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    November, 2008

    クマさんのラテ

     

    2008/11/19  

     

    ある日の夜。10時前に仕事を終え、オフィスを離れる。朝から晩まで気を使う仕事をしたせいか、それとも長時間立ち続けていたせいか、体はもう鉛のように重かった。カフェで一休みしてから帰ろうかと思ったが、いつも行っているお気に入りのカフェももう閉店時間。仕方なく、オフィス近くにあるチェーン系のカフェへ向かうことにした。リーズナブルだが、特にこれといって特徴があるわけでもない、ごくごく普通のカフェだ。

     

    店内に入りレジでカフェラテをオーダーする。あたたかいラテが何よりも好きな私は、これを飲んで気持ちをリセットしたかったのだ。ごく普通の一杯のカフェラテ。値段はたしか220円位だった気がする。ごく普通の、リーズナブルなラテだ。

     

    レジは全く混んでおらず、オーダーしてすぐさま飲み物を渡されると思っていた。だって、普通のカフェラテだし、安いのでおそらくは機械出しのラテだと思っていたのである。しかし、どうやら、そうではないらしい。きちんと、ミルクを温めて一杯ずつ作っているようだ。そう思うとなんだかちょっと得した気分だ。しかし、そうとはいえ、何だか妙に時間がかかっているようで、次第に疑問を覚えていた。いくらなんでも、こんなに時間がかかるなんておかしくないか。そう思いながら、私はバリスタの背中を眺めていた。何かをしているようなのだが、何をしているのかわからない。そのバリスタ、動かないのだ。おそらくは、私のカフェラテを前に、何かをしているような気配である。しかし、一体何をしているというのだろう。

     

    もしや、こぼれたのか? それとも、量が足りなかったのか? いや、もしかしてメニューを間違えたのだろうか? 

     

    そんなことを思いながら、そろそろ声をかけようかと思った瞬間。そのバリスタがくるっとこちらを向き、カップを差し出した。

       

    「あっ、やっと出てきた。」

     

    そう思って、受け取ろうとすると、私はふっと気がついた。カフェラテが、なにか普通ではないのである。

     

    「あれ?」  

     

    そう驚いて、思わずバリスタの顔を見上げてしまった。

     

     

    「クマさんです」

     

     

    にこっと笑ってそう言った、その彼女。

     

    どうやら、私がカフェラテをオーダーしたあと、カフェラテの泡でクマさんの絵を書いてくださったらしい。

     

    思わずその絵を目にした瞬間、

     

     

    「かわいいっ!」

     

     

    そう言って、お礼を告げていた。

     

     

    カフェラテの泡でハートや木の葉、ネコなどの絵を書いてあるのも、ごくごくたまに目にするが、クマさんははじめてだ。どちらかというと、白クマさんのようにも見えるそのクマさん。私は長く待っていたことも忘れ、思わず嬉しくなっていた。まさかチェーン系のお店で、ここまでやってくれるなんて想像さえもしていなかった。

       

     

    クマさんの顔を壊さないようにそっとハチミツを入れて、しばしじーっと眺めてみる。

     

    スプーンでくるくる、クマさんのハニーラテ。

     

     

    重い体と、いがいがの心が、どこかへすぅっと消えていくようだった。

     

     

     

    November, 2008

    怪我日記 vol.4

     

     

    2008/11/18

     

     

    (前回から続く)

     

     

    足の怪我をしてから1週間後。2人目の医師に「しばらく安静に」と言われてしまった私は、なんだか心の中がすっきりとしていなかった。それは怪我に対しての不安ではなく、医者に対しての疑問である。もしも1軒目の病院できちんと診断され、処置されていたら、怪我の具合はどうなっていたのだろう。私は怪しげな医者の診察を疑い、自分で湿布をしてはいたのだが、あの時点で適切な処置がなされていたら、こんなにずるずると怪我の治療に時間がかからなかったのではないか。そんなことを心のどこかで思うようになっていた。

     

     

    結局、足を痛め、びっこを引き、安静にしているという3週間近くの間で、私は予想していなかった色々なことを学ぶようになった。それは、医者は選べ、ということでもあるし、いったんハンデを負うと、普段の生活がいかに過酷になるかということでもある。とりわけ、朝の電車や混雑時の駅などを歩くのは、相当な苦痛だ。私はこれまで、そのスピードや流れに対しそれほど違和感なく過ごしていたわけだが、体が不自由な方や、ご高齢の方などにとっては、あんなに恐ろしい空間もないのではないかと思うようになった。人の2倍近くの時間をかけて歩いていた私には、周りの全員があたかも走っているかのように感じたのである。それくらい、人の勢いが怖く、また、人に疲れるというのは、私の人生の中でも初めての経験だった。

     

     

    そして何より、一番痛感したことがある。それはごくごくシンプルで、かつ普段気がつかないことである。

     

     

    毎日普通に健康に、どこにも違和感を覚えることもなく、どこに負担をかけることもなく、両足で歩き、動き、走り、どこへでも不自由なく行くことのできる生活が、いかに幸せかということだ。

     

     

    そしてまた同時に、できるだけ動きをおさえ、負荷をかけず、じっとしている生活が、いかにストレスフルなものであるかが嫌というほどによくわかった。実はこの間に、海外への旅も断念した。前々から楽しみにしていた植樹の旅を、泣く泣く出発直前にキャンセルしたのである。仮に心が健康でも、体が動かなければどうにもならないし、どこへも行けない。それはここ数年、大きく体の調子を何度も崩している私にとって、もうすでに重々分かり切っていたことであるにもかかわらず、今回のもやはり心底身に堪えた出来事だった。

     

     

    そういえば、御年80歳になる宮脇昭先生が、いつも口にしている言葉がある。

     

     「植物は根で勝負。人間は足腰ですよ。」

     

     

    ほんの一ヶ所の靭帯を痛めただけで、体全体のバランスが崩れ、歪み、そして普通ではありえない疲れが溜まる。人間にとって、いかに足腰が大切か、こんなに身をもって感じたことはないし、もう二度とこんな経験をしたくないと思ってしまう。一日も早く普通に歩きたいし、必要な時に走れるようになりたい。そんなことを願うばかりである。

     

     

    できるなら、山奥にある渓流沿いの露天風呂で、ゆっくりじんわりつかっていたい。

     

    治なんてことを考えたのも、人生で初めての経験だろうか。

     

     

     

    日々の当たり前の健康が、どれほどありがたくどんなに幸せか。

     

    そんなことを感じている、今日この頃。

     

     

     

    (怪我日記、これにてひとまず終了です。寒くなるこれからの日々、みなさまもどうぞお体ご自愛くださいね。)

     

     

    November, 2008

    怪我日記 vol.3

     

    2008/11/17

     

     

    (前回から続く)

     

    足が痛くなり始めてから約1週間後。「ほっときゃ治る」という医師の診断を信じ切れなかった私は、休みの日に自宅近くの病院へと向かった。幼いころから数えきれないほどお世話になっている、ごく普通の総合病院だ。数日前に訪れた別の外科で、レントゲンも撮らず、少し診てあっさりと投げだされていた私は、病院に対して妙に慎重に、そして敏感になっていた。今回は、納得いくまできちんと診てもらおう。そう思いながら、馴染みの病院へ向かったわけである。

     

     

    いつものように受付を済ませ待っていると、看護婦さんに質問を受ける。「どうしましたか?」との問いに、怪我の具合を説明し、さらにすでに他の病院で診てもらったことを告げてみる。すると、「じゃあ、最初にレントゲン撮りましょうか。撮って何もなければ安心だしね」との、ごくごく真っ当な対応だ。しかし、私はこの時点でほっとしていた。普通に対応してもらえることが、妙にありがたくなっていたのである。そこで、言われたとおりにレントゲンを済ませ、待合室で待っていると、今度はお医者さんの診察である。

     

    再び、足の症状と、数日前に他の医者に言われたことを告げると、すぐさま先生はレントゲン写真を見せてくれた。デジタルのレントゲン写真というのは、本当に早いし、拡大もできるし、便利な時代になったなぁなんて思いながらも、私はその写真に映し出された自分の骨を見て、なんだか不思議な気分になっていた。自分って、こんな形しているんだ。そんなことを思いながら、先生の説明に耳を傾けると、骨に異常はないという。骨折もひびもなく、それは心配ないでしょうとの診断である。

     

     

    とは言え、そこからが問題だった。私はてっきり、筋肉に問題があるか、骨に異常があるかの2つに1つの答えだと思っていた。しかし、お医者さんの言う言葉はそのどちらでもなかったのである。

     

     

    「きっと、靭帯を痛めたんでしょう。靭帯はレントゲンには映らないけど、骨を結ぶ役割をしていて、傷ついたり伸びたりすると痛くなるんです」

     

     

    そう言いながらお医者さんは、医学書のようなものを見せてくれ、どの部分の靭帯かを丁寧に説明してくださった。どうやら、くるぶし近くの靭帯が宜しくないらしい。

     

     

    しかしその時点ですでに、私の頭の中には?マークが浮かんでいた。靭帯の存在自体はもちろん知っているものの、スポーツや怪我にあまり縁のない私には、まったくもって未知の部位なのである。

     

     

    「靭帯って・・・よくサッカー選手とかが怪我するやつ・・・?靱帯損傷で全治1カ月とかいうやつ・・・?」

     

     

    そんな程度の認識しかない私には、自分の体に何が起きているのか、ちっとも想像がつかないのである。

     

     

     

    そして先生は最後にこう仰った。

     

     

    「これから2週間くらい、できるだけ動かさないで、安静にしていてくださいね。飲み薬はいらないけど、鎮痛剤の湿布とあとはサポーターを出しておきますから。とにかく動かないで、なるべくじっとしててくださいね。」

     

     

    そう言われ、私はサポーターでがっちり固くなった足を引っ張りながら、清算を済ませ、薬をもらい、帰宅の途につくことにした。やさしく丁寧に診察してくださった先生には、ただ感謝である。

     

    しかし、頭の中は、腑に落ちない思いでいっぱいだった。一体この診断の違いは何なのだろう。

     

     

     

    一方では、「ほっときゃ治る」と言われ、さらには「もっと動いたほうがいいくらい」とも言われていた。

     

     

    そして一方では、「靭帯が傷ついているから、できるだけ動かないように」と言われたのである。

     

     

     

    同じ症状を前に、医師が違うとこうも違うのだろうか。それは医者の腕の違いなのか、それとも人柄の違いなのか。いまいち私はよくわからないが、とにもかくにも、「医者はきちんと選べ」ということを痛感した出来事に他ならない。

     

     

    2週間はできるだけ動かないように」

     

     

    お医者さんの言葉がぐるぐると、頭の中でまわっていた。

     

     

     

    November, 2008

    怪我日記 vol.2

     

     

    2008/11/16

     

     

    (前回から続く)

     

     

    あきれてものが言えない医師の診断をよそに、私はうーんと困っていた。ほっときゃ治るという医者の言葉。そして、ほっといても全く良くならないどころか、痛みがずきずきと増している私の左足。ひょこひょことびっこを引いて歩くはめになった私は、あまりの不便さと大変さで、杖を買っちゃおうかとネットで調べたくらいであった。

     

     

    それにしても、人間というのは不思議なもので、いつも元気な人が怪我をしたり、病気になったりすると、周りの方はものすごい驚きと衝撃を覚えるらしい。時折熱を出して倒れると、「鬼の霍乱だ」と笑われる私だが、今回もまたしても同様である。

     

     

    私が怪我をしていることがわかった途端、周りの反応は尋常でなかった。

     

     

    「なに?!」、「どうしたの?!」、「何が起きた?!」、「医者に行け!!」、「動くな!!」

     

     

    そう、びっくりするほどの反応だったのだ。

     

     

    とは言えしかし、その症状が何日か続くと、変わらずに心配をしてくださる方と、笑いのネタにしはじめる方という、大きく2種類にどうやら分かれていくことがわかってきた。

     

     

    とある日、痛くてまともに歩けず、びっこを引きつつ、手すりや壁につかまって歩いていると、後ろからこんな声が聞こえてきた。

     

     

    「なんか変な歩き方ですよ~。お婆さんみたい~ 笑。」

     

     

    駅の雑踏の中、人の2倍くらいの時間をかけてゆっくり歩いていた時の話だ。振り返ると、一人の後輩。思わず、「人が怪我してひぃひぃ言っているのに、それが先輩に対する態度かっ!」と突っ込みを入れようかと思ったが、そんな気力も余裕もない。それくらい疲弊していたのである。

     

     

    結局、「他の医者に行ったほうがいいんじゃない?」というごく真っ当なアドバイスに従い、私は数日後、あきれてものの言えない医者の診断をよそに、別のお医者さんに行くことにした。

     

     

    セカンドオピニオンがどれだけ重要かなんて、ちっとも知りもしないまま。

     

     

     

     

    November, 2008

    怪我日記 vol.1

     

    2008/11/15

     

     

    とある日のこと。

     

    ひょんなことから足を痛めた私は、その痛みに不安を覚えて、病院に行くことにした。たしか、6年ほど前に一度だけ行ったことのある形成外科だ。

     

    歩くたびに、うぎゃぁ~と叫びたくなるような左足を引っ張って、私は病院に向かっていた。もしかしたら骨がどうにかなっているのかもしれない。レントゲンを撮ってもらえば、骨がどうなっているかもわかるはずだ。そんな不安を抱えながら、ある日えいっと気合を入れて医者へ向かったわけである。

     

     

    しばらく待合室で待たされたのち、私の番がやってきた。目の前にはベテランと思しき男性のお医者さん。どうしましたかの質問に対し、私は一からきちんと症状を説明した。とにもかくにも尋常でない痛みを抱え、すぐにどうにかしてほしかったのだ。

     

     

    そうして私はお医者さんに足を診てもらっていた。

     

    曲げたり、伸ばしたり、押したり、ひねったり。

     

     

    私はびくびくしながら、じっとその診断結果を待っていた。何が一体どうなっているのか自分でもわからず、とにかく変なことになっていないか恐れていたのである。

     

    そしてそのお医者さんは、こう、一言、言い放ったのである。

     

     

    「こんなの、ほっときゃ治る」

     

     

    私はあまりにも予想外の答えに、一瞬、固まってしまっていた。

     

     

    「は・・・?」

     

     

    なんなのだろう、その診断。それって、医者が言うセリフだろうか。

     

    もうちょっと、言い方だってあるんじゃないか。安静にしていれば治りますとか、時間がたてば治りますとか。

     

     

    そうしてこんな説明が続いていた。

     

     

    「日ごろ使ってない筋肉使って、痛くなっているだけでしょ。もっと動かしたほうがいいくらいじゃない」

     

     

    「はぁ・・・・」

     

     

     

    あまりに突拍子もないその診断に、私は一瞬、くらっとしそうになった。しかし、ここで引いても、痛いのは私である。

     

     

    「あのぅ、骨とかって、問題ないですかね・・・?」

     

     

    それに対する医者の答えは、またしても驚くべきものだった。

     

     

    「あんた、婆さんじゃないんだから、骨なんかどうにもならないよ」

     

     

     

    その瞬間、私はこめかみのあたりがピキッときた。思わずムッときて、危うく暴言を吐きそうになったほどだ。

     

     

    それでもなお、診断らしきことは続いていた。

     

     

    「塗り薬か、湿布でも出しておこうか。ま、“おまじない” みたいなもんだけどね」

     

     

    私はもうこの時点で、きっぱりと諦めていた。痛みと症状を諦めたのではない。医者に対する一切の期待を諦めたのだ。

     

     

    「ま、何日か経ってまだ痛かったら、もう一回来てください」

     

       

    そう言われながら私は心の中で誓っていた。

     

     

    「もう二度と、こんなところ来ないもんっ!!!」

     

     

     

    結局、塗り薬はおろか、湿布も何にも処方されなかった。歩くたびに叫びたくなるほど痛いにもかかわらず、病院ではなんの処置もされなかったのである。

     

     

    びっこを引きながら、私はとにもかくにも府に落ちなかった。 

     

     

    一体全体、医者ってなんなんだと思いながら、痛みと怒りで爆発しそうだった。

     

     

     

    (次回へ続く)

     

     

    November, 2008

    背縮む、ふたたび

     

    2008/11/14

     

     

    とある日の午後。年に一度の会社の健康診断を受けるために、近くの病院へ。もうここへ訪れるのは、8回目。はぁ、なんだかあっという間に年月が過ぎ去るなぁなんてしみじみ思いながら、一連の検査を受けることになる。ありがたいことに、血液検査ではいつものようにくらっと貧血を起こさなかった。あまり痛くもなかったし、きっと看護婦さんの腕が良かったんだろう。今年からメタボ検診項目も加わるが、特に問題もなく、さくさくと検査が進んでいく。

     

    が、途中、私はちょっとした衝撃を受けていた。そう、身長測定だ。思い起こせば1年前の健診では、156.5cmという数字をはじき出してしまい、私は大いに凹んでいた。なぜかといえば、それまで自称158cmだったからである。1.5cmも小さかったことに、私はかなりしょげていた。そして、そう、今年である。測定台に乗って測ると、信じられないことに、ますます背が小さくなっていた。156.3cm。たかが2ミリじゃんと言われそうだが、毎年減少していることを考えると、あとちょっとで155cmくらいまで縮んじゃうんじゃないかと怖くもなる。最近の女性は、背が結構高い上に、ヒールを履いているので、みんな160cmくらい普通にあるのだが、そんな中私は日増しに縮んでいるわけである。背が低いと、本屋さんとかでは不便だし、スカートの丈は中途半端に長くなるし、電車の中では確実に埋もれるしと、あまりいいこともない。背の高い女性から見れば、「ちっちゃくていいなぁ~」と思われるらしいが、小学校6年生まで学年で1位、2位を争うほどに背の高かった私にしてみれば、「いつの間にこんなにちっちゃくなっちゃったんだ」という感じである。

     

     

    いずれにせよ、牛乳もチーズもヨーグルトも、魚も大豆も好きなのに、私の背は縮んでいる。気のせいではなく、確実に小さくなっている。

     

     

    どうしたものだろう、この傾向。

     

     

    大きくならなくてもいいから、とりあえず現状維持を望んでいる私なのであった。

     

     

     

    テレビについて

     

    2008/11/13

     

     

    ここのところつくづく思うこと。

     

    それは、テレビがつまらないということだ。

     

    いやもちろん、だからといって全く見ていないわけではない。好きな番組は数える程度あるし、毎週大体かかさず見ているものもある。が、しかし。全体を通じてどうも見るに値する番組が減っているような気がするのは気のせいだろうか。お勉強ものの番組も、嫌というほどに増えたようだし、お馬鹿さを前面に出すような番組も増えた。報道番組はなんだかワイドショーのようになっているし、朝のテレビでもよくわからない人が専門家のようにあれこれ批評している。 

     

    私は前から思っているのだが、どうして日本ではCNNBBCのような終日ニュースをやっているチャンネルがないのだろう。まぁ、ケーブルテレビやCS放送に加入していれば、CNNABCも、BBCも見られるし、他のアジアのニュースや経済番組、他にもナショナルジオグラフィックやアニマルプラネットやらのいい番組もたくさん見られるのは事実である。しかし、日本の民放そしてNHKは、どうして似たり寄ったりの番組しか作らないのかなぁと思ったりもする。ま、そんなことを呟く前にテレビのスイッチを入れなければいいだけの話なのだが。最近一番面白いのはCMだと思うくらいなので、いい番組も23つしか浮かばない。ま、テレビがなくても死にはしないし、大した問題でもないと思うのだが、でもやっぱりそんなことをたまにふっと思ってしまう。

     

     

    そういえば、誰もが知る著名な女性ジャーナリストの方も、同じことを仰っていた。「本当に、見るに値するテレビ番組はありませんね」。テレビの世界に生きる方でさえもそう嘆くこのご時世。地デジ対応もしていないし、私はこのままテレビなしの生活になってもそんなに問題はないかなぁと思ってもいる。

     

     

    くだらないテレビを見ている暇があるのなら、本を読め、新聞を読め、そして人の話に耳を傾けろ。

     

    そんなことをモットーのように、自分自身に言い聞かせてみる。

     

     

     

    『ミスター・ヴァーティゴ』

     

    2008/11/12

     

     

    ここのところ、ずっと本を読んでいる。好きな作家ポール・オースタ-の『ミスター・ヴァーティゴ』だ。発売からはだいぶ時間も経っているが、さかのぼってオースターの本を読んでいる私には、まだ新しい一冊だ。宙に浮く少年の話で、実に摩訶不思議というか空想的なのだが、ときどきフィクションなのか、ノンフィクションなのかよくわからなくなる。オースターのストーリーはいつも巧妙で、少し複雑だ。気がつくとその不思議な世界に入り込んで、迷宮入りしたかのように現実に戻れなくなる。あまりにもリアルで鮮明な世界だからか、時々「これってフィクション?」と確認してしまうほどだ。ノンフィクション好きの私はあまり普段フィクション物を読むことはないのだが、オースターだけは例外。ここのところずっとオースターの本ばかり読んでいる。ずっと、ずぅっと、どっぷりはまっている。通勤途中、カフェで、そして寝る前に。

     

     

    そういえば「ヴァーティゴ/vertigo」は「めまい」という意味。ぐるぐるはまってふらふらする。ある意味、オースターの世界にめまいを起こしているこの頃の読書生活なのでもあった。

     

     

     

    November, 2008

    Hello !

     

    2008/11/11

     

     

    最近私には好きな声がある。10月から社名が正式に松下電器からPanasonicにかわったことで、一気に流れ出したPanasonicCMのことだ。オーディオなどはずっと前からPanasonicブランドで展開されていたが、家電製品のNationalブランドも10月からPanasonicになったことで、流れ始めたCMなのだ。

     

    そんなCMの中に私の好きなひと言がある。「Hello !」 というごくごく短い一言だ。可愛らしい女性の声で、CMの一番最初に流れるので、私はこの声が聞こえるとテレビにふっと目をやってしまう。ほんの一瞬なので、おそらくわからない方も多いだろうが、あの声を耳にすると、どういうわけだかなんとなく、心がちょっとだけ温かくなるような気がする。それは、私が昔から松下電器が好きだった故なのか、それとも、ただ単にCMの声がいいのかはよくわからない。しかし、この一言を聞くたびになんとなく、嬉しくなってしまうのだ。

     

     

    Hello !

     

     

    とっても可愛らしく、新しいPanasonicにぴったりのこの言葉。

     

    最近ひたすらお気に入りのひと言なのであった。

     

     

     

     

    November, 2008

    今日の苦言

     

     

    2008/11/10

     

     

    選挙がいつになろうが、国会がどうなろうが、首相が誰になろうが、別にどうだっていい。

     

     

    そんなことよりも、定額給付金なんていう、お馬鹿なことに取り組む余裕があるのなら、その財源も時間も労力も、知恵も経験もそして気力も、全部、他のもっとまともなことに費やして頂きたい。やるべきことは、他にいくらでもあるだろうに。

     

     

    呆れてものが言えないとは、きっと、こんなことを言うのだろう

     

     

     

    立冬を過ぎて

     

    2008/11/9

     

     

    11月に入り、立冬を過ぎると、なんだかいきなり気温が下がっていた。たったの1日で、秋から冬へと、完全に季節が移り変わったようだった。

     

     

    暦を気にするようになったのは、まだここ数年だ。昔の人は自然をよくよく観察して理解して、四季によりそって生活をしていたんだなと最近改めて思うようになった。

     

     

    今年も信じられないことに、あと1カ月と少し。後ろをしみじみと振り返っているよりも、残りの時間を無駄にしないように、前を向いて進まなきゃ。なんて思いながらも、今年は一体何をやったんだろうとやっぱりくるっと振り返ってしまう。何をどれくらいやって、どれほど自分が変わったのだろう。そんなことを、ちょっと確かめてもみたくなる。

     

     

    あと1か月ちょっとの2008年。残りの日々も実り多き時間でありますよう。

     

     

     

    November, 2008

    誕生日に

     

    2008/11/8

     

     

    秋の土曜日。前々から計画していたことを、ひとつひとつ実行していく。

     

     

    前夜遅くにいつものカフェに駆け込んだのは、今日この日に必要なケーキをとりに行くためだ。お気に入りのカフェでオリジナルのケーキを作ってくださるというので、カボチャをベースでとお願いしたところ、サツマイモや栗、リンゴにレーズン、そしてシナモンを混ぜ込んだ素晴らしいタルトを作って頂いた。しかも、ブラウンシュガーで。そして、プレゼントには毎回恒例となっているタータンショップ・ヨークのスカート。毎年この118日には、このスカートを贈るのが、もう何年も続いている。いつの頃からかはわからないが、私がこよなく大切にしているヨークのお店では、やさしきスタッフさんが毎回抜群のセンスでいくつかお勧めしてくれて、それがいつも好みとあうのである。そんなわけで今年も、私はヨークのスカート、そしてケーキを用意し、誕生日を迎えていた。そう、母の、誕生日である。

     

     

    ありがたいことに、オーダーメードでお願いしたケーキは、完璧なまでに母の好みの味だった。お願いした私でさえ、これほどまでどんぴしゃなケーキを作って頂けたことに、心底感謝するほどだった。スカートもこれまた文句なしの好きなタイプ。毎度ながらヨークのスタッフさんのセンスにも、これまた感謝の瞬間である。

     

     

     

    この日の夜。偶然家族が全員家にいたこともあり、急遽全員で食事に出かけることになる。こちらも、母が好きで以前から何度もお邪魔しているレストラン。以前は食事中にあっちこっちに動き周りがちだった6歳姪っ子も、そして2歳甥っ子も、おとなしく座ってご飯を食べられるようになっている。いろんな成長をこのお店で感じながら、そしてまた年月の流れをしみじみと実感しながら、久しぶりにゆっくりと家族全員でお食事を頂くことにした。

     

     

    誕生日には、プレゼントも大事だし、ケーキも欠かせない。家族揃っての食事も貴重だし、団欒の時も大切だろう。 

     

     

     

    でもやっぱり、誕生日は、プレゼントを渡すことが、ケーキを用意することが、そして特別な食事をすることが一番大切な日なんかじゃない。

     

     

    一番大切なのは、その人が、その相手が、今日まで無事に生きてくれたことに、今も健やかに生きていてくれることに、心から感謝することだと、私はこの年になって改めて思うようになった。

     

     

    それは自分が年を重ねたせいなのか、それとも誰もがいつかは思うことなのか、それは私にもよくわからない。

     

     

     

     

    一年に一度の誰かの誕生日。

     

     

    それは感謝の日であることを、ずっと、忘れずにいたい。そう、思っている。

     

     

     

    ある夜、カフェにて

     

    2008/11/7

     

     

    ある日の夜。お気に入りのカフェへ閉店間際に駆け込むと、いつもの優しい店員さんがすぐに声をかけてくれた。

     

     

    「最近いらっしゃらないので、ちょっと心配してました」

     

     

    いろんな事情が重なり、10日ほどそのカフェに足を運んでいなかった。いやもちろん、たったの10日ではあるが、久しくお邪魔していなかったそのお店で、開口一番そう言って頂いたことが、私はなんだかとってもありがたかった。やっぱり、あたたかくていいお店だなと、改めて実感したのである。

     

     

    最近私は、いつもこんなことを思っている。いいお店というのは、スタッフさんの思いと、お客さんの思いが、とてもバランスが取れていて、お互いが良い関係にあることをいうのだろう、と。

     

     

    どんなにスタッフが美味しいものを食べさせたいと思っても、客が食事に対して好奇心も持たず、敬意も払わずにいたら、客を選べないスタッフはきっと士気が下がっていくだろう。また逆に、美味しいものを楽しみにしてお店に足を運んでも、期待を下回る店であれば、もう客は二度とその店を訪れることもないだろう。客がゆっくりした雰囲気を好んで店を選んでも、その店が、スピードや効率を重視するようであれば、もちろんそのバランスはとれない。味もコストも空間もそしてサービスも、すべてがお店側と客側とでバランスが保てなければ、その店は結果的に悪い方向に傾いてしまう。もちろん、客がお店に足を運ばなくなっても、たいして客自身にデメリットはないだろうが、店側はそんなのが続いたら継続すらできなくなる。

     

     

    だから最近、私はこうも思っている。店はきちんと仕事をして客を大切にすることで、客はまたきっと戻ってくるだろうし、客も店を大切にすれば、きっとその分だけ心地よく幸せな食事と時間をその店で過ごすことができる。結局、店と客の関係は、人と人との関係であって、モノとカネだけの関係ではない。もちろん介在するのはモノであり、サービスであり、カネであるわけだが、それをつなぐのも、生み出すのも、またダメにするのも、すべては人次第なのだろう。そう思うと、私はいま大事にしているお店をますます好きになるし、もっと大事にしたくなる。いい店には誰かを連れていきたくなるし、誰かにこそっと教えたくもなる。そうやって、きっといい店はずっと続いていくのだろうと思う。客と店、人と人。客だから、金を払うからと言って、なんでも許されるわけでもなく、マナーを考えなくていいというわけでもない。そしてまた、これは飲食店に限らず、ありとあらゆるタイプのお店で通じる話でもある。結局行きつくところは、人と人、気持ちと気持ちの関係であり、これはきっと極めてシンプルで最も重要なことなのだろうと、最近なんだか思うようになった。

     

     

    いい人に出会うのも、いい店に出会うのも、縁と運とタイミングのおかけだし、やっぱりそれには感謝しなきゃいけないな。 

     

    そんなことを思っている、今日この頃。

     

     

     

    November, 2008

    ペコちゃんのメール

     

    2008/11/6

     

     

    中国から帰国して数日過ぎたころ。ふっと携帯に目をやると、一通のメール。誰だろうと思うと、珍しく母親だ。昼にメールなんて、何事だろう。そう思って中身をチェックすると、私は思わず、へ?と驚いた。あまりに寝耳に水のメールだったのだ。

     

     

    よく読むと、メールを打ったのは母だったが、それは6歳姪っ子から私への質問だった

     

     

    「あややの部屋でペコちゃんのキャンディーを見つけたよ。食べてもいい?と訊いています」

     

     

     

    私は数秒考えていた。

     

     

    「ペコちゃんってなんだっけ?」

     

     

     

    じぃーっとメールを見つめ、私ははっと気がついた。

     

     

    そういえば、中国杭州の西湖ウォーキング大会に出た時、スポンサーの不二家からペコちゃんの棒付きキャンディーを頂いていた。そのうち姪っ子と甥っ子にあげようと、それを自分の部屋に置きっぱなしにしていたのである。

     

     

    私はすぐに母に返事を送った。姪っ子と甥っ子に1本ずつあげていいよというメールだ。

     

     

     

    すると、すぐにメールが返ってきた。

     

     

    「ありがとう、と言っています」

     

     

    珍しくすぐにメールに気がついたことに、私はちょっとほっとしていた。

     

     

     

     

    どうやら、あとで知ったところ、姪っ子は私の返事が来るまで、携帯を目の前にじぃっと待っていたという。

     

     

    「あややから、おへんじくるかなぁ」

     

     

    そわそわしながら私の返事が来るまで、ペコちゃんのキャンディーをじっと我慢していたという。

     

     

     

     

    そういえば、ふと思い出した。

     

     

    幼いころ、風邪をひいて近くのお医者さんに診てもらうたびに、ペコちゃんの棒付きキャンディーをもらっていたことを。そしてそれは、私にとってとても特別なキャンディーだったということを。

     

     

     

     

    いつの時代も、ペコちゃんは、子供にとってきっと優しく特別な存在なのだろう。

     

     

     

    そんなことを思いながら、いつものオフィスに意識を戻していた。

     

     

     

    不調?

     

    2008/11/5  

     

    ここのところ、Live Space、つまりこのブログがずっと不調な気がしている。毎日、しかも一度ではなく何度も、「一時的に使用できなくなっています」という表示が出る。これが、編集主である私だけに起こる現象なのか、それとも、他のどなたかが私のブログにアクセスしてくださっている時にも出る表示なのかは、いまいちよくわからない。とはいえ、一応、ブログの記事自体はアップ出来ているのでそれほど絶不調というわけではないのだろう。しかし、もう、こんな状態は2か月近くずっと続いている。はて、何が起きているんでしょう、MSN様。ありとあらゆるネットワークサービスが新しく展開されているが故の不調?とも想像しているけれど、まったくもって情報もなく、うににと思っている今日この頃でもあります。 とは言え、無料で使わせて頂いているので、クレームを言うようなものでもないのですが。

     

    もしも、アクセスしてくださった方がおなじ表示を目にしているようであれば、ご不便をおかけし、恐縮至極です。でも、ブログ主の私にもいまいちよくわからないので、ぜひ、ご事情ご理解頂ければこれ幸いです。

     

     

    これからも、どうぞごひいきのほどを。

     

     

    November, 2008

    杭州横浜タイヤ植樹祭 参加にあたり

     

     

    2008/11/4

     

    111日に中国・杭州で開催された、杭州横浜タイヤ植樹祭へ参加させて頂くにあたっては、現地杭州横浜タイヤの駐在スタッフ、現地スタッフの皆様をはじめ、横橡胶中国集団、横浜ゴム「YOKOHAMA千年の杜プロジェクト」推進委員会の多くの皆様に、何から何まで本当にお世話になりました。

     

    社員でない人間を受け入れるということは、ごく普通に考えても、相当なご面倒になるかと思いますが、参加を快く受け入れてくださり、また数々のお心遣いを頂きましたことに心より感謝しております。この場を借りて、改めて深く御礼申し上げます。

     

    それにしても本当に、横浜ゴムさんの植樹への熱意には毎度ながら頭が下がります。

     

    これからも「YOKOHAMA千年の杜プロジェクト」、陰ながら応援しております。

     

     

     

    旅の帰路

     

    2008/11/3

     

     

    中国で迎える最後の朝。6時半にホテルをチェックアウトし、歩いてすぐそこの地下鉄2号線の駅へと向かっていく。改札に近づき、切符を買おうと券売機の前に立つと、一瞬動きが止まってしまう。あるはずの駅名が、路線図にない。私は地下鉄で上海の中心部から、浦東空港へ向かうつもりでいた。地下鉄2号線の駅から、空港までのリニアモーターカーが接続しているはずなのだ。しかし、路線図を見ると、どう見てもその名前がない。私は一瞬、パニックに陥りそうだった。なんで、駅がないんだ。そう思って券売機を変えてみたが、やっぱりその駅名はないのである。あまり時間にゆとりのない私は、少々混乱しかけたが、そんなとき、ふっと謎が解けた。駅は、きちんとあったのである。しかし、問題は、漢字にあった。私の探していた駅名は日本語で「龍陽路」であったのだが、よりによって、あまりにも簡略された簡体字で、「阳路」と表記されていたのである。「こんなに略しちゃわかんないよ~っ!」と心の中で叫びながらも、「これでいいのかなぁ」と恐る恐るチケットを買い、地下鉄に乗り込む。心配していた朝のラッシュも、まだ時間的に早いようで、車内はそこそこ空いている。もみくちゃにされるんじゃないかと不安だったので、ちょっと安堵の思いだ。

     

    その後、阳路へ到着し、無事にリニアモーターカーに乗り継ぐ。最高速度が430キロというこのリニアモーターカー。たったの7分間で30キロ進むらしい。しかし私が乗った時は、たしか300キロくらいしか出ていなかった気がする。どうやら運行時間によって最高速度が違うらしい。なんだかその辺りはよくわからないが、乗り心地はいたって普通で、新幹線よりは早いかなというところ。どこがどうすごいのかは、電車マニアでない私にはいまいちピンとこなかった。驚くほどがらがらだったので、快適だったのは、言うまでもないのだが。

     

    ちなみにこのリニア、価格は片道50元であり、当日の航空券を持っている人は40元となる。そしてまた、VIP席もある(もちろん料金は高い)。1時間15分乗った杭州-上海間の新幹線が、グリーンで64元なのだから、これがどれだけ高いのかがよくわかるだろう。ちなみに、もっと言ってしまうと、浦東空港から上海市内中心部までの空港バスは、15元から20元程度。まぁ、所要時間も全然違うので単純計算はできないが、おそらく、時間を最優先に考える方には、このリニアモーターカーのチョイスはそれなりにいいのだろう。

     

     

    空港へ到着後、やたらと広いターミナルを移動し、ボーディングゲートへ。なんで、こんなに無駄にでかい空港を作ったのだろう。何回使っても、私はやっぱり謎に思ってしまう。その後、ゲート近くにあるビジネスクラスのラウンジでひと休み。エコノミークラス利用者にはあこがれのラウンジだが、ごく最近、世界中のありとあらゆるラウンジが使えるという「プライオリティパス」というのを持ち始めたので、エコノミー利用者の私でも、空港のラウンジが使えちゃうのである。朝ごはんを食べていなかった私は、軽いお食事やコーヒーを頂き、さらにはインターネットまで使って、1時間ほどゆったりと出発前のひと時を楽しんだのであった。実に使える素晴らしいものに出会えて、ありがたやなのであった(年会費1万円でこのお得なサービスを受けられる素晴らしい仕組みは、こちらのサイトをご覧ください)。

     

     

    9時半過ぎ。順調にボーディングを終え、機体は成田へと飛び立った。

     

     

    数え切れないほどの方々に、何から何までお世話になった中国の旅。すべての皆様に、心から、感謝いたします。

     

     

     

     

    November, 2008

    雨の中、西湖を歩く

     

    2008/11/2

     

    杭州滞在、2日目の朝。朝7時前に朝食をとり、身支度を整えてホテルのロビーへ。

     

    本来ならばひとりでふらふらと杭州の街を観光するはずだった私だが、ひょんなことから早起きして出かけることになっていた。きっかけは、もちろん、お世話になった杭州横浜タイヤさんである。日曜日のこの日、偶然、杭州でもっとも有名な場所「西湖」のウォーキング大会があるとスタッフさんからお誘いを頂いたのだ。まだ西湖を見ていない私は、せっかくの機会だから一緒に参加させて頂こうとすぐにお言葉に甘えてしまった。1周約15キロの西湖であるが、今回のウォーキングコースは12キロくらいらしい。あいにくの雨ではあるが、雨であればなおさらひとりでは観光もしにくいし、お世話になった皆さんと一緒に杭州を満喫してしまおう。そう思ったのである。

     

    ロビーで数名と待ち合わせた後、雨の杭州の街を歩いて、西湖のほとりへ。20分ほど歩いたところで、ウォーキング大会の開会式会場へと到着する。周りにも、おそろいのパーカーを羽織った人がぞろぞろと歩いている。今回のこのウォーキング大会、実は日中友好のイベントとして5回目になるようで、主催は杭州市、そして日本航空杭州支店であるという。そして、このイベントにスポンサーとして参加しているのが、横浜タイヤさんをはじめとした多くの日本企業。テルモや不二家、キューピーやカゴメ、アサヒビール、Canon、日本生命に旭化成といった、ごくごく馴染みのある企業が参加している。これらスポンサーにより、帽子やパーカー、また多くの参加記念品などが用意され、約1500名にのぼる参加者がこの西湖を歩くことになっていた。

     

    あいにくの雨模様は一向に変わりそうにもなく、開会式は傘をさしながらの中行われる。そしてつくづく、みんなでこう思っていた。昨日、もしこの雨だったら、植樹祭はどうなっていたんだろう。決していい天気とは言えなかったが、なんとかお天気はもってくれたのである。この日、外を3時間近く歩くにもかかわらず雨足はやむことはなく、つくづく前日の運の良さに感謝してしまっていた。

     

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    開会式終了後、ぞろぞろとウォーキングが開始される。参加者には、日本、特に関西地区から参加されたツアー客も多いらしく、数百名が日本からここ杭州までやってきたようだった。そしてまた、杭州に駐在している日本人は約2000名にのぼるそうだが、そのうちの多くの方も、このイベントに参加されていたのだろう。あっちこっちでみなが笑顔で挨拶されている。この杭州でたくさんの日本の方が頑張っているかと思うと、私はなんとなく感慨深かった。男性ばかりではなく、女性の駐在員の方もいらっしゃる。いきいきと、この街でいつも働いていらっしゃるのだろうか。同じ女性として、なんだかすごく素敵だなぁ。私はそんなことを思いながら、西湖を眺めて歩き出すことにした。

     

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    北京にある世界遺産「頣和園」を訪れたことがある人ならすぐにわかると思うが、あの広大な庭園の中には、大きな大きな湖がある。それは、かの西太后のために作られたという人造湖であり、その湖のモデルになったのが、この杭州の西湖であるそうだ。どうりで、西湖を初めて見たにもかかわらず、何かに似ているなあと思ったわけだ。数々の詩人も、ここで歌を詠んだというし、歴史的に見て由緒正しき素晴らしい場所であるに違いない。この西湖は世界遺産にこそ指定されていないものの、手入れもされ、杭州を代表する観光地となっている。どうやら、行政が10年近く前から観光都市として力を入れたお陰もあって、日本や欧米から多くの観光客が訪れる、治安の良いきれいな都市へと変わってきているようだ。

     

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    雨の中のウォーキングではあるが、西湖の周りは木々が多く、雨に溶けたフィトンチッドのおかげか森林浴の効果がとても高いような感じがする。雨もさえぎってくれるし、常緑樹のいい木も多く、ひさびさに快適なウォーキングの時間だ。とはいえ、のろのろ歩いているのではなく、結構な早足でかなりの運動量。杭州横浜タイヤの駐在スタッフの方や、現地スタッフの皆さんと一緒に、いろんなお話をしながら、西湖をぐるっとめぐり歩く。9時頃に出発し、ゴールについたのがお昼の12時頃。ほとんどノンストップで競歩のように歩き続け、最後はちょっとふらふらとしてしまう。雨の中、そして気温が15度くらいという寒空の下、最後まで歩き切れるか不安だったが、なんとかゴールできて私はほっとひと安心していた。ゴールで待ち受けていたのは、大輪の菊の花。ちょうど見ごろらしく、これまたいいタイミングに杭州に来たなと思ってしまう。

     

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    無事に歩き終えた後、参加者に用意されていたお昼ごはんやジュース、その他グッズなどのたくさんの記念品を頂き、しばらくぼけっとする。スポンサー企業は、個性あふれる記念品や特典を用意しており、Canonは、デジカメのデータを持っていくと、その場でプリントしてくれるというサービスを行っていた。私はもちろんCanonユーザーなので問題ないが、Canon以外のデジカメでも、まったく問題なくプリントしてくれるというのだから、なんとも太っ腹。もちろん、家庭用のプリンターであり、お店で出すような仕上がりにはならないわけだが、それでも、その場で撮った思い出の写真を、すぐ自分の目で見たり、プレゼントできるというのは、参加者にとってかなりありがたいものだと思う。私も、杭州横浜タイヤのスタッフさんと一緒にとった写真をプリントしてもらい、すぐに写真を共有することができて、なんだかすごく嬉しかった。

     

    しばらくの休息ののち、参加者が待ちに待った大抽選会が始まる。スポンサーが豪華ということもあり、賞品は日本・杭州間の往復航空券や、杭州市内にあるホテルのスイート宿泊券、はたまたビール1ケースなど、大の大人がもらって嬉しいものばかり。意外と当選数も多く、あっちっこっちで歓声が上がったりして、なんだかとっても楽しい雰囲気。杭州の方も日本の方も一緒に楽しめるイベントで、これなら「日中友好」も単なるお題目じゃないななんて感心する。いままでまったく知らなかったイベントに偶然参加することができて、いいタイミングで杭州にきたなぁとしみじみ思っていた。

     

    植樹祭でもご一緒した数々の方にお別れとお礼を告げ、午後の2時過ぎに再びホテルへと戻る。かなり冷え込みが厳しく、また雨で靴もびちゃびちゃになっていたこともあり、私は風邪でも引くんじゃないかと不安になっていた。しかしその後ホテルで暖をとり、少し休んだ頃には、すっかり体の調子も戻っていた。夕方、荷物をまとめ、ホテルをチェックアウト。何から何まで本当にお世話になった杭州横浜タイヤの方と一緒に杭州駅へと向かい、お別れの時。お見送りまでして頂いて、ホントにもう恐縮至極である。お忙しいはずなのに、お疲れなはずなのに、数え切れないほどのお心づかいを頂いて、心の底から感謝感謝としか言いようがない。人でごった返した杭州駅。教えられた通りに駅構内を進み、恐ろしいほどの雑踏の中、スーツケースを引っ張って、上海行きの新幹線に乗り込むことにした。

     

     

    杭州から上海に向かう新幹線。車体の見た目や中身は、日本の新幹線とさして変わらず、少々びっくりしてしまう。しかし、この新幹線。海外からの観光客だけではなく、中国の方にも相当な人気であるようで、特に一等席(グリーン)のチケットを取るのは、至難の業であるようだ。私は、ネットで見つけた杭州の旅行代理店に、前もってチケットの手配をお願いしたが、チケットが発売開始となる10日前には、すでに第一希望の便は売り切れていた。あまり座席数も多くないのだろうが、日本の新幹線の感覚で杭州や上海でチケットを買おうとしたら、もうきっと手遅れなのだろう。ちなみに、杭州から上海南駅までは、1時間15分というわずかな時間。車であれば3時間ほどかかるが、新幹線はやはり早い。一等席が64元、二等席が54元、日本円にしても1000円弱と、新幹線の割にはリーズナブルだ。とはいえ、物価を考えれば、それなりに高級な部類に入る交通手段なのだろう。私の席の周りには15名ほどの団体がいて、その騒々しさには少々辟易してしまったが、快適なシートでゆっくりとできるだけありがたいかと、私は自分に言い聞かせていた。

     

     

    6時半過ぎ。上海南駅へ到着したころ、一人の女性と合流する。初めてお会いする素敵な女性で、日本語がぺらぺらのまさしく上海美人。本来であれば、ここ上海でも私はひとりでふらふらするつもりだったのだが、またしても横浜ゴムさんのありがたいお気遣いで、上海のオフィスで働くスタッフさんとお食事となったのだ。初めてお会いするので緊張したが、とっても可愛らしく素敵な方で、想像以上の楽しい時間を過ごすことができた。杭州の植樹祭には参加されていなかったが、数日前に宮脇昭先生の講演を聞かれたということもあり、いろいろなお話に花が咲き続ける。上海の家庭料理を美味しく頂きながら、約3時間の時はあっという間に過ぎる。楽しく、美味しく、あたたかい上海の夜。

     

     

    すべての人の温かいお心遣いに感謝しながら、上海の夜が静かにすぅっと過ぎていった。

     

     

     

    November, 2008

    杭州横浜タイヤ植樹祭へ

     

    2008/11/1

     

     

    6時前。杭州のホテルで目を覚まし、部屋のカーテンを開けてみる。外は、どんよりの雲模様。窓の下を見下ろすと、所々に傘が開いている。今日は、雨なのだろうか。

     

    身支度を整え、ホテルで朝ごはん。昨日から一緒の宮脇昭先生や横浜ゴムのスタッフさんと一緒に朝食を頂いたのち、8時前にホテルを出発。目的地である「杭州横浜タイヤ有限公司」まで車で30分ほど揺られることになる。

     

    朝の杭州は、やはり活気に満ちた中国らしい街並みだった。土曜日ということもあり、日中はもっと賑わいを見せるのだろうか。中心部から離れ杭州経済技術開発区へ向かう途中、大きな道路のわきに自動車の販売店がいくつも並んでいた。日本メーカーも、しかりだ。まだ杭州では、自動車は関税の関係もあって、かなりの高級品であるようだ。しかし、北京や上海と同じように、高級車が道路を埋め尽くしている。富裕層と、一般庶民と。格差はきっとこの街でもあるのだろうか。そんなことを車の窓から眺めながら、目的地へと向かっていった。

     

     

    8時半過ぎ。杭州横浜タイヤへと到着。会場には社員さんやその家族、また近隣の日系企業の関係者や行政関係者、またマスコミ関係者などが集まっていた。1000名を軽く超す参加者だ。宮脇先生たちと一緒に車を降りた後、しばしの準備ののち、開会式が始まる。前日から心配していた雨は、まだなんとかもっている。時折ぽつぽつとは降ってくるのだが、ざぁーっと雨足が強まることはない。カメラを持っていたため念のためレインコートを羽織ったが、このまま雨がもってくれることだけを祈っていた。大雨の植樹祭なんて、私もいまだ経験がないのである。

     

     

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    開会式が始まると、やはりここは中国なのだなということがよく伝わってきた。いや、別に、変な意味ではない。ただ、こう、「熱烈歓迎!」、「尊敬する○○様!」という表現が多く、実に中国らしいなと思ったのである。横浜ゴムの関係者ご挨拶、来賓ご挨拶が続いたのち、宮脇先生の植樹指導が行われる。先生がお話を始めた途端、報道陣の撮影ラッシュがすごかったので、私も負けじと先生のカメラを片手にステージ前でシャッターを切ってみた。が、勢いに負けて、完全にはじかれる。マスコミには勝てるわけもない。

     

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    ひぃひぃ言いながらも、宮脇先生のユーモアたっぷりの指導で会場内が笑いに沸いているのを見て、私はちょっと嬉しく思っていた。先生は、いつでもどこでも変わらない。国がどこであれ、相手がどこであれ、開会式で一番偉い方々に苗木を持たせ、木の名前を三回大声で連呼させる。社長でも、校長でも、市長でも、そして国会議員でもお構いなしだ。そして、最後に先生はこう叫ぶ。

     

     

    「こんなに偉い方でもできるんですから、みなさんにできないはずがありません!」

     

     

    そう、先生は聴衆を沸かせる方法もコツも知っている。いや、それは、1600回以上の植樹祭を世界中で実践し続けている宮脇先生にしかできないことでもある。毎回違う場所で、毎回違う人を相手にし、ここまでずうっとやってきたのだ。80歳になっても、1年のうち、ほんの数日休みがあるかないかという生活を送っている先生は、はっきり言って私には、愛すべき化け物としか思えない。そんな先生は、ここ杭州でも、1000人以上の参加者を前に木の名前を繰り返し、そして、いかにこの木々が私たちにとって重要であるかを熱くしっかりと説いていた。植樹祭に出るのがこれでもう40数回目という私にも、いつもと同じように、そしていつも以上にダイレクトに胸に響いてきた。拍手喝采だったのは、言うまでもないだろう。

     

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    開会式ののち、記念碑の除幕式が行われ、その後すぐに各ブロックに分かれて植樹が開始された。雨は、ギリギリまだもっている。あまり気にならない程度の雨で、なんとかこのまましのいでほしいと思っていた。

     

     

    今回用意された苗木は約11000本。日本でもおなじみのタブノキ、シラカシ、シイノキ、クスノキなどの高木が中心となり、シロダモ、ヤマモモ、カンツバキ、クチナシ、トベラなどが用意されていた。苗木を見て、日本と中国って似ているんだなと思ったくらいだ。やはり、熱帯の木々とは全く違う。海外での植樹であるにもかかわらず、自分の知っている木ばかりで、なんだか妙に親近感を覚えてしまった。

     

    宮脇先生のカメラ役としてしばしくっついたのち、もうそろそろいいかと、私は植え手に混ざることにする。「先生、植えてきます!」とお伝えし、軍手をはめて、シャベルを握る。2か月ぶりの植樹、いよいよ開始である。雨で土が湿っていたため少し硬かったが、シャベルで根気よく穴を掘り、苗木をひとつひとつ植えていく。久々に木に触れて、私はなんだかこう、生きた心地をゆっくり取り戻していくような感覚を覚えていた。カラカラの砂漠に水がじんわりと満ちていくような、そんな不思議な感覚だ。苗木を周りの人に手渡し、一緒に穴を掘り、そして木を大地に埋めていく。言葉もさしてわからないが、別にそんなことは関係ない。これほどまでに、言葉も文化も宗教も、人種も性別も年齢も、ありとあらゆる違いをとっぱらって、共にできる行いがあるだろうか。私はいつもそう思ってしまう。苗木を植え、稲わらを敷き、そしてロープをしばって作業を進めていく。これまでボルネオ、カンボジア、フィリピン、内モンゴル、上海、そしてアマゾンで木を植えてきたが、その行いはいつもやっぱりシンプルだし、いつもどこかで発見がある。人が木を植えてここまで喜々とできるのは、それがきっと人間の、動物としての本能だからなのかもしれない。泥だらけになりながら、私はそんなことを思ってしまった。

     

     

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    1時間強の作業が終りにさしかかる頃、1万本以上の苗木は大地にしっかりと息づき始めていた。開発区の中にはいたるところに作られた緑があるのだが、残念ながら私から見れば、自然で健康的な緑と言うことは到底できない。どことなく人工的で、どことなく弱いエネルギーをたたえた緑ばかりだ。いや別に、それがいけないとかいうことでは全くない。人工的に大々的に作られた工場団地の中なのだから、緑も人工的な感じがするのは、当たり前と言えば当たり前なのだ。例え人工的な緑であっても、それが無いよりはずっとずっといい環境が保たれているに違いない。しかし、今、この杭州横浜タイヤで植えられ、息づき始めた木々は、3年後、5年後には自然で健康的な命の森になっているのである。どことなく弱さを覚えたり、不自然な感じを覚えさせる化粧の緑ではなく、まるで、昔からそこにあったかのようなエネルギーあふれる豊かな森。きっと宮脇先生には、その本物の森の姿がもうずっと前から見えているのだろう。私にも、風に揺れる生き生きとした森が、もうすぐここに見えるような気がしていた。

     

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    作業に夢中になっていた頃、私はふっと気がついた。雨は、完全にあがっていた。ザーっとふることもなく、作業が終わるまで、天気はもってくれたのである。相変わらず、いつも天気は味方についてくれる。ありがたやと思いながら、最後の作業に没頭していると、もうそろそろ行きましょうとのお声がかかる。終了の時間だ。私はきりのいいところまで終えた後、現場を離れ、関係者の皆さんと一緒にお昼ごはんを頂くことにした。みなさんの顔が、生き生きと、そして爽やかな面持ちだったのは、言うまでもない。

     

    お食事を終え、しばらくしたのち、次の目的地へと向かう宮脇先生を見送ることにする。私はせっかくの機会なので、杭州にもう1泊滞在することにしていたのだ。車に乗り込み、横浜ゴムのスタッフさんと一緒に上海へと戻る宮脇先生にお礼と別れを告げ、車を見送る。翌日からのたった3日間以内に、九州、神奈川での植樹祭、そしてアメリカへの移動が待っているという先生に、次はどこでお会いするのだろうか。そんなことを思いながら、先生を最後まで見送った。もうその頃には、空から大粒の雨が降っていた。先生はいったいどこまで天気図を変えてしまう男なのだろう。そんな驚きを覚えていた。

     

    その後、しばらく時間もあったのでレインコートをふたたび羽織り、一人で現場に戻ることにする。植栽地の端から端まで長靴で歩き、苗木やわらの状態を見てまわる。ところどころ少し手直しをしたり、片づけをしたり。普段だと、ゆっくり最後のチェックをすることができないので、雨の中であっても一人ふらふらと現場を歩けるのが、私は妙に嬉しかった。小一時間ほど歩きまわったのち、杭州中心部へと戻る駐在スタッフさんたちと一緒に、車に乗り込むことにした。

     

     

    ホテルへと戻り一休みしたのち、夜に再び杭州横浜タイヤの駐在スタッフさんたちとお夕食をご一緒させて頂く。植樹の話、仕事の話、杭州の話、中国の話。一人で杭州の夜を過ごすはずだったが、予定の何倍も楽しいお夕飯をご一緒できて、私はとってもありがたかった。駐在という、私には遠い世界の、しかしリアルなお話を伺えて、なんだか知的好奇心が刺激されていた。そしてまた、植樹に対する真摯な思いと、その姿勢を実際に知ることができ、心がほわっと温かくなったような気がしていた。

     

     

    夜、部屋に戻り、再びヨガにふけ、そしてぼけっとテレビを眺める。

     

    良い植樹祭だったなと思いながら、深夜眠りにつくことにした。

     

     

     

    この1日、お世話になった全ての皆様に、心から感謝いたします。

     

     

     

     

    November, 2008

    上海から杭州へ

     

    2008/10/31

     

     

    10月最後の朝早く。目を覚ましカーテンを開けると、うっすらとグレーの空から雨がしとしと降っていた。上海は、あいにくの雨模様だ。身支度を整え7時半頃にホテルの朝食へと向かうと、レストランに入ったところで、タイミング良く宮脇昭先生(横浜国大名誉教授&国際生態学センター長)を見かける。「せんせ~、おはようございます~」と声をかけながら近づくと、「これはあやのちゃん、よく来ましたね」と先生。最後にお会いしたのが8月下旬のフィリピン・マニラのホテルで、今回2か月ぶりにお会いするのが中国・上海のホテルというのだから、なんともおもしろいご対面だ。その後、いつもお世話になる横浜ゴムさんのスタッフさんと無事に合流し、みなで朝からしっかりとご飯を頂く。超ハードスケジュールをこなしている先生も、実に元気そうだ。

     

    朝食後、関係者全員で上海のホテルを出、一路杭州方面へと目指すことになる。上海は3度目だが、杭州は私にとってまったく初めての土地。「ヨコハマタイヤ」でおなじみの横浜ゴムさんは、2007年から国内外の工場各地で「YOKOHAMA千年の杜プロジェクト」という植樹活動を展開されているのだが、8月のフィリピン工場に続く海外第2弾の植樹祭が、今回ここ杭州で開かれることになっていた。

     

    車に揺られること3時間弱。比較的道の良い高速道路を爽快に飛ばし、目的地の杭州経済技術開発区へと到着する。ここは、日系企業も数多く進出する工場団地であるそうで、工場やマンションなどの新しい建物と、人工的に作られた緑が印象に残る、なんとも不思議な街並みが広がっていた。去年の夏に訪れた、内モンゴルのシリンホトという街にもどことなく似ている気がする。道路は驚くほど広く、まっすぐであり、なんだか辺りを見ていると不思議な気分になる。そんな街並みの一区画に、目的地の「杭州横浜タイヤ有限公司」は位置していた。見なれた横浜ゴムのロゴを目にすると、どことなく妙にほっとする。社員でもないのに、こんなに愛情と関心を持てる企業というのも、きっととっても珍しいことだろう。

     

     

    敷地内に入ってすぐさま目に入ってきたのは、工場をぐるりと囲むように作られた植栽地のマウンドだった。土はこんもりともられ、翌日の植樹祭を控えて準備が急ピッチで進められているのが、一目でわかる。空は曇り模様で、まだ雨が降る感じもない。車を降り、建物内に入って、今回お世話になる関係者の皆様にご挨拶。偶然、1年前に上海で行われていた全日空の植樹祭でご一緒している方がいると知り、私はちょっと嬉しくなる。御縁というのは不思議なものだ。人生、どこで誰とどうやってつながるかは、蓋を開けてみないとわからない。それはきっと、怖々開けるびっくり箱のようなものではなく、わくわくどきどきと開くチョコレート箱のようなものだろう。1年ぶりにお会いしたにもかかわらず、「去年お会いしましたね」と開口一番言って頂いたことに、私はちょっと感激してしまっていた。

     

    ご挨拶を済ませた後、宮脇先生や現地スタッフの皆さんと一緒に、現場を視察させて頂く。工場をぐるりと囲むように設計された植栽地は、日本で見るような植樹祭の風景とそれほどかわらない。ただ違うのは、ユンボ(ショベルカー)などがない大変な状況の中で、見事なマウンドを作られたということだろう。日本でやる植樹祭であれば、ユンボで土を掘り返し、マウンドを築くこともできるだろうが、ここ杭州ではそうもいかなかったらしい。人力でマウンド作りにとりかかり、短期間で見事な状態のマウンドを作られたということが、私にはかなりの驚きだった。さすが、土の浜ゴムさん。どこの植樹祭にお邪魔しても、一番熱心にマウンド作りに取り組まれていて、毎度毎度その真摯な姿勢に脱帽してしまう。普通の企業じゃここまで絶対にやらないだろう。さすが「ものづくり」のプロ。匠の集団だと、私はまたここ杭州でも感じ入っていたのであった。

     

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    全体の視察を終えた後、昼食を一緒に頂き、その後すぐに翌日の本番を前にしたリーダー研修と相成った。宮脇先生のやり方は、世界中どこでも基本的に一緒だ。とにかく、現場、現場、現場。先生は、現場を自分の体を使って確かめないような人は、誰であっても相手にしない。逆に現場でとことん体験し、体と頭を両方使って動く者には、惜しみなく先生が指導にあたられる。口だけや机上の議論だけというのが、嫌いなのだ。言うは易く行うは難し。そんな具合だろうか。とにかく、先生は、相手が誰であれ、場所がどこであれ、現場での体験を最優先させる。そしてまた、ここ杭州でもその宮脇方式がいつもどおり取り入れられた。午後1時半から始められたリーダー研修は、先生の丁寧な指導により、普段の3倍近くの時間をかけて夕方ようやく終了した。翌日の植樹祭でリーダーを担当するのは、工場で働く若い20代の方たちが多く、ものすごく熱心に先生の話に耳を傾けている。中国語と日本語の二カ国語でリーダー研修は行われたが、驚いたことに、日本語の通訳ができる8人ほどの現地スタッフも、20代の若い方が多かった。私よりも、圧倒的に若い。いやはや、これには驚かされた。みんな、なんでこんなに日本語が上手なのだろう。50名近くの若きリーダーたちは、たくさん用意された苗木を次から次へと一生懸命植えていき、試行錯誤しながらも、おそらくは初めてであろう植樹の経験を楽しんでいるようだった。日本各地で開かれる一般的な植樹祭よりも、真剣さや熱心さが伝わってくるような気がして、私はなんだかありとあらゆることに感心しっぱなしだった。

     

     

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    リーダー研修終了後、現場の最終確認のお手伝いをし、夕方6時過ぎ、空が暗くなり始めたころ、長かった午後の作業を終えることにした。とはいえ、私や先生は現場を離れたが、実際のスタッフさんたちはそれ以降まだまだ準備に勤しまれていたことだろう。前日の準備は、いくらやってもキリがない気がする。マウンドのチェック、苗木の準備、稲わらやロープの配置など。翌日の天気を気にしながらも、とりあえずいったん工場を離れ、また再び明日の朝ここに戻ってくることにした。

     

     

    開発区を離れ、車で杭州の中心地へと向かうこと30分ほど。どことなく人工的な雰囲気な開発区から、人のにぎわいを見せる活気ある杭州の中心部へと到着する。観光地としても人気の高い杭州は、治安も良いらしく、なんだか過ごしやすそうな街である。ホテルも多いし、お店も多い。金曜日ということもあり、車もそれなりに混んでいたが、7時前にホテルに到着し、その後、関係者の皆様と杭州料理のお夕食をご一緒させて頂いた。恐縮至極。杭州のお料理は、北京料理とも広東料理とも違って日本人にしっくりくる味のような気がする。美味しいお食事を頂きながら、今回の植樹祭までのご尽力や意気込みなどをみなさんから伺い、部外者の私はちょっと感動してしまっていた。企業の環境活動が、ここまで真摯な思いから生まれていることを改めて感じ、私は妙に感慨深くなっていた。

     

     

    9時過ぎ。ホテルの部屋に戻り、しばしゆっくりヨガの時間。一日動き回っていたせいか、体は疲れていたが、なんだか心地よい疲労感だった。

     

    久々の植樹祭。お天気はどうなることやらと少し不安に思いながら、長い1日を静かに終えることにした。