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    February, 2009

    マナーについて思うこと vol.5

     

    2009/2/7

     

     

     

    いつのことだっただろうか。おそらく、もうそれは、1、2か月前のある朝の出来事だ。

     

     

    平日の朝、時折カフェに立ち寄って一杯のカフェラテを飲むのは、私にとって至福の時だ。ものの10分程度という短い時間であっても、一瞬気分を落ち着かせ、気持ちをリセットするのは、とても大切な瞬間だと思っている。

     

     

     

    その日も私は、少しだけ時間があったので、通勤途中にあるチェーン系カフェに立ち寄った。店内は広く、開放感があり、ジャズがかかっていて居心地も良い。私は壁側にあるソファ席に座り、ぼけっとしながら温かい1杯のカフェラテを飲んでいた。

     

     

    私の席からちょうどまっすぐ視線を伸ばした所に、通りに面したカウンター席があった。外からはもちろん店内が見える、よくある普通のカウンター席である。

     

     

    何気なくその席に目をやると、一人の若い女性が座っていた。こちらから顔は見えないが、おそらく20代前半という格好だろうか。遠目ではあるが、その彼女が何をやっているかは、簡単に想像がついた。鏡に向かい、どうやらお化粧に勤しんでいるらしい。朝の風景としては、まぁ、いまや、あり得ないことではない。

     

     

    「通りから見えるカウンター席でお化粧するのは、結構勇気がいるだろうなぁ。」

     

     

    そんなことをただなんとなく思っていた。

     

     

    別に何かをじっと見ていたわけではない。私の視線の先には通りに面したカウンター席があり、その手前では別の男性がテーブル席に座って何かを読んでいた。カフェは思い思いの時間を過ごす場所。いろんな人がいるなぁと思いながら、ふっと視線を上げると、カウンター席の彼女が、どうやら大きな声で話をしていた。携帯で話をしながら、鏡をずっと覗きこんでいるらしい。

     

     

    「もうすぐ行くから~」

     

     

    そんな会話の一端が、こちらのほうまで聞こえてきた。まぁこれもまた、よくある光景と言えるのだろう。しかし、それからが少しずつ違っていた。

     

     

    彼女は、カウンター席に座りながら、そう、通りに面しているのは百も承知でお化粧を済ませ、そして長い髪をアップにし始めた。ちょっと結わいたというのではなく、ブラシを使い、髪をまとめ、頭のてっぺんで大きなおだんごをつくり、ピンでばしばしと留めていった。すぐ横には朝食をとる人、コーヒーを楽しむ人がいる中で、である。

     

     

    「うーん、ちょっと、それはやりすぎじゃないか??」

     

     

    一瞬、私はそう思っていた。しかしそれと同時に、彼女はおもむろに席を立ち、バッグをいじり始めた。私は、「あぁ、帰るんだな」と思い、どういうわけかほっとしてしまっていた。朝からなんだか冷や冷やするなぁなんて思いながら、まだ残っているカフェラテに視線を落そうとしていた。

     

     

    しかし、次の瞬間である。

     

     

    「カパッ」という何か不思議な音が、遠くから聞こえてきた。

     

     

     

    「は?カパッって何の音?」

     

     

     

    そう思い、顔を上げ、視線を投げた途端に、なんともすごい勢いの音が店内に広がったのである。

     

     

     

    「シューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

     

     

     

    一瞬、何が何だかよくわからなかった。しかしその音は、なんとヘアスプレ-の音だったのである。つまりそう、そのカウンター席の女性、席を立って店を離れたのではなく、席を立っておもむろにカバンからスプレーをとりだし、カパッとキャップをとり、頭の上からすごい勢いでスプレーを吹き付け始めたのである。しかも「シュッ」とごく一瞬ではなく、「シューーーーーーーーーーーーー!!!」と何秒も何十秒にも感じるほど長い間、だ。

     

     

    あまりの出来事に私はあっけにとられ、そのまま呆然としてしまっていた。いや、私だけではない。私の目の前にいた男性も、近くに座っていた他のお客さんも、あまりの突拍子のなさに、みな目が点になっているようだった。

     

     

    すぐそばには、飲み物を飲む人も、サンドイッチを食べている人もいる。あんなに勢いよくスプレーを放ったら、完全に近くの人にまでかかってしまうのは、どう考えても明らかだ。

     

     

     

    あまりの展開にびっくりしていると、彼女はまた大きな声で携帯で話しながら、鏡を覗き、荷物をまとめ、店をばたばたと出ていった。残された周りの客は、目の前で起きた異様な事態を、ただただ黙って理解しようとしているようだった。

     

     

     

    公共の場で過ごす時間。

     

     

    それは自分の大切な時間であるということと同時に、他の誰かの大切な時間と空間であるということを、やはり心のどこかでいつも持ち続けていなければならないのだろう。

     

     

     

     

    マナーについて思うこと。

     

     

    それは、「人のふり見て、我がふり直せ」という使い古された一言に、結局やっぱり尽きるのかもしれない。

     

     

     

     

    February, 2009

    マナーについて思うこと vol.4

     

    2009/2/6

     

     

    今思い出してもぎょっとすることがあった。ある日の夜、カフェで起こった出来事だ。

     

     

    その日私は、夜9時過ぎにとあるカフェにいた。カウンター席に座りパソコンに向かい、時おり飲み物を飲みながら、ごく普通に静かにカフェでの時間を楽しんでいた。

     

     

    隣の席に二人組が座ったのは、おそらく9時半ごろだった。自分の荷物をこちらに寄せ、ふっと目をやると、隣に位置したその男性はごく普通の爽やかな30代半ばのサラリーマンという感じである。そして、ひと目見た瞬間、「あぁ、この人おしゃれなんだな」という出で立ちであった。いや、決して「かっこいい」とか「素敵」という意味での「おしゃれ」ではない。どちらかというと、「うっ」と一瞬引いてしまうような、それはまるで、セレクトショップのウィンドウに飾られているような、キメキメ感満載の洋服、そしてブランド物という組み合わせで、私は一瞬、ぴたっと視線が固まってしまっていた。

     

     

    いや別に、洋服がどうだとか、持ち物がどうだとか、そんなことが言いたいのではもちろんない。

     

     

    私はこの夜、ごく稀なる不快な体験をした。こんなにぐるぐると頭と心が回るのも珍しいというような時間である。

     

     

    私は変わらず、パソコンにひとり向かっていた。たぶんそれは、ネットをやっているか、ブログの原稿を書いているかという、ごく普通の時間ではあったが、実に平穏で気持ちの良い時間であった。しかし、隣に人が座ったことで、それはすべて不愉快きわまりない時間へと変わっていった。実に、奇妙な展開がそこから始まっていったのである。

     

     

    何も気にしていなかった私は、当初普通にキーボードを叩いていた。隣の二人組は、飲んだ後なのかよくわからないが、実にテンションが高く、店内中の誰もが会話を理解できてしまいそうなほどに、大声でそしてはっきりと話をしていた。別に、それくらいなら私もたいして気には留めない。カフェでは静かにしていろなんて言う気は毛頭ないのである。

     

     

    しかし、その異様なテンションは、変な方向へと話を引っ張っていっていた。静かな落ち着いたカフェで、大声で話をしているのだから、すぐ隣にいる私は、嫌でも話が耳に入ってしまう。

     

     

    最初はごく普通な話をしていたその二人。なぜか途中から、お酒のせいなのか、テンションのせいなのか、怪しい会話へと移っていた。おそらくそれを引っ張っていたのは、どちらか一方ではなく、お互いの力なのだろうが、次第に聞くに堪えない内容に、いや、聞きたくて聞いているわけではないのだが、耳にするのに堪えない内容になっていた。

     

     

    そこは明るく、落ち着いて、こじんまりとした癒し系のカフェである。音楽も静かめだし、誰もが心地よく時間を過ごしている空間だ。そこでその輩、何を考えているのか、どういうわけか、過去の女遍歴を語りだした。いや、別に、普通の内容であれば、私もまったく気にはしない。が、その全身キメキメ男、こともあろうに過去の女性との性遍歴を赤裸々に、しかも大きな声で話し始めたのである。その内容は、おそらく店内にいるすべての客が「おいおい、何話してんだ」と思うこと間違いない内容である。ブログ上ではごくぼんやりと書くが、ま、言ってみれば、「誰々とはどこでどういう感じでして、しかも、あんなことが好きな変態だったし、誰々はこういうのが好きで・・・(以下、延々と続く)」というような内容であった。

     

     

    ハッキリ言って、大バカ者である。一体全体、明るく静かな癒し系のカフェで、しかもすぐそばに普通に客がいる中で、堂々と自分の性遍歴を大声で話す輩がどこにいる。まだ、個室の居酒屋や、深夜の人のいないお店とかであれば、話はわかる。もしくは、人目を気にしながらというのであればまだわかるが、状況はそうではない。全員が聞こえるような声で、自信満々に語っているのだから、もうどうしようもない。私は嫌でも入ってくるその会話を耳にしながら、心の中でうんざりしていた。30分以上、そんな調子だったのだから、おそらく店内にいる人は全員同じような気持ちをもっていたのかもしれない。見た目は、爽やかそうな男性であったが、やはりはじめに感じた「うっ」というのは、「人は見た目がものを言う」という言葉を密かに表わしていたのかもしれない。しかも、その男性が語っていた相手が、男性ではなく女性であったのだから、ますます驚きである。

     

     

    そんなわけで、私はこの夜、マナーというのはその人をすべて表わしてしまうような怖いものであるということを、痛感した。「人のふり見て」であるからには、自分も気をつけないといけないわけである。

     

     

    壁に耳あり、障子に目あり。

     

     

    そんな言葉すら浮かんできてしまう、実に奇妙な出来事だった。

     

     

     

     

    February, 2009

    マナーについて思うこと vol.3

     

    2009/2/5

     

     

    つい最近、私はとある休みの日に、とあるカフェへと入った。ほんの10分ほど入って、ちょっと座ってやりたいことがあったのだ。

     

     

    駅前にあるそのカフェは、ごくごく普通の、どこにでもあるチェーン系のカフェである。リーズナブルな値段であるにもかかわらず、紙コップでなく食器できちんと出してくれるのが私の好きなところであり、私はオーダーをした後、飲み物を手にし、禁煙席のカウンターの端に席をとった。壁側が好きな私は、大抵、端の席につくのだが、このときも普通にカウンター席に座り、温かい豆乳ラテを飲みながらちょっとした作業に勤しんでいた。ほんの10分程度で席を立つつもりでいた。

     

     

    下を向きながら自分のことに集中していると、ふっと、何かがひっかかった。何かが、変なのである。下を向いていた私は、思わずふっと顔をあげた。

     

     

    「何だろう、この匂い。」

     

     

    そう思って、何気なく横を見ると、空いていた隣の席に男性がひとり座っていた。コーヒーをテーブルに置き、席をとっていたその男性。見た目は60代ぐらいのスーツ姿の男性である。私は、その男性を目にした瞬間、思わず自分の中で、こう叫んでいた。

     

     

    「え?ここって、禁煙席じゃなかったんだっ?!」

     

     

    何年も前からその店を知っていたのだが、私が実際に店内に入るのはごくたまにという程度である。しかし、ずっと前から、禁煙席と喫煙席の範囲はわかっていたつもりでいた。そしてこの日も、何にも考えずに、普通に禁煙席に座ったつもりだった。周りにはタバコを吸っている人もいないし、私もそのつもりでいたのである。

     

     

    しかし、隣に座った男性を目にした瞬間、思わず私は自分の間違いにはっと気がつかされていた。

     

     

    「しまった、ここって、喫煙席だったんだ」

     

     

    タバコが苦手な私は、思わず自分の間違いを恥じ、禁煙席に移動したいと思った。しかし、ほんの10分程度で席を立つ予定の私は、今更動くのも面倒かと結局その場にとどまることにした。

     

     

    風はどういうわけか私のほうに流れていた。豆乳ラテを飲みながら、タバコの煙を浴びるのは、私にとって決して快い時間なんかではない。

     

     

    「おかしいなぁ、ここって禁煙じゃなかったっけ」

     

     

    そう思いながら、私はふっとある看板を思いだした。レジカウンターの近くで、きちんと喫煙席と禁煙席の場所を示す立て看板を目にしていたのである。その指示によれば、お店の奥が喫煙席で、手前が禁煙席だったはずなのだ。

     

     

    私は、しっくりこないながらも、自分の座っているテーブルに視線を戻し、目の前に置いてあるバッグを少しよけてみることにした。私が間違っているかどうか、自分の目で確かめようと思ったのである。

     

     

    するとそこには、いつものように「禁煙席」のシールが貼られていた。必ず、1席ずつ、1テーブルずつに禁煙席を表示するシールが貼られているお店なのである。

     

     

    いぶかしげに思いながら、ぐるっと辺りを見渡すことにした。やはり、どの席にも禁煙のシールが貼られている。だとすれば、隣に座る男性の席も、間違いなく禁煙席であろう。

     

     

    ふっと目をやると、その男性は2本目のタバコに火をつけようとしていた。火を点け終わり、タバコの箱を置いたそのすぐ脇には、私のテーブルと同じ禁煙のシールが貼られていた。

     

     

    「あの、ここ、禁煙席なんですけど・・・」

     

     

    そう喉元まで言葉が出そうになっていた。間違っているのは、私ではなく、その男性のほうだったのだ。しかし、下手に声をかけると、何を言われるかわからないようなそんな怖い雰囲気でもある。

     

     

    セルフサービス形式のカフェということもあり、この時店員さんが店内を歩き回ることはなかった。このルール違反に気が付いていたのは、はたして私だけだろうか、それとも周りも気づいていたのだろうか。

     

     

    タバコをくゆらせながら、コーヒーを飲んでいたその男性。途中で、あたりをきょろきょろと見渡していたのは、周りに煙がなかったことを不思議に思ったからだろうか。それとも、いそいそとごまかしたかったからだろうか。

     

     

    その真相はよくわからないが、私は結局、何も言うこともできず、そのまま店を後にした。

     

     

    その後、この出来事を友に話すと、「それは絶対確信犯でしょう~」という答えが返ってきた。本当に確信犯だったのか、それとも単なる間違いだったのか、それは誰にもわからない。しかし、喫煙者にとって、吸う場所を確かめるというのは、たぶんきっと、ごくごく当たり前のマナーなのではないか、そう思っていた。

     

     

    私はタバコを吸う人をとがめているわけでも、何でもない。ただ単に、人としてのマナーは最低限守ってほしいということだ。

     

     

    禁煙席でタバコを吸う人を初めて見て、私はぎょっとしたとともに、「気をつける」というマナーの基礎の基礎を改めて学ばされたような気がしていた。

     

     

    こんなこと、そう滅多に起きるとは思わないのだけれども。

     

     

     

     

    マナーについて思うこと vol.2

     

    2009/2/4

     

     

    最近気になる、マナーの話。

     

     

    昔からよく耳にしたのは、「まったく、最近の若いやつは」というフレーズであったと思う。いつの時代も大人が若者の行動や言動に眉をひそめるのは、ごく当り前のことだったのだろうと思う。

     

     

    しかし、最近、これが当てはまらなくなってきたような気がする。それは別に、かつての若者が大人になったからとか、そういうことではないだろう。

     

     

    しかし、

     

     

    「ちょっと、いい大人が何してんの~」

     

     

    というようなことが、ここのところ妙に目につくようになったのである。

     

     

    たとえばカフェで、たとえば電車で。場所はどこでもいいが、大声で携帯で話すいい大人たち。携帯に不慣れな世代なのかも知れないが、堂々と、「いま?電車なのよ~、でも平気よ~」とか言っている方、マナーモードに全くせずに、堂々と着メロを、しかも何度も鳴らしているような大人を見ると辟易してしまう。そしてまた、新幹線やバスなどの乗り物で、ごみを散らかしっぱなしにして堂々と降りるような常識外れな人々。もちろんこれは、若い人から大人まで様々だが、意外と「どうみてもいい年齢の大人」であるにもかかわらず、どうしようもないマナーを露呈させているという方も少なくないようである。

     

     

    そういえば最近私は気がついたのだが、カフェやレストラン、電車やバスなど、色々な公共の場で人が去る時にはある種の傾向が見られることがわかった。これは特定の年齢に限った話ではないが、いい大人であることが多い。たとえば、セルフ形式のカフェなどで、テーブルをくっつけたり、椅子を移動させたり、はたまたいくつかの椅子を一人で使っていたとしよう。帰る際にそれらを元の場所にきちんと戻さず、そのまま放置して店を出るようなタイプの方というのは、同時に、トレイやごみなどを片付けないでぐちゃぐちゃのまま席を離れていることも結構あるようである(しかも、ひどい時には持ち込んだゴミまで残してあったりする)。また、新幹線やバスなどで、降りる際に大量のゴミを残してあるような座席は、大概リクライニングシートがえらく倒れていたりして、後ろに迷惑がかかりそうな角度になっていたりもする。

     

     

    つまり、何が言いたいかというと、結局のところ、大人だろうが、若者だろうが、子供だろうが、しっかりできる人は、いや、普通の人は、普通にマナーを持って社会で生活しているが、マナーに欠けているタイプの方は、きっと一部分だけではなく、全体的にあれもこれもマナー違反をしてしまっているのではないか、ということだ。本人が気づいているかどうかはさておき、自分のことだけ考えて周囲に気を配ることが出来ないと、密かにとんでもない事をしでかしているかも知れない。とりわけ大人になってからというのは、よっぽどのことがない限り誰も注意もアドバイスもしてくれないわけで、そうなると余計えらいこっちゃになってしまうのだろう。やはり、こういうごくごく基礎的なことは、小さい頃からしっかりと身につけておかないと後々大変なのかもしれない。やはり、教育がものを言うのだろうか。そんなことをついつい思ってしまう最近の私なのである。

     

     

    と、うだうだ書いてしまったが、私が度肝を抜かれたマナー違反集は次回以降ご紹介したいと思う。誰に言っても、「ありえない・・・」と言われたので、おそらく私の判断もそう間違ってはいないはずだ。

     

     

    そんなわけで、このシリーズ、しばらく続きます。

     

     

     

    February, 2009

    マナーについて考えてみる vol.1

     

    2009/2/3

     

     

    ここしばらく、どういうわけか、私は「マナー」について考えることが多い。なぜかありとあらゆる公共の場で、「それマナー違反じゃないの・・・?」と感じることが増えたのである。それが私のせいなのか、特に年齢を重ねたゆえなのか、それともやっぱり本当にマナー違反であるのかどうかは、なかなか判断がしにくいのだが、「やっぱりどう考えてもおかしいでしょう、それは」ということが妙に増えた気がする。公の場での振舞い方に敏感に反応するのは、私の性格ゆえかもしれないが、ちょっと「度を越した」マナー違反が集まってしまったので、シリーズもので書いてみたいと思っている。

     

     

    ちなみに、三省堂大辞林によると、マナーとは

     

     

    「行儀。作法。礼儀。」

     

     

    を、意味している。

     

     

     

    決してお行儀がいいわけでも、礼儀作法がバッチリというわけでもない私だが、「人のふり見て・・・」という戒めの意味も込めて、これからちょっと書いてみよう。

     

     

    次回へ続く。

     

     

     

    February, 2009

    湯たんぽゆたぽん

     

    2009/2/2

     

     

    そういえば1月のある日の夜、私は無印良品に行き、前々から欲しかったものを買った。何かと言えば、湯たんぽである。ここ数年じわじわと売れていた湯たんぽだが、不況のせいなのか、この冬に入って無印良品でもかなりの売り上げを記録したらしい。かく言う私も以前から欲しいなぁと思っていたのだが、どうも買う機会がなくこの冬までずるずると来てしまった。しかし、とある夜、そうだと思い立ち、愛すべき無印に向かったのである。無印で売られている湯たんぽの大きさは2種類あり、1000円程度で買えるのがまずもってありがたい。さらには、専用のカバーも何種類もあって、手触りがいいものやチェックの可愛いものまでより取りみどりである。カバーと一緒に買っても15002000円程度なのだから、この抑え目の価格も、きっと売れている理由の一つであろう。私はふわふわの暖かいカバーを買ったが、手触りもよく、見た目も可愛らしく、ついつい「ゆたぽん」という名前を付けてしまった。というわけで、私は毎晩寝る前に、ゆたぽんにお湯を入れてベッドに入れている。寝る頃にはじんわりと温かく、23時間程度は温かさが保たれるので、実に快適だ。この歳になるまで湯たんぽを使ったことがなかったのだが、もっと早く出会えていればよかったなぁとしみじみ思ってしまうほどだった。

     

     

    「昔の人ってすごいなぁ。」

     

     

    そう今更ながら、先人の知恵に感心している最近の私なのであった。

     

     

    おしまい。

     

     

     

    February, 2009

    響きの日本語

     

     

    2009/2/1

     

     

    最近ふと思ったのだが、

     

     

    「あつらえる」

     

     

    とか、

     

     

    「こしらえる」

     

     

    という言葉は、なんだかとっても粋でいい響きじゃないかと思う。

     

     

     

    普段あまり耳にしなくなった言葉ではあるが、お歳を召された方とかが「こしらえて」とかおっしゃっていると、なんだか妙に粋で人情があるように感じてしまう。

     

     

    言葉の持つイメージや力というのは、思っている以上に強いのだろうか。

     

     

    その人を表わすのは、外見と同時に、口から発している何気ない言葉なのだろうか。

     

     

     

     

    素敵な日本語がなくならないように。

     

     

     

    そんなことを思うのも、自分が歳を重ねたせいなのかもしれないけれど。

     

     

     

     

    豆乳鍋を囲んで

     

     

    2009/1/31

     

     

    休日土曜、雨模様の昼下がり。友と待ち合わせバスに乗り込み、一路友の家と向かう。前々から約束していた豆乳鍋を囲むためだ。女3人で鍋でもやろうかと言われたとき、頭に浮かんだのはただ単に美味しい鍋というよりも、もっぱら「体にいい鍋!お肌に効く鍋!」となったのだから、やはりそれは「女」として生きている証しなのかもしれない。いや、ある程度大人になったと言うべきか。そんなわけで友の用意してくれた豆乳鍋を3人で囲み、豚肉、水菜、白菜、大根、人参、ごぼうにキノコ、お豆腐にといったヘルシーな材料をみなでぺろりと美味しく頂く。3人で豆乳1リットルを開けてしまったのだから、大豆イソフラボンもたっぷりとれて、相当体が喜んでいるに違いない。食後には美味しいケーキと香りゆたかな紅茶まで頂きながらも、女3人話が尽きることはない。

     

     

    いつも思うのだが、女性の話が脱線しやすいというのと、女性がいくつもの色んな仕事を同時並行的に片付けられるというのは、やはりある種同じ能力なのではないだろうか。これこそまさに、女性の強みであり、特技なのだろうと思っている。男性とは思考方法、回路が違うというが、集中タイプの男性と、多チャンネルタイプの女性という、この違いこそもっと生かさないと、世の中もったいないことばっかりだよな。そんなことをふと思っていた。

     

     

    いくら時間があっても、足りるなんてことないんだろうな。気が置けないガールズトークは。

     

     

     

    February, 2009

    金曜の決心

     

    2009/1/30

     

     

    金曜の夜、7時前。仕事を大急ぎで終わらせ、銀座のはじにあるとあるビルへと向かう。初めて訪れる雑居ビルの中。恐る恐る中の様子を伺いながらドアを開けると、実にあたたかくリラックスした雰囲気に出迎えられる。思っていたようなスタイリッシュで、システマチックな感じは全く見られない。すぐさまスタッフさんに声をかけられ、しばらく話をしていると、ここの雰囲気が以前から私が望んでいたような空間であることを、一瞬にして理解した。直感的に合うなと思ったのである。

     

     

    以前から私は、あることがずっと引っかかっていた。それは、数年前から通っていたジムのことだ。週に2回くらいのペースで通える月もあれば、忙しくて全く通えない月もあったが、私は主にヨガのレッスンを受けていた。私にとってヨガは、いまや欠かすことのできない大切な要素であり、自分の体調や心を健やかに保つためにも、絶対に必要なものである。

     

     

    私がヨガを始めたのはまだブームが起こる前だが、実はブームがだいぶ落ち着いてきた去年あたりから、ジムでのヨガのクラスも少しずつ減っていった。そうして、私が通える時間のクラスは徐々になくなり、足が遠のくようになっていた。もちろん、他にもピラティスや気功、太極拳、フラダンス、ジャズダンスやキックボクシングなど、様々な種類のレッスンもあるし、筋トレをするための設備もすべてそろっている。しかし、とりわけ昨年11月に左足の靭帯を痛めてからというもの、運動をすることもできず、結局3か月もの間、ジムに通うことは皆無だった。月会費は1万円をはるかに超える。毎月行けないジムにお金を払うことが、私の中でひっかかっていた。もちろん、足が治りはじめ、運動ができるようになったからにはまたジムに戻ってヨガもやりたかった。しかし、肝心のヨガのレッスンは減っている。この悪循環にはまってからというもの、私はずっとうにうにと悩んでいた。月会費をはらっていれば、いつでも好きな時に、好きなようにジムには行ける。岩盤浴もあるし、ジャグジーもあるし、設備的にはなんの文句もない。しかし、たいして行けないジムにお金をつぎ込んでも意味はないだろう。一方、ヨガだけを専門に行っているヨガスタジオは銀座などにも数あれど、調べると事前予約制をとるスタジオばかりだった。仕事の都合で行けなくなったり、今日今から行きたいと思ったりする人間にとっては、事前予約制ほど面倒なシステムもない。だからこそ、いつでも自由に行けるジムのヨガに私はずっと通っていた。そのメリットとデメリットをずっと天秤にかけていたのである。にもかかわらず、自分から始めたことにピリオドを打つのがひどく苦手な私は、結局その天秤をどちらかに傾けることもできず、ずっとうやむやにしてしまっていた。

     

     

    しばらくずっと迷っていたさなか、私は偶然、ネットでとあるヨガのスタジオを見つけた。場所もいいし、講師もしっかりして本格的そうだし、なんだかとっても良く見える。それに、なんと事前予約制でもなく、ふらっと行きたくなった時に行くことができる。月会費もなく回数券システムで、無駄なお金を払う必要もない。それに、何より、夜の8時過ぎまでレッスンがあるというのが魅力的だ。今までどうして気がつかなかったのか、私にも全くわからないほどだ。

     

     

    私はすぐさま体験クラスをネットで申込み、金曜の夜にそのスタジオへ向かうことにした。内心どきどきしながらお邪魔すると、思った以上にアットホームで、こじんまりとした優しい雰囲気がそこにはあった。初めてということもあり、スタッフさんやインストラクターの先生に事情を話すと、実に丁寧に、そして優しく対応してくださる。信じられないことに、2つあるうちのスタジオのうち、小さなスタジオのほうでは、たったの6人でレッスンがはじめられた。ジムでは数十人単位でレッスンを受けているのだから、その差には驚きである。外からの明かりをさえぎるためにカーテンがひかれ、室内の照明を落とし、ほのかなオレンジの光の中、静かにゆったりとヨガははじまった。1時間半という長めの時間設定だが、これまで受けたことのないようなヨガの時間で、心がすぅーっと落ち着いていくのがよくわかった。最後はマットの上に横になり、毛布をかけて15分ほど目をつむる。瞑想の時間だが、私は完全に眠りに落ちていた。ヨガの後のごく短い睡眠は、数時間の睡眠に匹敵するといわれるほど、深くて豊かな眠りになるのである。

     

     

     

    3か月ぶりにヨガのレッスンを受けたあと、私が来るべき場所はここだったかと、素直にそう確信していた。

     

     

    「ありがとうございました。また、来ます。」

     

     

    先生やスタッフさんにお礼を告げ、雨上がりの空の下、外に出る。

     

     

     

    何のためらいもなく、私はすぐさま別の場所へと向かっていた。ずっと迷っていた、銀座のジムである。

     

     

     

    決心には、やはりタイミングが必要なのだろう。

     

     

     

    そんなことを、心の中で、思っていた。

     

     

     

     

    February, 2009

    東京都港区にて

     

    2009/1/29

     

     

    私が普段一日の大半を過ごしているのは、東京都港区である。こう書くとなんだか聞こえはいいのだが、何気に港区というのは実に不思議な区だと思う。なにせ、あの海の上のちょっと不思議な存在のお台場、そして新しい汐留をはじめとして、新橋、虎ノ門、浜松町、田町といったサラリーマン街、そして外国人も多く高級感も漂う神谷町、六本木、それに麻布、白金、高輪、赤坂、青山、さらには、ほとんど渋谷区と思いこんでいた表参道駅、そして誰もが品川区だと思っている品川駅までが、港区の範囲なのである。なんでこんなにカバー率が高いんだろう。そう不思議に思っているのは、おそらく私だけではないはずだ。 

     

    そんな不思議ちゃん港区だが、私が勤務しているのはもちろん高級感など全くないサラリーマン街である。間違っても六本木や青山が私に似合うはずもなく、私はいたって庶民的な港区を楽しんで生きているわけである。

     

    さて、そんな港区では、いますごいことが起きている。いや、別に、何かイベントをやっているわけでもないし、新しい何かができているわけでもないのだが、私には妙に引っかかることなのである。

     

    これに気が付き始めたのは、去年の終わりごろからだ。世間では不況の波がどしどしと押し寄せ、お先真っ暗感が漂い始めた頃である。その当時、何も気にしていなかった私だが、ある日のとある忘年会で、私は日ごろお世話になっている方からこんなことを言われたのである。

     

     

    「とにかく、今、マンション買い時だから!前の3分の1とかなんだから、とりあえず、買っちゃえ~!」

     

     

    いやもちろん、お酒の席での話である。別にその人がどれくらい真剣にその話を私にしたかは、想像に難くないし、私も「へ~、そんなに今って買い時なんですかぁ~」とのん気に聞いていただけである。世間では確かにマンション価格が暴落しているとかなんとか言われているし、それもたぶん本当なのかもしれない。

     

    そんなことを言われてからというもの、私は以前よりも妙に不動産の広告が気になり始めた。いや、別に、買いたいとか、そういう次元の話ではない。本当にそんなに価格が下がっているのか?と、ただ単に興味を持ち始めたのだ。

     

    しかし驚いたことに、私が気になり始めたその時点ですでに、毎週毎週金曜日の朝刊にあれだけどさっと挟まっていた不動産の広告も、ほぼ皆無に近い状態になっていたのである。

     

    どうやら、あまりにも景気が悪くなり始めたせいで、不動産の広告はどんどん削られ、印刷屋さんも暇になってしまうほど、折り込み広告の需要がなかったらしい。

     

    しかし、そんなすっからかんの新聞広告も、年を越してしばらくしたのち、ふたたび異変が起こり始めた。1月に入り毎週金曜日には、またしてもマンションの広告が以前のように入り始めたのである。あの、妙に大きく、妙にいい紙で、そして妙にキランキランとした華やかなマンション広告が、再び勢いをつけて戻ってきたのだ。

     

    とは言え、実際には、広告の中には変化が起きていた。私は久しぶりに沢山のマンション広告を眺めると、信じられないものを目にしたのである。それは、以前とは比べようもないほどの価格設定ぶりである。

     

    そもそも、私が目にしているのは港区のマンション広告ばかりである。それはそれは高級な、六本木、麻布、白金、高輪、赤坂などばかりであり、どう考えても普通の人が買えそうにない超ハイクラスな物件ばかりである。しかし、その広告にも異変が起こり始めていた。以前なら、「1億、2億、3億円台」という、なんだそりゃな価格のマンションばかりだったにもかかわらず、最近では、「3千万、4千万、5千万円台から」という価格のマンションがごろごろ出ているのである。そしてまた、「キャンセル出ました!」とかいう広告も前より多い気がしている。もちろん、1億だの1.5億だのというマンションも確かにあるようだが、以前に比べたら価格の最低ラインが一気に落ちたような気もする。やはり、これって、不況の影響、そしてマンション価格暴落の結果なのだろうか。

     

     

    私は再び毎週金曜日にどどっとくるようになったマンション広告を眺めては、不動産業界の動向と今の景気をなんとなく垣間見るような気がしてしまう。

     

     

    この黒い大波、一体いつまで続くのだろう。

     

     

    そんなことを思いながらも、「東京の夜景を見下ろすラグジュアリーな空間」だのなんだの言っている広告を、冷めた目で眺めたりしている私なのであった。

     

     

     

     

    February, 2009

    壊れたカメラ vol.3

     

    2009/1/28

     

     

    (前回から続く)

     

     

    壊れた一眼レフカメラを入院させてから約2週間後。時間ができた私は銀座に向かい、Canonのサポートセンターを訪れることにした。すでに修理の出来がり予定日は過ぎていた。

     

     

    「もしも見積もり以上の費用がかかるようならお電話しますね」

     

     

    そうは言われていたが、結局私のもとに電話がかかってくることはなかったのである。

     

     

    伝票片手にサポートセンターに向かうと、休日だからか思ったよりも混んでいた。番号札をとりしばらく待っていると、私の番がやってくる。見積もり額は、19000円。この金額が、私の中でずっと引っかかっていた。同じお金を出せば新しいコンパクトデジカメは買えるだろうし、12日で温泉にだって行けてしまう。私にとってこの額は、決して小さいものではなかったのである。

     

     

    「一体いくらかかるんだろう・・・」

     

     

    そう思いながら伝票をスタッフさんに渡し、カウンターで待っていると、ビニールに包まれた一眼レフのボディ本体がやってきた。しばらくぶりに見る私のカメラ。なんとなく、私のじゃないほどキレイな気がする。不思議な感じでカメラを眺めていると、スタッフさんはこうゆっくりと切り出してきた。

     

     

    「シャッターを切っても、何にも映らないということで、お預かりしたんですがね」

     

     

    そう、そうである。シャッターを切っても、液晶には真っ暗の画面しか映っていなかったのである。原因は一体どこにあったんだろう。

     

     

    「一応、すべて検査をしてみたんですが」

     

     

    うん、そう、検査をしてもらって、で、どうなったんでしょう。

     

     

    「実は、どこにも異常はなかったんです」

     

     

    「へっ????????????????????」

     

     

    私は思わず、すっとんきょうな声をあげていた。あまりにも予想していなかった答えに、思わず驚きの声を出してしまったのである。

     

     

    「はっ?えっ?ど、どういうことですか?全然映らなかったんですけど??」

     

     

    すると、そのスタッフさんも、不思議そうにこう返してきた。

     

     

    「異常が見られたという2点、シャッターを切っても液晶に映らない、それからシャッターを切った時にファインダーがぶれるような感じがする、これを中心に全部お調べしたんですがね、どこにも問題なかったみたいなんです」

     

     

    自分の理解能力を超えてしまっているのか、私は言われている意味がまったくもって理解できなかった。

     

     

    「え?でも、この前ここでスタッフの人と一緒にレンズを変えたりしても全く映らなかったし、画面も変だったんですけど?異常が無かったって、どこも壊れてないってことですか??え?なんで??」

     

     

    そう私が思いのままに詰め寄ると、そのスタッフさんも、実に不思議そうな顔をしながら、こう切り返してきた。

     

     

    「そうなんですよね、こちらもちょっとどうしてなのかよくわからないんですが、とりあえず、ちょっと撮ってみましょうか」

     

     

    そう言って、サポートセンターにあるレンズをつけてもらい、写真を撮ってみることにした。

     

     

    スタッフさんが1枚。そしてその後、私も1枚。

     

     

    奇妙なことにそのカメラは、問題なく正常に動き、そしていつものように写真が撮れていた。異常があったとは思えないほどにスムーズな動きだったのである。

     

     

    私は自分でその動作を確かめながらも、頭の中がぐるんぐるんと回っていた。確かにおかしかったのに、なんでどこも壊れてなかったんだろう。

     

     

    そう疑問に思っていると、スタッフさんはこう説明を加えてくれていた。

     

     

    「問題はないと思いますが、もしももう一度同じような症状が出たら、次はレンズとセットで持ってきてくださいね」

     

     

    「あ、はい、わかりました。すみません、ありがとうございました」

     

     

    腑に落ちないながらも、私は自分を理解させようとし、そして預けていたカメラを受け取ろうとした。

     

     

    目の前のスタッフさん。伝票を見ながら、最後にこう口にした。

     

     

    「えっと、お会計なんですが」

     

     

    私はその瞬間、冷やっとした。故障していれば修理をしてその代金19000円がかかってもおかしくない。しかし、こういう場合は一体全体どんな金額になってしまうのだろう。

     

     

    どきどきしながら待っていると、こんな答えが返ってきた。

     

     

    「今回検査だけで、特に修理もしませんでしたので、お会計は、無料です」

     

     

     

    ひゃあ~~~~~~。

     

     

     

    私は思わずバンザイをしてしまいそうな嬉しさだった。完璧に検査もして頂き、そしてなんだかクリーニングをされたようなきれいなカメラになって私のもとに戻ってきたにもかかわらず、あの恐ろしき19000円が遠ざかったどころか、まったくの無料なんてあまりにも素晴らしすぎると思ったのである。

     

     

    「すみません、ありがとうございました~」

     

     

    私はそう深々とお礼を言い、満面の笑みでサポートセンターを後にした。

     

     

     

    壊れたカメラ、それは、実は壊れていなかった。どうしてそうなったのか、私にもCanonさんにもわからないらしい。

     

     

    が、その対応は実にスマートで、実にプロフェッショナルなものだった。

     

     

     

    やっぱりカメラは、一生Canonだな。

     

     

     

    そんなことをただのんきに思いながら、私は銀座を後にした

     

     

     

    壊れたカメラ vol.2

     

    2009/1/27

     

     

    (前回から続く)

     

     

    壊れた一眼レフを片手に飛び込んだCanonのサポートセンター。閉店間近ということもあり急いで店内に入ると、まだ数人のお客さんもおり、ほっと一安心。順番を待っているとものの数分で私の番がやってくる。スタッフの方はベテランと思しき中年の男性だ。「どうしました?」との問いからはじまり、やさしいスタッフさんとの会話が始まる。

     

     

    「シャッターを切っても、画像が映らなくなっちゃったんですけど」

     

     

    そう言って、私がカメラの症状をあれこれ説明をすると、「ちょっと撮ってみましょう」とファインダーをのぞくスタッフさん。しかし、何をやってもやはり写真が撮れることはなく、「変ですね、レンズ変えてみましょうか」、「ボディ変えてみましょう」と色々なやり方でどこに不具合があるのかを確かめてもらう。「特にぶつけたりしてないんですけど、マイナス8度くらいの中で撮ってました・・・」と言うと、「一応、0度から40度くらいまでは保証しているんですけどね」とのこと。翌日写真を撮る機会を控えていた私は、できれば併用しているレンズだけでも持って帰り、アナログ一眼のボディにつけて撮りたいと伝えてみる。すると、「レンズは大丈夫そうですから、ボディだけお預かりしましょう」とのお返事。サポートセンターにある他の一眼レフボディに私のレンズをつけたら何の問題もなく映ったのだ。つまり、ボディのどこかに異常があるということらしい。

     

     

    そもそもデジタル一眼レフはどれくらいでオーバーホールをすべきものか知らなかった私は、「デジタルだといつぐらいでオーバーホールやるものなんですか?」と訊いてみる。するとどうやら、私の持っているEOSkissでは6万ショットくらいまではオーバーホールなしでいけるらしい。まだ1年半で5000枚程度しか撮っていないのだから、普通に撮っていれば壊れるということはないのだろう。

     

     

     

    「とりあえずボディをお預かりして、検査してみましょう」

     

     

     

    そう言われ、ひとまず私は愛用のカメラをしばらく検査入院させることにした。無事に治ってくれるといいけれど、どうなることだろう。そう思いながらも、とりあえず一旦は心の中で安堵を覚えていた。

     

     

     

    しかし、驚いたのはその後だ。

     

     

     

    「一応、見積もりは19000円で出しておきますね。それ以上かかるようなら、またご連絡しますね」

     

     

     

    目の前に出された見積もりの金額を見て、思わず我が目を疑った。

     

     

     

    19000円も出したら、安いコンパクトデジカメ買えちゃうんじゃないっけ・・・?」

     

     

     

    コンパクトデジカメを持たない私でさえ、一瞬にしてそう思ってしまったのである。いやはや、ボディ本体で6万円とかだったのに、修理で2万円近くいったら、なんだか私は悲しくなってしまう。とはいえ、今更引き下がることも諦めることもできず、私はしゅんと肩を落としながら、愛用のカメラを入院させることにした。思ってもみなかった、痛い出費である。

     

     

     

    「はぁ~、カメラってお金かかるなぁ~」

     

     

     

    そう思いながら、私は閉店時刻を過ぎたサポートセンターを後にした。

     

     

     

     

    一体、いくらかかっちゃうんだろう。

     

     

     

     

    そう、頭の中でぐるぐると考えながらも。

     

     

     

     

     

    February, 2009

    壊れたカメラ vol.1

     

    2009/1/26

     

     

    年末年始、ナイアガラとニューヨークで過ごした私は、元旦の朝、ニューアークの空港で、あるショッキングなことに出くわした。最後のニューヨークの食事を写真におさめようとすると、何度やっても写真が撮れなかったのだ。 

     

     

    最初私は、何枚試しても真っ暗な液晶画面を見て、てっきりマニュアルモードになっているか、露出がアンダーになりすぎているのかと思っていた。たまにあるのだ、勝手にマニュアルモードになってほとんど真っ暗な写真が撮れてしまうことが。しかしこのとき、どこをチェックしても、何にも異常はみつからなかった。撮影のモードもおかしくないし、露出も正常だ。そしてレンズもいつもどおりだし、バッテリーもメモリーも十分な状態だった。しかし、なぜか、撮れないのである。シャッターを切っても、なんだか変な風にぶれるし、そして液晶には何も映らない。それより前に撮った写真はすべて保存されており、データ自体に問題はない。しかし、何度やっても、液晶には映らない。シャッタースピードに絞り、露出などのデータは記憶されるというのに、肝心の画が映っていないのである。

     

     

    私は、たまたまカメラが不機嫌になったのかと思い、仕方なく写真を撮るのを諦めた。そして帰国後、もう一度シャッターを切り、相変わらず異常な状態であるのを確認したのち、自力ではどうにもならないと、修理に出すことにした。使い始めてまだ1年半のデジタル一眼レフ。一体どこがおかしくなったんだろう。

     

     

    最後の1枚は撮れなかったが、しかしよく考えてみれば、その前の写真が見えなくなることもなかったし、データがすべて消去されることもなかった。ニューヨークを今離れようとしている私にとって、それは、まさに絶妙なタイミングだった。1日前にこの現象が起こっていたら、私はカウントダウンを過ごすニューヨークで、その写真を撮ることができなかったのである。私はこの不思議なタイミングに、きっと感謝しなければならないのだろう。そんなことを思ってしまうほどだった。

     

     

     

    映らなくなった一眼レフを持って、私はある日の夜、銀座に向かうことにした。

     

     

    7時に閉まるCanonのサポートセンター。

     

     

     

    救いを求めるように飛び込んだ私は、このときまだ、これから起こる展開を、想像すらしていなかった。

     

     

     

    初春のにらみ (後編)

     

    2009/1/25

     

     

    久しぶりに訪れた新橋演舞場。幕が開き、三味線の音が聞こえた時、なんだか心がすっと落ち着いていくような感じがした。日本舞踊を少しなりとも習った私にとって、三味線や笛、太鼓の音というのは、自分が思っていた以上に心地良いもののようだ。久方ぶりの生の音を耳にし、思わず背筋がシャンと伸びる。あぁ、日本人なんだなと思うのは、きっとこんな時なのかもしれない。

     

     

    一幕目は五穀豊穣を願うおめでたい踊りとして知られる「二人三番叟」。私が昔から大好きな演目であり、内容を知らなくても、ストーリーがわからなくても、見ているだけで笑ってしまうユーモアたっぷりの踊りである。あまりにも手数が多く、飛んだり跳ねたり、さらにはスピードも速いため、相当なエネルギーが必要な踊りだと思うのだが、実際に踊り手が疲れているかどうかはさておき、踊りの中で、「もうつかれた~」、「お前、あとは踊っといてくれ~」とへたばってしまう振りつけがあるという実に珍しい踊りである。市川右近氏と市川猿弥氏の二人の息の合った間の取り方が格別素晴らしく、「こりゃあ春から縁起が良いなぁ」という古めかしげなフレーズが頭の中でぐるぐるとまわるほどだった。新年早々この舞台を見たら、そりゃもう、春から福来たるという感じだろう。今度はお正月にでもみたいぞと思うような素晴らしい踊りで、私は感心しきっていた。

     

     

    一幕目ののち、会場中の全ての人が心待ちにしていたであろう、市川海老蔵氏の登場である。「口上」と呼ばれるご挨拶のために舞台ど真ん中に一人で現れた海老蔵氏。客席中が身を乗り出して食い入るように見つめていたのが、妙に印象的である。生の海老蔵氏を見るのは、これが初めてだが、やはり、相当な美男子なのだろう。あれだけ顔が整っている歌舞伎役者、今まで見たことがない。とりわけ今回は市川家伝統の「にらみ」が披露がされるということもあり、私もじじじぃっと舞台に注目していた。これぞ歌舞伎と言わんばかりの「にらみ」は、確かに「おぉ~」と思わせるものであり、これまた縁起物と思えるものであった。海老蔵氏の「にらみ」なんて、普段の舞台でそう簡単に見られるわけもなく、特に年の初めにらまれると、その年は「無病息災」で過ごせると言われているらしい。いやはや、にらみの幸運に預かれて、これまたありがたやというわけである。

     

     

    口上ののち、2幕目には「義経千本桜」、そして3幕目には舞踊「お祭り」が披露された。個人的には市川段治郎氏の芝居に心打たれたが、やっぱり特筆すべきなのは、今回の主役である海老蔵氏であろう。そもそも、若手歌舞伎役者の中でも群を抜いて人気のある海老蔵氏だが、私が驚いたのはその台詞や芝居、踊りというよりも、舞台に映えるその身体そのものである。こう言うと、「なに見てたんだ」と言われそうだが、私がこれまで歌舞伎、踊りの舞台を何度も見てきた中で、これほどまでに体の美しかった役者さんは正直おらず、あまりの素晴らしい肉体ぶりに、きっと多くの方々がクラクラしていたのではないかと思うほどだった。おそらく、役柄として肌を大きく出していたことも要因だろうが、鍛えあげられたその肉体は、どんなに豪華な着物よりも何倍も美しく、そしてはるかにまばゆいものだった。いやはや、あんな身体見せられたら、もう言葉なんて出やしません。そんなことを考えながら、華のある海老蔵氏の芝居をじっと見つめ、そして貫禄の出てきた中村獅堂氏の渋い声に浸っていたら、あっという間に幕が下りてしまった。

     

     

    いつもながら思うのだが、歌舞伎というのは11時に始まる午前の部でも、終了するのは午後3時半過ぎであり、一度に三幕も見られてなかなかお得な舞台である。途中の幕間で幕の内弁当を頂いたりすれば、なおのこと楽しい時間の過ごし方だ。これで数千円台からのチケットがあるのだから、やっぱりもっと頻繁に足を運ぶべきなのだろう。歌舞伎座も建て替えられてしまうし、今のうちにもっと歌舞伎を見ておこう。そんなことを思ってしまった。

     

     

    どきどきそわそわくらくらの舞台も、満足のうちに終了する。すぐさま夜の部の支度を始める役者陣は、さぞかしタイトなスケジュールなのだろう。こんなのを毎日毎日続けるのだから、体力のない私は心底尊敬してしまう。

     

     

     

    次回歌舞伎を眺めるのは、いつどこで、どんな時になるのだろう。

     

     

     

    友とふたり、冷たい風を受けながら、東銀座を離れていった。

     

     

     

    February, 2009

    初春のにらみ (前編)

     

    2009/1/24

     

     

    休日土曜。ひょんなところから訪れた幸運のおかげで、朝11時前、東銀座のとある場所にいた。冷たい風が吹きすさぶ中、友と合流し、至福の時を味わうことにした。実に久しぶりにのぞく、伝統芸能の世界である。

     

    歌舞伎のチケットが急に舞い込んできたのは、ものの2日前のことだった。ありがたいことに色々な人の手をすりぬけ、チケットは私のもとへやってきた。予定が入っていたもののすぐに調整をし、この幸運をありがたく頂戴することにした。ただの歌舞伎のチケットではない。新春花形歌舞伎のかなりいい席のチケットだ。しかも出演者には、市川海老蔵氏、中村獅堂氏をはじめとした豪華役者陣がずらりと並んでいる。私はお声がかかった瞬間、「はっ!これって自分で買おうとしていた歌舞伎じゃないの!!」と心底驚いた。実は12月頃に興行の広告を見て、チケットを買おうとしたのである。しかし結局、その後私は体調を崩したり、忙しかったりとそのことも忘れていたのだが、まさか自分のもとへそんなチケットがやってくるとは思いもよらず、あまりのタイミングの良さに小躍りしてしまいそうなほどだった。

     

    久しぶりに訪れる新橋演舞場。たしか前回は昨年の5月に見た歌舞伎であった。その際は、市川染五郎氏と市川亀治郎氏の踊りを見て、私は完全に脱帽してしまった。踊りの名手として名高い両氏だけあると、すっかり参ってしてしまったのだ。あれほどに素晴らしい踊りはそうそう見られるわけもなく、私の中で最も印象的な舞台としていまだに覚えている。そんなわけで、今回は一体どんな素晴らしい舞台が見られるのだろう、そうわくわくしながら、私は2階席へと向かっていた。久しぶりに凛とした和の世界に浸れるのだ。

     

     

    新春モードふたたびと、赤いシートに身をゆだねる。

     

     

    わくわくどきどきの心を抱えながら、幕が開くのをただじっと待っていた。

     

     

     

    February, 2009

    宮脇昭先生講演会情報ふたたび ~2月8日(日)パシフィコ横浜にて~

     

    ~  お知らせふたたび ~

     

     

    以前、宮脇昭先生の講演会情報をアップしましたが、開催日が近づいてきましたので、再度アップいたします。

     

    まだお申し込み可能ですので、ご関心ある方はぜひぜひどうぞ。

     

     

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    宮脇先生をはじめ、漁師さんが森に木を植えるという「森は海の恋人」運動を宮城県で続けておられる畠山重篤さんのお話も伺える貴重な機会です。

     

    ご興味ある方はぜひぜひお申し込みください☆

     

     

    ≪国際生態学センター&毎日新聞主催 市民環境フォーラム≫

    日時:200928日(日) 13時~1630分 

    場所:パシフィコ横浜国際会議場

     

    詳細およびお申込みは下記をご覧ください。

    https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/ueru16/

     

     

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    (2009/2/3)

     

     

     

    February, 2009

    冬ごもりの読書

     

    2009/1/23

     

     

    毎年1月になると、どういうわけか私は図書館へ行く回数が増える。今年もそうだし、去年もそうだ。そして一昨年も同じ行動パターンだったのをいまだに私は覚えている。なぜか1月になると、読書モードに一気に入るのだ。おそらくそれは、冬ごもりの寒い時期であること、春や秋のように植樹祭がないこと、そして何より、1月は仕事が落ち着く時期にあるということが、大きな要因のように思う。

     

    今年もまた、そんな「冬ごもり読書」とでも言うべく、私はどっぷりと本を読んでいる。そして、図書館にも足繁く通っている。もっぱら読んでいるのは、大好きな作家、ポール・オースター氏ばかりだが、他にも数冊目を通したのもある。とはいえ、やっぱり今はオースターモードからは抜けられない。まだまだ読みたい本がたくさんあるし、しばらくはずっと、この独特な世界に浸っていたいと思うのだ。

     

     

     

    読みたい本はたくさんある。読んでとおすすめされた本もいくつもある。

     

     

     

    1日が30時間だったら、どんなに毎日いいだろう。

     

     

    そんなことすら考える、冬ごもりの時期。

     

     

     

     

    今だけはどっぷりと本を読ませて。

     

     

    そう、思いながら。

     

     

     

    選択の道

     

     

    2009/1/22

     

     

    出会いと別れの季節を前に、初春の今からいろんな話が耳に入ってくる。

     

     

    結婚、引っ越し、異動、転職。進む道は様々だ。

     

     

     

    大人になると男性よりも女性のほうが、選べる道は多いのだろうか。

     

     

    進学、就職、転職。起業に留学にボランティア。結婚、出産、離婚なんていうのもあるだろう。

     

     

     

    まわりの変化を眺めながら、じっと自分を考えてみる。

     

     

     

    人生の選択肢。たぶんそれは、きっと多いのだろう。

     

     

     

     

    自分が思っている以上に、ずっと、もっと。

     

     

     

     

    アナログとデジタル

     

    2009/1/21

     

     

    いつの頃からかはよくわからないが、最近テレビを見ると、画面の右上が気になる様になり始めた。

     

     

    別に番組のタイトルや時刻でもなく、そこにはいつも「アナログ」という言葉がなぜか映っているのである。

     

     

    これに気がついたのは、確か1月に入ってからだと思う。私はてっきり、たまたまついているのかと思ったのだが、どうやらその後たまにテレビを見ると、やっぱりいつも「アナログ」と出ていて、最近妙に気になっている。

     

     

    そもそもこれは、2011年から始まる地上デジタル放送に向けてのなんらかのアピールなのだと思うのだが、地デジ対応ではないテレビで見ているから「アナログ」と映し出されるのか、それとも今の民放チャンネル(NHKも一緒か)自体を見ていると「アナログ」と映し出されるのか、いまいち私にはよくわからない。すでにデジタル放送を見ている方にはやっぱりそんな文字、映っていないのだろうか。

     

     

    まぁ、大した話ではないのだが、テレビをつけるたびに、「まだアナログですねぇ」といちいち言われているような気がして、なんだか妙な気分である。草彅つよぽんに「地デジ始まります」と言われてもなんとも思わないが、テレビの右上でじぃーっと「アナログですね」と言われると、なんとも気になってしまう。

     

     

    早く地デジ対応のテレビを買えということか、それとももうすぐ見られなくなりますよということか。いずれにせよ、そんなにテレビ好き、家電好きというわけでもないので、別にテレビなんか見られなくてもまいっかと思うことにした。

     

     

     

    全国に同じことを思っていらっしゃる方がたくさんおられるのか、全くいらっしゃらないのかは、いまいちよくわからないけど。

     

     

     

    February, 2009

    戦々恐々花粉の季節

     

    2009/1/20

     

     

    1月に入りインフルエンザが広まるような頃。私が恐れるのは、風邪でもなく、インフルエンザでもなく、別のあるものである。毎年冬、12月に入ると大きく体調を崩すのだが、大概年が明けるとそれも落ち着き、1月下旬からは別のものに戦々恐々としだすのである。以前は2月下旬からだったが、年々早まり1月終わりにはその準備をし始めている。そのあるものとは、そうもちろん、花粉対策だ。2月下旬には完全に関東でも飛び始めるため、その前にはきちんと対策を始めていなければならないわけである。

     

     

    昨年はそれほど花粉の飛散量が多くなかったこと、また花粉症とただならぬ?関係があるらしい砂糖の摂取量が前年より大幅に減少していたためか、幸いなことにそれほどひどい症状は出なかった。とはいえ、だからといって今年も同じとは限らないので、私はすでに地味ぃに花粉症対策を始めている。

     

     

    まずは、花粉症に効くといわれるサプリメントだ。シソや甜茶、DHAなどのサプリメントを毎年飲んでいる。そして、アレルギー症状を悪化させやすいとされる牛乳もなるべく避け、豆乳へシフトである。最近では、ありがたいことに、豆乳はいろんな種類がごく簡単にどこでも手に入るし、カフェでも豆乳のカフェラテやミルクティー、チャイなどのメニューも一般的になっている。味も癖がないものも多く、それほど違和感もないため、辛さももちろん感じない。

     

     

    そしてサプリ、豆乳に続くのが、やはり糖分の摂取をできるだけ抑えることだろう。昔から甘いものが大好きな私ではあるが、昨年頭に大きく体調を崩したことがきっかけで、口にする食品に対して極めて敏感に反応するようになった。その結果、人工的な味、そして過度な甘みのものを口にすることが自然と減っていたのである。以前なら毎日のようにコンビニのデザートやお菓子を食べても何ともなかったのに、ごくたまに食べるだけで、「うーん、もういいや」と思うようになってしまった。それが功を奏したのか、私の糖分の摂取量はぐんぐんと減り、花粉症の症状も例年よりもだいぶ楽になったのだ。ちなみに、糖分の中でも、特に精製された白砂糖が花粉症には良くないともされている。私は日頃糖分をとるときは、できるだけ白砂糖ではなく、ブラウンシュガーやはちみつ、メープルシロップなどを選ぶようにしている。もちろん、黒砂糖や三温糖、てんさい糖などもいいし、あまり精製されていないものを選ぶほうが体にはいいようだ。花粉症の時期には特に砂糖の種類には気をつけたほうがいいのだろう。

     

     

    このほかにも、カフェインの摂取を控えたり、規則正しい生活をすることも、花粉症対策としてはきっと重要なのだろう。

     

     

    今のうちからできることをやって、今年も乗り切らないといけない苦手な季節。

     

     

    お願いだから今年も症状がひどくないようにと密かに願っている、私なのであった。