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    July, 2008

    サミットへの疑問 vol.3

     

    2008/7/12

     

     

    サミットへの疑問シリーズ、これで最終編だが、私が一番書きたかったのは、いや、毒を吐きたかったのは、今回のテーマである。警護でも、おべんちゃらでもなく、肝心かなめの議題について、本当は書きたかったのである。

     

     

    さて。洞爺湖サミットでの主要テーマは、大きく分けて4つ。もうだいぶ前に閉幕してしまったし、日本では偏った報道ばかりしていたので意外とちゃんと認識していなかったが、テーマは「環境」の1つではなく4つあったのである。

     

    1.世界経済

    2.環境・気候変動

    3.開発・アフリカ

    4.政治問題

     

    連日続けられていた報道は、ほとんどがこのうちの「環境・気候変動」、特に「温暖化問題」に集中していたものであった。もちろん、「2050年までにCO250%以上削減」という目標の共有が、一番のサミットの成果として独り歩きしていたものの、この裏でありとあらゆることが議論されていた。が、実は私は、今回のサミットが始まる前から気になりはじめ、そして期間中も変だなぁと思い、さらには終わってからも「なんでだよ」と思っていたことがあった。温暖化対策のことだけではない、危機を迎えている食糧問題、エネルギー資源問題のことだけではない。全体に関わる非常に重要な言葉が、完全に抜け落ちていたような気がしていたのである。

     

    実際、洞爺湖サミットのオフィシャルホームページ上に掲載されているサミット概要にも、この言葉は見当たらない。新聞でもテレビでも、どうしてこの言葉が聞かれないのだろうと不思議に思っていたが、やっぱりどうも抜け落ちているような気がしてならない。いや、誰しもが気づいていないのか、それとも「タブー視」しているのか、その答えは前者のような気もするが、あまりにも机上の空論で話が進められているような気がして、私は非常に釈然としなかった。

     

     

    完全に抜け落ちていたキーワード、それが意図したものかどうかはさておき、それは、世界の「人口」である。ここで、「そうだっ!」と相づちを打ってくださる方が一体どれほどいらっしゃるか私には皆目見当がつかないが、これほどまでに重要なテーマ、キーワードが、どうしてあれほど各国の首脳陣がずらりと揃った席で、機会で出てこなかったのか、私にはまったくもって理解ができない。

     

    今現在、地球上の人口は、約66億人と言われている。もちろん、世界人口を正確に把握することも、将来の人口を予想するのも、非常に難しいことではあるが、とりあえず今現在67億人に手が届きそうな数の人がこの青い地球ただ一つの上に暮らしているのである。ちなみに、10年前の1998年はと言えば、まだ60億人を切っていた。ものの10年で6億人も増えているのである。たったの10年で、日本があと5個増えちゃうくらいのすごいスピードで、世の中の人の数は増えているわけである。

     

    そして、サミット上でさんざん話題になったのが、そう、2050年のことである。その時には私も、生きているとすればかなりの年になっているわけだが、100%生きていないとも言い切れないし、ビミョ-に遠い将来である。そんな42年後の2050年には、大ざっぱにみても世界人口が90億人になっていると予測されている。

     

     

    さて、ここで考えてほしい。今、ひと部屋に6人が暮らしているとしよう。食べ物も足りなくなってきたし、エネルギーも足りなくなってきた。貧富の差が生まれ、いがみ合いと壮絶な競争が生まれているとしよう。しかし、ここにあと3人追加して、9人が一緒に暮らすことになるとする。食料もエネルギーも、これからさして増えていくとは思いにくい。人が過密になって、ますます暮らしにくい生活になることも想像に難くない。そんなとき一体このひと部屋で何が起きていくのだろう。人はどう自分の生活を守り、人と人との関係を築いていくのだろう。

     

     

    話を元に戻そう。2050年の「CO250%以上削減」目標のことである。人口が現在の1.5倍近くになる2050年に、CO2を今よりも、少なくとも50%は削減させているというビジョンだ。「いつと比べて50%減?」とも思うが、それも定かではない。というわけで、仮に2008年を基準年としても、人口66億人の今から、人口90億人の2050年までにCO2を半減させなければならないというのである。人口が約14倍にも増えている90億人の地球で、CO2を今の50%以下にさせるという目標。これがどれくらい過酷なことかは、さして考えなくても簡単に想像がつくであろう。まぁ変な例えだが、ダイエットに例えてみれば、今よりも1.5倍のカロリーをとりつつも、今よりも半分近い体重にしろみたいな難題であるだろう。しかし、人口問題には触れられず、サミットではこれが一番の話題になり、成果となったというわけだ。

     

     

    さて問題は、CO2のことだけなんかではない。私がこれ以上に怖いのは、食糧と資源のことである。今ですら、「食糧危機!」、「資源高騰!」と連日問題になり、食糧と資源の獲得のために、各国が躍起になっている時代である。価格にいたっては、石油が上がり、鉱物があがり、小麦も上がるし、トウモロコシも上がる。石油も飼料も高くなるのだから、魚も肉もこれからますます値上がりするのは目に見えている。66億人が、生きていくための食糧とエネルギーを得るために奔走し、さらには食として消費されるための食糧を、石油に代わるエネルギーにするなんてことを平気でやっている時代である。今ですら混乱状態、混沌状態であるにもかかわらず、これが人口90億人になったらどうなるのだろう。もちろん、日々の技術革新も、大きな食の変化もあろう。土を使わず、水と電気で野菜が、しかもビルの中で育ってしまう時代ではある。しかし、世界の作付面積がこれ以上画期的に増えるとも考えにくい今、どうやって、そして一体誰が、90億人の人間を食わしていくことができるのだろう。実際、今、日本が頼っている多くの輸入相手国で、様々な食物の輸出停止が起きているくらいだ。中国は、自国の作付面積が増えないことを警戒し、地球の裏側の国の土地を買い占め始めている。それも、食糧確保のためだ。こんな時代があとどれくらい続くのだろう。誰がこのベクトルを変えていくのだろう。それは、サミットか、はたまた国連か。そんなことはおとぎ話の世界であろう。とにかく問題は地球上の人口が、急速に増え続けていることにある。1.5倍の人口を養うには、地球があと1つは必要であろう。そんなこと誰にもできないのは明確なのだから、早く手を打たなければならないのだ。こんなこと、もう何年も前からわかりきっていたことである。あらゆる学者、エコノミストはすでに警鐘を鳴らし続けている。一体、各国首脳陣が集まるサミットで、何を最優先課題としなければならなかったのだろうか。もちろん、バースコントロールは人間のプライベートな生活に関わることだ。そんなの国に統制されるものでもなければ、義務付けられるべきことでもないと思う。とはいえ、国家統制として1979年から続けられているいわゆる「一人っ子政策」の中国ですら、人口は現状維持どころか増え続けている。人口12億なんて言っていたのは遠い昔の話だ。今では、戸籍のない、つまり戸籍を登録できない闇の子供たちを含めて14億人とも言われている。しかし、そんな中国でもここ数年、「少子高齢化」の波が襲ってきている。日本よりも事態は深刻だ。これ以上人を増やしたくはない中国は、この先どんな手を打っていくのだろうか。

     

     

    さて、まとめに入ろう。

     

     

    「少子高齢化でお先真っ暗」なんて、日本は嘆いている場合ではない。国が、国民が生き残るためには、今後嫌でも人数の増加を抑えていかなければならないのだ。温暖化問題には賛否両論いろいろあるが、これが真実であるとすれば、尚更の話であろう。食糧輸入大国が、資源輸入大国が、2050年に生き残っているためには、そして子供たちの命が守られるためには、適正な人口にゆっくりと戻っていくしかないのである。食糧も資源も、そして自然も、すべて地球上にあるものは無限ではなく有限なのだ。有限である地球の産物を、無限に増えていく人類は、いつまで享受できるのだろうか。好きなだけむさぼっておきながら、今になってぎゃぁぎゃぁ騒ぐ人間は、地球にとってどんな存在なのであろうか。2050年までにCO2半減、そんな目標すら、世界の人口が増えてしまえば、まったく無意味な絵空事にしかならない。どんなに努力したとしても、人口が急激に増えてしまえば、あっという間にその成果は消えてしまうのだ。これからますます経済発展をさせる数多の国が、豊かになれば、どうなるか。人口が増え、快適な暮らしを手にし始めるのも、ごく自然のことだ。貧困の悪連鎖を続ける国々が、国の方針と教育を変えずに人口を増やし続けたらどうなるか。いまですら、食糧が高くて買うことができず、あらゆる弊害が出ているではないか。そんなこと、考えてみれば、誰もが簡単に想像できるだろう。もちろん私は、子供を産まないほうが良いとか、そんな短絡的なことを述べているのではない。大事なのは全体のバランスだ。これが崩れたとき、今ある命さえ絶たれてしまうことになるのだから、どうにかしてバランスをとり続けなければならないのである。

     

     

    世の中の、治者よ、智者よ、賢人よ。一過性の過熱するエコブームなんかに乗って、猫も杓子も「温暖化反対」、「地球を救おう」なんて薄っぺらい言葉を並べるのは、やめてくれ。もう警告は、ずっと昔から何度も何度も繰り返されている。さんざん地球に救われているのは、多めに見てもらっているのは、この人間のほうなのだ。これ以上、人口が増えたとき、どんなしっぺ返しがやってくるか、それを考えてもみてほしい。目先のことだけを考えて、きれいな言葉だけを並べて、大声で煽るのはやめてくれ。本質はもっと、他のところにあるのだから。

     

     

    これからのキーワード。それは「人口抑制」と、それを支える「教育」であると、私は心の底から思っている。これの解決なしに、さんざん騒がれている温暖化問題も、食糧問題も、そしてエネルギー問題も、根本的な解決の糸口は見えないのである。

     

     

    次のサミットで、この「人口」がテーマにあがってこないとするならば、もうそれは、自国の利益優先で何も考えていない愚か者のパーティーだと、私はきっと思うであろう。

     

     

     

    July, 2008

    サミットへの疑問 vol.2

     

    2008/7/11

     

     

    さて、話の続きはサミットである。

     

     

    警備の態勢に半ば辟易していたのはこの私だが、サミットが閉幕してから時間が過ぎた今(これを書いているのは730日)、「洞爺湖サミット」の言葉を聞くのは、対外、何かのレポートとか雑誌の記事とか、そういう類の中である。ま、それはさておき、話は私のサミットに対する疑問である。そもそも、最初から全然何も期待していなかった私は、あまりの過熱ぶりに辟易を通り越して、嫌気を覚えていた。開催前の新聞報道、マスコミ報道も、なんだかもうお祭りのような騒ぎで、なんでそんなに猫も杓子も「サミット!」、「温暖化!」、「CO2!」と言っているのかと不思議でならなかった。大体、考えても見てほしい。主要国の首脳陣が集まって議論して、それで世の中がらっと上手く変わっていたら、もう今頃とっくに世の中ハッピーだらけである。そもそも、自分自身の国を背負って集まってきているんだから、あぁでもないこうでもない意見が対立してまとまらないのは目に見えている。そこをなんとかまとめるのが、ま、サミットの役割と言えるだろうが、今まで何回もやってきてそれがとっくに功を奏していたら、今頃になって、やれ温暖化がやばいだの、食糧が足りないだの、そんなとっくの昔から完全にわかりきっていたことが問題になって、もめるわけないのである。そしてまた、サミットに妙に期待して、「これで解決策が、方向性が見つかる」なんて思うのも、それはそれでナンセンスだ。サミット終了後、政府関係者は「成功に終わった」とか「一定の成果」とかおっしゃるし、一方のマスコミや学者陣、そしてまた一般の方は「かなり不満」、「成果なし」、「呆れた」と仰る。まぁ、開催国だからなおさらやはり期待してしまうのだろう。しかし、こう思うと、人の

    見方は千差万別、十人十色だと思うような気もしてくる。もちろん、最初から期待しなければ、裏切られることもないわけだが。そしてまた、膨大なお金と人資源、そして様々なエネルギーをここにつぎ込むくらいなら、テレビ会議でもやって、その分の資金をもっと違うものに充てればいいのにとも思ったりする(これは少々過激な発言だが)。

     

     

    首相同士で握手している写真よりも、国民はもっと明確な方向性と解決策を、もっと明るい話題を求めているんですけど、とひとり苦言を心の中で呈している私なのであった。

     

     

    まだこの話、続きます。

     

     

     

    July, 2008

    サミットへの疑問 vol.1

     

    2008/7/10

     

    七夕の日から3日間にわたり開催されていた北海道・洞爺湖サミット。このブログを書いているのは、今日、728日なので、閉幕してからだいぶ時間も経っているが、もう頃合いもいいかと思うので、つらつらと毒、いやある種の暴言を吐いてみたい。

     

    まずは、開催時の厳戒体制への疑問だ。私はサミットの10日ほど前に札幌に行ったが、その時ですらあちらこちらに警察が立っていた。ま、これに対しては特に何も思わない。開催の本拠地なのだから、それくらい普通ではあろうと思う。が、私が妙に気になったのは、東京での警備体制のことだ。これは本当に、日々暮らしている人間からすれば、半ば「辟易」してしまうほどのレベルであり、私はちょっとイヤになっていた。

     

    まず、サミット前からそれはそれは至る所に警察が立っていた。東京駅なんて、ものの20メートルおきくらいに人が立っているんじゃないかというほどに、妙に物々しい雰囲気だった。ま、これはまぁ、首都でテロがあったりしたら困るというものなのだろう。が、うーんと思ったのは、これではない。開催前からしばらくの間、コインロッカーの使用停止が続けられていた。私は普段、東京ではロッカーを使わないが、あれだけの観光客、ビジネスマンが大勢やってくる山手線の駅(もちろん、駅の外でも同じだ)で、コインロッカーが使えないとは信じられない暴挙であると私は思う。そして、さらにはごみ箱。こちらもまた、「使用中止」の張り紙で、封がされていた。何も、捨てられない。何も、預けられない。ただ、我慢。この期間に東京にいらした方は、さぞかしご不便だったことだろうと、私は心中お察ししてしまう。まぁそれも、サミット期間に何かあったらいけないという予防策なのだろうが、札幌から飛行機で1時間半も離れている東京でこれほどまでに厳戒態勢とはと、正直少々飽き飽きしていた。非国民!と言われるかもしれないが、サミットに何の期待もしていない私は、ますますそう疑問に思っていた。

     

     

    さて、次は中身に入ろう。

     

    私が疑問なのは、警備の問題だけではもちろんなかったのである。

     

     

    July, 2008

    体からのメッセージ (後編)

     

    2008/7/9

     

    体の痛みを覚えながらふと見つけた、とある広告。

     

    いつもはさして気にもとめない広告だが、なぜかこの言葉が、突然私の目に飛び込んできた。

     

    「疲れは、痛みや発熱と並んで人間の三大生体アラームと言われ、からだがあなたに送るメッセージ。からだの異常を知らせる信号です。」

     

    何の広告かというと、ビタミン薬の「アリナミン」の広告である。

     

    気になったのはそうもちろん、「痛みや発熱」という言葉だ。なにせ、しばらく発熱の日々を送っていたこと、そして痛みを今なお抱えていること。これでこのフレーズが気にならないはずがない。そしてもちろん、「疲れ」。情けないかな、すべてが揃っているのが今の私である。でもって、何が問題かというと、そう、「三大生体アラーム」という言葉である。からだの異常を知らせる信号がこの「疲れ、痛み、発熱」というのだから、「あぁ、やっぱりな」と妙に納得してしまったのだ。

     

    春からひたすら激務に急かされてきた私だが、7月に入り少しずつ、そのスピードがゆっくりと落ちてきた。頭を抱えることも減り、ようやく平常心を保てるようになってきたのである。そんな気の緩みからか、今までの反動からか、私は一気に体のバランスを崩し始めた。発熱、痛み、そして慢性疲労。すべてが「体からのメッセージ」ということに、今更ながら気がつかされた。そしてまた、「三大生体アラーム」の全てが鳴っていることに、自分自身でも驚きながら、反省の念を覚えていた。

     

     

    体からのメッセージ。

     

    たまにはちゃんと、体の言うことに耳を傾けないと。

     

    そんな自戒の、今日この頃。

     

     

     

    July, 2008

    体からのメッセージ (前編)

     

    2008/7/8

     

     

    しばらく続いた熱もようやっと無事に下がりきり、私は心底ほっとしていた。毎日こんなに暑いのに、自分でさらに発熱しちゃ困るのである。これで回復傾向か。そう思って安堵していたのもつかぬ間、気がついたら、首と肩が動かなくなっていた。単に動かないだけではなく、強烈な痛みが走るようになっていた。一難去っ

    てまた一難。まったく自分でも嫌になるほど、私の体はやわである。

     

     

    首や肩が固まるのは、何も珍しいことではない、過去何回も疲労やストレスがたまった時に、同じ症状が出ているのである。もう慣れっこになってしまった私は、とりあえず応急処置としてラベンダーのアロマオイルをベビーオイルとまぜ、痛いところにぬりぬりしてほっておいた。すぐに治るわけではないが、これで少しだけ痛みが和らぐのだ。もちろん、そのあと休みの日にちゃんと整体に行って体のバランスを治してもらうわけだが、それまでの間は自分でなんとかするしかない。そう思って、せっせとラベンダーの香りで自分自身をごまかしつつも、私は日々を過ごしていた。

     

     

    そんななか、ふと新聞か、雑誌をぱらぱらとめくっているとき、私は気になる広告を発見した。

     

    「ほぉ、そうか」

     

    そう納得するような、私にぴったりの言葉だった。

     

     

    July, 2008

    七夕の夜は

     

    2008/7/7

     

     

    前日ずっと下がらなかった熱も、朝7時前目を覚ますと、すとんと平熱まで下がっていた。

     

    ほっ、これで仕事に行ける。

     

    そう思いながら、いつものようにオフィスに向かう。体の調子はまだいまいちだが、熱が下がっただけありがたい。

     

     

    夕方5時半。終業時間を迎えると、いつも以上にバタバタと人が席を立ち始めた。普段であれば、こんな時間に席を立つことなどない私も、そろそろ終わりモードにしなければと思い始める。なぜかと言えば、七夕のこの日、政府あげての「クールアース・デー」だったのだ。北海道洞爺湖サミットの初日にもあたるこの日、夜のライトダウンキャンペーンが行われていたのである。うちの職場でも、この「クールアース・デー」を取り入れ、「定時退社!」のおふれが出ることになった。普段、「ノー残業デー」も、「定時退社デー」もない職場であるため、定時に帰ることなどまずもってない私は、この1日だけのイベントにちょっとそわそわしていた。しかも偶然、この日に後輩たちとの食事を決めていたため、いつもであれば遅刻者続出の食事も、今日に限ってはかなり早めにスタートできるというありがたい話だった。

     

     

    6時過ぎ。とりあえずきりのいいところで仕事を片付け、有楽町のベトナム料理レストラン、ラ・スコールへと向かう。6時半からの開始なんて、普段では絶対にあり得ないことなので、全員妙にテンションが高い。体が弱っている私ではあるが、生春巻やフォー、バインセオなどの野菜たっぷりのヘルシーなベトナム料理を頂き、ちょっと体が生き還ってくる。やっぱり、野菜ってすごい、ベトナムって

    美味しいと改めて感心しながら、久々の長い夜を満喫することにした。

     

     

    こんなに早く帰れるなら、クールアース・デーももっとたくさんやってくれればいいのに。

     

    そんなことを考えながら、あっという間に1日が過ぎる。

     

     

    熱も出ず、ほっと安堵の月曜日だった。

     

     

    July, 2008

    日曜日、ベッドの上で

     

    2008/7/6

     

     

    暑い日曜日。本当ならば埼玉での植樹祭に出ているはずだった。しかし、なぜか私は、結局ベッドの上でうにうにとしていた。外は暑い。そして自分も熱い。前日から熱が下がらないのだ。テレビでは、最高気温が33度なんて言っていた。やっぱり前夜、引き返してきて正解だったのだろうか。今頃行っていたら、確実に外で倒れていたに違いない。そんなことを思っていた。

     

    夏の熱は、辛い。それが39度とかでなくても、37度台で十分すぎるほど辛い。なぜなら、外も暑いし、部屋も暑いし、自分もいつも以上に熱いからだ。ただでさえ普段冷房を使わない私だが、熱がある時にはますます冷気に当たるのが怖く、結局クーラーは一度もつけなかった。これが体にとっていいのか悪いのかは、私にもいまいちよくわからない。しかし、すぐに冷える体なのだから、やっぱり冷房は避けたほうがいいのだろうか。そんなことを1日中、ぐるぐるとベッドの上で考えていた。

     

     

    時折目をあけ、時折目をつむる。

     

    そんな動きを繰り返し、また無為な一日が過ぎていく。

     

     

    やっぱり、人間、健康が一番なんだろう。

     

     

    当たり前のことを当たり前に感じるのは、意外と、結構、難しかったりする。

     

    日々を、ちょっと、反省。

     

     

     

    土曜日の迷い

     

    2008/7/5

     

     

    それは暑い一日だった。30度を超えていて、外を歩くのが嫌になるくらい、熱くムシムシした土曜日だった。

     

     

    私は東京へ出かけ、いくつかの用を済ませた。ジムへ行き、買い物を済ませ、そして夕食を早めにとることにした。初めて入るお店だが、リーズナブルで体に優しい和食を頂けるお店を開拓し、それなりに満足していた。頭痛がひどかったが、きっと冷房に当たったせいだろうと、自分自身を納得させようとしていた。

     

    翌日埼玉県で行われる植樹祭を控え、私は前泊入りするつもりでいた。体調がよくなかったが、どうにか行けるかと思い、宿を急遽取っていたのである。東京からは2時間弱の道のり。早めに夕食をとったのも、そのためだ。荷物を持ち、私は駅へと向かっていた。頭痛はしていたが、バファリンを飲んだらすぐ治るだろうと思っていた。

     

    歩いていると、頭痛に耐えるだけではなく、めまいを覚えるようになっていた。歩くのがつらく、荷物が重く、時折ふらふらとして、座りこみそうになるほどだった。一体何が起きたんだ。暑さのせいだろうか。それとも、熱が出ているのだろうか。

     

     

    結局、何度も逡巡したが、1時間ほど体を休めても回復する見込みがないと判断し、私は投宿する予定だったビジネスホテルに電話を入れた。本来であれば、キャンセル料が取られる時間である。泊らないのに半額も支払うのは、なんだか腑に落ちなかったが、今は体のことを最優先させないといけない。そう思ってキャンセルの電話を入れたのである。しかし、理由を告げると、スタッフさんはこう電話口で仰った。「本来ならばキャンセル料を頂くのですが、理由が理由ですので、今回は結構です。また機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします」。私は、なんだか、ありがたかった。ルールだけではないその対応に、ふらふらの私は救われたような気がしていた。

     

    すぐさま家に帰り、ベッドにもぐりこむ。体温計は、37度台を示していた。

     

    不調の原因は、急に動き始めたせいだろうか。それとも、熱い7月のせいだろうか。

     

     

     

    金曜の夜に

     

    2008/7/4

     

    長い一週間を終えた頃、私の体はゆっくりと回復傾向に向かっていた。これで、明日は出かけられる。そう思って、ほっとしていた。週末に、植樹祭を控えていたのだ。金曜の夜、すべての仕事と会食を終え、これで土日はちゃんとリフレッシュできる。そう思いながら、帰途についた。

     

    金曜の夜、無事に週を終えて、ついテレビで夜更かし。これも、金曜の特権だろうか。

     

     

     

     

     

    July, 2008

    体調管理

     

    2008/7/3

     

     

    朝起きると平熱までようやく熱が下がっていた。ふらふらの足取りでオフィスに戻ると、朝から夜まで動きまわるほどやることが満載である。1日休むと、そのあとが辛い。2日分の仕事を一気にやらなければならないのだから、弱り目にたたり目でますます辛い。社会人で大変なのは、やっぱり自分の体調管理が日々の仕事にダイレクトに響いてくることだろう。熱を出しても仕事が休めないなんて世の中ザラなのだから、いかに自分でしっかり体をコントロールしないといけないかがよくわかる。

     

    9時過ぎ。結局一日中働きつめて、帰途につく。熱がぶり返さなくて、ほっと安堵する。

     

    このままちゃんと治ってちょうだい。

     

    そう思いながら、長い1日を終えてゆく。

     

     

    無為な一日 

     

    2008/7/2

     

     

    6時過ぎ。目を覚まし、熱を測ると、39度から37度台へと一気に下がっていた。体も昨日よりは、ぐんと楽になっている。とは言え結局、私は仕事を休むことにした。このまま外に出たら、また高熱が出るだろうと怖かったからである。

     

    4月から1日も有給を使っていなかった私は、久々に平日にベッドにもぐることにした。しかし、寝ているとは言え、38度台と36度台を一日に何度も往復していたせいで、私はすっかり疲れ切っていた。食欲がさして落ちなかったのが不幸中の幸いだが、それでもやはり、全身疲労でぐったりだ。結局1日寝ていたにもかかわらず、私の体温が安定することはなかった。

     

    一体この熱はなんだったのだろう。風邪だったのか、それとも何か別の理由か。

     

    ひっきりなしにやってくる仕事の転送メールに時々目をやりながら、あぁ、早く治らないと大変だと、自分に言い聞かせ続けた不安な1日だった。

     

     

    危険信号

     

    2008/7/1

     

    朝からとにかくバタバタした一日だった。午前中は止まることなく動き続け、午後一番の会議を終えた頃、ふっと頭痛を覚え始めた。きっと、低気圧のせいだろう。そう思って私は、いつものようにネットで天気予報を調べることにした。が、しかし、不思議なことに低気圧がない。台風もいないし、どこにも私も不調の原因は天気図からは読み取れないのである。

     

    はて、なんなのだろう、この不調。そう思いながら私は、あわただしく外出の支度を始めた。とは言え、何だかいつも以上に行きたくなかった。いや、仕事が嫌とかそういう意味ではない。とにかく、体が重すぎて、しんどすぎて何かがおかしいのだ。予定をキャンセルしようか。何度かそう思ったが、そうもいかず、私は鉛のような体をひきずるように、電車に乗り込むことにした。

     

    電車に乗った瞬間、「引き返したほうがいいかもしれない」、そう思うようになっていた。でも、行かないとまずいだろうか。いや、今引き返さないと、どこかでこのまま倒れるんじゃないだろうか。そんな迷いが次から次へとやってきて、私はいつもの3倍くらいの時間をかけながら、地下鉄を乗り継いでいた。ちょっと、やばいぞ、この体。一体何がどうなっているんだ。何が私に起きているんだ。そう思いながら、尋常でない時間をかけて、私は目的地までたどり着いた。しかし、前の仕事のためにそもそもスタート時間に大幅に遅れていたこと、さらに、予定よりも圧倒的に早く終わってしまったために、結局ものの20分しかその場所には滞在しなかった。休む暇もなかったので、帰り道は、さらに遠く長い。気温が30度近くあるにもかかわらず、そして、長袖のジャケットを着ているにもかかわらず、私は妙に寒かった。一緒にいた上司からも「顔色が悪いよ」と心配され、手すりをつかまりながら歩いて帰るほどだった。

     

    それからの視界は、全てがくすんで、歪んで見えた。オフィスに戻ると、熱が37度を超えていた。夜に入れていた仕事の予定も、結局直前でキャンセルする羽目になった。このままいけば明日は完全にダウンだろう。そう思えばなおさら、あれもこれも今日のうちにやらなければならない。気がつくと、熱が39度近かった。どうりで、全てが朦朧としているわけだ。頭は割れそうに痛く、体は燃えるように熱い。こんなんで、よく床に倒れなかったものだと、私はのちに自分で呆れていた。

     

    家になんとか到着し、そのままベッドに倒れこむ。寝がえりを打つこともできず、ただひたすら痛みと熱に耐える夜が過ぎていった。

     

     

     

    July, 2008

    写真アップのお知らせ

     

     

    2008/6/30(分)

     

     

    北海道大学植物園の写真をフォトアルバム内にアップしました。

     

    ご興味ある方はぜひぜひご覧くださいませ。

     

     

    sandyayano

     

     

    July, 2008

    小樽植樹祭へ

     

    2008/6/29

     

    7時過ぎ。小樽の朝里クラッセホテルへ。朝から美味しい北海道の幸を満たされるまで頂いたのち、荷物を持って朝里ダム湖畔園地内で開かれる植樹祭会場へと目指す。歩いて20分ほどの道のりだが、涼しく、空気もおいしく、朝からいい運動になる。会場に到着すると、すでにスタッフさんが忙しそうに動き回っていた。私も仲間とともにすぐさまリーダー研修へと向かうことにする。

     

    今回の植樹祭。主催は「北海道千年の森プロジェクト」、そして小樽市が共催となっている。植栽地の各ブロックにつくリーダー、サブリーダーは、プロジェクトの実行委員会スタッフやボランティアもいるが、小樽市の職員もいる。つまり、民と官が一緒になってこの植樹祭を作り上げているのだ。これは何気に画期的なことであり、私も今までかなりの植樹祭に参加してきたが、お金だけではなく、祝辞だけではなく、人を現場に出させるということは、なかなかそうあることではないのである。リーダー研修でも、宮脇昭先生の檄が飛ぶ中、市の課長さんやらが一生懸命斜面で木を植えていた。上から見ていた私もあれこれお手伝いしたが、やはり本番直前ということで、みな気合いが入っている。なんだか楽しみになってくる。

     

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    リーダー研修が終わる頃、会場は次第に参加者が集まり始めていた。今回の植樹祭、参加者は1000名を軽く超え、予想をはるかに上回る大勢の方がこの朝、朝里ダムへとやってきていた。宮脇先生に着いてあれこれお手伝いをしたのち、いよいよ開会式が開始。主催者挨拶、来賓挨拶ののち、宮脇先生の植樹指導になる。参加者の中には、小学生やそのお母さんといった親子が非常に多かったこともあってか、先生は命の大切さについて、非常に熱く語られていた。

     

     

    「先生や、お父さん、お母さん。子供が、学校の国語、算数、理科、社会ができないからと言って、その子のことをダメだと思わないで頂きたい。その子には、その子の持つ、その子しかもっていない力や能力があるんです。大切なのは、その力を引き出すことなんです。その子は、そしてあなたは、この地球に、たった一人しかいないんです。人類が生まれてからも、そしてこれからも、その子の、あなたの命はたったひとつしかないんです。あなたは、この世にたった一人しかいないんです。これからも、あなたと同じ人はこの世に生まれてこないんです。世の中のすべての金と技術を使っても、一度死んだら生きかえらせることはできないんです。だから絶対に、人の命をあやめたり、ましてや自分で自分の命を絶つなんてことは絶対にしちゃいけない。今日、生きている。これほど幸せなことはないんです。」

     

     

    子供たちと一緒に会場を訪れていた多くのお母さんが、真剣なまなざしで先生の話を聞いていた。うんうんと頷くお母さん。目に涙をためて聞いているお母さん。私は、今日のこの先生の話を、すべての人に聞いてもらいたかった。これまで軽く50回以上話を聞いている私でさえ、思わず泣くところだった。いや、私だけではない。これまで40年以上先生と一緒に現場を歩んでいる方でさえ、「今日の話は魂こもってたね」と感心しているほどだった。子供、親、そして教育者。宮脇先生がいつも命の大切さを語ろうとする相手が、今日は会場に溢れていた。主催者、参加者、そして先生の思いが、なんだかひとつになって、いい空気が生まれたような、そんな感覚を覚えていた。

     

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    盛り上がりの開会式ののち、20ブロックに分かれ、植栽地へと移動が始まる。サブリーダーを頼まれていた私も、宮脇先生にカメラを返した後、急いで植栽地へ向かう。色々現場で変更があり、なぜか私の担当班は全員ご来賓の方ばかりとなった。小樽市長をはじめ、議員さん、ミス小樽などなど。とはいえ、別に何を変えるわけでもなく、私はいつもどおりに植樹のお手伝いに勤しむ。みなさん斜面で滑り落ちないように、一生懸命木を植えられている。

     

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    この日用意された苗木は約20種類、5000本。北海道のふるさとの木である、ミズナラ、エゾヤマザクラ、ヤマハンノキ、イタヤカエデ、ハルニレ、トチノキ、ナナカマド、ハウチワカエデ、アキグミ、ノリウツギ、ガマズミなどの広葉樹だ。関東に住む私から見れば、珍しい木が多く、苗木を見てもすぐに名前がわからない。簡単にわかるのは、ミズナラとナナマカマド、そしてカエデ2種くらいだろうか。やはり、郷に入れば郷を知るということで、その土地の木を知るというのは楽しいものである。

     

    来賓の方々は、手を抜かずに最後の最後まで一生懸命木を植え、稲わらを敷き、ロープをしばるという一連の作業をスムーズに終えた。私も最後の手直しをした後、片づけを済ませ、植栽地を離れることにする。が、今回の植樹には多くの小学生が来ていたこともあり、子供たちだけの班はまだまだ全然終わりが見えていない。これは間に合わないなと思い、私も助っ人として参加することにした。

     

    子供たちはそれぞれのペースで木を植え、これから稲わらを敷く作業に入ろうとしていた。そこで、「はーい、わら欲しい子、おいで~!!!」と大声を出すと、子供たちが一気に目を輝かせてこちらにやってきた。

     

    「わらちょうだいぃ~!」、「いっぱいちょうだぃ~!」、「私もほしい~!」、「大量だぁ~!」

     

    次から次へと子供たちがやってくる。

     

    「はいはい~わら持ってて~!ちゃんと丁寧に敷くんだよ~!主役は苗木だぞ~!」と言いながらも、私は子供たちと一緒にわらまみれ。次から次へとわらを敷き、そしてわらを取りに戻ってくる来る子供たち。聞けば、小学校3年生くらいだという。「はいはーい、わらまだあるよ~!がんばって~!」とずっと声を出し続けると、子供たちのテンションはどんどんとあがり、大人顔負けの動きを見せてくれた。稲わらも無事に敷き終わり、そして次にロープでわらを押さえる作業に入るが、ここでも子供たちのやる気は感心してしまうほどで、「僕もやりたい~!」、「私も~!」とみんながこぞって手を挙げ、一生懸命ロープの縛り方を覚えていた。

     

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    中でも一人の男の子は、最初はなかなか上手くロープが縛れなかったが、一度やり方を覚えてからというもの、次もやりたい、まだやりたいと何度も作業を繰り返していた。「すごいねー。一人でできるようになったねー」と褒めると、本人もちょっとはにかみながら嬉しそうにしていた。傍らでその様子を見ていたお母さんが、嬉しそうに見ていたのは言うまでもない。大人がやらせるのではなく、押し付けるのではなく、子供たちのやる気を自然と引き出すようにリードすること。これが子供達にはきっと一番大切なのだろう。約1時間にわたり、20人くらいの子供たちと元気よく格闘し、すっかり気分が晴れていた。最近、植樹祭で子供たちと一緒になることがなかったので、久々に味わった楽しいひと時だった。

     

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    片づけを済ませたのち、数々のイベントを眺めながらようやくお昼。美味しいお寿司を食べながらほっと一息つくが、すぐに宮脇先生が会場を後にされることを察知したので、お見送りへと向かう。先生は、本当に、忙しい。これ以上、忙しくしちゃだめですよと思いながら、東京へ戻る先生をお見送りする。その後、片づけを再び手伝い、3時過ぎ、お世話になった皆様にお礼を告げ、会場を後にする。主催者と参加者の熱い気が作り上げた、本当にいい植樹祭だった。

     

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    小樽築港駅から電車に揺られ、札幌駅へ。ここで仲間と別れ、私はひとり大丸の六花亭へと向かった。空港でも六花亭のお菓子は買えるが、シュークリームやシフォンケーキといった生洋菓子は、ちゃんとしたお店でないと買えないのだ。せっかくの機会なので、あれも食べたいこれも食べたいと大人買いし、大きな紙袋を提げて再び電車で空港へと向かうことにした。

     

    行きはスカイマーク、帰りはAIRDOという不思議な組み合わせだが、初めて乗るAIRDOは普通に快適で、特に何の問題もなかった。「白クマのぬいぐるみとか乗ってるのかなぁ~」と友人に語り、小バカにされていた私ではあったが、なんと機内ではAIRDOキャラクターの白くまくん「BEAR DO」デザインのタンブラーが売られていた。しかも、私が常に愛用しているウォールマグ社のタンブラーであり品質も確かだ。そして、価格も1000円ぽっきり。これは買うしかないとアテンダントにお願いして、機内でタンブラーを買い求める。1年に1度、ウォールマグ社のタンブラーを買っているが、これで3代目。2代目は結構使い込んできたので、これからはBEARDOと併用しようと思いながら、にんまり顔で羽田へ戻ることにした。

     

     

    東京に到着すると、外は大雨。北海道にいる間、実は東京はずっと天気が悪かったらしい。雨の心配もなく、北海道の清々しい大地を楽しめたのは、晴れ女のせいだろうか。それとも、晴れ男宮脇先生のおかげだろうか。

     

    それは誰にもわからないが、私は久々の北海道で、またしても北の大地を大好きになった。美味しく、気持ちよく、素晴らしい北の国。またいつか、訪れるのが楽しみでしかたなかった。

     

     

     

     

    札幌、そして小樽へ

     

    2008/6/28

     

     

    札幌のホテルで目を覚まし、身支度を整え外へ。北海道大学のキャンパスを外から眺めながら、ブランチにと札幌駅のパセオへと向かう。訪れた先は、昨年気に入った「よつ葉牛乳」直営カフェ、「ホワイト・コージよつ葉」。北海道と言えば牛乳ということで、また絶対にここで食べようと思っていたのである。開店と同時にお店に入り、迷った挙句、きのことバターの和風パスタをオーダー。バタもキノコも抜群に美味しく、牛乳と一緒にぺろりと平らげる。さらに、少しだけ甘いものが食べたかったので、イチゴのショートケーキというパフェをオーダー。生クリーム、アイスクリーム、すべてが美味しく、北海道にまたしてもやられる。なんでこんなに、北海道は美味しいのだろう。

     

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    満腹満足したところで、再び歩き出し、目的地の北海道大学植物園を目指す。昨年は時間がなく入れなかったが、今回は急ぎ足ながら園内を巡ることにした。様々な植物が新緑を輝かせ、リラックスするのには絶好のロケーション。芝生で寝転ぶ人、ピクニックする人。いろんな使い方があって、街のオアシスになっているような気がした。大きなハルニレの木を仰ぎ、また色とりどりの花を目で見て楽しむ。ちょうどバラや「はまなす」の花が咲いている時期で、その甘い香りにふわっとする。

     

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    園内のあらゆるところで見かけたのが、真っ白いリボンのようなかわいい花をつけた大きな木。一体何の木なのだろうと近づいてみると、それが「ヤマボウシ」の木であることが発覚。ヤマボウシは、今まで植樹祭で植えながらも、花を咲かしたところを見たことがなかったので、その素晴らしさに仰天した。あまりにも可愛く素敵なヤマボウシ。「こんなにきれいな花咲かすんだねぇ」としみじみ心の中で話しかけてしまったほどだった。いやはや、やっぱり、いい時期なのだろう。花も緑も輝くこの時期に、涼しい北海道に来られたことが嬉しかった。

     

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    しばらく可憐なヤマボウシに見とれたあと、急ぎ足で植物園を後にし、札幌駅へ。ギリギリで電車に乗り込み、そのまま小樽方面を目指す。電車に揺られ、海が見え始めてきたところで、小樽駅手前の小樽築港駅で下車。路線バスに揺られるはずが、どう探してもバス停が見つからず、1時間に1本しかないバスに乗れないまま途方に暮れる。

     

     

    が、そんな時。1本のメール。これからやってくる仲間が、車のピックアップを頼んであるという。突然やってきた天の助けにすがり、私も一緒に乗せていってもらうことにする。ほっ。しばらく電車を待とうかと思い、自販機で売られていたよつ葉牛乳のカフェラテを買って飲む。安いのに、かなり美味。おそるべし、よつ葉牛乳。そんなラテに酔いしれていると、もう一人の仲間といきなり再会。またしても、足がなくて困っているということで、みんなで一緒に車に乗せてもらうことにする。待つこと20分ほど。ようやく3人で、迎えにきてくださった方の車に乗り、目的地の小樽・朝里川温泉スキー場を目指す。こんな時期にスキー場? と思うことなかれ。たまたまスキー場なのであって、別にスキーをしに来たわけではない。約15分で目的地の建物へと到着。ここで宮脇昭先生と再会することになった。

     

     

    今回の植樹祭。小樽を本拠地として活動している「北海道千年の森プロジェクト」が昨年に続き主催するもので、洞爺湖サミットを記念してのイベントでもある。翌日行われる植樹祭を前に、行われる講演会。会場には200人近い方が集まり、先生の話に耳を傾けることになる。

     

    講演開始前、会場にお邪魔すると宮脇先生がパワーポイントの写真をチェックしているところだった。「せんせ~」と近づきご挨拶。たった数日ぶりの再会ではあるが、先生もお元気そうで何よりである。一緒に写真を確認したり、苗木を確認したり、あれやってこれやってと準備の手伝いをしているとあっという間に講演会開始。主催者ご挨拶、そして小樽市長のご挨拶に続き先生の講演となるが、小樽市長が私の人生のバイブル『魂の森を行け』(新潮文庫)を手に持ち、みんなの前で大絶賛されているのを聞いて、私は心底うれしくなった。いやはや、名著は、やはり人から人へと自然に伝わっていくものなのだろう。私はそんなことを思いながら、宮脇先生の講演中、先生のカメラで会場の風景を収めることに専念していた。いつもながら熱く、いつもながら強いメッセージで2時間の講演もあっという間に終了する。拍手喝采だったのは、言うまでもない。

     

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    講演会後、先生をホテルまでお送りし、私は私で今宵投宿する貸別荘へと移動。仲間とともにほっと一息入れたのち、明日の植樹祭を前に開かれる関係者の交流会へとお邪魔した。美味しいお食事を頂きながら、3時間近く盛り上がりの時間を過ごす。明日の植樹にますます期待がわいていた。

     

     

    夜、露天風呂につかりながら、ほけーっとする。涼しい小樽の夜は、静かにゆっくり過ぎていった。

     

     

    July, 2008

    札幌の夜

     

    2008/6/27

     

     

    出発間際、最終コールの飛行機に乗り込み、座席についてほっと一息つく。スカイマークの札幌便。ビジネスマンでごった返した満席のフライトは、1時間半ほどの飛行を経て、無事に札幌空港へと到着した。

     

    飛行機を離れ、外気に触れた瞬間、思わず寒さで身をすくませる。ベストシーズンの北海道に来たのは、もちろんわけがある。小樽で開かれる植樹祭に参加するためだ。

     

     

    10か月ぶり、2度目の北海道。最終便1本前のフライトではあったが、到着時にはすでに21時前。空港で夕食をとターミナル内をめぐるが、ほとんどのレストランはむなしくもシャッターが閉められていた。仕方なく開いているカフェテリアに入り、さして期待もせずスープカレーを選ぶ。空港でのご飯は、当たりかはずれかのどちらかだろう。そんな風に思っていた。

     

    滑走路のランプを眺めながら待っていると、ほどなくしてカレーが運ばれてきた。が、私の予想は期待に変わり、そして口にした瞬間、北海道のすごさを感じることになった。野菜の力と甘みが抜群に込められたホワイトカレー。北海道、恐るべし。そう思いながら、私はのっけから北の大地にノックアウトされていたのであった。

     

     

    カレーに満足したのち、電車に乗り込み一路札幌駅へ。が、どういうわけか真っ暗闇のなか、電車は突如急停止した。突然の出来事に車内の観光客が、ざわめきを見せる。一体何が起きたんだ。そう思いながら、待っていると、アナウンスが流れだした。人身事故だろうか、それとも車両の故障だろうか。

     

     

    落ち着いた声の車内アナウンス。それは驚くべき一言だった。

     

     

    「えー、ただいま、車両が “鹿” と衝突いたしました」

     

     

    車内のざわめきは、一瞬にしてどよめきに変わった。

     

     

    「なにっ?!鹿っ?!?!」

     

     

    その突拍子のなさに、私もあっけにとられていた。やはり、ここは、自然の宝庫、北の大地なのだ。私は思わず、北海道に長年住んでいた後輩にすぐさまこうメールしていた。

     

     

    「今、電車が鹿と衝突した!!!」

     

     

    すると、数分後、後輩からはこんなメールが返ってきた。

     

     

    「電車と鹿では、電車の勝ちですね。でも、車と鹿なら、車はただでは済まないですよ 笑」

     

     

    なんと冷静な分析なのだろう。そわそわしている私とは、実に対照的ではないか。

     

     

    「さすが、北海道民!」

     

     

    私は密かに、そう感心してしまった。確かに、アラスカでも、車とムースやカリブ-などの動物が衝突しないように、ありとあらゆるところで、「動物出ますよ、ここ。気をつけてね」という意味の標識が立っている。実際、あんなに大きな鹿たちとぶつかったら、車が大破してしまうのは目に見えている。それに、オーストラリアでも、カンガルーとぶつかったりするというし、やはり、ここは大自然の中で人間がお邪魔させてもらっている土地なのだろう。私は、そんなことを密かに思い、ひとり静かに物思いにふけっていた。

     

    車内は10分ほどざわざわとしていた。

     

     

    「鹿、どうなっちゃったのかなぁ」、「このまま動かないのかなぁ」。

     

     

    きっとみんな、同じ気持ちだっただろう。私も、鹿がどうなったのか気になって仕方ない。とはいえ、衝突から約15分後、流れてきたのはこんなアナウンスだった。

     

     

    「安全の確認が取れましたので、出発いたします。お急ぎのところ遅くなりまして申し訳ございませんでした」

     

     

    鹿は一体どうなったのか。それは誰にもわからない。ただ、これだけは私にもわかった。これは特別なハプニングではなく、日常的な出来事なのだろうと。15分で何事もなかったかのように解決されたのだから。山手線や中央線が、人身事故の復旧作業をあっという間に済ませてしまうように、ここでは動物との衝突事故も、よくあることなのだろうか。いずれにせよ、電車は再び動き出した。それでもやっぱり、私は鹿のことが気になってしかたなかった。

     

     

    札幌駅に到着後、北海道大学近くのホテルへと向かう。が、暗さで道を1本間違え、徒歩8分の所を30分近くかけてようやく到着するはめになる。ただ、疲労。普段ほとんど迷わない私が迷うとは、鹿のことで気が動転していたとでもいうのだろうか。

     

    夜11時前。ホテルへ到着。札幌の涼しい夜が、静かに更けていった。

     

     

     

    晴れ女、低気圧に負ける vol.4

     

    2008/6/26

     

     

    そういえば私はいつ頃から、こんなに低気圧に負けるようになったのだろう。

     

    少なくとも、大学生の時はそんなこと気にしていなかった。さかのぼってみれば、4年ほど前から梅雨の季節に異変を感じ始めたような気もする。しかし、梅雨時だけではなく、1年を通してすべての低気圧に体が異様に反応するようになったのは、特にここ2年くらいである。

     

     

    が、しかし。私はふとあることに気がついた。私自身が晴れ女であると自覚し始めたのも、ここ2年くらいのことなのだ。少なくとも、2年前の夏休み、「晴れ女がゆく」というタイトルで旅日記を延々と書いている。つまり、それより前に晴れ女を自覚し始めたことになるが、低気圧に弱いことを認識し始めたのも、ほぼ同時期なのである。

     

    自分で言うのも変な話だが、私の晴れ女ぶりは結構素晴らしく、これまで数え切れないくらいそのすごさを実感している。晴れ女パワーは、この2年で着実にアップしているのだが、しかしそれと同時に、低気圧に負けることも確実に増えてきているという変な関係がある。

     

     

    ちなみに、私が出かける土日や休みの期間には、どこへ行ってもほとんど晴れる。もしくは、かなりの確率で雨から逃れる。もちろん、国内外問わず、だ。そのため、年間を通じて、傘をさす機会がほとんどない。しかし、オフィスでこもっている平日に低気圧がやってくると、いとも簡単に完全にやられてしまう。晴れ女だから低気圧に弱いのだろうか。それとも、オフの日に高気圧を連れていく特性でも備わっているのだろうか。

     

     

    しかし、よく考えてみれば、低気圧に弱いとは、一体全体、どういうことなのだろう。科学的にもはっきりとは解明できていないらしいが、それでも私は、確実に低気圧に負けている。いや、低気圧だけではなく、飛行機などの気圧の変化にも極めて弱い。しょっちゅう乗っていても、着実に気圧に負けるようになっているのだから、なんだか変な話である。

     

     

    というわけで、延々と書いてきたが、私は低気圧に弱い。低血圧ではなく、低気圧に弱い。信じてくれる人はまだまだ少ないが、「雨の日は関節が痛くって」と言う人も昔からいるのだから、きっと、世の中で同じ悩みを抱えている人は、密かにたくさんいるのだろう。

     

     

    ある人は、こう言う。

     

     

    「低気圧に弱いって、おばあちゃんじゃないんだから」

     

     

    いーえ、違います。まだそこまで歳いってません。

     

     

    でも、弱いんです、低気圧に。

     

     

    怠けものと間違えられそうなこの体質に、密かに困っている、私なのであった。

     

     

    July, 2008

    晴れ女、低気圧に負ける vol.3

     

    2008/6/25

     

     

    原因のわからない体調不良を覚えると、私はいつもあることをする。

     

    薬を飲むのでもなく、熱を測るのでもなく、私はいつも決まって同じ行動に出る。不可思議とは思えるが、毎回いつも、この行動をとる。そしていつも、あぁやっぱり、と思うのだ。

     

     

    不調の時に何をするか。それは、天気予報のチェックだ。

     

    ネットで天気予報にアクセスし、「天気図」を調べるのである。

     

     

    するとすぐ、私の不調の原因は、ここにあることが判明する。そう、ほぼ例外なく、低気圧が関東に近づいているか、関東の真上に居座っているのである。これで私は納得する。例え、雨が降っていなくても、例え、天気が良くっても、これから天気が崩れるという時には、体が気圧の変化を察知して、不調を訴えてくるのである。

     

     

    これはもちろん、梅雨時に限った話ではない。年がら年中低気圧はやってくるし、これが台風、しかも勢力の強い台風の時にははっきりいって尋常ではないほどに打撃を受ける。天気図のはじっこにかろうじて台風が見えるかというくらい、たとえば、まだ沖縄のはるか南や台湾の近くにありそうな時でさえ、私はその気配をどういうわけか体で感じてしまうのである。そうなるともう、しばらくはダメだ。はっきりいって、気圧の変化には、どうやっても勝てない。オフィスにいようが、家にこもろうが、そしてベッドにもぐろうが、どこにいようとも低気圧はそんなの構わず、私のところにやってくる。

     

     

    「お願いだから早く過ぎ去ってちょうだい~」

     

     

    そう祈りながら、一刻も早い通過を待つしかないのである。

     

     

    しかも、このブログを書いている現在も、密かに同じ現象が現れている。あまりにもしんどく、「なんでこんなに体がだるいんだ」と思って天気図を調べると、台風が台湾上空に現われていたのである。

     

     

    ちなみに最近では、やたらめったら、「低気圧で体がつらいぃ~」と公言しているので、周りにもなんとなく理解されるようになってきた。

     

     

     

    とは言え、よく考えてみれば、低気圧に弱いと自覚したのは一体いつのことだったのだろう。

     

     

    振り返ってみると、ちょっと不思議なことがわかってきた。

     

     

     

    July, 2008

    晴れ女、低気圧に負ける vol.2

     

    2008/6/24

     

     

    ある日。こんな症状が突然私を襲ってくる。

     

     

    まずは、朝起きるのが妙にしんどい。そして通勤途中に、「なんか、今日異様に体が重いなぁ」と思う。そしてまた、仕事をしながら、「あぁ~、なんでこんなに体がだるいんだぁ~」と自分自身、疑問に思う。さらには、床から数えきれないほどの手が伸びてきて、私の体を底なし沼に引きずりおろそうとしているかのように、体が地面に引っ張られるようなけだるい感覚を覚える。それはまるで、「マドハンド」のようなどろんどろんした手で、さらには、どこまでも増え続けて消えない泥の手のようにさえ思えるのである(「マドハンド」は少々マニアックな例えか・・・)。

     

     

    症状は、これで終わりというわけではない。ひどい時には、片頭痛、微熱、関節痛、むくみという情けない症状が次から次へと連鎖して生まれていく。

     

     

    「あぁ、なんなんだこの重さ。もうやってられないぃ~。助けてぇ~」

     

     

    こうなると、私はいつも、とあることをする。

     

    まず間違いないだろうと思いながら、あることをするのである。

     

     

     

     

    July, 2008

    晴れ女、低気圧に負ける vol.1

     

    2008/6/23

     

     

    私は、梅雨が、苦手だ。

     

    いや別に、雨が嫌いとか、靴が濡れるのが嫌だとか、そう意味で梅雨が嫌いなのではない。私はただ単に、梅雨の時期の低気圧がとりわけ苦手なのである。6月から7月後半まで続くこの梅雨の季節。体にも心にも、ひどく負担がかかる毎日が、ずぅっと今日も繰り返されている。

     

     

    実に周りに理解されにくい話だが、実は私は、気圧の変化に弱い。しかも、ひどくひどく低気圧に弱い。

     

     

    こう言うと、

     

     

    「は、低血圧じゃなくて・・・?」

     

     

    とよく訊き返されるが、私が弱いのは、自分の血圧のせいではなく、天気の「低気圧」のせいにある。

     

     

    自他共に認める「晴れ女」が低気圧に弱いというのは、なんだかへんてこな話に聞こえるだろうか。

     

    しかし、これは事実なのだ。そんな妙な話を、これからちょっと書いてみよう。

     

     

    これは、本当に、本当の話なのだから。