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April, 2009 食べること 生きること
2009/4/1
体に良くて美味しいものは、自然とよく噛んで、じっくりと味わっている。
そんなことに、はたと気がついた。
添加物や保存料が多く含まれているようなジャンクフードは、どことなく人工的な味をただ噛み砕いて、体の奥へと流し込んでいるだけだ。
味覚と行動は、密接につながっているのだろうか。
それとも人工的に感じるのは、単に時間とゆとりがない時だからだろうか。
体に良い食べ物を、よく噛んで、美味しく頂く。
本当はこれが、心と体を健やかに保つ、一番の方法なのかもしれない。
April, 2009 異変を覚えて (後編)
2009/3/31
(前編から続く)
いつの頃からか、私は体に異変をおぼえ始めていた。気がつけば、毎日、何度もこう思っていた。
「はぁ、温泉行きたい」
しかし、私の心のつぶやきはこれだけではなかった。
どういうわけか私はずっと、ふわふわした生き物に触れたくなっていたのである。
犬、猫、ウサギ、リス、クマでも馬でもなんでもいい。
とにかく、やさしく温かい生き物をぎゅっとしたくなっていた。今ペットショップに行ったら、間違いなく値段も環境も考えず、可愛い犬や猫を飼ってしまうに違いない。自分の部屋に帰ったとき、猫やウサギがいたら、どんなに癒されるだろう。そんなことすら思うようになってしまったのである。
結局、温泉と動物への思いというこの病とも思える異変は、ほぼ同じ時期から1か月をはるかに超えて、いまだにずっと続いている。いまなおもって温泉にも動物にもたどり着いていない私の中で、この願いは相も変わらず毎日繰り返されている。
一体何なのだろう、この現実逃避。
やはり人間という生き物は、心と体のバランスをとるために、ありとあらゆる機能が自然に働くようになっているのだろうか。
そう、思うことにしておこう。
異変を覚えて (前編)
2009/3/30
いつの頃からか、私はふと自分の異変に気がついた。
妙に、異様に、ほぼ毎日のように、気がつけば同じことを頭の中で考えていたのである。
それはいままでかつて経験したことのなかったことで、私は自分自身の異変に気がついた時に、これは密かに相当疲れて病んでいるのだろうと改めて自分の体を省みた。
毎日頭と心で繰り返していたこと。
それは、
「はぁ、温泉行きたい」
である。
なんともベタと言えばベタだが、それくらいベタなことを私の体は欲していた。人里離れた温泉で、しかもできれば山奥の渓流沿いの露天風呂なんかで、時間を気にせずぼーっとしたい。そう毎日、どこかで繰り返していたのである。
しかし、欲していたのは、温泉だけではなかった。
自分でも不思議なことに、私は別の何かも、なぜだかずっと欲していたのである。
これもまた私には、少し驚きの気づきであった。
(後編へ続く)
漢字ふたたび
2009/3/29
「心」を「亡」くして、「忙」になる。
そうずっと思っていたら、もう一つあることに最近気がつかされた。
「亡」くす「心」で、「忘」だった。
いやはや、漢字はどこまでも、奥が深いようで。
ありがとうの距離
2009/3/28
そういえば最近、ふと気がついた。
バスの運転手さんにもタクシーの運転手さんにも言うけれど、電車の運転手さんには言わないな。
顔が見えないからだろうか。それとも、とても遠いからなのだろうか。
「ありがとう」と人との距離には、やっぱりなにか、関係があるのかもしれない。
掛川・時ノ寿の森植樹祭へvol.6
2009/3/27(分)
雨上がりの空の下、植樹祭が無事に終わってほっとしている頃、参加者が次第に森の駅に戻りはじめた。地元のお母さん方が準備してくださった温かい豚汁を手に、みな暖をとっている。植樹祭の後の豚汁は、なぜだかいつも妙に温かく、心にしみる美味しさだ。冷えた体に温かさが戻ってきて、なんだか気持がほわっとほぐれていく。
250名以上が集った時ノ寿の森植樹祭は、実に温かく、心のこもった素晴らしい植樹祭だった。企業でもなく、行政でもなく、市民が善意でつくりあげる植樹祭というのは、やはり独特なアットホーム感がある。これまで50回くらいの植樹祭に出ているが、私はやっぱり、心の通うようなアットホームな植樹祭が一番好きだ。規模が大きいから良い、規模が小さいから良くない、そんな公式は一切ない。すべてが違い、それぞれに個性や特徴がある。そんな植樹祭の良さを改めて感じることのできる、非常に気持ちの良い植樹祭だった。ご関係者のご尽力や熱意に、心から敬意を表したかった。
宮脇先生やお世話になった皆様にご挨拶したのち、車に揺られ再び掛川の駅へ。駅前のお店で静岡名物のウナギが入った美味しいお好み焼きなんぞを頂き、さらには新茶だの黒はんぺんだの、ありとあらゆる静岡グルメを買い込んで新幹線に乗り込むことにする。
次回静岡を訪れるのは、いつ、どんな時だろう。今からもう、楽しみなのであった。
April, 2009 掛川・時ノ寿の森植樹祭へvol.5
2009/3/26(分)
恵みの雨のもと、時ノ寿の森植樹祭は始まっていった。傾斜のきついスギ・ヒノキ林を間伐し、植栽地を整えるには、かなりの労力と時間がかかったに違いない。間引きされた木々は横に倒されて土留めに使われていた。そして、枝打ちされた葉の部分は、植えられた苗木の根元に敷くマルチング材として使われることになっている。そしてまた、この土地ならではのもうひとつのマルチング材が用意されていた。時の寿の森の敷地内にある「森の駅」という憩いの施設、それは味のある古民家をもとに作られたのだが、その建築時に生まれたカンナくずを、マルチング材料として使うことになっていたのである。そう、無駄なものは、何もない。すべてが資源であり、全てが地球に還る自然のものなのだ。
宮脇昭先生のカメラを預かっていた私は、開会式が終了後、先生と一緒に山に入ることにした。一応20代の私でさえひぃひぃ言ってしまうようなかなり傾斜の厳しい植栽地だ。ある程度の整備がされているとは言え、雨で地面も滑りやすくなり、気を抜くと、そのままずるずると下に落ちそうになる。一度落ちれば、そのまま転がって怪我をするに違いない。そんな過酷な斜面を先生が自ら登っていくのだから、私は嫌でも気が引き締まる。先生が落ちないように、そして自分も落ちないように。カメラを片手に必死に登ると、下の道路がはるか遠くに見えるような気がしていた。
81歳とは思えない動きと情熱で、先生はひたすら木を植えていた。足を滑らせたら大惨事になりそうな山の中。先生はこれまで一体何度こんな場面を迎えてきたのだろう。ファインダーをのぞき、シャッターを切る。自分の年齢も、先生の年齢も、そんなこと本当は大した問題じゃないのかもしれない。そんなことを思えていた。
雨を受け、泥にまみれ、目の前の自然に生命を根付かせる。
命を植えるのは、きっと心と体に新しい息吹を送りこむような、そんな行いなのかもしれない。
先生のお手伝いの後、雨に溶けた森の香りを胸いっぱいに吸い込んで、ただ夢中に木を植えていた。
こんなに、森のいぶきを感じるのは、一体いつぶりなのだろう。
ふと空を見上げると、雨はどこかに消えていた。
心の中が爽やかに、晴れ渡ったような気がしていた。
April, 2009 掛川・時ノ寿の森植樹祭へvol.4
2009/3/25(分)
リーダー研修も終わり、一休みしていると、植樹祭会場には傘を差したり、レインコートを身にした参加者が続々と集まっていた。この雨でもこれだけ人が集まるのだから、やはり植樹への興味や関心を持つ人が世の中には数多いらっしゃるのだろう。総勢250名が集い小雨の降る中、開会式が始まった。これまで50回近く宮脇昭先生の植樹祭に参加している私だが、雨の中の植樹というのはほとんどない。大抵、いつも、雨はやむのである。しかし、この日の雨は、言ってみれば恵みの雨だった。宮脇先生は「今日は、植樹日和です」と参加者の笑いをとったが、実際雨が降れば、苗木を水の入ったバケツに浸す必要もなく、厳しい斜面での作業も少し楽になる。それになにより、スギ・ヒノキ林の中にあっては花粉が全く飛ばないという、私にとっても絶好の条件なのである。
主催者や来賓の挨拶が手短に進んでいく中、雨足はずっと変わらないでいた。
宮脇先生の植樹指導が始まると、先生は開口一番こうおっしゃった。
「もっと近くへ!見えるように近くへ!」
宮脇先生のその言葉に押されるように、参加者が次第に宮脇先生をぐるりと囲み始める。大きな植樹祭では、壇上でマイクを持つ宮脇先生が遠くに見えるという程度だが、アットホームな植樹祭ではこんな場面を見ることもできるのが、また醍醐味とでも言えるだろう。
「これが、シラカシです。こちらがウラジロガシ。葉の裏が白いでしょう。はい、隣の人に渡してください。」
ポット苗を片手に、先生はそう参加者に説いていく。人々は次々と苗木を手渡し、葉っぱの形をじっと確かめていた。形式的な指導ではなく、参加者の目の前で苗木を見せ、名前を覚えさせるという植樹指導。雨の中、熱心に先生の話に耳を傾ける沢山の人たち。
義務でもなく、強制でもなく。
私はなんだか、植樹祭の原点を見たような、そんな気がしていた。
掛川・時ノ寿の森植樹祭へvol.3
2009/3/24(分)
掛川の植樹現場へ到着してから30分ほど経ったころ、現場に宮脇昭先生がいらっしゃった。先生が着いた瞬間、不思議なことにずっと降っていた雨はぴたっと止んでいた。相変わらず先生は晴れ男である。しかしそれから少ししたのち、再び雨が降り出した。どしゃ降りまではもちろんいかないが、しとしと雨が静かにずっと続いていた。
レインコートに身を包んだスタッフさんやボランティアが集まり、8時半ごろからリーダー研修が始まった。この日植えるのは24種類6000本の苗木。一般参加者にきちんと理解してもらうために、必ず植樹祭ではリーダー研修が行われることになっている。とりわけ、現場の中でも最も厳しい場所、それはたとえば傾斜のきつい場所であったり、植えにくい場所であったりするのだが、そこにリーダーたちを投入して、自ら体を使って覚えさせていくのである。宮脇先生の調子もいつにもまして良く、雨の中必死に斜面によじ登るリーダーに檄を飛ばす。大の大人も81歳の宮脇先生を前には、まだまだ若造のようだ。もちろん、私は孫みたいなものでもあるのだが。
ずるずると滑り落ちそうな厳しい傾斜に苗木が植えられたあと、リーダー研修が終了した。戦後の一斉造林で作られたスギ、ヒノキの山は、いまや日本中どこにでもある。しかし、いまや荒れ果てた人工林を自らの意思で開き、そして土地本来の広葉樹を中心とした森づくりを行うというのは、まだまだ非常に珍しいことなのである。時の寿の森植樹祭のスタッフを前に、宮脇先生は何度も何度もこの偉業を讃えていた。翌日に、林野庁から依頼されている仕事を控えている宮脇先生が、「民」の力をいつにもまして力強く感じられたのも、きっといいタイミングなのだろう。
今後どんな動きを「官」が見せてくれるのだろう。
私はそれを密かに期待するようになっていた。
裏切られることばかりの世の中とは、十分わかっているけれど。
April, 2009 掛川・時ノ寿の森植樹祭へ vol.2
2009/3/23(分)
掛川の駅から車に揺られること20分ほど。あたりはすっかりスギ・ヒノキの林に囲まれ、どんより雲もあってか、なんだか薄暗い雰囲気である。ポツポツと降り出した雨は、その強さも変わらず、なんだかはっきりしない天気のように思えた。今日のお天気、1日はもつのだろうか。
車一台が通るのもやっとという深い山道。「あそこには、もうなかなか人は住めないよ」、街の人が語る理由がわかるような山の中、私たちは車を降りた。対向車が来たら冷や冷やもの、という細い道をうまく使って車を止め、あたりを見渡すと、なんだか別の世界に迷い込んだような感覚になる。街の中心地からものの20分足らずでこの山の中だ。かつては集落もあったようだが、今では廃屋が見られるもの悲しげな景色が広がっている。とは言え、空気がきれいに澄んでいるのもよくわかる。久しぶりの、森の中、である。
車を降りた瞬間、思わず「さむっ」と口にしていた。気温は10度あるのだろうか。もっていた洋服を全て着込み、さらには頂いたレインコートまで羽織って、ようやくなんとか体温が保てそうな寒い朝である。雨足は、変わらない。しかし、私はふと気がついた。スギ・ヒノキ林のど真ん中にいるというにもかかわらず、まったく花粉の気配を感じないのである。それは別に、私の花粉症が治ったということを意味しているのではない。花粉があるにもかかわらず、何も感じないのは、そう、雨のおかげのようなのだ。3月の終わり、まだスギ花粉が残り、そしてヒノキ花粉が飛び始めるこの時期に、雨のおかげで花粉が飛ばず、アレルギー症状がでないというのは、なんたる幸運の持ち主なのだろう。日ごろ雨逃れの強運を誇っている私だが、どうやらこの時に限っては、晴れこそ縁はないものの、うまく天気が味方についてくれたらしい。花粉大帝国のど真ん中にあって、マスクも、眼鏡もいらず、まったく問題なく過ごせるというのだから、これがどれほどすごいことかは、花粉症をお持ちでない方でもわかるだろう。あまりの嬉しさに、私は、「雨万歳!」と叫びたくなっていた。どこまでいっても、天気は私の味方のようだ。そんな能天気なことの一つや二つ、ついつい口にしてみたくなっていた。
身支度を整えた後、私は大先輩方や現場関係者の方と植栽地を見ることにした。まずもって、その傾斜に驚きである。「これ、壁ですか?」と誰かに問いたくなるほどのきつい斜面である。そして、そう、スギ、ヒノキの細い木々である。かなり間伐作業を進めたらしいが、それでもやはりぐるりと細い木々に囲まれている。どうやらここは、今から45年程前に一斉造林としてスギ、ヒノキが植えられ、材木用の植林地となった土地らしい。そう、日本全国に広がるスギ、ヒノキ林と同じである。木材を生産するために広葉樹を退治し、そしてスギ、ヒノキを植えた。しかし、大きく育った時にはすでに安くて強い外材に負け、切っても売っても赤字にしかならないという悲しい顛末を迎えてしまう。木材が売れなければ収入も生まれず、林業者も生計を立てられない。人がいなくなれば、人間の手を必要とする人工林は嫌でも荒れていく。根の浅いスギ、ヒノキは、自然災害に弱く、すぐに土砂崩れを起こしがちだ。また単一林であれば、動植物もあまり住み着かない。豊かな土壌も生まれず、水の浄化機能もなくなり、挙句の果てには魚や貝、海藻にも必要な海の養分さえもたらすことができなくなる。実際、この「時ノ寿」の森においても、かつては豊富に流れていた山の清流が、一斉造林の影響を受けて、今や水が枯れそうな状態にあるという。雨が降っていながらも、目の前にはチョロチョロと音をたてる細くか弱い、川の流れがあった。
「昔は水量ももっと多くて、豊かな川だったんですがね」
そう語られる言葉が、心の中で、なんだかずっと引っかかっていた。
April, 2009 掛川・時ノ寿の森植樹祭へ vol.1
2009/3/22
掛川で迎える朝の7時過ぎ。バッグを持って掛川の駅へ。駅前で待っていて頂いた植樹仲間、いや、大先輩たちと一緒に車に乗り込み、目的地へと走り出す。楽しい朝のドライブだ。この日、掛川を訪れたのには、もちろん確固たる目的がある。毎度おなじみ宮脇昭先生が指導する植樹祭がここ掛川で開かれることになっており、お手伝いにと私もやってきたのである。
車に揺られること15分ほど、町の景色はぐんぐんと変わり、気がつけば完全に山の中に入っていた。あたりはスギ、ヒノキといった単一植林地ばかりのようで、花粉症の私はビクビクと恐ろしくなり始める。そもそも私は、「掛川の植樹って、まわりはどんなところ?」と関係者に訊くほどに、今回の参加を迷っていた。この時期、私はどこへ行くにも、何にもまして花粉を一番恐れている。しかし、返ってきたのは、「スギ、ヒノキの植林地を開いた場所」という実に怖い答えであった。それって、スギがあるのか、それともないのか。いまいちイメージがわかなかったのである。とはいえ、斜面の厳しい場所であるらしく、宮脇先生のサポートも必要かと、私はここまで意を決してやってきた。しかしこの日、実際に車の窓から景色を眺めていると、それはもう、恐ろしいほどのスギ、ヒノキの林ばかりなのである。魔のスギ・ヒノキ花粉大帝国とでも言うべきだろうか。「マスクは必須だよ」と言われていたが、そんな生易しいものではなさそうだ。
「ど、ど、ど、ど、どうしよう。」
マスクやメガネは一応ある。が、しかし、こんな花粉だらけの場所で私は一体どんな風になってしまうのだろう。花粉症の人間が、花粉大地獄に自らの意思で飛び込むというのだから、カモがネギ背負って、さらには鍋とカセットコンロまで自分で持ってっちゃうような、そんなお人よし?な話なのである。
車から恐る恐る景色を眺めていると、どんよりとした雲からは時折パラパラと雨粒が降ってきた。天気予報では、今日の雨は確実らしい。自他とも認める晴れ女だが、今日はどんな戦いになるのだろう。
「天気図を変える男」宮脇先生の力で、今日も雨雲を動かせるだろうか。
心の中で私は、じっとそんなことを考えていた。
(今回の植樹レポート、恐縮ながらシリーズものにいたします。どうぞご了承くださいませ。。。時間がなくて。。。)
April, 2009 掛川の街へ
2009/3/21
急いでホームにたどり着き、こだまのシートに腰をおろすと、思わずふぅとため息が出た。
「はぁ、間に合った」
そう思いながら、ふと気がつくと、なぜか不思議な音が辺りから聞こえてきた。
「カチッ、フゥー。 カチッ、フゥー。」
慌てて辺りを見渡すと、なんとそこには白い煙がもくもくと漂っていた。
「へっ?ここって何?禁煙じゃないの??」
私は急いで荷物を手にし、大急ぎで隣の車両へと移動した。自由席の新幹線。こだまとはいえ、席が空いているとは限らない。隣の車両に駆け込み、開いている座席を見つけると、ほっと安堵を覚えていた。こだまの自由席に喫煙車両があったことをすっかり忘れていた私が悪いのだが、禁煙席が主流になってくるとそんなことも考えなくなってしまう。
静かに動き出した新幹線に身を任せ、私は一路静岡へと向かっていた。おやつを食べ、お茶を飲み、買ったばかりのNumberを読む。ずっとバタバタしている日々の中、ふっと訪れた安らぎの時間である。
初めて降りる掛川駅に到着後、駅近くの居酒屋さんへ。いつもお世話になっている植樹の大先輩2人と合流し、静岡の海の幸を肴にしゃべりまくる。親子のような関係ということもあり、教わることは山ほどだ。
思うこと、考えること。人生を学ぶには、お酒の席が一番いい教室なのかもしれない。
初めての掛川になじみながら、ゆるゆると夜は過ぎていった。
April, 2009 息
2009/3/20
「息抜き」という言葉がある。
「たまには旅行でも行って息抜きすれば?」
そんな風に使われる日常語だ。
「息抜き」と、「一息入れる」というのは、「ちょっと休む、気分転換する」という意味でほぼ同じだろう。しかし、最近わたしはふと気がついた。それは、「息抜き」という表現と、「息を吐く」という行動は、本当は同じ意味であり、そして同じ効果をもたらすものであるということだ。
心や体に負荷がかかりすぎると、人間の呼吸は次第に浅くなっていく。短い呼吸が繰り返され、きちんと脳や肺に空気が送られにくくなり、精神的にも落ち着かなくなる。思考力が落ち、うわついた状態になる。そんな時にすべきことは、深い呼吸をすることだ。しかし、息を吸うことよりももっと大事なのは、息を吐くということだ。もっと息を吸おうと頑張るのではなく、ふぅーっと細く、長く、息を最後まで吐ききるのである。そうすれば、自然と深い呼吸ができるようになる。無理に吸うのではなく、息を吐くことに集中する。次第に脳の深いところまで空気が送られ、心も頭も徐々にすっきりと落ち着き始めていく。
イライラし始めた時、ストレスを感じ始めた時、心を落ち着かせたい時は、ただ細く長く、静かに息を吐き切ればいい。
気がついたときには、この習慣が身についていた。おそらく、深い呼吸を繰り返すヨガのおかげであるのだろう。
吸うのではなく、息を吐き切ること。
息抜きという表現も、息を吐くことから生まれた言葉なのだろうか。
息抜きをするのも、意識して息を吐くのも、どちらも人間の体にはやっぱり必要なのだろう。
最近、そんなことを思っている。
April, 2009 世知辛く
2009/3/19
「世知辛い世の中ですねぇ。」
ある人にそう言ったら、「っくっくっく」と笑われた。
おかしかったのは、最近あまり使わない「世知辛い」という言葉そのものだろうか。
それとも、「お互い色々あるねぇ」という含みなのだろうか。
いずれにせよ、世知辛い世の中である。
ここのところ、どういうわけか、そんなことを思っている。
漢字
2009/3/18
心を亡くして「忙」になり、もっともっとと、「多忙」になる。
気がつきゃそのまま殺されて、それが、「忙殺」になるというのだから、漢字は実に、よく出来ている。
ちょっと、怖いけれど。
April, 2009 車のはなし (後編)
2009/3/17
この不景気にありながら、ホンダのグリーンマシーン「インサイト」は結構な売れ行きらしい。発売早々に増産が決まったらしいし、エコカーを待っていた人がこぞって買い求めているのだろう。ハイブリッドカーの王者「プリウス」とは、「アトムvs スヌーピー」の戦いだなと勝手に思っている私である。
そんな私だが、実際のところ車を買う必要もなく、時折母の車に乗って出かけている程度だが、「乗るならどんなのがいい?やっぱりプリウス?」と訊かれると、すぐさまこんな答えを返してしまう。
「見た目プジョーで、中身プリウスがいい」
そう。私はプジョーのあの小さくてかわいい形に大昔から惹かれている。色はやっぱりきれいな青だ。が、燃費やら性能を考えれば、やっぱりエコカーのほうが圧倒的にいい。そんなわけで、形がプジョーで中身がプリウスやインサイトのようなエコカーが生まれないものかと勝手に思っている。プリウスも、インサイトも、ちょっと女性には大きめだし、もっとコンパクトで小回り利きそうなエコカーがあってもいいなぁと思うのだ。
そのうち生まれないだろうか。女性にやさしい、かわいいエコカーが。
ま、そんなに乗らない私が言っても、たいして説得力もないだろうけどさ。
車のはなし (前編)
2009/3/16
そういえば、以前友にこんなことを言われたことがある。
「え?あやのって、車運転できるの?」
意外に思われるようだが、私の運転免許はゴールドである。優良運転者というよりも、「たいして乗っていないわりに時間が経っちゃった」というタイプだが、それでも免許は持っているし、月に数回は短い距離でも乗っているという、「ペーパー以上、人並み以下」のドライバーである。
しかし、周りはこんなことを言う。
「絶対、運転してるの想像できない」
「怖いから、絶対乗りたくない」
まぁ、何を言われても別にいいが、お酒を飲めない・飲まない私は、意外な時にその能力を発揮できるので、重宝される存在でもある。
オートマ車しか乗れないし、高速も車庫入れも、かなりビミョーではあるけれど、それなりに運転はできるんです。
とりあえず、そんなことを表明しておこう。
幸せの気づき
2009/3/15
美味しいものを食べるよりも、美味しく食べられる体と環境があることのほうが、本当はずっと幸せだ。
最近、そんなことを、心底思うようになった。
歳のせい、かもしれない。
でもたぶん、誰しもいつかは、こんなことに気がつくのだろう。
独り言
2009/3/14
ミサイルなんて打つ余裕が少しでもあるのなら、自国の貧しき国民に、病める国民に、手を差し伸べたらいかがだろう。
金も、時間も、人までをも、そんな無駄なものに費やすなら、もう少しまともなことをしたらどうだ。
大バカな指導者のせいで、なんで周りがピリピリしないといけないのだろう。
なんでこんなことのために、周りが金と時間と人を費やさなければならないんだろう。
もうちょっと頭を使えと、文句のひとつでもふたつでも、言ってやりたい気分である。
ここのところ、ニュースを見るたび、ずっとそんなことを思っている。
空白の記憶
2009/3/13
ふと、何をしていたのだろうと、過去をたどってみる。
3月の前半、私は一体何をしていたのだろう、と。
けれども結局、大した記憶もよみがえってこない。
メールを見返し、スケジュールをチェックする。
それでも何をしていたのか思い出せないのは、記憶がないだけではない。
ただ単に、仕事以外、ほとんど何もしていなかったのだ。
とは言え、仕事はきちんとできていたのだろうか。ちゃんと、日本語を話せていたのだろうか。
記憶がなくなるのは、今に始まったことではない。昔から、いつも、決まってそうだ。
とは言え、私は知らなかった。
忙しくなると記憶が飛んでしまうということが、万人に共通することではないということを。
結局のところ、大した記憶もなければ、何かをしたという感覚もない。
忙しすぎるのも、それは、やっぱり、問題なのだろう。
忙しいうちが花、なのかもしれないけれど。
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