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    August, 2007

    先人に学ぶ

     
    2007/8/12
     
    久々にどこへも出かけない休みの日。部屋の中でそうだと思い出し、クローゼットをごそごそと探してみる。
     
    約1年ぶりに見つけ出したもの。それは、風鈴。
     
    環境問題を身近なものとして感じるようになったのは、4、5年前からだ。環境の知識と経験の量が増えるのと反比例するように、 それまで夏に当たり前につかっていたクーラーの使用量はぐんぐんと減り、今では自分の部屋ではどんなに暑くてもクーラーをつけることはなくなった。もちろん、部屋にいるのは、平日の夜中と土日しかないわけだが、いくら夜中でも熱帯夜はあるわけで、それはそれは結構自分でもつらいわけである。
     
    仕事が少し落ち着いたお盆シーズンに入り、ふっと私は風鈴の存在を思い出した。そうだ、今年はまだ出していなかった。いつも出すのは7月ころだったが、今年はすっかりその存在すらも忘れかけていた。
     
    時おり吹く風に揺られ、チリンチリンと涼しげな音を奏でているガラスの風鈴。
     
    音に涼を感じ、心と体の清涼感を求めた先人の知恵、
     
    これこそ今、一番見習わなければならないものなのだろう。
     
     
    August, 2007

    ある朝のこと

     

    2007/8/11

     

    朝、目を覚ますと、時計が8時半を示していた。思わずわが目を疑い、もう一度良く見たが、やはり時間は同じく8時半である。私はあわてて飛び起き、階段を転げ落ちるように下りながら、思わず「遅刻~!!」と半狂乱状態で叫んでいた。一体全体こんな時間までなんで私は眠っていたんだろう。なんで母親も一声かけてくれなかったんだろう。

     

     

    「遅刻~っ!!」

     

     

    そう言いながらも、廊下で立っていた母を見ると、なんだか私をきょとんとした目で見ている。とっさに私は母にこう訊いていた。

     

     

    「今日、何曜日っ?!?!」

     

     

    すると母は、ぽかんとした顔をして、こう答えた。

     

     

    「今日、、、土曜日よ、、、??何してんの・・・・??」

     

     

    「はっ!!!!!!しまったっっ!!!!!!」

     

     

    そう。あわてて飛び起きたものの、今日は休みの日だったのである。目覚ましをかけないで寝たわけで、寝坊したわけではないのである。

     

     

    「・・・・・なーんだ・・・・・。よかった・・・・・・。」

     

     

    そう私は安堵を覚え、ふたたびベッドに戻っていった。

     

     

    相当、疲れてる・・・。そういうことにしておきましょう。

     
     
    August, 2007

    自覚不足

     

    2007/8/10

     

    8時過ぎ、仕事帰りに銀座へと向かう。足を運んだ先は通いなれたリラクゼーションサロン。今日はデトックスと足のマッサージの予約を入れていたのである。いつものようにケアを受け、眠りに落ちそうなほどにリラックスをしていると、最後にスタッフさんからこんなことを告げられる。「相当、疲れたまってますね。ガチガチですね」。そう、そうである。ここ数ヶ月、様々なタイプのマッサージサロンなどに駆け込むと、施術をしてくれるスタッフさんから、驚きと同情のような面持ちで、「大丈夫ですか・・・?」と心配されることが多いのだ。私自身、体の疲れは重々感じているが、実は自分で思っているよりもその度合いはひどいらしい。「このままいったら、体動けなくなりますよ」。そう、整体の先生からも釘を刺されたが、自分ではかなり麻痺しているらしく、自覚が少々足りていないらしい。

     

    「夏休みはゆっくりしてくださいね」。そうは言ってもらうが、夏休みらしい夏休みも長くとれず、結局今月も普通にしっかり働いている。体のこと、仕事のこと。結局、一番身近な自分のことはいつでも後回しになりがちである。

     

     

    根本的な解決の糸口は、いったいどこかにあるのだろうか。

     

     
     

    夏の動線

     
    2007/8/9 

    夏休みシーズンに入ると、日常の生活圏にある種の変化が生じてくる。別にそれは私の生活が直接的にそして劇的に変わるという意味ではなく、とりわけ私の日々の移動時にとある変化が生まれてくるという意味である。何かといえば、夏休みシーズンになると、それまでダークスーツのサラリーマンばかりだった街に自然と変化が生じるということだ。とりわけそれは、駅構内での変化が顕著で、私は(いや私以外の人の多くもきっと)、ちょっと困るときも正直あるのである。何のことかと言うと、そう、人の流れ、動線のことだ。普段であれば、早めのスピードで流れていくサラリーマン&ウーマンの流れが、この時期になると一気に遮断され、スムーズでなくなるのだ。夏休み時期に東京へ遊びに来たり、どこかへ出かける人でごった返す駅構内では、それまで普通にあった通勤の流れがさえぎられ、大荷物を持ったり引っ張ったりする私服姿の人々によりどことなく無秩序な流れが生み出されている。しかも、大きな荷物をひっぱったり大人数で移動しているため、普段の調子で足を進めている人には、しょっちゅう足を止める原因にもなる。また、子供連れや地理に慣れない人も多く、いたるところで人が立ち止まったり、きょろきょろしていたりする人も多い。しかも、突如こちらには予期できない動きをする人も多く、おちおち下を向いて歩いていられないというのが本当のところなのである。どこで人とぶつかるかもわからず、少々怖い思いもしてしまう。その上、この時期恒例の「ポケンモンラリー」がいたるところで開催されているために、ホームや駅構内ではポケモンの帽子をかぶったり、グッズを首からかけている子供たちも多く、それにともなってスタンプの場所を探しに汗だくになって奔走する(させられている?)大人たちがそこかしこで見受けられたりもするのである。

    そんなんこんなで、いつもよりサラリーマンが少ないわりに、人の流れと動線が極めて悪いため、すり抜けるまでにいつもの1.5倍ほどの時間がかかるのだ。ストレスがかかるが、それはそれで仕方ない夏の風物詩なのである。まぁ、なんだかよくわからない、夏休み独自の奇妙な現象でもある。

    人の流れが変わると、世の中の見え方も変わるのだろう。

    そんなことをしみじみと思っている夏モードの今日この頃。

     

    August, 2007

    外へ外へ

     

    2007/8/8

     

     

    ごく久々に、日中外に出て外部の会合へと向かう。ここのところ外出の機会が全くなくなり、ずっとオフィスにこもっているので、平日の昼間に外に出るのが妙に新鮮である。

     

    ふと思うのだが、昼間に内にばかりこもっていると、人間としての五感がどんどん失われるような気がしてしまう。太陽の光を浴びるわけでも、風に吹かれるわけでも、そして汗をかくわけでもなく、同じ温度、湿度の中でひたすら暮らしていると、五感だけではなく、人間としての生物的な能力も衰えてしまうような感じがする。

     

    疲れていても、土日に外に出たくなってしまうのは、そんな日頃の生活が少なからず影響しているのかもしれない。

     

     
     
     

    五つ星インドにて

     

    2007/8/7

     

    7時過ぎ。いつもよりだいぶ早めの時間に友との食事へと向かう。訪れた先は、私がこよなく愛する南インド料理レストラン、ダバ・インディア。京橋にあるこの店は、私が勝手に☆5つをあげて、何度も通っているレストランだ。南インドというとイメージがわきにくいが、インド版のクレープやチーズピザ、そしてマイルドなカレーにふわふわのナンなどが私のお気に入りだ。今宵も、そんなお気に入りの数々を初めて訪れた友にオススメし、二人で思いっきり美味しい料理を堪能する。美味しい料理に、楽しい話。何よりも、これが、ストレス解消の秘訣だろう。

     

    いいお店、美味しい料理、そして楽しい時間に、感謝。

     

      

    活けると植えるじゃ大違い

     

    2007/8/6

     

     

    最近、私は日々の生活の中で花に触れる機会が圧倒的に増えた。別に自然の中で花を触っているわけでも眺めているわけでもないのだが、職場で花を活ける担当になったため、毎週毎週ありとあらゆる花に接することになったのだ。

     

    とはいえ、私は華道を習っているわけでも、フラワーアレンジメントを習っているわけでもなんでもない。花に関してはずぶの素人なのである。そんな私が花屋さんから届けられる色々な種類の花とにらめっこをして数箇所に花を活けるのだから、かなりえらいこっちゃな事態なわけである。

     

    もともと、木も草も花も好きな私だが、大きな花瓶に活けるのはやはりかなり難しい。毎回悪戦苦闘してかなりの時間をかけて体裁をつくろうわけだが、いつも思うのは、自然の森を作るのと花を活けるのじゃ大違いということだ。特に、宮脇昭先生の「宮脇方式」での植樹の場合、色々な種類を混ぜ混ぜして植え、しかも自然な森をつくるために、きれいに苗木を一列に並べるのではなく、適度な間隔をもたせながらギザギザに植わるようにする。そのため、美的感覚はそれほど重視しないのだ。一方、花を活けるためには、ぐちゃぐちゃに活けていい訳ではもちろんなく、それぞれの花の色や大きさ、そして顔をどう活かしてまとめるかがこれまたえらく難しい。美的感覚のない私は毎回頭を悩まされながらも、「習うより慣れよ」という感覚で試行錯誤しているわけである。とは言え、やはり生きている花を触るのは、精神安定剤の役割も果たしてくれるようで、週に1、2度でも「生」に触れることで、心が落ち着くような気もしている。

     

    いっそのこと華道やアレンジメントの基本だけでも習いたいが、なかなかそんな時間も見つけられない。当分は、自己流かつ「習うより慣れよ」のモットーでいきそうな今日この頃なのであった。

     

      

    August, 2007

    資本は体

     
    2007/8/5

       

    前日、終日寝ていたにもかかわらず、微熱が引くこともなく、かなり体もぐったり疲労困憊モードである。大人になるとどうしてこんなに熱で疲れてしまうのだろう。

     

     

    夕方まで熱が下がりきらず、結局なんの収穫もない土日である。しかもこの体調不良で、金、土と予定をドタキャンし、人様に迷惑までかけている始末である。まったくもって反省、である。

     

     

    健康のありがたみをイヤというほどに自覚した、暑い暑い夏の日。

     

     

    人間は、やっぱり体が、資本です。ハイ。

     

    贅沢な眠り

     

    2007/8/4

       

    前日遅くまで仕事をしたせいか、今日はひたすら睡眠である。熱も結局下がりきらず、微熱を抱えたまま土日を迎えることになる。しかし、暑い夏のさなかの微熱はかなりつらい。しかも、私はクーラーを家ではつけないので、部屋の中は30度を軽く越えている。クーラーをつければ変に寒くなるし、それにちょっとエコじゃない。というわけで、頭を氷で冷やしながら、1日ベッドの上でうにうにと無為に過ごすことになる。

     

     

    ただ、眠り眠り、眠る。

     

    それのみ。

     

    ある意味、贅沢、か。

     

    August, 2007

    睡眠力

     

     2007/8/3

     

    朝目を覚まし熱を測ると、いまだ熱がさがっていない。そしてさらには腹痛と頭痛というトリプルパンチ。休みたいのは山々だが、休めない理由もまた山々なのである。無理やり出社し仕事をしていると、そのままバタンと床に倒れそうなくらい辛く朦朧としてしまう。

     

    昼休み、あまりにもしんどいためちょっと仮眠をと会議室にこもると、あまりにも体が危険だったのか、20分ほど熟睡してしまう。体がぐっと楽になり、睡眠のすごさを身をもって実感したのである。

     

    しかし、この仮眠のおかげでか、体が楽になり、結局10時過ぎまで仕事をしてしまうことになる。この仮眠、良かったのか、悪かったのか・・・。うーむ。 

     
     

    突然の病

      

    2007/8/2

     

    朝ベッドから起きると、なんだか体が異常を訴えていた。とはいえ、何がどうおかしいのかもよくわからない。きっと旅の疲れだろうと仕事に向かい、休み中にたまった仕事を処理することに専念する。

     

    昼過ぎ。やはり体のすべてがおかしい。熱をはかると、案の定微熱。平熱が低い私には、少々厳しい状態である。早く帰りたいと祈りながらもやることは山ほどある。とにもかくにも、目の前の仕事を片付けて、早く時間が過ぎ去ってくれるように心の中で願い続ける。

     

    仕事終了後、ふらふらになりながら帰宅の途へ。かなり珍しく8時なんていう早い時間に家に着き、そのままバタンと自分のベッドへなだれ込む。寝返りを打つことも、体を起こすこともできず、尋常ではない熱さにうかされたまま、朝を迎える。

     

    一体全体、どうなってるんだ。この体は。 

     
     

    内モンゴル明け

     

    2007/8/1

     

    中国から帰国後、いつものように仕事へと向かう。溜まった仕事に半ば嫌気をさしながらも、日常へ戻っていく。

     

    体は思ったよりも、疲れていない。ありがたや。そう思っていたが、それは単なる間違いだった。

     

    内モンゴル明けは、甘くない。

     

    そう気がつくまで、少し時間がかかりすぎた、か。

     

     

    「内モンゴル植樹の旅」 ~5日目 旅の終わり~

     

    2007/7/31

     

    5時ごろ、目を覚まして身支度を整える。 日本への帰国便が朝早いため、6時半にはホテルを出ることになっているのだ。お茶でも飲んで目を覚まそうかと思い、ポットでお湯を沸かしていたところ、寝ぼけていたせいか沸騰しきったスチームで腕に火傷を負う。結局ひぃひぃ言いながら、帰国にいたるまでありとあらゆる方法で火傷を冷やし続ける羽目になる。不注意極まりなく、旅の最後に痛手を負うこととなった。

     

    バスに揺られて北京空港へ。車内で朝ごはんを食べ、空港では残りの中国元で買い物を済ませ、往路とはうって変わって快適な中国国際航空のフライトで無事に帰国。

     

    夕方家に帰ると、姪っ子と甥っ子が姉と一緒に待っていた。ふたりには私とお揃いの可愛いパンダのTシャツをプレゼント。毎度ながら、私はいつも海外に行くたびTシャツを買っている。いったい今まで何枚買っていることだろう。次のTシャツはいったいどこの国のものになることだろう。

     

    長いようで短い5日間。お世話になった皆様に感謝。

     
     
    August, 2007

    「内モンゴル植樹の旅」 ~4日目 再び北京へ~

     

     

    2007/7/30

     

    5時ごろ。明るくなった夜行列車の中で目を覚ます。夜中二度ほど目を覚ましたが、それでも比較的眠りにつけたので一安心である。身支度を済ませ、朝6時ごろに北京へと到着。相も変わらず空はどんよりと灰色で、空気もにごっている。

     

    バスに揺られ北京市内のホテルへ。今宵投宿するホテルは、私にとってはかなりグレードが高く、お部屋に入ってその快適さにびっくりしてしまうほどである。自分ひとりでは絶対泊まれないようなホテルで、こういう時は「ツアーってすごいな・・・」とちょっとだけ思ってしまうものである。朝7時からと言われていた朝食だが、7時にはどうやら準備がまだ間に合っていなかったようで、先に部屋で少々休憩となる。部屋からは木々が見え、いい気分である。

     

    シャワーを浴びた後、再びバスでホテル内のレストラン棟へ。ホテルの敷地が広いので、やたらとバス移動になるらしい。久々に洋食の朝ご飯を食べられて、胃がちょっとほっとする。中国では外国人観光客が泊まるホテルでも、朝は中華料理のみというところが多く、今回のツアーで初めての洋食だったのだ。

     

    久々に胃にフィットしたものを食べて気力が戻ってきたあとで、北京市内の観光へと向かう。まずは、1700年代に作られた庭園の「頤和園」(いわえん)へ。世界遺産にも登録されており、北京の超有名スポットである。私はここも一度訪れているので、その様子は知っていたのだが、今回は夏休みシーズン真っ只中ということもあり、恐ろしいほどの人である。もう、頤和園の中に人がいるのか、人の中に頤和園があるのかわからないほどの人だかりである。さらに、不快指数200%とも言えるお天気。。まぁ、夏に北京にくるほうが悪いといえば、悪いのだが。。。とは言え、園内がすいていて、もう少し涼しい時期に来れば、楽しめる観光地であるには違いない。

     

    そんな頤和園の見学を足早に終えた後、次に「明の十三稜」へと向かう。ここは私も初めてなので、なかなか興味深い。明時代の皇帝のためのお墓というが、かなり地下深くまで掘っており、まるでピラミッドみたいな謎めいたつくりである。中はひんやりとしていて心地よいが、どうも怖い感じもしてしまう。

     

    しかししかし。こういった歴史的建造物を見ると、昔の権力保持者って言うのは、どこまでも民衆を単なる労働力としか思ってなかったんじゃないか、となんとなく思うことがある。しかも、この明の十三稜で聞いた話で最も怖かったのは、このお墓が作られた後、発掘や盗難などを免れるために、関わった労働者すべてを殺害したということだ。あぁ、なんて馬鹿馬鹿しい。あんまりにもアホで開いた口がふさがらない。そんなに地位が高くて偉い人なら、その労働者の将来のためのお墓を建てて、手厚く看護するくらいすりゃどうだと思ってしまう。どこの国でもいつの時代でもそうだが、権力誇示のためにどれだけの人、金、時間を費やすかで競うなよ、と思ってもみる(戦争もある種の権力誇示といえるのだろうか)。

     

    そんなこんなで見学を終えた後、レストランで点心ランチを美味しく頂き、北京観光のクライマックスである万里の長城へと向かう。こちらも世界遺産であり、私にとっても2度目の観光となる。実はこの日、北京市内のお天気は、終日曇りだった。まぁ、曇っているのか、ガスっているのかは判断しにくいのだが、この日は降水確率も高く、お天気が心配ぎみだったのである。しかも、不思議なことに、私たちが爽やかな内モンゴルに行っていた間、北京では大雨が続いていたらしい。相も変わらず、私は雨逃れ女であるようだ。そんなうす曇の空の下、万里の長城へと到着。灰色に曇っている空だが、雨は降っておらず、それなりに観光を楽しめたのが、ありがたい。万里の長城の八達嶺には「男坂」と「女坂」と呼ばれる二つの坂?があるが、以前あまりにもキツイ男坂を登って、貧血で倒れたことがあるので、今回は迷うこともなくまっすぐに女坂へと向かう(どうやらwikipediaによると、この「男坂」、「女坂」という名称は、日本の旅行会社などが勝手に呼んでいるものらしいが、真相はどうなのだろう)。女坂だってかなりの傾斜だし、ひぃひぃ言うくらいなのだが、男坂はほとんどロッククライミング状態なので、それよりはまぁ楽である。久々に万里の長城に登っていると、ここでも同様に、昔の人はとんでもないこと考えるなぁとしみじみ思ってしまう。やることのスケールが、今とは違いすぎる。今もしもこんなの政府が民衆に作らせようとしたら、確実に亡命者が続出するか、反政府組織がすぐに出来上がって国が壊されるかのどっちかだろう。ま、そんなの現実的ではないから、ありえない話ではあるのだけれど。

     

    ちなみに余談であるが、よく万里の長城は「月から見える唯一の建造物」と言われており、私も長らくフツーに信じていたのだが、今回ガイドさんの説明により、それが実はウソだったと知って、ある意味ショックでもあった(2004年に発覚したらしい・・・。誰だよそんな大ホラ吹いたのは・・・?)。

     

    ぜぇぜぇ息を切らせながら、万里の長城を観光した後、お土産を眺めているが、どうもしっくりくるものがない。あとで気がついたのだが、どうやら中国全体の観光土産に共通するのは、どうも「これっ!」というのがないことである。どういうわけか、まったくもって私の買い物欲が刺激されないのである。最初はお店によるのかと思っていたが、どうも違うらしい。そこで色々考えたのだが、おそらくそれは中国独自のセンスにあるのだろうという結論に至った。別に、センスが良い悪いではなく、ただ単に私のセンスとはあわないものが多い気がするのだ(自分のセンスが変なのかもしれないし)。とは言え、ここ1年で訪れたベトナム、カンボジア、台湾などでは、もう買いたいものが沢山あって困っちゃうほどだったので、やっぱりそれは国独特の何かなのだろうということで一応結論付けておいたのだった(これ以上詮索しても仕方ないし)。

     

    万里の長城で時間を過ごし、集合時間を迎えたころ、なんと空からパラパラと雨が降り出した。傘はいらない程度だが、自然にみんなが屋根のあるところに集まり、そのまま集合写真と相成る。ある意味縁起のいい雨だったのかもしれない。その後バスに乗り、北京の中心街へと戻るが、途中からバケツをひっくり返したような大雨となる。道は混み、大渋滞である。なかなか進まないが、大雨なのでそれはそれである意味ありがたい。ようやく渋滞をすり抜け、夕食のレストランへと到着したころ、雨はだいぶ止んでおり、ほとんど濡れることもなかったのである。うーむ、晴れ女のパワーは、ここ北京でも有効なのだろうか。

     

    最後の晩餐とばかりに美味しく食事を頂いた後、バスに揺られてホテルへと戻る。落ち着いた素敵な部屋でテレビをつけると、久々に英語放送の番組を見つける。部屋でゆるゆるとしながらテレビに目をやっていると、BBCで突如安倍首相の映像が流れた。あれ??と一瞬思ったが、単に私が、日本の選挙を忘れていただけなのであった。中国にいながら、「自民敗北、民主勝利」とかいうニュースを英語で聞いていて、なんだか変な感じだなぁとしみじみ思ってしまう。

     

     

    明日の今頃はもう日本か。もっと長い休みが欲しいなぁ。

     

     

    そんなことを思いながら、北京での夜が過ぎていく。

     

     

     

    August, 2007

    「内モンゴル植樹の旅」 ~3日目 内モンゴルに緑を~

     

    2007/7/29

     

     

    8時ごろ林西県のホテルで食事を済ませ、身支度を整えてバスに乗り込む。絶好のお天気の下、バスに揺られること15分ほど。小高い山のふもとに到着し、植樹祭の会場へと向かう。

     

    バスを降りたところで宮脇先生を見つけ、後ろからてててと歩いて挨拶に向かう。先生は、いつもの麦わら帽子と長靴スタイルだ。「先生、これ現地支給ですか~?」と帽子のことを訊くと、「いや、これは日本から持ってきたんですよ」とのこと。やっぱり、である。実は宮脇先生の麦わら帽子というのは、1つだけではなく、いろんな場所でそれぞれの主催者が用意してあることが多い。次から次へとほぼ毎日移動するたびに、その土地ならではの麦わら帽子をかぶっているのである。しかし、今回は日本から自分用のを持ってきたらしい。やはり、内モンゴルでは麦わら帽子をなかなか調達しにくいということもある。良くなじんだ感じで、いつもどおりの宮脇スタイルが、ここ内モンゴルでもできあがっていた。

     

    青空の下、約200名近くが参加して、植樹祭の開会式が始まる。地元の中学生やこの地域の方、そして日本から来た参加者といった構成である。式典が始まると関係者挨拶や、参加している中学生代表の挨拶、そして宮脇先生の植樹指導などが続いていく。炎天下ということもあり、どうやら先生はいつもより少し説明を短くしたようだ。確かに、倒れる人がいそうなほどに暑く、まぶしく、そして乾燥している。私はといえば、おそらくぼーっと立っていれば確実に貧血を起こしそうなほどだったが、今回は例によって宮脇先生のカメラマン役だったので、そんなことも起きず一安心である。約1時間近くの開会式を終えた後、みなで植樹を行う小高い丘へぞろぞろと登り、いよいよ植樹開始となった。

     

    今回の植樹ツアーでは、日本人参加者にはとあるものを持ってくるよう事前にお願いがされていた。それは、実は、シャベルだ。ここ林西県ではなかなかシャベルが手に入りにくく、現地の子供たちへのお土産もかねて、ひとり3本のシャベルを持っていくことになっていたのである。そこで私も、今まで植樹祭でもらってあったシャベルをきれいに洗い、自分用に1本、そして子供たちへのお土産として2本を用意していったのだ。しかし、思ったよりも人数が多かったせいか、自分のシャベルも結局みんなに渡してしまった。まぁ、手でも掘れるし、シャベルがあるないは、そんな大した問題でないのだ。

     

    植樹開始直後、私は最初に木々を植えることよりも、子供たちが植えやすくなるように、大きなシャベルで土を掘り返す作業に専念することにした。雨が降らない地域ということもあり、土は比較的ほぐれやすいのだが、細かな砂がすぐに舞って、体中のいたるところが砂だらけになる。斜めにかけていた一眼レフカメラも、ふと気がつけば、白っぽくなってしまっている。とりわけデジカメなんかであれば、この砂地は相当危険な環境なのだろう。それくらい砂が細かく、乾燥しているのだ。そんな土と格闘を続け、汗だくになりながら、砂まみれになりながらも掘り起こし続けていく。

     

    しばらくして作業がひと段落したので、次に私も植えるほうに回っていく。ほとんど中国語もわからないが、地元の中学生と一緒に、苗木にたっぷりと水を含ませたり、土に植えていく作業を繰り返す。子供たちは中学校23年生らしく、みんな元気に無邪気にそして楽しそうに植えている。素手で苗木を植えているので、みんな手もドロドロ真っ黒だが、そんなことはお構いなし。私も軍手が泥だらけでぐちゃぐちゃになったが、そんなことはまぁ、どうでもいい。今日用意された苗木は、その数5000本。今年一年で50000本植えることになっているらしく、今回はそのうちの5000本を地元の子供たちや日本人参加者が植えるという。残りの45000本については、地元でこのプロジェクトを担当している人たちが、少しずつ植えていくらしい。用意された苗木は、リョウトウナラ(遼東楢)、ホウヅンヅ、ニレなど10数種類。リョウトウナラは日本のミズナラの母種だけあって、葉っぱもミズナラによく似ている。ミズナラは落葉広葉樹で寒いところや海抜の高いところ(800メートルくらいから上)に育つが、形も実にわかりやすく、とっても可愛くて私の大好きな木なのだ。その母種というのだから、私も妙に愛着がわく。大事に地元の人に育てられここまで大きくなった苗木が、この大地ですくすくと育つように、みんな丁寧にやさしく愛情こめて植えていく。植え終わったあとは、苗木の周りに稲藁をたっぷりお布団のようにかけて、日照りや乾燥、風などに耐えられる環境を作ってあげる。これも、いつも日本で行われる「宮脇方式」の植樹の基本だ。

     

    宮脇方式は、世界中のどこであっても、基本は全く変わらない。その土地本来の木々を混ぜて植える。そして、最初の3年くらいは草取りなどの手を加えるが、それ以降は森自身の自然な管理に任せる。植樹後の数年で木々がある程度大きくなれば、あとはメンテナンスフリー、つまり管理費がいらなくなるのである。だからこそ、宮脇方式はとりわけ途上国でも広く受け入れられている。いくら自然を回復することが必要でも、そう頭でわかっていても、莫大な資金を半永久的に必要とするのでは、長く続かないし、誰もやりたがらない。永久的に持続し続ける本物の森を、ローコストで蘇らせる。これこそが、今一番必要とされていることだろうし、広めるべきことでもあるのだろう。そんなことを暑い暑い内モンゴルの青空の下でふと思ってしまう。ここで植えた苗木もあと5年ほどたてば、おそらく3~5メートルくらいの森に成長しているだろう。もう一度訪れることができるか、それは私にもわからないが、ここで厳しい条件にも負けず、すくすくと青空に向かってまっすぐ成長して欲しいなと思う。

     

    まぶしい太陽の下、すべての作業が終了すると、始めたころよりもみんなの顔が圧倒的に明るく爽やかになっていることに気がつく。植樹を続けていて印象的なのは、子供たちの表情の変化のすごさだ。これは世界中共通だが、半ば無理やりつれられてきたような子供でも、終わるころにはすっかり別の顔となり、生き生きして血の気が蘇ったような、そんな顔をしているのである。宮脇先生はいつもこうおっしゃる。「木を植えること、木を植えたいと思うこと、それは人間の本能です」。たしかに、私も数々の植樹祭を通じて、心底そう思うようになった。人間の本能でもあり、また同時に、人間らしさを取り戻すための営みでもある。きっといま、木を植えたい、植樹祭に行ってみたいと思っている人が、そこかしこですごいスピードで増えているということは、みんな本能的に何かを感じ取って、何か行動を起こしたいと考えているからに他ならないのだろう。そのためにも、いま、何を考えるべきなのか、何をすべきなのか。それは私の中でも常に大きな課題としてありつづけている。

     

    植樹祭終了後、ホテルに戻りシャワーを浴びた後、参加者全員でお昼ご飯となる。一緒に木を植えた中学生も揃い、和やかな空気の中楽しく食事が進んでいく。お昼を終えた頃、ふと気がつけば、私がいた席に宮脇先生が現れた。翌朝から北京での仕事を控えているという先生。「あやのちゃん、また日本でね」と握手をして頂き、先生とはここでお別れになる。相変わらず、先生のスケジュールは忙しい。ちょっと心配でもあるのであった。

     

    食事終了後、荷物をまとめ、バスに揺られてホテルを後にする。 これからは林西県から赤峰へと向かうことになっている。道のりは4時間弱。暑い砂漠状態の中を、ひたすらバスがすごい勢いで進んでいく。途中、黄砂の原因であるという砂漠地帯を見学することになる。とはいえ、行政などによりだいぶ植林が進んでおり、ひどい砂漠状態から改善したらしい。ここでも、もちろん植わっていたのは見る限りポプラのみ。どこまでも続くポプラを見ながら、このポプラがいつまで持つのだろうと素朴な疑問を覚えてしまう。本当に、難しい問題である。

     

    長旅を経て赤峰市内へと到着。時間があるというので、地元のいたって普通のスーパーマーケットで買い物タイムとなる。この「いたってフツーのスーパー」というのが、実に、本当に、いい。高いお土産屋ではなく、庶民の味方、スーパーである。こういうところで買えば、圧倒的に安く、そして圧倒的に楽しく面白いものが見つかるのだ。スーパー大好き人間の私はここぞとばかりお土産を買いこんだが、びっくりするほどに安く(まぁ、もともと物価も安いし)、ホクホク顔でバスに再び戻ったのであった。やはり、貧乏旅人たるもの買い物上手にならなければ、やってられない、てな具合である。

     

    買い物を済ませた後、バスで少々移動し、早めの夕食へ。今日はこのあと、なんと9時発の夜行列車に乗って北京まで移動することになっており、そのためにも早めに食事を済ませる必要があるのだ。和気藹々と楽しく美味しい食事を頂いた後、大混雑の赤峰駅へと向かう。あたりは電車に乗る人や車でごったがえしており、バスも路肩に止められないほどである。道路の真ん中で無理やり停車をし、急げーっとばかりみなで荷物を引っ張って道を渡り切ることになる。車のクラクションや熱気で、やっぱりここはアジアだなぁなんてことも思ってしまう。暗がりの中、みなで必死になって道を渡り、無事に駅構内へ。赤峰が始発ということもあり、多少余裕があるのが助かる。

     

    ホームに入り切符を駅員さんに見せて、列車の中へ。今回実は、直前になってこの夜行列車にトラブルが起こっていた。本当は全員が乗るはずだった一等車の予約が、無理やり政府だか財閥だかのおえらい人たちにすべておさえられてしまったのだ。結局、私たちは二等車への乗車を余儀なくされたのである。普通、外国からの観光客が予約をおさえていれば、それを優先させるのが当たり前だと思うのだが、ここは社会主義国、中国である。いとも簡単に前々からおさえられていた予約を剥奪され、私たちは二段ベッドから三段ベッドのコンパートメントへと変えられてしまった。私はこの話を聞いた時点で、やっぱり中国は相変わらず中国だなと痛感した。2008年北京オリンピックを前に、結局こんな状態なのである。喉から手が出るほど外資と名声が欲しい中国が、外国人観光客相手にこんなことしてていいのだろうか。まぁ、差額代などは返ってくるので、もちろんこちらは損はしないのだが、やっぱりこの国はそうそう変わらないということを、私はこの一件で嫌というほどに感じたのだった。

     

    生まれて初めての夜行列車、そう、夜汽車に乗って、3段ベッドに寝るというのは、私にとってかなり面白い体験である。眠りにつけるだろうかという不安も少々あるが、なんだかワクワクと楽しくもある。もらったチケットを見ると、私のベッドは真ん中の段らしい。微妙っちゃ、ビミョーな真ん中である。自分のコンパートメントに向かうと、廊下の狭さに少々びっくりする。そして、6人一部屋のコンパートメントにもびっくりである。部屋と廊下の間にはカーテンも何もないので、カバンに入れておいたスカーフをのれん代わりに垂らすことにした。これで、女性だけの部屋でも外からは多少目隠しになる。一番下のベッドの人は結構広く使えるが、上に行けばいくほど、空間が狭い。真ん中でさえ、ベッドによじ登って座ったら、もう、体を完全に起こすことはできない。つまり、いつでも上半身は斜め45度くらいの感じなのだ。一番上の段はそれよりツライと言っていたので、かなりのものだろう。一度あがったら身をかがめるか、完全に寝てしまうかという感じである。とはいえ、完全に横になってしまえば、それなりに快適である。ベッドも思ったより硬くないし(中国では、一番上のクラスの寝台を「軟臥」、そして二番目を「硬臥」と言うらしいが、そんなに硬くなくて一安心である )、お布団も枕もしっかりとしている。各コンパートメントにはポットもあるし、また共有のスペース(お手洗いなど)では、お湯のサーバーもあったので、お茶とタンブラーを持っていた私にはなかなか良かったのである。

     

    しばらく車内でぎゃぁぎゃぁはしゃいだ後、洗面台に向かうが水がほとんど出なく(時と場合によるらしい)、顔も洗えず、クレンジングシートを持ってきてよかったとほっとする。女性にとってこれは死活問題だ。低いベッドの上で身支度を整え、横になってからしばし文庫本を読むことにする。

     

    ほんの数ページ読み終えたところで、突如車内が暗くなる。どうやらこの列車、10時には消灯らしい。北京に着くのは朝の5時過ぎ。本も読めず、寝ることをただ薦められた感じで、私もベッドで目を瞑ることにする。

     

    ガタンゴトンと揺れる夜汽車の中。色んなことを考えながら、眠りの世界へ。

     

     

    朝、目を覚ませば、そこは北京。 

     

     

    (植樹祭の写真は、後日きちんとアップいたします)

    August, 2007

    「内モンゴル植樹の旅」 ~2日目 林西県への道~

     

    2007/7/28

     

    8時過ぎ、錫林浩特(シリンホト)市内のホテルで朝食を済ませ、バスに揺られる。小型のバス2台に参加者60名弱が乗り込み、朝一で市内の観光へと向かう。バスのシートには、北京オリンピックのキャラクターがプリントされていて、なかなか面白い。なかでも、パンダのキャラだけは個人的にヒットであり、「このパンダだけ欲しい・・・」と思ってしまうほどである。   

     

    シリンホトは、シリンゴル草原に位置しており、空気もきれいで湿度も低く、とても過ごしやすい。町の中はいたって普通の大通りやショッピングストリートなどあるが、周りは草原地帯であり、なんだかイメージ的には砂漠の中のオアシスといったところだろうか。市内の貝子廟というラマ教の寺院を見学し、内モンゴルが古くから仏教の地であることを認識する。お寺の色も朱色や緑、赤、金色などで、実に鮮やかだし芸術的である。なんとなく色使いが日光東照宮にも近いかななんて思うが、もともと日本のお寺の建築様式は、中国やチベットなど大陸の深いところから派生したものだろうから、よく似てて当たり前か、なんてお馬鹿な頭で考えてしまう。

     

    見学をしていると、最後のほうで宮脇先生とふと合流する。先生はバスではなく小型のバンで関係者と移動することになっていらしく、一緒に行動する時間はいつもよりもあまりない。「先生、今日も相変わらずいい天気ですねぇ」なんてまったり話したり先生の買い物に付き添ったりしたりしていると、あっという間に時間が過ぎる。「ではあやのちゃん、またあとでお会いしましょう」と先生と別れ、私たちはバスに揺られる。ここからは約4時間に渡る移動。シリンホトを出てから、一路目指すのは、赤峰市林西県(リンシー)。どこをみてもひたすら草原という中にまっすぐの一本道がただ続いていく。がたがたの路面をバスが思いっきり拾うので、一番後ろの席、つまり、通称「キングシート」(サッカー好きにしか知られていないかもだけど)に座っている私は、しょっちゅうお尻をうったり、頭をぶつけたりして大変である。まぁ、これも旅の醍醐味というものか。まわりの60代、70代の方々には少々きついかもしれないが、これはこれで楽しい時間である。

     

    まっすぐの一本道以外に見えるものは、薄い緑色の草原、そして時折現れる家畜の羊や馬、ヤギなどの群れ。そして時おり、家々やレンガ焼きの工場などがある。なんだか、実に、のどかである。比較的単調な風景を眺めていると、適度な揺れもあって、うとうとと眠くなってしまう。次第に草原地帯は、砂漠状へと移り変わっていき、ここが降水量が極めて少ない乾燥地帯であるということをひしひしと感じるようになる。平均年間降雨量は日本の20%~30%程度らしく、日本が豊かな「水の国」であることを改めて思い知らされる。

     

    雨が降らない地域のこの林西県でも、実際にはかなりの植林が行われている。砂漠化防止、黄砂防止の植林と思われるが、どこを見ても植わっているの基本的にポプラだけである。どんな地域でもすぐ育つというポプラだが、宮脇先生の言葉によれば、「すぐ育つやつはすぐダメになる」。ポプラは世界中どこでも育つらしいので、一種類だけ植えてもばそれなりにぐんぐんと育つのだが、あまり長く持たないので、結局長期的、かつ根源的な自然回復には役立たないということらしい。以前、カンボジアのシェムリアップ近郊でもひたすらユーカリの木の植林が続いていた風景があり、奇妙な感覚に辟易してしまったが、ここでも結局なんだか人工的かつ弱弱しく、そして枯れて無残なポプラの木々に言葉が詰まってしまったのであった。おそらく、相当な資金とかなりの人の労働力が費やされているとは思うのだが、結局あまり長く持たなければ、あんまり意味もなくなってしまう。植林の難しさをここ内モンゴルでも痛感することになった。   

     

    バスで移動を続けること2時間ほど。途中、「蒙古汗城」なる場所でお昼となるが、近くまで行くとなんと民族衣装に身を包み、馬に乗った男性たちが突如道路に現れた。「なに?!」とバス内が騒然となったが、なんと迎えに来て馬で先導してくれるというではないか。おぉ、なんとも内モンゴル感満載の歓迎方法である。私たちは車内でぎゃぁぎゃぁ盛り上がり、老いも若きも写真撮影に興じてしまった。

     

    その後、バスから降り、内モンゴルの伝統住居であるゲル(ゲルは中国語でパオともいう。ちなみに、今、内モンゴルで遊牧民としてゲルに住んでいる人はゼロに近いらしい)の中で、地元の料理を宮脇先生たちと頂く。ここでは伝統衣装を身につけた女の子たちがいたり、馬がいたりと、なんだかだだっ広い草原の真ん中で、自分が異邦人であることをひしひしと感じて楽しいものである。しかも、そのあと、馬がたくさんいるところにふらふらと見に行くと、写真を撮るだけにとどまらず、突然「乗ってもいい?」と友達が聞いてしまった。まさか乗れないよな・・・と思ってダメもとで言ったのに、なんと「いいよ~」と馬に乗せてもらえてしまったのである(普通はやらないみたいだけど)。「えぇ?マジですか?いいんですかタダで乗っちゃって?」と思ったが、私も手伝ってもらいヨイショと内モンゴルで馬に乗ってしまった。う~ん、馬の背中からの景色はなんとも素晴らしい。馬に乗るのはこれでたしか人生で3度目くらいだが、3年前にカナディアンロッキーでホースバックライディングを楽しんだとき以来の出来事である。今回はものの5分くらいだったが、引っ張ってもらいてくてくと馬くんとのお散歩を突如楽しんでしまった。いやはや、ダメもとでも言ってみるものである。「もうそろそろ行かないと・・・」と時間が来たのでしぶしぶ馬を降りさせてもらい、お礼を言って、馬君とやさしい男性陣にお別れしたのであった。

     

    バスに乗り込み「馬に乗っちゃいましたぁ~」と満面の笑みで言いながらキングシートに戻っていくと、「なんか、そんな顔してるねぇ~よかったねぇ~」と周りから言われる。実は、この数分の馬くん体験、私の内モンゴル滞在ではトップ2位くらいの楽しい時間であった。私は心の中で「日本でも馬にさわりたいなぁ」と思いながら、再びバスで揺られ始めていった。

     

    夕方3時過ぎ。林西県のホテルへ到着。チェックインを済ませ、またしても大急ぎでバスに乗り、近所の学校へと向かう。何かといえば、翌日に控える植樹祭のための、事前勉強会なのである。今回は、地元の中学生も多数参加するということもあり、学校の大教室を借りて、宮脇先生などの講演会が行われるのである。

     

    新しく可愛らしい学校に入り、一番上の階まで歩いて、大教室へ。すでに100人近くの中学生や関係者が待っており、そこに日本から来た60名近くが加わる。挨拶があった後、宮脇先生、藤原先生、そして中国生態学会会長の汪先生の講演を拝聴する。日本語、中国語の逐語通訳のため、いろんな言葉が飛び交っていて、なんだか面白い。私はといえば、始まる前にいつも通り、「じゃぁ、あやのちゃん、よろしくね」と宮脇先生のカメラを託され、カメラマン係に徹することになる。

     

    宮脇先生の講演は、もう数え切れないほど拝聴しているが、やはり何度聞いてもその度に新しい感激と発見があり、まったくもって飽きるということがない。今回の植樹のポイントを先生は解説されていたが、やはり、降雨量が年平均380mm程度しかない乾燥地帯でいかに木を植え、森を作るのかということをとりわけ熱をこめて語られていた。ちなみに、日本の平均年間降雨量は1700mmであるから、この地域がいかに雨が降らず、乾燥しているかがよくわかる。まぁ、日本の降雨量は、世界平均の約2倍であり、世界平均の880mmと比較しても、この地がどれほど乾燥しているかがわかるだろう。かつては美しい森であったはずの林西県は、長い間の家畜の過放牧により森が破壊され、木が育っても、草が育っても、すぐ羊やヤギ、牛などに食べられてしまい、どんどん草原化してなかなか森が復元しないという。科学的な根拠はいまだ解明されていないらしいが、一般的に、木々がなくなると雨が降らなくなると言われている。雨が降らなければ、木も作物も育ちにくいので、ますます雨が少なくなる。そんな悪循環が続くと、どんどん湿気がなくなり、土地が乾燥して砂漠状態に変化していくという。砂漠になれば、風砂が舞い、さらに作物も育ちにくい。そうして、地元の人々の生活にもどんどん悪影響が出てしまう。つまり、負のサイクルはどこまでいっても断ち切ることができないのである。

     

    そんな中、今回行う植樹では、宮脇先生や藤原先生の調査結果に基づき、「すぐ育ってすぐダメになる」というポプラ1種類だけを植えるのではなく、土地本来の樹木である、「遼東楢」(リョウトウナラ/ドングリがなる木であり、日本のミズナラの母種)を中心に、「モンゴルガマズミ」、「ホウヅンヅ」、「イタヤカエデ」、「アカサンザシ」など10数種類を混ぜて植え、木々に競争と共生を促して森を蘇らせる手法がとられることになっている。ま、言ってみれば、ここ内モンゴルでも、土地本来の木々を混ぜて植えるという「宮脇方式」は基本的に変わらないわけだ。乾燥にも耐えられ、更には深く根を張る木を植えることで地盤をしっかりと固め、地崩れを起こさない土地に変えていこうというのである。決して、数ヶ月や一年で完成するプロジェクトではないが、長い目で見れば、この土地に森を蘇らせることで、降雨量の増加や森林回復など様々な効果がもたらされることだろう。私はファインダーをのぞきながら、毎度ながらそんなことを思っていた。

     

    宮脇先生、藤原先生、そして汪先生のお三方の講演は約3時間に及んでいた。暑い中みな良く最後まで我慢しましたとお褒めの言葉があった後、夜7時ごろに再びバスでホテルへと向かう。その後、地元の内モンゴル音楽を楽しみながら、林西県の名物であるという羊のしゃぶしゃぶをみなで頂く。日ごろあまりお肉を口にしない私だが、羊さんを残すもかわいそうなので、しっかりと野菜と一緒にたらふく頂く(だって、私はひつじ年)。この地域では、お肉では羊、野菜ではとうもろこしやジャガイモ、そしてひまわり(種?)が特に取れるらしい。乾燥にも耐えられるからか??と思いながら、美味しい地元料理をしっかりと頂き、明日の植樹祭に備える。

     

    夕食後、少しだけ外に出て林西県の夜を垣間見ることにする。とはいえ、ホテルの目の前だが、地元の雑貨屋さんに行ってお土産なんて買ってみる。片言の中国語で値段交渉したりして、なんだかちょっと楽しい時間である。やっぱり旅の良さというのは、連れられていく事だけでは味わえない。自分で動き、考える。それが一番大切なのだろう。

     

    部屋にもどり、夜10時過ぎ。偶然テレビでは、日本―韓国戦のサッカー試合が中継されていた。中国語の解説でなんだか不思議な感じだなぁと思いながらも、ゆるゆると内モンゴルでの夜が更けていく。

     

      

     (後日、もう少しまともな写真をアップいたします☆)

     

     

    August, 2007

    「内モンゴル植樹の旅」 ~1日目 北京経由内モンゴル行き~

     

    2007/7/27

     

     

    7時、成田空港近くのホテルからシャトルバスで空港へと向かう。今回の目的地、それは中国内モンゴル自治区。モンゴルと間違えられることが多いのだが、今回訪れる先は、中国国内の内モンゴル。モンゴルとは国境をはさんで隣接しているが、違う国なのである。

     

    チェックインを済ませ、買い物をした後、集合場所へ。今回の海外旅行は個人の旅ではなく、ツアーだ。参加するのは「内モンゴル植樹ツアー」。そう、毎度おなじみ植樹の旅なのである。今回の主催者は、蜂蜜やローヤルゼリーでおなじみの山田養蜂場、そして、一緒に共同プロジェクトを行っている横浜国立大学である。植樹の指導をされるのは、もちろん、横浜国立大学名誉教授である宮脇昭先生、そしてこのプロジェクトには宮脇先生の愛弟子であり、長年のパートナーである横浜国立大学環境情報学府教授の藤原一繒先生がずっとご尽力されている。今回はこのお二方の先生とご一緒できるということで、私は何とか夏休みをとり、参加したわけである。

     

    控え室に行くと、そこにはひとりの植樹仲間が待っていた。てっきり、知合いは一人もいないと思っていたので、ほっと一安心である。ツアーで全く知らない人が何十人というのは、やはりちょっとさみしいものだ。久々に顔を合わせ、盛り上がっているうちに、全員が集合。どうやら、山田養蜂場のお客様となる方々が多数参加しているらしく、参加者は50代~70代の方が多いようだ。若輩者は、、、かなり少ない。全体で25名ほどであり、今後関西空港発の30数名と合流するという。

     

    てっきり成田から宮脇先生や藤原先生と合流すると思っていたが、どうやら別便で行かれるということらしい。あまり同じツアー内で別々に行動することがなかったので、ちょっと不思議な感じだが、先に私たちは中国入りすることになる。

     

    中国国際航空に乗り込み、約3時間のフライトを経て、北京へ。国際線だというのに、朝早い便だからか、シートが33の小さな機体で驚きである。しかも、私が過去乗ってきた飛行機のどんなものよりも、狭い(笑)。テーブルを倒すのがやっとというびっくりな狭さで、「新幹線の半分くらいのスペース??」とか一瞬思ってしまった。体が比較的小さめの私でもこんなんだから、男の人にはちょいときつめだったのかもしれない(ちなみに、帰りは普通の343のシートであったが、普通の広さで快適だった 笑)。

     

    北京空港に到着後、バスでいったん北京市内へと移動。北京を訪れるのは、これで2回目。初めて訪れたのは、1999年の夏だったから、実に8年ぶりの北京である。空港もきれいになったが、周りの開発も恐ろしく進んでいる。そして、びっくりするほどに車、しかも、のきなみ高級車が道路を占めている。かつての自転車大国中国は、いまや自動車大国中国へと変貌を遂げている。

     

    しかし、その発展の裏には、もちろんものすごいマイナス要素もあるわけだ。空港を出た瞬間、「これは、排気ガスですか、霧ですか、霞ですか、それとも雲ですか、いや、もしやあんたドライアイスでも焚いたんですか」というほどにそこもかしこも、灰色に曇っている。そう、空気の悪さでは北京に勝る都市はそうそうないだろう。なんてったって、あまりにも空気が悪すぎて、常に灰色の世界が広がっており、信じられないが、太陽の輪郭が見えてしまうのだ。最初見たときは、「あれって月・・・・?」と思ったが、月ではなく、太陽だった。普通、太陽なんて直視できないし、太陽の輪郭なんてわからないものだが、あまりにも空気が悪すぎて、太陽の日差しをさえぎってしまい、月のようにまん丸な太陽の輪郭がはっきりて見えてしまっているのである。なんだか、実に不気味である。あの強い日差しを空気中のいろんな成分がさえぎっているか思うと、なんとも恐ろしく、そして奇妙な感じを覚えてしまう(もちろん、もっと青空が見える日も多少はあるらしいが)。

     

    バスに揺られ、北京の中心地へ。内モンゴル行きのフライトは夜の便なので、それまでは北京観光となっている。まずは、定番中の定番、天安門広場を見学し、その後、紫禁城「故宮」へと向かう。暑さで朦朧とし、時折貧血を起こしそうなほどである。気温は30度を大きく超えており、日差しは例の空気で多少さえぎられているが、何せ湿度が凄い。やはり、「夏に北京なんて行くもんじゃない」というのは、ごもっともである。この不快指数200というほどの気候の中、故宮をぞろぞろと見学。私はすでに一度訪れているので、取り立てて感動はしなかったのだが、実はひとつ気になることがあったのである。

     

    それは、以前から報道されていた「スターバックス」のことだ。2000年から故宮内にスターバックスがあったのだが、「中国の紫禁城に外国資本のスターバックスなんてけしからん!!」などと火がつき、結局つい最近閉店に追い込まれたというニュースを耳にしていたのである(閉店は7月14日付けらしい)。そんなわけで、「で、今はそのスタバはどーなったわけ?!」と私は変なところに興味深々であったのだ(ゆがんでる?)。というのも、私はもともと大学時代、中国や台湾の政治外交や経済、歴史、文化などを一応専門としていたため、この「中国愛国主義 vs 巨大米資本」の闘い?に妙に関心をもっていたのである。

     

    そんなわけで私は最初から最後まで「スタバはどこかな~」と気もそぞろであった。しかししかし、そのスタバの後影はどうも私の見た限りどこにもなく、かろうじて「もしやここがスタバだったんじゃ?」という怪しげな店のみを発見したに終わってしまった。その怪しい店というのは、どうも、「適当にそれらしく見繕って急遽つくってみました」的なカフェであり、なんともしっくりこないつくりのお店だったのだ。もしや、ここにスタバがあり、閉店直後に急遽違う店作ったんじゃ?と思ってしまう。私がどこかの英字新聞で見たのは、スタバが閉店して南京錠がかけられていたような写真だったのだが、そんな鍵もついておらず、結局私の中でのスタバ発見は真相もつかめないまま時間切れで終わってしまったのであった。とはいえ、このネタを話してもいまいちノッて来る人がいなかったので、もしかしたらマイナーな話題だったのか・・・?と自問自答をしてしまった私であった。

     

    そんなゆがんだ?故宮見学を終え、バスで揺られて空港近くのホテルで夕食となる。その後北京空港へ向かい、夜8時過ぎの内モンゴル、錫林浩特(シリンホト)行きのフライトを待つことになる。しかし、フライトは予定の1時間以上も遅れに遅れ、恐ろしくごった返した空港内で待つ羽目になる。明らかに誰が見ても「フライトスケジュールの管理と、ボーディングゲートのコントロール、そして人の動線の設計がなってなさすぎるこの空港は!!!」という超芋洗い状態の新しい北京空港で、2008年の北京オリンピックの行く末を見てしまったような気がしていた。

     

    1時間半近くに渡って遅れたフライトに乗り込みしばしすると、ようやく宮脇先生と藤原先生のお姿を目にすることになる。「あっ!」と思ってご挨拶しに行くと、宮脇先生も「やぁやぁ、あやのちゃん、一緒に楽しみましょう」とご機嫌の様子である。ようやくこれでいつもの植樹のツアーといった感じで、私もほっとしてしまう。やはり、私にとって植樹の旅というのは、単に木を植えるということだけではなく、先生と一緒にあれこれ行動し、そしてたくさんのことを教えてもらうというのが、最大の目的であり醍醐味なのだということを、今回の一件で心底痛感したのであった。

     

    夜11時頃シリンホトに無事到着。どこか北朝鮮の街を思わせる市内を走り、ホテルへと到着。玄関から部屋に着くまで、ホテル内は恐ろしく真っ暗である。なぜ?と思うが、どうやら節電のようである。シャワーも12時までしかお湯が出ないというし、徹底した省エネモードである。日本でこんなことしたら、クレームものか、「えらい!」と褒められるかのどっちかだろうとしみじみ思う(どちらかといえば、エコっぽいけど、内モンゴルでは資源逼迫という感じが強いかな)。

     

     

    ガタガタと動くバスタブで急いでシャワーを浴び、真夜中ベッドにバタンと倒れこむ。

     

    北京とは比べ物にならない内モンゴルのきれいな空気と快適な温度の中、快適に朝まで熟睡。

     

     

      

    August, 2007

    顔にまつわるエトセトラ ~vol.3  自分の顔、あなたの顔~

     

    2007/7/26

     

     

    顔にまつわる話の最後は宮脇昭先生のお言葉で締めることにしよう。

     

     

    先生は講演会などで機会ある度に顔についてちょっとした話をされている。

     

    これを何度も聞いている友も、「これ聞いたら、自分の顔が嫌いな子供とかも、絶対嬉しいし自信つくと思うんだよなあ」と語っていた。

     

     

    先生はよくこう仰っている。

     

     

    「みなさんよく、親が勝手に産んだなんていいますが、あなたが今生きているのは奇跡的なことなんです。三十数億年前に何かの偶然のようなチャンスで出てきた命の種、遺伝子が一度も途切れることなく今まで受け継がれきたからこそ、今、あなたがいるんです。私も小さい頃は、どうしてこんな顔に産んでくれたんだと親を恨んだこともありましたが、世界中に宮脇昭と全く同じ顔を持つ人はいないんです。あなたと同じ顔を持つ人間は、いくら探してもあなた以外にはいないんです。世の中でたったひとりしかあなたはいないんです。だから自分の命は大切にしなきゃいけない。自分で命を絶つなんてことは絶対にしちゃいけないんです。ともに、前向きに歩んでまいりましょう」

     

     

    自分の顔、あなたの顔。 自分の命、あなたの命。 

     

    大切にすべきもの、それはごくごく近くにあるのかもしれない。

     

     

     

    August, 2007

    顔にまつわるエトセトラ ~vol.2 同じ顔の誰か~

     

    2007/7/25

     

     

    それは夜も11時ごろのことだった。

     

    仕事を終え、最終バスに乗ろうと、私は急ぎ足でバス停に向かっていた。すると、その途中、向こうからやってくる一人の女性とふと一瞬目が合った。しかし、とりたてて知っている人でもなんでもなかっため、私は特に気にも留めず、バス停へと進んでいったのである。

     

    バスに乗るまでのほんの数分の間、私は携帯をいじりながら、下を向いてなんとなく時間を過ごしていた。

     

     

    すると、どこからかこんな声が聞こえてきた。

     

     

    「○○ちゃん?」

     

     

    誰かが誰かに話しかけているのだろうと思い、私は何気なく後ろを振り返ってみた。しかし、そこにはひとりの女性。そう、声をかけられていたのは、他の誰でもなく、私自身であったのだ。

     

    一瞬何事かと思ったが、よく見れば、その目の前にいる女性、さっき私がすれ違った瞬間に目が合った方である。つまり、よく考えれば、彼女はいったん私とすれ違った後、わざわざ私のところまで戻ってきたことになる。

     

     

    彼女は私の顔をのぞきながら、、もう一度こう、控えめに訊いてきた。

     

     

    「○○ちゃん・・・・?」

     

     

    それは、明らかに私の名前ではなかった。しかも、目の前の女性のことも、私は全く知らないのである。

     

     

    「えっと、、、ち、ちがいます・・・」

     

     

    しどろもどろになりながら、そう声に出して答えると、彼女はこう謝ってきた。

     

     

    「あ、、、そ、そうですよね。すみません。」

     

     

    彼女はもと来た方向に向かって、静かに消えていった。

     

     

    私は一瞬、何がなんだかよくわからなかった。はっきりしていることは、私は、彼女の友達か誰かによく似ていたということだ。一瞬目が合った瞬間に似ていると思い、その後わざわざ戻って声をかけるというのだから、よっぽどのことだろう。

     

    世の中には、自分と同じ顔の人が3人いると言われている。これが本当なのか、それともただの迷信なのかは私には定かではないが、少なくとも、今日声をかけてきた彼女の心の中には、私に実によく似ている誰かがいるということなのだろう。それも、それほどきっと遠くない場所、決して非現実的ではないどこかにいるということなのだろう。

     

     

    夏の暑い夜。

     

     

    予期せぬ出来事で、なんだか心が一瞬不思議の世界に迷い込んだような、そんな気がしていた。

     

     
     
    August, 2007

    顔にまつわるエトセトラ  ~vol.1 パーツ的?~

     

    2007/7/24

     

     

    とある日、とある場所。

     

    私は友人・知人たちと雑多な話をしていた。とある作業をしながら何気ない会話を楽しんでいたのである。

     

     

    そんな矢先、突然ひとりがこんなことを口にした。

     

    「なんか、最近、ビールのCM見ると、○○さんの顔が浮かんじゃうんだよね~」

     

    何のことかと思ってよくよく聞いてみると、どうやら彼は私の顔のことを話しているらしい。

     

    「は?なにそのCMって??」

     

    「ほら、あるじゃん。最近やってる『金麦』ってビールのCM。あれ見ると、なんか○○さんの顔が重なるんだよね~」

     

    あまりにも寝耳に水で、私は、彼が何のことを話しているのかまったくわからず、こう訊いてみた。

     

    「へ? なんのこと??」

     

    すると、彼はこう返してきた。

     

     

    「いや、なんか、 

     

    パーツテキニダンレイガハイッテル“

     

    と思うんだよね~」

     

     

    「・・・・・パーツテキニダンレイ・・・・?」

     

     

    私は彼が何を言っているか全くわからず、「パーツテキニダンレイ・・・・?パーツテキニダンレイ・・・・?」と何度も自分の中で反芻してしまった。いったい彼が何語を喋っているかもわからないくらいに、意味不明な文章だったのである。

     

    私があまりにも理解不可能な様子を示していたせいか、こんな風に彼は説明してくれた。

     

     

    「ほら、ダンレイだよ、ダンレイ。あの武士の一分にキムタクと一緒に出てた、ダンレイ!」

     

     

    「ダンレイ、ダンレイ・・・・?武士の一分・・・・?」

     

     

    その時私は、ようやっと、「ダンレイ」が「檀れい」であることを理解したのである。

     

     

    「あっ!檀れい?。あー、はいはい。なるほど、檀れいね。やっとわかった。女優さんのね。はいはい。で、、、檀れいがなんなの??」

     

     

    ようやく理解した私に、彼はまた不思議な説明を続けてきた。

     

     

    「いやなんかね、檀れいが “パーツテキニ” 入っていると思うんだよね~」

     

     

    「ダンレイ」がクリアできたと思ったら、今度は、「パーツテキ」の難語である。

     

     

    「パーツテキって、、、何???」

     

    「つまりあのさ、こう全体的に似ているというよりも、部分的になんか入っていると思うんだよね。例えばさ、、、」

     

     

    どうやら、「パーツテキ」は「パーツ的」、つまり部分的という意味だったらしい。彼は、例としてごく身近な友人の例えを出し、彼の意味する「パーツ的」の解説をしてくれた。

     

     

    で、結局、最終的に、彼はこう言って締めたのである。

     

     

    「いやー、絶対、檀れい入ってると思うんだよなー。どこがどうとは言えないけど。なんとなく、こうパーツ的にさ~。」

     

     

    言われた私は、少々不可思議モードである。なぜなら、周りの誰一人として「そういえばそうねぇ」と納得もしないし、頷きもしないのである。まさしく、「うーむ」な状況である。

     

     

    そんなこんなで、私は珍しく、芸能人の顔に例えられたわけだが(あくまでも、「パーツ的」にだけど)、今までそんなことほとんどなかったので、なんだか変な感じである。

     

     

    しかししかししかし、もしも本当に自分の顔に檀れいさんがパーツ的に入っていたのなら、私の人生、さぞかし上々だったに違いない。どんなに素敵な生活が待っていたことだろう。そんなことを思ってしまう。

     

     

    いいなぁ、あんな可愛くて知的なお顔。

     

     

    はぁ~(大きくため息)。