスの森は、すでに葉も落ち、少しさびしげではある。しかし、地面には様々な種類の苔がむし、実にふわふわして気持ちがいい。地面を踏むたびに、落ち葉のカサカサした感じや、コケのふわふわした感じが足を伝わってくる。コケのフレッシュな香りがときおり広がって、実に爽やかないい気分である。 このあたりの森には、Black Spruce/クロトウヒ、 Aspen/ポプラ、Birch/白樺、Willow/ヤナギ, Cottonwood/ハコヤナギ、Dogwood/ハナミズキなどが育っている。もちろん、アラスカのかなりの地域では山火事が頻繁に起きているので、原生林や自然林というのは少ないだろうし、ここの森も二次林になるのだろうとは思う。しかし、様々な種類がそれでも残って共生しているし、色んな木を眺めながら犬たちと歩くのはとても楽しい。
アラスカで教わったことは、実に数多くある。中でもいまだに忘れられないのは、5年前初めてここを訪れた際、マイナス35度くらいの森の中でPatから教わったことだ。私たちはスノーモービルに乗ってひたすら北のほうへ向かっていたのだが、途中、暖を取るために止まり、比較的木々が開けたところで焚き火を起こしていた。雪を溶かしてお湯を沸かし、そして熱々のホットチョコレートをふぅふぅ言いながら、飲んでいたのである。そんな時、私は実に面白い話を聞いた。周りはWillowつまり、ヤナギの木々が多かったのだが、それらはまるで死んだような木だったのである。PatはあるWillowの木々に近づき、その「Dead tree」の細い枝を一本折って、私に見せてくれた。それは硬く、乾燥しており、もう何にもこれから成長しないように思えた。しかし、Patはこんなことを教えてくれた。
「Willowの木は、こうやって冬になると乾燥して死んだように見えるけれど、ムース(ヘラジカ)にとっては大切な食料で、Willowの枝先のやわらかいところや、芽を食べたりするの。そうやってムースは厳しい冬を越して春を迎えて、一方のWillowは、ムースに食べられたおかげでそこからまた枝を伸ばして成長していくの。だからムースとWillowは共生しているのよ」。
私はこれを聞いたとき、ものすごい衝撃が頭の中に走っていた。こんな極寒の土地で、ムースとWillowが一緒に生きているのを感じたのだ。ムースは、Willowがなければ生きていけないし、Willowもムースがいなければ育たないのである。お互いがお互いを必要とし、支え、生きている。そんなことをまじまじと感じさせられたのは、その時が正直、私の人生で初めてだったのだ。世の中には、実に巧妙にできた生態系のシステムが数え切れないほどにある。アラスカのクマだって、数々のベリーや木の実を食べて生きているが、その食べられた植物もクマに食べられて、排泄物から種子などが散布されるからこそ、あっちこっちに生息できているわけである。蝶だって、花から栄養を採り、そのおかげで花の受粉が始まったりするわけである。木の実や種子でも、ただ単に地面に落ちただけでは発芽せず、一度動物や昆虫に食べられて排出されないと、発芽しないというものまである。世の中は、どうしてこんなにもうまく、巧妙に、そして繊細にできているのであろう。信じられないくらいの動物や植物が一緒に生きて、うまく共生しているのは、どんなプログラムが組み込まれているからなのだろう。一体全体、誰か何がそんな巧妙なシステムを生み出したのだろう。そんなことを、私はアラスカに来るたびに、深く深く思ってしまう。だからこそ、自然は偉大であり、そしてまた同時に畏敬の念を覚えてしまうのだ。
かわいい2匹の犬と森の中を散策していると、不思議な山を発見した。茶色いものがなにやら積まれている不思議な山である。近づいてよく見てみると、どうやらそれは、リスの作ったものであるらしい。アラスカにはリスが多く生息しているが、彼らはSpruce:/トウヒの種子を良く食べている。松ぼっくりのような感じのトウヒの実/corn だが、殻の部分は硬いので、リスはその中の種子だけをうまく取って、殻の部分はすべて捨てるらしいのだ。そして、これらの残骸ともいえる殻が地面に山積みにされていたわけである。あまりの量に、私は心底驚いた。あんなに小さな体のリスが、一体全体何匹でどれくらいの時間をかけて、この山を作ったのだろうか。やはり、自然から学ぶことは、多いのである。小さな生命体に驚きを隠せない私なのであった。
約二時間のお散歩の後、家に戻り、2匹の犬にはご褒美のおやつをあげる。人見知りするという男の子なのに、私にはべったりなついて本当に不思議だが、そこがまた可愛らしい。しばらく犬の写真をとったりしたのち、ゆるゆると時間を過ごすことにする。
午後過ぎ。大きな窓から外をぼーっと眺めながらうとうとしていると、Patから声がかかる。昨日採ったクランベリーをジャムにしようというのである。それは実に楽しい時間であった。自分でとったワイルドクランベリーを自分でジャムにするなんて。人生ではじめての経験である。クランベリーにバナナを組み合わせるというちょっと珍しいレシピを教えてもらったというので、Patと二人でキッチンに立つ。爽やかなクランベリーの香りと、甘く芳醇なバナナの香りがマッチして、実に甘美な感じである。おなべをかき回し続け、およそ1時間で、ジャムは完成。密閉のビンに摘めてできあがりだが、ちょっと舐めてみると、それはそれはそれはもう、人生でこんなに美味しいジャムは食べたことがありませんというほどに、究極美味しいのである。私はあまりの美味しさに度肝を抜かれてしまった。「こんなに美味しいジャム、食べたこと無いっ!!!」と叫ぶと、PatもEdも大笑いしているが、本当に美味しいのである。しかも、作ったジャムは全部持って帰っていいというので、一度は遠慮したが、結局頂くことにした。「誰にあげるの~?」と訊かれたので、「えっと、家と友達と、あとオフィスでしょ~」と言うと、「上司に食べさせれば、もっと休みがとれるかもよ」とジョークが飛んできた。たしかに、それはそれで有効手段かもしれないが、それはもったいないのでやめておこうと返してみた。美味しいジャムは、人生をこれほどまでに豊かにしてくれるとは、なんだか嬉しい発見なのであった。
ジャムを作った後、またしてもリビングでお茶を飲みながら、ゆっくりと時間を過ごす。フェアバンクスを離れる時間がすぐそこに迫っているかと思うと、なんだかちょっとさみしい感じである。やはり、2泊しかない滞在は、ちょっと短すぎるのだろう。せめて1ヵ所に3泊はしないと、もったいないなと思ってしまう。
その後、夕方になり、犬たちに最後のごはんをあげることにする。よくなついている犬と離れるのは、やはり悲しい。一匹一匹なでたり、ハグをしたりするが、みんなこぞって、「アヤノ、遊んでっ!!!こっちきてっ!!!遊んでってば~!!」とジャンプしたり、どかっと突撃してきたり、はたまた離れようとすると手を甘がみして捕まえようとしたりするのである。うぅ、なんてかわいい子たちなのだろう。今度会えるのはいつのことだろう、なんて思いながらしばらく犬から離れられないのであった。
夜、3人でテーブルを囲み、夕食を美味しく頂く。焼きたてののマフィンに作りたてのクランベリージャムをのせて食べられるという幸せを感じてしまう。美味しいものが食べられるのは、本当にありがたいことである。そんなことをしみじみと思ってしまう。
夕食後しばらくしてから、身支度を整えるために自分のキャビンへと戻る。フェアバンクスを離れるのは、大抵夜が多い。フェアバンクスからシアトルまでの直行便が真夜中にあるからだ。できる限り滞在時間を長くしようと思うと、いつも真夜中のフライトとなってしまう。たくさんもらったジャムをバッグに詰めながら、あっという間に過ぎていく時間を振り返ると、なんだかちょっとさみしくもなる。すべての荷物を詰めこみ、2日間お世話になった自分のキャビンに頭を下げて、ドアを閉める。
夜の10時ごろ、PatとEdと車に乗り込み、一路フェアバンクスの空港へと向かう。外の気温は5度くらいであり、かなり冷え込みも厳しい。次はいつに来られるだろう、そんなことを話しながら1時間弱のドライブが続く。途中、お気に入りのスーパーマーケットSafewayによってもらい、お土産や雑貨を買った後、空港へ。チェックインを済ませた頃には、時刻は11時半ごろを迎えていた。PatとEdにお礼を告げ、また来ることを約束し、ハグをしてお別れする。今度来るのはいつのことだろう。
遅くまで開いている空港内唯一のギフトショップで買い物をしたのち、深夜1時半のフライトに乗り込む。ここに来て咳がひどくなり、スーパーで買っておいたHallsののど飴(日本のとはぜんぜん違う)が手放せなくなってしまう。やはり、前日、雪の中で冷えたのだろうか。これから向かう先は、シアトル経由ロサンゼルス。普段であればシアトル経由成田行きだが、今回はロスにも寄ることになっているのだ。
日本から風邪薬を持ってこなかったことを少し後悔しながらも、飛行機の中で目をつむる。楽しかったアラスカを思いながら、1日が終わっていく。
アラスカ旅日記 ~4th day 初雪の中クランベリーを ~
2007/9/25
朝7時過ぎ。自分のキャビンで目を覚まし、身支度を整える。外に出ると、寒くて一気に目が覚める。温度計をみると、気温はたったの5度前後。どうりで寒いわけである。
ホストファミリーのママPatと、パパEdの住むキャビンまで歩きながら、周りの景色を眺めると、まだ一度も見たことの無かった秋の様子が広がっていた。紅葉も終わりに近づき、冬の身支度を始めているようだ。
PatとEdにおはようの挨拶をした後、恒例の朝ごはん。とは言え、私のご飯ではなく、犬たちに朝ごはんをあげるのが先だ。PatとEdはChena Dog Sled Adventuresという名前で仕事をしており、ここでは犬ぞりを楽しんだり、犬ぞりを習ったりできるのである。もともと5年前に私が最初に訪れた際、私は犬ぞりを習う「Dog handler training /ハンドラートレーニング」という5日間のプログラムを体験したのである。ちなみに、犬ぞりをコントロールする人のことを「マッシャー」と呼ぶのだが、マッシャーの見習いは「ハンドラー」と呼ばれている。そこで、犬ぞりの基本の基本を習い、自分で少しはコントロールできるようになったのだが、大抵犬ぞりができる時期というのは、マイナス5度くらいからマイナス35度くらいの寒い時期であるため(というか、雪が積っていないと走れない)、その翌年もう一度同じプログラムを楽しんだ後は、違う時期の春に2度訪れているため、私はしばらくそりには乗ってないのでる。しかし、犬ぞりができる冬以外に来て楽しいのは、普通に寒くない時期に外でひたすら犬と遊んだりできることだ。とにもかくにも私は動物が大好きであり、とりわけ犬が幼い頃から好きなので、いくらでも一緒に遊んでられるのである。日本の家では犬を飼うことが難しいが、ここにくれば、可愛い私のわんこたちが、20頭以上いるのである。とりわけ、最初に会ったときにまだ8ヶ月の子犬だった8頭の子達は、大きくなってもどことなく子供っぽくてかわいいのである。不思議なようだが、一年に一度程度しか会わなくても、私のことをかなりはっきりと覚えているらしい。どうやら犬は3日間一緒に過ごしたら、その後一生相手のことを忘れないというが、それも鋭い嗅覚のおかげなのだろうかと思ってもいる。
そんなわけで、私は久々に犬たちに会えるので、もう楽しみで仕方ない。ドッグフードを持って近づくと、ものすごい勢いでみんなが興奮している。ご飯がうれしいのか、私が嬉しいのかは、さておき、とにもかくにもすごい歓迎ぶりである。一頭一頭、頭をなで、体をなで、ハグをしたりしているうちに、こっちの心がほわっとほぐれていくのがよくわかる。ここでしか味わえないもの。それは大自然もそうだが、このかわいいアラスカンハスキーたちとの触れ合いでもあるのだ。
そんなかわいくも、やんちゃな犬たちにご飯をあげ、クリーニングをし、しばらく遊んだ後、今度は私の朝ごはんである。Patがいつものように美味しいパンケーキなどを作ってくれ、そこに自家製のブルーベリージャムやクランベリーのジャムをたっぷり載せていただく。朝から、大満足で幸せいっぱい、お腹いっぱいなのであった。
今回訪れたフェアバンクス、季節で言えば晩秋といった具合である。日本を発つときに、「今って何ができるの?」と散々色々な方に訊かれたのだが、この時期に楽しめるものというのは、実はかなり少ないのである。空が晴れていて運がよければ、オーロラがもしかしたら見られるかもしれないが、確率はあまり高くない。そして、気温も低いので、大自然の中でのキャンプも少々厳しい。フィッシングがかろうじてできるだろうが、それほどシーズンとも言えない。ハンティングは、動物によってはできるだろうが、一般の観光客にはあまりなじみがない。さらには、紅葉も終わりに近づき、あまりキレイな景色が見えるとも言えない。夏の間に取れるワイルドベリーも、もうかなり終わりの時期である。だからといって雪が降っているわけでもないので、犬ぞりもスノーシューもスノーマシーン(スノーモービル)もスキーもできない。つまり、何が言いたいかというと、極めてオフシーズンなのである。一般的にアラスカ全域のオンシーズンは5月半ばから9月半ばまでとされている。場所によっては1~2週間ずれるが、基本的にこの時期にしか普通の観光客はこない。冬にオーロラを見にアラスカに行くのは、まぁ、95%、日本人といってもいいだろう。つまり、世界中の観光客は、5月後半から9月の前半にしかこないのである。もちろん、アメリカ域内の人であれば、時期をずらしてフィッシングやハンティングに来るだろうが、やはり普通の観光客はほとんどいないという感じである。つまり、逆を言えば、それだけ人が少ない時期であり、色々な予約が夏よりもとりやすい時期であり、そして価格が抑えられる時期でり、リピーターにはいい時期なのでもある。そのため、初めてや2度目のアラスカ滞在という方には、まったくもってオススメできない時期である。もちろん大概の人は、夏であれば「マッキンレーが見たい!動物が見たい!氷河が見たい!」というであろうし、冬であれば「オーロラが見たい!犬ぞりに乗りたい!」であるので、オンシーズンに来ることを私は強くオススメするわけである。
そんなわけで、この時期に来てもそれほど目立ったアクティビティーはない。朝ごはんを終えたところで、Patから「何したい?」と訊かれたが、私はゆるゆるしたいので、「ベリー摘みできたら、したいかな」と答えたくらいである。ちょうど、クランベリーが最後の時期だったので、できるかもとは聞いていたのである。「じゃあ、寒くなりそうだから早めに行こう」と支度をした後、出かけることにする。
車で5分ほど移動した森の中、大きなジップロックの袋を手に持ち、Patについて歩いていく。寒くなりそうとの予想は次第に確信へと変わり、気がつけば初雪とおぼしき雪が空から落ちてきていた。どうりで、寒いわけだ。山の高いほうではもう雪が降っていたが、平地で雪が降るとは。それなりに防寒はしているが、ちょっと失敗したかもしれない。そんなことを思いつつ、森の奥まで進んでいくと、Patがこのへんがいいと教えてくれる。どこにあるのかと思って、地面に目をやると、そこにはワイルドクランベリーがあっちこっちになっていた。手にとって口に含んでみると、冷たい酸味がすっと広がっていき、実にジューシー。ちなみに、日本ではクランベリーはそれほどまだポピュラーとはいえないが、アメリカでは昔からクランベリーのジュースやジャムなどがごくごく一般に好まれている。私もこの、酸味が効いているベリーが大好きなので、摘めると聞いてワクワクである。ちなみに、クランベリーには、「Highbush 」 と「Lowbush」の2種類がある。ハイブッシュのほうは、比較的背が高く、立ったまま手を伸ばせば取れるくらいの高さであるが、ローブッシュのほうは地面の上になっている感じである。今回ピッキングできるのは、Lowbushのほうであり、私はひたすらしゃがんで地面に向かっていたのである。
雪が大きくなり始めたころ、地面にかわいらしく育っているクランベリーは、もうフローズン状態になっていた。手袋をはめているとうまくできないので、素手でやさしくクランベリーを丁寧につみ、ジップロックに入れていくが、すぐに手がかじかんでしまい、右手左手と交換しながらなんとかたくさんのベリーを積んでいく。作業は約1時間半くらいに及び、その頃にはジップロック2つがたくさんになるほどだった。初めてのベリー摘みにしては大量である。雪の中ベリー摘みなんて、なんだか不思議な気分だなと思いながら、てくてくと歩いてお家へともどる。摘んだベリーはジャムにすることにする。楽しみである。
お家に戻ったのち、凍った体を暖炉と紅茶で温めていると、大きなソファーでうとうととしてしまう。ここに来て旅の疲れか、それとも慢性疲労か、妙に眠くなってしまい、時に起きたり時にしゃべったりと実にゆるゆる時間を過ごすことになる。たまに雑誌に目を通したり、猫と遊んだり。お話をしたり、おやつを食べたり。ゆるゆるの時は結局夜まで続いていった。
夕方、またしてもかわいい我がアラスカンハスキーたちにご飯をあげ、クリーニングをした後に、お夕飯となる。美味しいお料理で満腹になったところで、何やらパパとママがちょっと出かけるというので、ついていくことにする。向かった先は、近所のお友達の家。何やら、すごい動物がいるというので、楽しみである。
車に揺られること10分ほど。とあるお宅へと到着。どうやら犬2匹と、鳥を飼っているお友達らしい。お邪魔しご挨拶をすると、すぐに家の中で走りまわる犬2頭と、オウムのような鳥を発見。鳥はしゃべるらしく、なにやら面白い様子である。そして、肝心の犬2匹。一匹は普通のサイズのワンちゃんで、もう一頭は実にちっちゃいミニチュアダックスフンドの男の子である。どうやらこのミニチュアダックス君、聞けばそうとうやんちゃでうるさく、さらには人見知りで全くなつかず、近寄っても来ないし騒いで大変な子だという。飼い主でさえも、そして犬のスペシャリストであるPatでも、手を焼くほどであるらしい。もう一匹の子はそれほど問題ないらしいが、とにもかくにもダックス君はてこずる犬らしいのだ。
そんなわけで私も大して遊べないだろうとは思っていたのだが、最初の1、2分興奮して走り回っていたこの子達は、次第に落ち着き、私の足元でおとなしくし始めた。そしてしゃがんでナデナデしていると、なんと不思議なことが起きたのである。完全に、ダックス君が私になついたのだ。呼べばすぐに来るし、おとなしく実にいい子にして、私に甘えてくるのである。私には一体全体この子のどこが困ったちゃんなのかわからないくらいに、かわいらしくなういてくるのである。別に何をあげたわけでもないのだが、とにもかくにもダックス君は「遊んで~」とよくくっついてくるし、いい子である。
しかし、それを見た飼い主さんは、もうびっくり仰天で、「信じられないわぁっ!!!いったいこの子どうしちゃったの?!こんなの見たこと無いわっ!!!」と驚きの形相でワンちゃんを眺めているのである。そしてさらには、「アヤノ、いったい何したの?!どんなマジックハンドを持ってるの?!?!」と聞いてきたのである。別に私は何にもしてないので、「え・・・?なんにもしてないんだけど・・・・?」と答えていたのだが、そういえば今年に入り、知人のお宅にお邪魔した際も、かなり人見知りする猫ちゃんに、妙に好かれるということが何度か起きていたのを思い出した。
私は自分でも不思議に思っていると、今度はPatがこんなことを言っていた。「そうなのよ、アヤノはとにかく犬に好かれるのよ。うちの犬だって、超怖がりの2頭以外は、とにかくよくなついているのよ。まったくもって家から出ない子でもシャイな子でも、アヤノだけにはなぜだか近づくのよ」と。私はそんなことはまったく知らなかったので、実は内心超驚いていた。Patの家にいる21頭のうち、今回始めて会ったのは2頭のみで、あとの19頭はもう5年前から知っている。おそらく匂いで覚えられているからだとは思うのだが、どうやらそれだけではなく、犬たちとのフィーリングもかなりいいらしい。自分では知らなかったが、誰にも何にも近づかない超怖がりの犬でさえも、私にだけは異様になついているということも、初めてこのとき知ったのである。そんなわけで、私は、「よかったわね~、パートナーがみつかって!」と飼い主さんに言われているダックス君としばし仲良く時間を過ごしていた。しまいには、「日本に持って帰っていいわよ~!この子なら小さいからリュックにはいるわよ!」といわれるほどであった。いやはや、世の中不思議なものである。動物に好かれるというのは、一体全体なにがどうなっているからなのだろう。自分でもよくわからないが、これはこれでちょっといいかと嬉しくなる、私なのであった。
帰宅後、リビングのソファーで話しているとまたしてもウトウトしてしまう。そろそろ寝たほうが良いわよと促され、自分のキャビンへと戻る。外は寒く、気温は0度に程近い。空は曇っているし、今日もオーロラは望めないだろう。そんなことを思いながら、2日目のフェアバンクスが過ぎていく。
2007年10月 アラスカ旅日記 ~3rd day HainesからFairbanksへ~
2007/9/24
朝7時過ぎ、ベッドから起き出し身支度を整える。ヘインズでお世話になったゆうこさんはお仕事に出かけるため、早めに別れを告げることになる。2日半という短い時間だったが、とにもかくにも、色々お世話になって、本当にありがたかった。もっと長く居たかったなという思いと、また来たいなという思いで、ゆうこさんを見送り、残った私はご主人のエドさんと、ホームステイメイトのSちゃんと軽いハイキングに出かけることにする。
車に揺られること20分ほど。昨日訪れたChilkat state parkとはまた別の森に到着。今日も軽く小雨が降ってはいるが、それほど問題もない。エドさんの大のお気に入りという森の中を3人で歩き進むことにする。
往復で2時間弱と聞いていた今日のハイキング。それほどすごいものをイメージしていなかった私だが、実は訪れたこの森は、私の人生至上トップクラスで素晴らしい森だったのである。おそらくは、樹齢200年前後というSitka SpruceやHemlockがそれは見事に生きていて、足を踏み入れたとたんに、エネルギーが森全体に満ち溢れているのを体で感じ取れたのである。コケ類やキノコ類も様々な種類が共生しており、実に気持ちよく、そして素晴らしい森である。私は、できることならこの森に1週間くらい滞在して、ひたすら写真を撮ったりお昼寝をしたいと思ったほどである。もう少し晴れて光が差したなら、さぞかし美しい写真が撮れるだろう。もう一度ここに来て、リバーサルフィルムで100枚以上撮ってみたいと私は心底思ったのでる。とにもかくにも美しい森の中、またしてもエドさんに色んなことを教えてもらう。木の種類やキノコの種類。まるで、ディズニーの世界に出てきそうな可愛らしいキノコがそこかしこにいるのである。どうやら、多くのキノコは食べると危険なものであるらしく、幻覚症状が出てしまうようなのも数多いらしい。確かに、最初に食べて確認する人は、命がけだよなとか思ってもしまう。森の中のキノコというのはなんだか可愛らしくも不思議でもあり、幻想的な世界に迷い込んだ気になってしまった。
2時間の素晴らしいハイキングを楽しんだ後、車でお家に戻り、ヘインズを離れる準備にとりかかる。私のミスで最後は慌しくなってしまったが、仲良くしてくれたKaiくんとMoriくんに別れを告げ、空港へと送ってもらう。ボーディングの時間ぎりぎりだったが、なんとか間に合い、またしても小型プロペラ機でジュノーに戻ることになる。お世話になったエドさんとSちゃんにお礼を告げ、私はひとり機体へと乗り込んだ。
霧のような雲がかかった山並みを眺めながら、ジュノーまではしばらく空の旅となる。実は前夜から天候が悪く、飛行機が飛べないような状態だったのだが、実に運良く、私の乗るフライトから復旧となったようである。前夜に、「念のため」とゆうこさんが調べておいてくれたジュノー行きのフェリーには、運良くお世話になることもなかった。天気には、やはり、それなりにいつも味方をしてもらえる、雨逃れ女な私である。
ジュノー空港に到着後、チェックインを済ませ、ほっと一息つくことにする。朝作っておいたサンドイッチを食べながら、ホットチョコレートを飲み、しばしゆっくり。これから向かう先は、アンカレッジ経由フェアバンクスであり、まだしばらく空の旅が続くのである。ボーディングは案の定30分以上遅れ、2時過ぎにようやく飛行機に乗り込む。乗っていたプロペラ機に比べたら、妙に大きくてしっかりしている気がしてしまう。窓側の席からジュノーの町を眺めながら、楽しかった東南アラスカを離れ、一路アンカレッジへ。
前夜大して眠りにつけなかったため、機内ではひたすらゆっくりと目をつぶることになる。約1時間半のフライトの後、無事にアンカレッジ空港へと到着。フェアバンクスまではあと1本乗らなければならないが、予想通り出発が1時間以上遅くなり、しばし空港で待つことになる。ちなみに今回の旅では、国内線はすべて自分でインターネットで予約をしていたのだが、その際に気になったのはアラスカ航空が発表している、「On time」 の確率である。ほとんどのフライトが50~70%くらいだったのだが、アンカレッジからフェアバンクス行きのフライトは、かなり低めの40%なのであった。前回このコースを選んだときもかなり遅れたので、覚悟はしていたが、案の定到着時間は1時間半ほどずれ込んだ。やはり、この確率、最初から頭に入れておいたほうがいいのだろう。そんなことを身をもって感じたのであった。
アンカレッジ空港でふらふらした後、フェアバンクス行きのフライトに乗り込む。1時間の短い空の旅だが、途中、遠くのほうにマッキンレーらしき山の頂きも見える。次第に眼下に広がる景色も移り変わり、湿地地帯のような独特な自然も広がっている。この景色を見るたびに、私は「またここまで来たな」と実感するのだ。ワクワクしながらフェアバンクス空港に到着すると、毎度お世話になるホストファミリーのパパ、Edが迎えに来てくれていた。フェアバンクスから車で1時間ほどのChena近郊に住むEdとママのPatは、犬ぞりやハイキング、フィッシング、ハンティングなどなど様々なアクティビティーのガイドをしたり、キャビンのレンタルをしたりしており、私はもう5年前から毎年会いにきているのである。
Edと1年半ぶりに再会したあと、車で少し走り、フェアバンクス市内の総合病院へ。ママのPatは看護士さんとしても病院で仕事をしているので、今日は仕事が終わるのを待って、合流することになっている。しばらく寒い風を受けながらソワソワしながら待っていると、7時半過ぎにようやくスタッフ出入り口から出てくるPatを発見。しばらくぶりにハグをしたあと、みんなで車で近くのレストランへ。
美味しいハリバットのお魚で作られたFish and Chipsを食べながら、Hainesであった色んな話を二人に話す。とくに面白かったチャリティーオークションの話をすると、やはりこの手のオークションは普通に身近なところで行われているらしい。そしてまた面白いことに、Patが言うには、「Bake Sale」というイベント、募金活動がよく行われているという。これは例えば非営利団体や病院、障害者支援センターなどなど様々なところで、モノやお金を寄付をしたりするのが仮に難しくても、自分でクッキーやマフィンなどを少し作ってそれを寄付するくらいならできるよという人たちが、少しずつ焼き菓子などを持ち寄って、そのお菓子を施設内やお店で販売し、売り上げを寄付する、もしくは基金として使うといったような仕組みであるらしい。「日本でもある?」と聞かれたが、私の中ではまったくと言っていいほど聞いたことが無いので、「たぶんあんまりないと思う・・・」と答え、そして「障害を持っている人自身が、お菓子や野菜とか、作品を作って販売したりするのはあるけど」と付け加えた。これは私の周りでも身近にあるが、「Bake Sale」は聞いたことがないので、私にとっては実に新鮮で、興味深かった。もちろん、日本でもバザーなどが行われたら、似たようなことが行われているかもは知れないけれど。
夕飯を終えた後、車でChenaのお家へと向かう。これで5度目のステイだが、毎回時期が少しずつずれているので、同じ場所とは言え景色が違ってとっても面白い。久々の「我が家」に到着すると、見慣れない猫が一匹。どうやら新しい家族として一緒に暮らしているらしい。1年半ぶりのお家でリラックスしていると、ふとPatがなにやら手に持って現れた。何かと思うと、ロウソクの灯ったケーキである。そう、またしても、ここフェアバンクスでお誕生日のお祝いをしてもらったのだ。私はびっくりすると同時に、アラスカで誕生日を迎えられたことをまたしても嬉しく思った。2度目のバースデーケーキは、ピーナッツバターとホイップクリーム生地の上にチョコレートがかかった濃厚なタルト。とっても甘く、実にアメリカンテイストで美味しい。「レストランでデザートを頼まなかったのは、ケーキがあったからよ!」と言われ、なんだか嬉しくなる。
新しい28年目の時間を、ゆっくりとじっくりと、アラスカで迎えられていることをありがたく思いながら、ゆるゆるとしたフェアバンクスでの夜が更けていく。
2007年10月 アラスカ旅日記 ~2nd day Hainesの幸せな1日 ~
2007/9/23
朝、ヘインズのゆうこさんのお宅で目を覚ます。昨日からお世話になっているみんなに挨拶をした後、身支度を整えて、お家を出る。外はうす曇の雨模様。気温も一桁台と、かなり冷えている。日本の真冬みたいな寒さで、体のあちこちが引き締まる感じがする。
車に乗り込み向かった先は、近所のとあるお家。今日は日曜日であり、ゆうこさんファミリーがいつも通っているコミュニティーチャーチのような場所にお邪魔させてもらうことになった。ここでは毎週10~20人前後の地元の人が集まり、色々な信仰の教えや言葉などを学んだり、色んなことをお話したりディスカッションしたりするという場であるらしい。初めて参加させてもらった私だが、皆さんとても温かい方ばかりでほっとする。お茶を飲んだり、皆さんのお手製のパトラックブランチを頂きながら、普段考えている精神的なことや、自然に対する考え方など、色々なことについてのお話を伺う。もちろん会話はすべて英語なので、完璧に理解できているとは言えないが、私がこよなく愛するアラスカに住む地元のみなさんが、日頃この大自然の中で何を感じたり、大切にしたりしているかを少し知ることができて、実に興味深い。私も似たような価値観を持っていることに改めて気がつかされたりして、なんだかちょっと嬉しくなった。これまた素敵な旅の出会いだな、そんなことを思ってみる。
2時間ほどが過ぎたところ、今日の会合も終了となる。片づけをした後、ゆうこさんの可愛い息子さん、KaiくんとMoriくん、そしてホームステイメイトであるSちゃんと外で遊んだりする。寒くて寒くて凍えそうな気温の中、松ぼっくりみたいなのを投げあったり走りまわったりと、久々にワンパクに遊んでいたら、妙に楽しくそして体までもが温かくなった。子供は風の子なんて、よく言ったものである。楽しいひと時。
いったんみんなでお家に帰った後、支度をしてから、ゆうこさんとご主人、そしてSちゃんの3人でハイキングへと向かう。今日の目的地は、Chilkat State Park。まさしく森と海が共生しているような素敵な場所であるという。お天気はあいにくの雨だが、レインジャケットに完全防水のトレッキングシューズで、準備も完璧。近くまで車で向かった後、ゲートの手前で車を降り、みなで楽しいハイキングの始まりである。
森に近づくと、まずはほとんど同じ種類の木々が並んでいるのが目に留まる。まだ若く、細めの木ばかりだ。地面には下草もあまりなく、なんだろうと不思議に思っていると、どうやらここは以前、火事で焼けてしまったところだということを聞く。森に一度火が入り、木々が燃えてしまえば、その後は「Fast Growing(早生樹)」とか「パイオニア」と呼ばれるような木の種類が一斉に成長をし始める。もちろん、その木の種類は土地によって違うのだが、まずはパイオニアの木が成長をし、その後時間が経つと、他の種類の様々な木々や草花が次第に出てくるというのが森のサイクルである。とは言え、これを自然の力に任せようとすると、もとにあったような多様な森に戻るまでは数百年単位の時間がかかるとされている。自然発火の火事だけではなく、焼畑でも、皆伐(全ての木々を残さず切り倒すこと)でも、一度ダメージを与えれば、同じように回復までには相当な時間がかかる。つまり、それだけ、自然というのはかけがえの無いものであり、それだけ貴重なものなのだ。
しばらくの間、そんな少し単調な森を歩いていると、あるところから一気に森の様子が変わってくる。おそらく、さして森に興味関心がない人でさえも、「あれ?」と気がつくほどの違いである。木々には青々とした葉が茂り、様々な高さの木々で自然な層ができている。足元には下草や幼木、さらには色とりどりの苔類がびっしりとところ狭しと生きている。つまり、ここは山火事の被害を受けていないのだ。そんな健康な森の中では、色々な種類の植物が「競争」しながら「共生」しているのが、実に実によくわかる。もう、それはそれは本当に素晴らしく、私は「やっと、本物の森に来られた~」と心底幸せな気分になった。こんな森に来るために、こんな森を感じるために、私はアラスカまでやってきたのである。爽やかな針葉樹とみずみずしいコケ類の素晴らしい組み合わせが、最高に素晴らしく、自分が待ち望んでいたトンガスの森に身を置いていることを、ひしひしと体で感じていた。
雨の森のトレッキングというと、一見大変なように思われるかもしれないが、実はとっても心地がよい。雨粒からも風からも、森が、木々が人を守ってくれるので、それほど濡れることもないのである。しかも、水を含み、雨粒をはじく緑は、キラキラと輝いていてとってもとっても美しいのだ。青い空に映える木々も好きだが、雨の中、ひっそりと輝いている緑たちも、実に愛おしい。私はそんな雨の森を、みんなと歩きながら、体全体でひたすら楽しんでいた。森の中では、歩いても、触っても、そして写真を撮っても、何をしていても本当に楽しい。ときおり目にする小川の流れを眺めたり、木々の違いを楽しんだり。ここの森には、Sitka Spruce/シトカトウヒ やHemlock/ツガといった大きくまっすぐ伸びる針葉樹が多く、背が高い木々を見上げるのも、実に楽しい。もちろん、そんなまっすぐで大きな木々だから、材木としてもかなり優秀であり、トンガス国有林は貴重な大自然でもあるとともに、林業の観点からも古くから貴重な資源とされている。自然を守るべきか、経済を優先させるべきか。これはとりわけ森林豊かな東南アラスカで、かなり難しくも悩ましい問題であり、いまだにその課題は残っているらしい。世界中どこでも、やはり、環境問題の本質は同じなのかもしれない。
トレッキングを楽しんでいる途中、ガイド役であるゆうこさんのご主人、エドさんから木々のことなどを教えてもらうのも、私にとっては実に実に面白かった。中でも、Spruce/トウヒ とHemlock/ツガの見分け方はとりわけ興味深い。この二種類は、見た目が結構似ているので、ぱっと見、間違いやすいのだが、見分け方に特徴がある。それは、とがっている葉っぱの先の部分を触ることなのだ。英語だと、「Shake hands with Hemlock !」となるのだが、Hemlock/ツガの場合は、葉っぱを触っても痛くない、つまり、握手ができるのである。しかし、一方のSpruce/.トウヒの場合は、松葉のようにとがっているので、痛くて握手はおろか、手で触るなんてできないのである。しかも、実はこのやり方、すぐに思い出したのだが、宮脇昭先生(横浜国立大学名誉教授)からも、筑波山の森の中で教わっており、「手で握れるのがツガで、痛くて触れないのがトウヒやですよ。はい、これはどっち?」と習っていたのである。うーむ、ここアラスカのトンガス国有林でも同じようなシチュエーションとやり方に出会うとは、これまた妙に面白い。やはり、森のことは、自然のことは、現場で体と五感を使って学ぶのが一番なんだな、なんて思ってしまったのであった。
楽しくも気持ちのよいハイキングは、森を通り抜け、入り江の海岸沿いに出たところで折り返しとなる。往復で3時間ほどのトレッキングだが、生きている木に触れ緑に触れ、命に触れて、私は体の中のありとあらゆるものが浄化されたような感覚を覚えていた。またこの森に絶対戻ってこようなんて思いながら、楽しいハイキングを終え、再び車に揺られてお家まで戻っていった。
帰宅後、早めに夕食作りにとりかかることにする。お料理上手なゆうこさんをお手伝いしながら、和気藹々とキッチンで盛り上がること1時間ほど。今日のメニューはアラスカ名物の白身魚「ハリバット」のタイ風カレーにベイクドサーモン、そしてサラダなどなど。白いご飯とも合う、実に私好み、日本人好みのスペシャルディナーである。作り終えた後、みなでテーブルに着き、お祈りをしたあとで、待ちに待ったお食事タイム。どれも格別に美味しく、お腹が一杯になるまでみんなでご飯をひたすら堪能したのであった。
あぁ、なんて幸せな時間なのだろう。そんなことを満ち足りた気分で思っていると、7時頃にまたみんなでお出かけとなる。すでに外には暗がりが広がっているが、今宵はBear watching に出かけるという。聞けばこの時期、近くの川には鮭が多く遡上しており、それを狙う熊さんたちがうようよいるらしいのである。ワクワクしながら車に乗り込み揺られること30分ほど。辺りは暗く、川のせせらぎだけが聞こえてくる。車のライトを消し、ゆっくりと川沿いの道を進んでいると、川の向こうに小さな黒い影が見えてきた。川中の大きな石と間違えやすいが、車を止めてじっと目を凝らしていると、なにやら動いている様子である。しかも、どうやら母グマと子グマ2匹という親子グマである。大きな母グマのまわりをちょこちょこ歩いている子グマの様子が、かすかながらも肉眼で見える。「おぉ~、本物のクマさんが動いてるぅ~」としばらく感激していると、今度はかなり近いところにもう一頭大きなクマがいるのが見えた。あまりにも遠くを眺めすぎていて、みんなすぐそこのクマさんには気がついてなかったが、その黒クマくんは実によく見え、川の中の鮭を狙ってうろうろと歩いている様子だった。ときおり、バシャバシャと水音をたてるのが聞こえるほどに、クマくんは近くにいる。さらには、もう少し離れたところで、もう一匹のクマさんを発見。もう、これで今夜は5頭ものクマさんに出会えたわけである。あぁ、なんてこった。信じられない。こんなところに、こんな川の中にうようよクマさんがいるなんて。私は目の前で繰り広げられている大自然に、不思議な感覚を覚えていた。今までクマさんに出会ったことは何度かあるが、それは道路脇であったり、キャンプサイトに現れたクマたちであったのだ。しかし今日は、クマの生態そのものを垣間見たような、実に素晴らしい出会い方なのである。私の目の前で、クマが、子グマが、生きている。川で鮭を捕まえて、これからもこのクマさんたちはずっとずっと生きていく。目の前にある現実が、なんだか現実とは思えないような不思議な感覚である。私と熊が今このとき、同じ時間、同じ場所で、こうやって生きているんだと思うと、なんだかものすごく尊いことのように思えてきた。大自然に生きる野性のクマを見て、私はまたしても体中のありとあらゆる汚れたものが、一気に浄化されていくような感覚を覚えていた。
大満足でBear Watchingを終えた後、みんなでお家へと戻る。少し冷えた体を暖炉で暖めていると、ふと私に声がかかり、その瞬間ゆうこさんたちが歌を歌ってくれていた。手には、ろうそくの灯ったケーキ。そう、実は、日本時間の24日は、私の誕生日なのである。手作りのケーキにバースデーソング。みんなの笑顔に祝福されて、私は本当に温かく幸せな気持ちになった。記念にみんなで揃って写真を撮り、お祈りをしながらロウソクの明かりを吹き消す。新しい一年はどんな日々になるだろう。甘くて美味しいケーキをニコニコ顔でみんなと頂きながら、新しい年をここアラスカで無事に迎えられたことを嬉しく思う。かわいいKaiくんもMoriくんも、甘いケーキにご満悦でずっと笑顔を見せている。
朝の祈りの時間から始まり、地元の人たちとの交流、そして大好きなトンガスの森を歩き、5匹ものクマさんに出会った。美味しいアラスカの海の幸、山の幸をたくさん頂き、そして大好きなケーキまでおなか一杯になるまで頂いた。温かで幸せなアラスカで、27歳から28歳にかけての大切な時間を過ごさせて頂いたことに、私は感謝の念を覚えていた。
夜のダイニング。ゆうこさんとSちゃん、そして私の3人のガールズトークはとどまることを知らず、いつまでもどこまでも、楽しい話が続いていく。人生、哲学、英語にアラスカ。趣味に流行にと、話は果てしなく広がり続け、ついには深夜3時ごろまで楽しいおしゃべりがとまることは無かった。
きっと今日のこの時間を、私はずっと、忘れることはないだろう。
素晴らしい1日に、ただ、深謝。
2007年10月 アラスカ旅日記 ~ 1st day(後編) Hainesでの出会い~
2007/9/22(後編)
ヘインズの空港に無事に到着したところで外を眺めると、ひとりの女性が待ってくれていた。日本人のその女性、実は私の今回の旅に欠かせないキーパーソンなのである。生まれて初めてお会いするその女性、ゆうこさんは、人口2000人強のこのヘインズの町に住む、おそらくは唯一の日本人。私がここヘインズでゆうこさんにお会いするきっかけは、実はインターネットで私が東南アラスカのトレッキング情報を調べていた、約1ヶ月半前にさかのぼる。3年ほど前からヘインズの町に興味があった私だが、今回の旅行に向けて色々調べていたところ、あるホームページをふと見つけたのである。かなり前から情報は集めていたのだが、このサイトの存在に全く気がついておらず、「こんなのあったっけ?」と疑問に思ったのだ。そして、よく見てみるとどうやら日本人女性がヘインズで旅行会社「アラスカージャパンコネクション」を立ち上げたというではないか。しかも、それもかなり最近の2006年のことで、私が一昨年のゴールデンウィークに東南アラスカのケチカン、シトカ、ジュノーを訪れた際には、まだ会社もできていなかったという。私はそのホームぺージを食い入るようにして読み、そしてまた同時にゆうこさんのプロフィールやブログを読み、すぐに心の中で決めていた。「この人に、会いにいこう!!」と。
それは本当に偶然と直感としか言いようが無かった。東南アラスカのトンガス国有林でトレッキングをしたいと考え始めてすぐに、ヘインズという小さな町で日本人女性が旅行業を行っていると知ったこと。そしてその経歴や人柄が私の中でどんぴしゃで、すぐに会いに行こうと決めてしまったこと。こういった引力や直感というのは、実は、私の人生ではきわめて大切なポイントになっている。「引力」が感じられるようになると、ありとあらゆることが、すんなりとうまくいったりするのである。もちろん、その引力を感じるには、ある程度の感性もいるらしく、最近は周りの人に「どうやったらそんなに直感が強くなるの? 引力ってどうやったらわかるの??」と聞かれることも多い。個人的には、「偶然」の出来事や出会いに感謝をしたり、そして何より、生きているもの、とりわけ自然や動物などの物言わぬ生命に触れたり、エネルギーを頂くことで、感性や勘が磨かれるような気がしている。そんなわけで、私はある種の偶然さ(いや、実はそれは必然なのかもしれないが)に導かれるようにして、ここヘインズまでやってきたのである。ゆうこさんとの出会いで、ヘインズを知り、アラスカをより一層深く、深く知る。それってなんだかとっても素敵ではないか。まさしく、これぞ、「旅の醍醐味」。あぁ、なんて楽しいんだろう。私はそんな思いを胸に抱えて、ゆうこさんとの出会いを楽しく迎えたのであった。
小さな小さなお家のようなヘインズの空港を離れ、ゆうこさんとともにお宅へと向かう。本来であればどこかホテルかホステルに滞在をと考えていたのだが、ご好意でお宅にお邪魔させていただくことができ、これまた嬉しい旅の楽しみである。お宅にお邪魔し、アメリカ人であるご主人やとっても可愛い息子さん2人にご挨拶。さらに、これまた不思議なご縁でホームステイ中という日本人女子大学生のSちゃんとご対面となる。お宅では2泊させて頂くことになっており、楽しい時間が過ごせそうでワクワクである。
お茶を頂いて少しゆっくりしたのち、お家のまわりの森をお散歩する。家の前には穏やかで美しい入り江がひろがり、そして背後には針葉樹の森が広がっている。久々に北方針葉樹の森の中を歩くと、爽やかな空気と冷たい風で心も体もリフレッシュする。日本から20時間近くかけてやってきた甲斐が本当にあったというものである。
気持ちのよいお散歩の後、面白いイベントが町の中で開かれるというので、みなでお出かけ。なにやら、その夜にはオークションなるものが開かれるというのである。しかも、可愛らしいレストランバーで開かれるそのイベントはただのオークションではなかった。目的が、チャリティーなのである。日本でチャリティーオークションというと、あまり身近な存在ではなく、たまにテレビの中で報道されているくらいであるが、ここアラスカ、いや、アメリカでは実に身近で日常的なイベントであるらしい。私がチャリティー的なものに興味があるのを知って、ゆうこさんは私を誘ってくださったのだ。
この日のチャリティーには、明確な目的があった。町中の人に愛されているというとある男性が大病を患い、手術後入院をされている。手術にも入院にも相当な費用がかかったことを知った友人たちが、この日のチャリティーオークションを企画し、人々に寄付をお願いしたというのである。しかも、ここからが面白いところだが、寄付されるものの多くが、芸術作品なのである。というのも、東南アラスカには多くのアーティスト、それらはたとえば画家であったり、陶芸家であったり、はたまた服飾デザイナーであったりと様々なアーティストが住んでいるのだが、そういった何か作品を作ったり、表現をしたりするという芸術家の多くが、このチャリティーオークションに作品を寄付しているのである。そのため、オークションにかけられるものも、かなり素敵で欲しくなってしまうものが多い。油絵であったり版画であったり、はたまた手編みのショールがあったり、帽子があったり 、そして壷があったり。いい意味で枠が無く、自由な楽しい感じのオークションである。中には、アラスカらしく、摘みたてのベリー(数キロ?)や、すごい量のお魚などというのもある。さらには超人気のパティシェが作ったというチーズケーキやチョコレートケーキ、さらにはマッサージサロンの1時間チケットや、お稽古事のレッスンチケットなどなども出品されていたりして、実に楽しいのである。入場料はひとり10ドルほどであり、会場内ではオードブルやスナックが出されていた。私は飲めないが、ビールやワインを飲みながら、オークションにかけられた作品を眺めたり、実際に参加したりするというのだから、とっても気さくな感じである。集まった人は100人以上だろうか。若い人も大人の人も混じって、すごい熱気である。
肝心のオークションは、私のイメージにある、みなが静かに椅子に座ってナンバーの書かれたプレートを挙げて、金額を競い合うというのとは少々違い、もっとノリのいい和気藹々とした雰囲気の中で進んでいった。出品した方が実際に作品を持って商品を見せてまわったり、はたまた小さな子供が商品を落札者に手渡したりと、実にアットホーム。作品を寄付する多くの人がいて、それを買うまた多くの人がいる。みなが様々な形で寄付をし、それを入院している男性に寄付をするのである。みなができることを少しずつし、その善意をひとりに届けるのである。しかも、この手のイベントは、さして特別なことではなく、ごくごく日常的に行われていることだという。それは、日本で言われるような「募金活動」とは、一線を画しているように私は感じていた。ただどれだけ困っているか、苦しんでいるを力強く訴え、人々にお金を寄付してもらおうとする募金活動とは、全く異なるものとして私の目には映ったのだ。
本当のチャリティーとはなんだろう。誰かが誰かを助けるとは、どういうことなのだろう。私は、楽しく盛り上がるチャリティーオークションを目の当たりにしながら、日本とアメリカの大きな違いを感じざるを得なかった。どちらが進んでいるとか、優れているかとかいう問題ではない。ただ、やり方が、考え方が、大きく違うのである。ポジティブとネガティブという表現がふさわしいのかはよくわからないが、とにもかくにも、明るく前向きなそのチャリティー活動には、私は心底衝撃を覚えていた。そして、目から鱗が落ちるような、そして開眼するような、そんな感覚を覚えていた。
実はこんなことを強く思ったのには、訳がある。8月のとある日、私はとある駅前で募金活動を目にしたのだ。詳しく書くとすぐにわかってしまいそうなので書けないが、それはある種の恒例行事でもあり、日本中の多くの人が知っているであろう募金活動であった。駅前でなにやら大きな声がすると思いふと目をやると、そこには募金箱やのぼりを持った数十名の人々が、大声を上げながら、協力を求める声を上げながら、募金活動をおこなっていたのである。私はあまりにも大きなその声に一瞬びっくりしたのだが、それと同時に、その人々の周りには不自然な空気が広がっていたのを肌で感じたのである。なぜかといえば、人が、近づけない、いや、近づきにくい雰囲気が漂っていたのだ。実際、その周りには人が不思議なほどいなかった。私も一瞬、募金箱にお金を入れようと近づこうかと思ったのだが、あまりにもその空気が不自然でやめてしまった。とてもじゃないが、人が近づける雰囲気がなかったのである。そう、それは、おそらく少しでも近づけば、お金を募金箱に入れれば、ものすごい大きな声で「ありがとうございました!!!」と数十人の人に叫ばれてしまいそうな、そんな空気が漂っていたのである。人が多く行き交う駅の前で、少しの善意で寄付をしようとしたなら、大声で一気に周りの視線を集めてしまう。そんな空気の中、寄付なんてしにくくないか。寄付ってそんな人前でおおっぴらにやることなのか。もちろん、人が集まるところでやれば、効果的でもあるのだが、なんとなく違和感を覚えてしまっていた。しかも、その募金活動は、ある種の「お涙ちょうだい」的な様子が前面に出されており、私はそれにも不快感を覚え続けていた。もちろん、支援している人も多くいるのを知っているので、あまり口には出さないのだが、実際問題、募金活動の実態に少々疑問を持たざるを得ないということを、ここのところ感じていたのであった。
そんなわけで、私は全く対比的なこのチャリティーオークションには、ある種の感銘を受けたわけである。しかも、全く持って、悲観的な感じもしないし、協力を懇願しているという感じもしない。そこには、「みんなで楽しく、できることを!」というどこかポジティブな空気が当たり前のように出来上がっていた。できる人が、できることをする。そうでなければ、慈善活動なんて続かないし、もたないのだろう。参加する人みんながハッピーになるような仕組みが、もっと、日本の、普通の世の中に広がってもいい。そんなことを強く思いながら、日本に帰ったらもっとチャリティー企画をやって、ごくごく日常に取り込んでいこう、そんなことを考えていた。
きわめて貴重な経験をした後、みなでおうちに戻り、夕食の準備。ゆうこさんやSちゃんと一緒にキッチンに立ち、お夕飯をつくり、そしてテーブルで仲良く美味しい食事を頂く。その後、初対面とは思えないほどのゆうこさんと、Sちゃんと異様に盛り上がり、深夜遅くまで話に花が咲き続ける。 やはり、最初に感じた直感でヘインズまでやってきたのは、本当に正しかったのだ。
ガールズトークは、世の中どこでも一緒だななんてことを思いながら、実に有意義な約40時間の1日は幸せなまま終わっていった。
アラスカ旅日記 ~1st day (前編) 東南アラスカ Hainesへ~2007/9/22 (前編)
久々のアラスカ行きは、土曜日の午後から始まった。午前中は母とともに教会へ行き礼拝に出、その後成田空港へと向かう。そして、成田でチェックインをする時から、今回の旅がやはり少々変わっているものであることを実感したのである。まず、最終目的地までのチェックインができない。経由地までは出るのだが、最終目的地、つまり、東南アラスカのHaines/ヘインズまでのフライトがないというのである。ノースウエスト航空の女性スタッフは「うーむ」と頭を抱えていた。まぁ、NWのフライトは途中までなので仕方ないが、「えーっと、すみません、ちょっとこちらではできないので、お客様ご自身で現地でチェックイしてください・・・。」と、ある意味放り投げられたのである。
予想はしていたが、のっけからこんな調子なので、私はある意味楽しくなってしまっていた。そう、そうだ。こういうのが私の生活には足りなかったのだ。異国の地、旅の途中でなにやら面白い出来事に遭う。そんな機会が足りなかったのだ。私はチェックインをとりあえず済ませた後、お土産を買い、NW8便に乗り込んだ。さして眠ることもできなかったが、機内で「Waitress」という温かくも美味しい映画を堪能し、そして旅のお供である『偶然の音楽』(ポール・オースター著)にどっぷりとはまっていた。
久々に到着したシアトルは、日本よりもぐんと気温が低く、朝ということもあり寒いくらいだった。シアトルから次に向かうのは、またしても経由地となるジュノーであるが、それまでは幾分時間があるため、慣れたシアトル空港内で時間を過ごすことにした。 その後、アラスカ航空に乗り込み一路ジュノーへと目指すわけだが、これまたここでも楽しいことが待っていた。それは、アラスカ行きのフライトというのは、機内に妙なテンションが広がっていることなのである。機内に足を踏み入れた瞬間、「これは修学旅行ですか?」と言わんばかりに、みんなが楽しげに話をしているのである。もちろん、そんなわけ無いのだが、知らない人同士、そしてフライトアンテンダントまでが、妙に明るく楽しく盛り上がっているのである。そう、いつも思うのだが、アラスカ行きのフライトというのは不思議な「仲間意識」みたいな空気が広がっている。今日も、そんな愉快なフライト(別に特別なプログラムがあるわけではもちろんないのだが)の中、スナックやジュースを頂きながら、私はジュノーを目指していった。
シアトルを出てから約2時間、眼下にはアラスカ独特の景色が広がり始めていた。雪をかぶった山々に、キラキラと輝く海の水面。あぁ、やっと来られた、アラスカに。いつもそう思うのは、この景色を目にしたときなのである。何度も見ても、飽きることの無い、アラスカの大地。ようやく戻ってきたことに幸せを感じていた。
無事にジュノーに到着し外に出ると、ぐんと気温が低い。頬に当たる風が冷たくも心地よく、遠目に雪山やグレイシャーを眺めながら、アラスカにいることを実感する。これから数日、この北の大地にいられると思うと、体中がウキウキしてしまう。
ジュノー到着後約1時間で私は次のフライトに乗ることになっていた。チェックインカンターを探すが、どういうわけか見当たらない。フライトはアラスカ航空ではなく、Wings of Alaskaという会社なのだが、なぜか見つからないのである。不思議に思い、ジュノー空港の狭いターミナルをきょろきょろしていると、なにやら不思議なものを発見した。そこには、「Air Taxi」の文字がある。エアタクシー・・・。もしやと思い、その看板にしたがって歩いていくと、そこにはいくつかのエアタクシー会社のカウンターがあったのである。そう、私が乗り込むWings of Alaskaは、飛行機というよりも、タクシーだったのだ。とはいえ、私はこの時点では、まだ目の前でこれから展開されるであろう事態を予想さえできていなかった。しかし、チェックインをする際から、なにやら不思議な空気に気がつき、「もしや、とんでもないことが起きるんじゃないか・・・」と、びくびくすることになったのである。
チェックインの際、「ネットで予約しました」と告げたところ、名前を確認され、いつものように「荷物はいくつ?」と聞かれたわけだが、そこからもうすでに何かが違うことを感じていた。「1個だけだよ」と答え、バゲッジを預けようとすると、スタッフにこう訊かれたのだ。「その、バッグパックもあなたの?」と。私の足元には、機内持ち込み用のリュックを置いてあった。私は「うん、そう」と答えると、彼女はこういってきた。「貴重品と壊れ物以外は、全部預けて」と。私は全く意味がわからなかった。リュックは機内に持ち込むつもりだったのだ。それに貴重品と壊れ物を入れればいいのだろうと、いつものようにおもっていたのである。しかし、彼女は何度もこういってきた。「とにかく、リュックも預けて」と。私は意味がわからずキョトンとしてしまっていた。すると、私の理解不可能な様子を見たその女性スタッフは、こうも加えてきた。「とにかく、ちっちゃな機体なの。荷物を入れるところもないから、リュックも持ち込めないの。とにかく、そのリュックも預けて」と。私はよく事態を飲み込めないまま、とりあえず言われるままにリュックを預けることになった。「なんでリュック一個もダメなんだ?」と思いながらも。そして、「しばらく待っててね。ゲートはここだから。」と、彼女は教えてくれた。しかし、私は搭乗券をまだもらっていない。「搭乗券は?」と訊くと、こう、返されたのである。「ボーディングパスはないわよ。チケットレスだから」と。私はなんだか心配になった。飛行機に乗るのに搭乗券なしで大丈夫なのだろうか。そんなことを思いながら、不安を覚えながらも、ただ言われたように待合室で時間を過ごしていた。
しばらくすると、出発予定時間になにやら人が集まり始めた。とは言え、そこにいるのはほんの数人である。なにやら乗客リストを見ながら、先ほどのスタッフが乗客の人数を数えている。そして私と周りの人にこう言った。「彼についていって」と。そう、彼というのはパイロットである。いたって普通の格好をしているが、ちゃんとパイロットらしい。そして、そのまま着いていき外に出ると、そこにはたくさんの飛行機が並んでいた。いや、飛行機というよりも、きわめて小型のプロペラ機である。しかも、ほとんど1~2人乗りのものがおおい。そう、エアタクシーというのは、数人乗りのプロペラ機を意味していたのである。私は目の前のいくつもの機体を眺めながら着いていくと、そこには少し大きめのプロペラ機が待っていた。というよりも、かなり大きいほうに入るらしい。中に入ると、8人シートである。乗客は私を入れて、4人。そしてパイロット1人を入れて、全員で5人のフライトである。私は人生至上最も小さなその機体に、かなりの不安とささやかな興奮を覚えていた。何せ、そのプロペラ機、とにかく小さいのである。どうりで、「荷物は全部預けて!!」と何度も言われたわけである。しかも、このフライトには、目的地のヘインズに住んでいるであろう人々が、大都市ジュノーで買ったとおぼしきものすごい量の食品や生活雑貨を預けたりしているので、ちょっと怖くもある(ちなみに、ジュノーはアンカレッジ、フェアバンクスに続いて、アラスカで3番目に大きな都市であるが、実は、アラスカ州の州都である。が、意外と知られていない)。「ひぃ~、落ちたらどうしよう~」と思いながらも、私はシートベルトをしっかりと締め、フライトの時がくるのをどきどきしながら待っていた。
かつて誰かが言っていた、「小さな飛行機ほど、意外と落ちなくて、むしろ安全」というのを私は心の中で思い出し、「お願いだからちゃんと無事に着きますように・・・」とただただずっと祈っていた。滑走路まではゆっくりと進み、その後、一気に加速をしはじめたと思ったら、あっという間にふわっと機体が空に浮きはじめた。そして、ぐんぐんと空へと駆け上がり、ものの数分で機体が安定し始めた。眼下には、ジュノーの町並みやグレイシャーが見える。そして、何より、東南アラスカ特有の森と海、そして入り江の素晴らしい景色がどこまでも広がっている。飛行機のように上空高くまで上がらないので、山々や氷河をかなり近いところから眺めることができる。小さな島が浮かぶ入り江を眺め、少し霧がかった幻想的な東南アラスカの光景を見ていたら、恐怖感はどこかへ消え去り、幸福感が満ちてきた。眼下の穏やかな海面には、機体の影が映っている。プロペラの音と、エンジンのうなる音を聞きながら、私はこの世のものとは思えないほどに美しい東南アラスカの景色に、ただただ見入っていた。約40分のフライトは、単なる移動手段ではなく、大自然を堪能するような素晴らしい遊覧飛行であるように思えた。実際、ヘインズまではジュノーからフェリーも出ており、景色もそしてプライスもかなり魅力的なのだが、時間が圧倒的にかかることもあり、今回はフライトを選んでいたのである。とは言え、空からの眺めは実に素晴らしく、感動的な時間であったことに違いない。
今までの人生の中で、最も素晴らしい空の旅であったことに、私はつくづく幸せを感じていた。
(後編に続く)
※なんだかよくわかりませんが、Live スペース、写真のシステムが変わったようです。見やすくなったらちょっとありがたい。
2007年10月 アラスカに呼ばれて
2007/9/21
「アラスカに帰りたい。」
そう思い始めてから、かなりの時間が過ぎるようになっていた。思えば今年の春のころ、確かに「夏休みはアラスカへ」と決めていたのである。いや、決めていたというよりも、単なる願いであったわけだが、それ以降、仕事の変化や日々の生活の変化が劇的に続き、結局アラスカ行きの願望は、ある種「不可能」という文字で覆いかぶされるようになってしまっていた。夏休みは近場で済ませ、長い休みも取れないだろう。そう、思っていたのである。
そんな矢先、確かそれは8月の頭ごろだ。手元に届いた『日経エコロジー』を何気なく開くと、そこにはとある広告が掲載されていた。そして、突如見覚えのあるような景色が、目の前に広がっていったのである。見出しを読まずとも、解説を読まずともわかる、その光景。そして、そこには、私が心の中でずっと行きたかった場所の名前が、予想通り、躍っていたのである。
広告ページに掲載されていたもの。それは、『ナショナルジオグラフィック』の特集記事の紹介だった。その瞬間、私はもう、心に決めていた。そう、そこにあったのは、私がこよなく愛する土地、アラスカの森の様子だったのだ。森の名前は、「トンガス国有林」。東南アラスカに位置する、世界でもきわめて貴重で広大な温帯雨林の森なのだ。日本人には全くと言っていいほどに、なじみの少ないトンガス国有林。しかし、その森の写真を一目見ただけで、そして森の名前を目にしただけで、私の中では、もう一瞬にして心が決まっていた。
「やっぱり、アラスカに帰ろう」。
そう、その瞬間、私の中で、アラスカに行くことが決まったのである。前々から大きな仕事が一段楽するであろう9月の終わりに、少し休みをとりたいとは思っていたのだが、さすがに近場とは言えないアラスカには足を伸ばせないだろうと思っていたのである。しかし、『ナショナルジオグラフィック』の広告を見た瞬間、なんだか、自分が呼ばれているような気がしたのである。そして、もう、これは逃してはいけない機会だということを、直感的に判断したのである。
それからの私の行動は本当に早かった。夏休みをこの時期にとることを周りに宣言し始め、そして同時に情報収集と航空券の手配などを進めていった。連休と有給休暇をつなげ9日間という、私にとっては久々に長い休みである。もちろん、以前は2週間近く夏休みをとることなど、さして何の問題もなかったのだが、今ではそんな贅沢、そしてワガママが通用することも無い環境に身を置いているのである。1週間以上の連休は、実に久しぶり。少々無理を強いても、この機会を活かさなければ、私はもうアラスカに行けなくなってしまう。
そんな思いから、私は頭の中でプランを練り始めていった。東南アラスカはすでに訪れているが、今度はどの新しい町を訪れようか、そして、どこでどうやってトンガスの森を歩くことができるだろうか。1週間以上考えたところで、大方の旅のプランはできあがっていた。6泊9日、3都市周遊というある種の強行日程だが、それでも行けるだけでありがたかった。久々のアラスカ行き、1年半近く訪れていない北米大陸に、私はもうワクワクした気持ちを抑えることができなくなっていた。
旅を計画してから1ヶ月以上が過ぎた。旅の前夜、仕事を片付けながらも、胃がキリキリと痛くなってくる。平日4日間を有給休暇に充てるというのが、これほどまでに大変なことは、一度たりとも無かった。何かが起きたらどうしよう。仕事でミスがあったらどうしよう。問題が起きたらどうしよう。やり残したことがあるような感じがして、どうにもこうにも気が気ではない。私は誰もいないオフィスに一人残りながら、ここまで面倒を覚えつつも旅に出ていいのだろうかという自問自答を繰り返していた。先輩や後輩からは「全部忘れてリフレッシュしてきて!」とは言われていた。しかし、同時に、こうも言われていた。「でも、絶対、帰ってきて」と。確かに、現実を考えれば、私は帰りの飛行機のチケットなど、予約さえしたくなかったのである。オープンチケットで旅ができたらどんなに楽しいことだろう。そんなことを思いながらも、残った仕事をすべて片付け、私は深夜、帰途に着いたのである。
旅の始まりは、いつでもあわただしい。しかし、これが、最近行っていた「旅行」ではなく、実に久々の「旅」であることを、私は自分自身の心の中で感じていた。
リュックを背負い、一眼レフを持つ。私の遅めの夏休み、そして6度目のアラスカ行きは、初秋の頃、ようやくこうして始まっていった。
2007年1月 世の中は、やっぱりなんだかつながっている。2007/1/12 午後3時前、私は表参道のとある場所へと向かった。環境関係のシンポジウムを聞きにいくためだ。途中から入ったためそぉーっと席に着き、スピーチに耳を傾ける。ここに来たのはいつぶりだろう。確か2年ほど前には足繁く通っていた。今日ここに来るのは5度目かそこいらだ。 2年ほど前私がここに来ていたのは映画「地球交響曲」を見に来ていたためだ。この映画は元NHKの龍村仁監督が15年近く前から作成されており、長年にわたり第一番から第五番までが日本各地様々な場所で自主上映されているという少し変わった映画である。私は第一番以外はすべて見ているが、特に印象的だったのは、やはり初めて見た、そして一番映像が心に残った第三番の星野道夫氏の映像だ。今年の春には待望の第六番が上映される予定らしい。 「ここ来たの久しぶりだよな~。また地球交響曲見たいな~」。そんなことを思った矢先、携帯にメールが届いた。こんな時間に誰だろうと思って、メールをチェックすると思わず声を出しそうになった。なんと地球交響曲上映案内のメルマガだったのだ。私はあまりのタイミングに「ひぇ~っ」となった。なにせその、メールそんなにしょっちゅう来る物でもない。あんまりにもドンピシャなタイミングにしばし呆然としてしまう。いやはややっぱり世の中というのは、色んな物がいつもどこかでつながっているものである。 シンポジウム終了後、急ぎ足で地下鉄に乗り込み一路有楽町へ。今夜は青森県のむつから友が来ているのだ。約3ヶ月ぶりの再開でワクワクである。 無事に友と合流後、「なんか異国情緒のあるご飯が食べたい」という希望に応えて、お気に入りの多国籍料理のお店へと出向くことにする。味も安定して、雰囲気もいいし、スタッフも明るい。そして値段もリーズナブルという使える店である。風邪気味の私たちにぴったりな食材やスパイスを使ったメニューをお腹いっぱい頂いて満足のまま店を後にする。 いつもならご飯のあとにはカフェでゆっくりといった感じだが、今回は急遽の約束だったため、7時過ぎに友と別れて私はひとり日比谷にできた富士フィルムのフォトサロンへ向かう。こちらもつい一週間前に富士フィルムの方から案内を頂いたイベントなのだ。友とはまた明日会うので早めの時刻に別れて、日比谷へと急ぎ足。なんだか今日は珍しくスケジュールが詰まっている1日である。 15分ほどの遅刻でフォトエントランス日比谷へ到着。今まで訪れたことのない場所だったため、いささか迷うがなんとか到着。今宵の目的はオーロラ写真のスライド&トークショーだ。写真家は田中達也氏。今まであまり存じ上げていなかったが、そうそうたるオーロラ写真を撮影しているらしい。オーロラ、そして北の大地がこよなく好きな私にとっては、願ってもないチャンスである。しかも、つい先日、NHKで星野道夫さんのアラスカドキュメンタリーを見て、この夏にすっかりアラスカに帰ることにしている私には、これまたいいタイミングである。しかもしかも少し余談になるが、不思議なことに、アラスカ行きを考え始めて、いつものようにキャンプツアーTREKAMERICAのパンフレットを取り寄せようかと思った日の翌朝、私のもとへTREKAMERICAからメールが届いている。こちらも数ヶ月に1度しかやってこないメールで、そこでは新作パンフの案内がされていた。いやはや、やっぱりなんだかつながっていて上手くいっているではないか。うーん、シンクロ現象と言うか、ありがたい運と言うか、縁というか。 そんなわけで、ワクワク楽しみになりながら、スライドショーの会場へ。新しい場所と言うこともあり、シンプルで素敵な空間で、田中氏の臨場感溢れるオーロラの撮影話や、もうそれはそれすんばらしいほどのオーロラ写真のスライドを見せていただく。田中氏は、カナダのイエローナイフを拠点に活動しているらしいが、アラスカの話も出てきて、非常に面白い。さらに、撮影方法やオススメの機材など、様々なテクニックを教えていただき、私は身を乗り出して聞いてしまう。会場にいる方は20名ほどで、男女半分くらいずつ、そして比較的大人の方が多い(つまり、私よりもだいぶ上)。やはり、オーロラ写真を撮るには、金も時間もかかるということか・・・(私にはキビシイ・・・)。とはいえ、私は人よりもマニアックな場所に行くだけの気力とツテだけはある。というわけで、自己満足なアラスカ写真をこれからも撮り続けたいなと思った次第である。 さて、このサロンでは1月24日まで、この田中達也氏のオーロラ写真展が開かれている。田中氏自ら、「世界で一番と言えるだけのオーロラと写真のクオリティー!」とおっしゃる以上に、それはそれはすごーーーいオーロラ写真が展示されている。もうそれは、この世の物とは思えないほどに美しく、幻想的で、そしてどこか神秘的な実に実に素晴らしい世界だ。大概オーロラ写真と言うのは、「うーん、ちょっとなんかもうちょっとキレイなのないのかなぁ」とも思ってしまうようなものも実際あるのだが(アラスカでポストカードを端から端まで見てもそう思ったりすることも多い)、ここで田中氏によって表現されているオーロラは、見事としかいいようがなく、また、写真としてもクオリティーもとんでもなく高い(実際、富士フィルムの最新技術が使われているらしい)。これで、無料の写真展なんだから、ありがたい限りである。 心が満たされた後、日比谷のフォトエントランスを後にし、帰宅の途へ。なんだかアラスカに導かれているような気がする、今日この頃なのであった。 《追伸》 フォトエントランス日比谷は有楽町から徒歩5分ほどです。少々わかりにくいですが、お近くにいる方は、ぜひどうぞ。 2007年1月 アラスカに呼ばれて2007/1/7
真夜中1時前。
お風呂に入ってじーっと本を読んでいると、ふと時計に目が行く。
0時53分。
「よし、1時まで本を読んで、お風呂を出よう。で、早く寝よっと」
そう思って私は本の続きを読むことにした。あと7分あれば数ページは進むだろう。
が、しかし。
「はっ!」と気がついたときにはだいぶ時間が過ぎ去っていた。
時計は、すでに1時22分。「あぁ~、しまったぁ~」的な展開である。
結局私は1時間近くもお風呂で本を読んでしまっていた。早く寝たかったのにもかかわらず、1時半過ぎにようやく自分の部屋に戻ることになる。
そんな時だ。ふと、テレビをつけてチャンネルを変えていると、なにやらものすごい引力で映像にひきつけられる。
「あれ、、、、アラスカだっ!!」
そう。映っていた映像はまさしくアラスカだったのだ。一瞬にしてその大自然の映像がアラスカとわかってしまった私は、次にその番組がなんなのかを頭の中で考えてみる。
「うーん、この声は、、、、あ、オダギリジョーだ。ってことは、これは、星野さんの番組だっ!」
そう、実は、この数日前。NHKの夜の番組で、写真家の星野道夫氏のドキュメンタリー番組が放映されていたのである。ナレーションはオダギリジョー氏。放送当日、新聞でその番組に気がつきながらも、私は運悪く見過ごしてしまい、再放送しないかなと思っていたのである。
それにしても早い再放送。とはいえ、時刻はすでに1時43分。おそらくは1時からの番組だろうからあと20分もないだろう。
そんなことを思いながら、私は一応録画をしながら画面の中の大自然にどっぷりと浸っていた。どうせなら最初から見たかったなーと思いながらずっと見ていると、なぜだか時計は2時を過ぎている。
「あれ?何時までだこれ?」
そう疑問に思っていると、番組構成は、2章へと続いていく。
「へ?今まで1章だったの?え?何時までよこれ?」
そんな疑問をずっと胸に抱きながら、私は大好きなアラスカの素晴らしすぎる自然に引き寄せられていたのだが、結局番組が終わったのは2時35分。つまり私は1時間近くを見られてしまったことになる。なんだか嬉しいではないか。もうこの時点で、私はまだおぼろげにしか固まっていなかった夏休みの予定を確かなものとしてしまっていた。そう、夏はアラスカだ。1年数ヶ月ぶりにアラスカに帰ろう。そう、心を決めてしまっていた。
実は以前から、今年は風水的に北東の方角が万人に良くないことを知り、「うーん、アラスカ、北東なんだよなぁ」と迷っていたのである。しかし、この番組を見て、一瞬でそんなことも吹き飛んだ。一見、地味でたいした労力をかけていなそうな番組であるが、実に実に実に、相当な時間と労力、そして資金がかかっていることがよくわかる番組であったのだ。なかなか見ることのできないアラスカの自然をあれだけ見せられ、そして星野さんの語る珠玉の言葉を聴けば、私の夏休みもいとも簡単に決まってしまうというわけである。そして、私は遅まきながら気がついた。アラスカに行くにはいったん東の方向のアメリカ本土に渡り、そこから北西方向のアラスカへ飛ぶことになる。つまり、何にもしなくても方違えが出来てしまうわけである。これで、方角の問題も特に困らない。うん、なんてバッチリなのだろう。そんなことを思いながら、私は深夜3時ごろ、ベッドに入って眠りについた。
翌朝、新聞を見て気がついたこと。それは、昨晩の放映時間が1時40分からだったということだ。つまり、私がテレビを付けた直前に番組は始まっていたわけである。なんの予備知識も無く、ドンピシャなタイミングで星野さんの番組をフルで見られたことはある意味ものすごく運がいい。もしもあの時、お風呂で本を読み更けていなかったら、テレビが始まる前にベッドにもぐっていたかもしれない。
そう思うと、なんだか呼ばれているような気がしてくる。そう、大好きなアラスカ、そして、自然たちに。
なんだか不思議な力と、素晴らしいタイミングに感謝。
2006年8月 星野道夫の世界へ2006/8/11
星野道夫氏の写真については、いまさら説明などは無用だが、アラスカをこよなく愛する私にとっては、格別の思いがある。私が初めてアラスカに訪れた直後にも、この銀座松屋で写真展が開催されていたものだった。
場内に入ると、目の前にはアラスカの大自然が広がっている。その自然はどれもが愛しく、そして全てに星野氏の並々ならぬ愛情が込められている。アラスカの土地は決して美しく、優しいだけの土地ではない。とりわけ冬の厳しさは、想像を絶するのもがある。マイナス35度の世界までしか体験したことが無い私でさえ、その容赦無い厳しさは身を持って実感している。アラスカならではのホッキョクグマの撮影なんて、おそらくマイナス50度~60度くらいになっているのだろう。何時間も何日も極寒の地で待ち続けて、ようやく撮影したであろうホッキョクグマたちが星野氏にとって愛しく無いはずがない。他の動物達だって同様だ。例えばカリブーの群れや、アザラシの赤ちゃん、ホッキョクギツネやジャコウウシ。どれもが可愛らしく、そしてどれもがたくましい生命力をたたえている。こんな写真を撮ることのできる感性と、そしてアラスカへの深い愛情を持つ星野氏を、私は心底すごいと思っている。
星野氏の写真で目を引くのは、やはりホッキョクグマやカリブーの群れ、ザトウクジラやマッキンレーなどのアラスカのシンボル的なものが多い。もちろん私はそれらが大好きなのではあるが、他に密かに好きなのは、東南アラスカで撮影された多雨林の森の写真である。世の中には、こんなに多様な「緑」色があるのかと思うほどに、深く、静かな木々の写真である。あまり派手ではないし、写真集などでもそれほどページを割かれてはいないのだが、苔むしたアラスカの木々からは古代からのエネルギーが発せられているようで大好きである。他にも、アラスカらしいベリーの数々をいっぱいに並べた写真、地面の青々とした苔を撮った写真、雪をかぶった葉っぱや、芽吹いたばかりの小さな花の写真など、地味で小さい生命を撮った写真も美しくて大好きである。もっともっと多くの写真を残して、アラスカの素晴らしさをより伝えて欲しかったなと、しみじみ思う。
魂をすっかり抜かれて、写真展を後に。「アラスカ帰りたいぃ~」と思いながらも、なぜだか無性にアジア料理が食べたくなってくる。大箱ダイニングのMonsoon Cafeなら入れるだろうと、8時過ぎに店を訪れ、またしてもベトナムフォーに舌鼓を打つ。「もうしばらくアジア料理はいい・・・」とカンボジアで豪語していたのにもかかわらず、帰国後2日でこの有り様。
私の体と心は一体どうなっているのだろう。
2006年5月 アラスカ旅日記《8th&9th Day》 ~アラスカモードもそろそろおしまい~2006/5/6~7
朝8時ごろ、ベッドで目が覚めるが、ものすごく眠い。天気がよければ素敵なポートランドの町並みを写真に撮ろうと思っていたのだが、カーテンを開かずとも、空が曇っていることが分かる。写真は断念だ。
昨晩に引き続き、うにゃうにゃモードのまま9時すぎまでベッドでまどろむ。ベッドで心ゆくまで寝られるって幸せと思いながら、日本に帰るのいやだなぁと心底思う。しかし、帰らねばならない。恐ろしい仕事が私を待っている。。。
身支度を整え、チェックアウト。荷物を背負い、MAXの乗り場まで行くが、見事に行き過ぎて、乗ろうと思っていた空港行きの電車を見逃すことになる。がーん。仕方ない。チケットを買おうかと思い、お財布を出していたところ、突然後ろから声をかけられる。「ん?」と思って耳を傾けると、「あの、チケット買いたいんですけど、5セント足りなくて。。。もらえませんか?」という、その男の子。発音と風貌からどうやらドイツからきた観光客な感じだ。しかし、悪い人でもなさそうだし、お財布には小銭がじゃらじゃらと入っていて重いので、「いいですよ、でもちょっと待ってて」と言ってみる。アメリカではよくお店のレジに1セントがたくさん置かれていて、勝手に使っていいというシステムもあるのだが、こんな風に言われたのは初めてだ。「あ、ごめんなさい。待ってます。どうもありがとう」と実に控えめな男の子。しかし、日本人だったらこんなこと出来ないよな・・・と驚きつつも、5セントをあげること。しかしその直後、その様子を見ていたであろうアメリカ人男性(推定50代)から「8セント足りないんだけど、ちょうだい」と言われてしまう。「なんだそりゃっ!」と思い、財布の中身を見るふりをしながら「うーん、無い!」と答える(冷たい・・?いや、普通でしょ・・・)。
その後、ドイツ人らしき男の子がまた近づいてきた。「買えた?」と訊くと、「はい、ありがとう」と言う彼。しかし、私にそのチケットを見せながら、こんなことを訊いてきた。「これって14時20分までですか?」 私はなんのことか分からず、「うーん、たぶん1日使えると思うよ」と言うと、安心した様子で離れていった。しかし、これは大きな間違いであったということに、私は少し後で気がついてしまう。MAXには色々なタイプのチケットがあり、1日~数日間などの乗り放題チケットもあるのだが、一番ベーシックなチケットはなんと2時間の時間制限があったのだ。私もそれまで知らなかったのだが、彼が言った「14時20分」というのは、そのチケットのタイムリミットだったのだ。私は心の中で「ひぃー、ごめんなさーい」と平謝り。とは言え、「チケット見せなさい」と言われることはおそらくほとんど無いので(駅員も改札もないし)、彼が1日誰にも見つからず、無事に乗り放題を満喫できたことをただひたすら祈ったのだった。。。しかし、11時に買ったチケットが何で14時過ぎまで使えるのか、疑問っちゃ疑問ではあるが・・・。
MAXに乗り込み、ポートランド空港へ。チェックインを済ませようとすると、ノースウエスト航空の係員にこんなことを訊かれる。「明日お帰り頂ければ、ビジネスクラスのお席と今日のホテルをご用意しますが、ご興味ありますか?」とのこと。毎度毎度聞かれるオーバーブッキングの際のボランティア募集である。シアトル空港でも毎回訊かれるこの台詞だが、一度でいいからやってみたいと心底思う。だって、ビジネスクラスで帰れないとはしても、数万円分のクーポンとか、あるいはアジアまでの航空券もらえちゃうんだから。あぁ、羨ましい。一度シアトルから帰る際、ゲートの電光掲示板に「ボランティア募集中」と出ていたので、別にたいして急いでもいなかった私は、わくわくしながら「ボランティアまだ要りますかっ?」と訊いたところ、「あ、もういらないです」とむげに断られたことがあった(凹)。しかし、今回は日本のGW最終日着のフライトだ。帰国日を延ばすわけにはいかない。「すみません、どうしても帰らないといけないので」と、断ることに。しかし、その時点では座席が確定できないとのことで、ちょっと不安なままゲートに案内されるはめに。やはり、事前チェックインでボーディングパスを持っていないと、何かと不便である(ホテルのネットでやろうとしたけど、故障しててできなかったのだ)。
その後、カフェに行き、ふらふらと散策。時計でも欲しかったので、なんかないかなーとお店に入ると、顔を覗き込まれながら「日本の方ですか?」と日本人スタッフに訊かれる。「No !」と言いたかったが、「あ、はい」と答えてしまう。しかししかし、ポートランドは日本人が多い。なんでこんなにいるんだ?と思うが、マイナー都市のわりには(NYやLAと比べて)、観光客が多い(ま、直行便があるから、当たり前と言えば当たり前だが)。スノボをしにきたと思われる団体もいる。ブランド物に身を包んだ、日本人もたくさんいる。ずっと日本人と離れていたので、いきなりヴィトンで全身を固めたような日本人を目にすると、私は辟易してしまう。ここ2年ほどで、ようやくアメリカでも現地の人がヴィトンのバッグを持っているところをたまーーーに目にするようにもなったが、いかんせん日本人とすぐバレるのは、ブランド品の所有率の高さなのだろう(もちろん見かけもだが)。とは言え、私はそんなものも持ってないので、おそらく顔立ちで判断されてしまったのだろう。「やっぱり、日本人には日本人が判別できちゃうのね」と納得しながら、時計を見せてもらうが、心に響かなかったので、お店を後にする。
うにゃうにゃぶらぶらしているうちに、ボーディングタイムが近づく。いくつかの買い物を済ませ、ゲートへ行くと、ようやくチケットが渡された。通路側だが、ま、文句も言えまい。これでもエリート会員だからちょっとは優遇されているのだろう。
機内に乗り込み、周りに咳で迷惑をかけないようにと、またしても怪しいVicksの巨大ジェリービーンズ風邪薬を飲む。眠たくならないやつを買ったので、今度は大丈夫だろう。機内誌をぱらぱらとめくり、面白い映画があるかなと楽しみになるが、ここからすでに私はバカンスモードを切り替えないといけないのだ。悲しいかな、ここからは仕事モード。離陸後日本に着くまでの10時間中、約8時間を仕事で費やすことになる。昼間に出て夕方に着くので、睡眠もある意味いらないのだ。周りが眠っていても、まだ気分は昼間。目が覚めているうちにとどんどん仕事を片付ける。途中、食事の際に映画「プロデューサーズ」を見るが、システムダウンで30分ほどで止まってしまう。これで一気に見る気持ちも萎え、結局また仕事。あまりに根詰めて気持ち悪くなり始めた頃、着陸前のライトミール。「オムレツorフライドライス」という不思議なチョイスとキツイ匂いに負けそうになり「オレンジジュースだけちょうだい」とアテンダント(推定50代の陽気なアメリカ人女性)に頼むと、「ずっと仕事してるわね~」と言われるはめに。好きでやってるんじゃないもん~~と思いながらも、仕事とにらめっこ。ふぅ、虚しい。
成田に到着し、ひさびさに日本語を見ると、なんだかくらくらする。体内時計はもう真夜中。「早く寝たいぃ~」と思いつつ、貧血になりそうなまま荷物を持ち、駅へ。「絶対ここでは倒れちゃだめぇ~」と自分に言い聞かせながら、1時間半ほど電車に揺られ、無事に帰宅。
早く寝ればいいものを、NHKでやっていた北極の白クマや、シベリアのタイガ(タイガーではない)のドキュメンタリーを見てしまう。「アラスカ帰りたい・・・」と思いつつ、とりあえず倒れずに無事に帰ってきたので、感謝。
早く体調良くならないかなぁと思いながら、久々に自分のベッドで就寝。明日は長い1日が待っている(泣)。
~*~*~ これにて長い長いアラスカ旅日記、ようやく終了 ~*~*~
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