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January, 2009 旅の計画
2009/1/18
新しい年になってしばらく日が経ったころ、ふと思ったことがある。
なんだかよくわからないが、妙に人に訊かれる質問があるのである。最初は別に何の気にも留めなかったが、少し日が経って、「んん?」と思うようになっていた。
その気になった質問が、これである。
「今年はどこ行くの?」、「次はどこの国に行きたい?」、「今年の旅の予定は?」、「今度はどんな秘境へ行くの?」
公私ともに、連日のように、ありとあらゆる人からこんな質問が投げかけられていたのである。
自分でもよくわからないが、なぜか数年前から、私は「秘境好き」と言われている。そもそも、「秘境」なんて呼べる場所、そうそう行っていないのだが、どうやら一般の方にとっては、アラスカもボルネオも、「秘境」という分類に入るものらしい。ものの24時間以内で行ける場所なんてたぶん秘境に入らないし、私の中での秘境は、南米とか南極とかグリーンランドなのだが、どうも一般的には違うようなので、やっぱり私自身がおかしいのだろうか。そんなことをたまに思ってしまう。
そして、そう。今年の旅の計画である。これほどまでに、矢継ぎ早にという感じでたくさんの人から質問を投げかけられたことがなかったので、はて、どうしたものだろうと私は不思議に思っていた。いや、というよりも、私の旅の計画ってそんなに変なのだろうか? 年末年始はナイアガラとニューヨークだったし、別にそれほど変な場所には行っていないと思うのだが、やっぱり、周りの方は、「秘境」という地に足を踏み入れる旅を期待しているのだろうか。だとすると、ちょっと、今年はそのご期待に添えられるかどうかは、自分でも自信がない。
いやもちろん、行きたい場所は山ほどある。とりあえず台湾にはちょこちょこ行くし、夏あたりには、できればアラスカに久しぶりに帰りたい。バリのウブドにも行きたいし、マチュピチュだってもちろん行きたい。コスタリカにも惹かれているし、マダカスカルもタスマニアも魅力的だ。それに、いよいよ“大人”になってきたので、ヨーロッパにもそろそろ進出するときかと思うようにもなっている。いや、それでも、その一方でやはり大自然の北アメリカにもまた戻りたいし、モンゴルも行きたいし、チベットもブータンも魅惑に満ち溢れている。そしてそう、ニューヨークにも足繁く通いたい。いやはや、どうしたものだろう。こんなに行けるわけ、ないのだが。
というわけで、何人もの方から訊かれた質問の答えは、あるようで、ないのである。
旅の計画。残念ながらまだそれは未知の世界。
今年私がどこへゆくか。
みなさま、どうぞ、期待しすぎない程度に、気を楽にしてお待ちくださいませ。
January, 2009 ある日の休日
2009/1/17
ある日の休日。ふと思い立って、自分の部屋の一点をただじっと見つめていた。
「うーむ。どうしよう。」
そう思いながら、私はよしっと決心した。ずっと前から気になりながらも、なかなか行動に移ることができなかったある作業だ。
「今やらなかったら、一生できない!」
そう半ば自分を追い込み、私は目の前にあるものたちを吟味し始めた。
「これは、残す。こっちは、処分。」
そう思いながら、取捨選択をすることにした。目の前には積もりに積もった雑誌の数々。そう、過去数年間にわたり、週刊誌、月刊誌、ありとあらゆるタイプの雑誌をずぅっと私はそのままとっておいたのである。いや別に、不要な物を貯めておいたのではない。ちゃんと、必要だから貯めておいたのである。しかし、あまりにもその数が膨大になってしまったため、私はえいっと決めることにした。そう、不要な部分は捨ててしまおうと思ったのだ。そうでもしないと、私の部屋はそのうち本でいっぱいになってしまう。
中身を吟味し取捨選択をした結果、大事に取っておくタイプの雑誌や豪華本は、やはりすべてそのまま残すことにした。そして、1ページや数ページの記事だけを残しておきたいものは、必要な部分だけ切り取り、まとめて保存することにした。週刊誌、文芸誌、ビジネス誌にスポーツ誌、グルメ誌に音楽誌まで。ありとあらゆるタイプの雑誌から必要な場所、永久保存しておきたいところだけカッターで切り取り、いらないものをひたすら取り除く。その作業、実に2時間ほど。ときおり、懐かしい記事や懐かしい写真など、ありとあらゆるものが私の手を止めにかかったが、それでもやるべき作業をすべて終えた。「あんなにあったのに」という雑誌の山の95%くらいも、資源ごみとすることにした。束ねて出すこと、重いの4束。
必要なものだけを大事に残す。物が捨てられない私にとって、大事な雑誌に手を入れ処分するということは思ったよりも一大事なようだ。
1枚1枚丁寧に、大事なものだけそばに置く。
気がつけば、心がすうっと落ちついて、なんだかとっても幸せな気持ちになっていた。
January, 2009 思い出した本 vol.4
2009/1/16
(前回から続く)
1年前に衝動買いした、一冊の洋書。その出会いは後々、不思議なストーリーを紡ぎだしていった。ニューヨークへの旅、そして思い出の土地での空想のストーリー。それはまるで私がニューヨークを訪れる時を見計らっていたかのような、そんな不思議な展開だった。
しかし、話はこれだけでおわらなかった。約2か月ぶりにこの作家の本を読み始めたことで、私の中では読書モードのスイッチが入ってしまったのである。そしてある日、何の気なしに近くの図書館へ行き、同じ作家のいまだ読んでいない作品を探そうとした。すでにたくさんの本を読み終えている私は、とある1冊の翻訳本を検索機で見つけ出した。その日その図書館ですぐに借りられるのは、その1冊だけだったのである。
私は受付カウンターでその本をお願いし、書庫から出してもらうことにした。作品名は私も以前から知っていたが、実際に手に取るのは初めてだ。それくらい古い本であり、また私にとっては内容が全くわからない本でもあった。司書から手渡されたその本は、見るからに年月が経っていそうな、古めかしい感じである。奥付を見てみると、発売はなんと1989年。20年も前に出版されたという、時代を感じさせる本である。原作はと言えば、英語で1986年に出版されており、すでに23年近くもの時が流れている。この本が書かれた当時、私はまだ小学1年生だ。自分でも信じられないと思いながら、私はその本を大事に鞄に入れ、図書館を離れることにした。ある寒い、しんしんと冷えた夜のことだった。
図書館を後にした私は、足繁く通うカフェに向かうことにした。いつも訪れる大好きなカフェだ。そこで私は、つい先ほど借りた本をおもむろに開くことにした。ページもそれほど多くなく、きっと2、3日もあれば読めるだろう。そう思ってわくわくしながら読み始めると、舞台はニューヨークのようだった。今までずっと、ニューヨークが舞台の本は、なぜか結果的に自然と避けることになっていたのに、突如、偶然か必然か、ニューヨーク以外の場所が一切出てこない本に出会ったのである。これもなんとも不思議な話だ。しかし、話はそれだけではなかった。くらくらしそうなほどに、私があの3日間で訪れたマンハッタン、そしてブルックリンの場所が、通りが、次々と出てきたのである。まるで私が、自分自身が、ニューヨークの街で経験をするのを待っていたかのように、その本はふっと目の前に現れた。自分がつい2週間前に歩いていた場所を、20年以上前に書かれた本の中で、主人公が同じように歩いている。同じ場所を20年以上も経て経験するという、なんとも奇妙な時空の流れ。きっともしかしたら、この不思議な経験をするために、私はニューヨークを訪れたのだろうか。そんなあり得ないことすら考えてしまう。
結局、2、3日かかると思っていたこの本を、私はその晩、ノンストップで読み終えた。ものの3時間程度で一気に読み終え、なんだか頭の中がぐるぐると回っていた。
天才ポール・オースターが描く世界は、いつもリアルで、いつも複雑だ。フィクションのはずなのに、ノンフィクションよりリアルな世界が目の前に見えてしまう。人間の心理をするどく深く、丹念に丁寧にじっくりと描き出しながらも、読む者にすきを与えないほどのスピードと勢い。一度その渦に飲み込まれたら、どこまでもその力に引きこまれ、方角もわからないような、二度と元に戻れないような、そんな奇妙な感覚にも陥ってしまう。そして気がつけば、ぽんっと一瞬でどこかに放り出されたかのような、なんとも言えない虚脱感、そして、水を打ったような静けさに包まれる。これは現実か、それとも夢か、幻か。そう誰かに訊いてしまいたくなるような、そんな独特な世界が、いつもオースターによって繰り広げられていくのである。
結局、今も私は、ブルックリンブリッジの夜景が表紙を飾る一冊の本、『Oracle Night』を毎日読んでいる。残念ながら、翻訳版が出されるにはかなりの時間がかかりそうだが、きっといつの日か名翻訳者 柴田元幸先生によって、素晴らしい日本語版が世に出されるだろうと期待している。そしてまた、私の枕元にはまだこれから読み始めるオースターの和訳本が数冊積まれている。それが終われば、今度は、日本では翻訳されていない洋書を手にすることになるだろう。それくらい、オースターの世界にはまっているし、他に読みたい本が、作家が出てこないほどに、私はこの作家が好きなのである。
好きな作家との出会いというのは、ある種、人生を豊かにしてくれる幸福な引力だと思う。またひとつ好きなものが、好きな世界が、好きな時間が増えていくことに、そしてこの素敵な出会いに、やはり心から感謝すべきだろう。
そんなことをこの寒い1月、私はじっと密かに思っている。
January, 2009 思い出した本 vol.3
2009/1/15
(前回から続く)
久しぶりに手にとった1冊の洋書。表紙の写真は、つい2週間前に目にしたニューヨーク、ブルックリンブリッジの夜景であった。そのタイミングの良さに驚いた私は、1年ぶりにその本を読み進めることにした。ストーリー展開を頭の中で思い出しながらも、最初から再び読み始めることにしたのである。
ページを開き、文章を読み始めていると、私はなんとなく以前読んだ世界にすうっと戻っていく感覚を覚えた。そうそう、確かこんな話だった。そう、頭の中で追っていったのである。しかし、ページを進めているうちに、実に不思議なことを感じ始めていた。同じ文章を読んでいるにもかかわらず、同じストーリー展開を追っているにもかかわらず、1回目に読んだ時とは確実に頭の中で作られるイメージが違っているのである。この本は日本語で翻訳されているわけでもなく、実写化されているわけでもない。しかし頭の中で出来上がっている絵図が前回とは全く異なるのである。なぜ、こんなにクリアに世界が見えているのだろう。
そう疑問に思いながら、私ははっと気がついた。ニューヨークマンハッタンのとある通りの名がぱっと出てきたのである。その時私はようやく気がついた。景色がはっきり見えているのは、私が訪れた場所や通りの名前、そして目にした建物の名前がそこかしこに出てくるからである。ニューヨーク・ブルックリン在住の著者が描くストーリーは、ニューヨークの街が登場する、もしくは舞台とするものが多い。しかし、不思議なことに、私はこれまで彼の作品を何冊も読んでいるにもかかわらず、なぜかニューヨークではない土地を舞台にしたものがほとんどだった。内容も知らず、その時々で手にしたものを読んでおり、作品リストの順番を追っているわけでもなんでもないのだが、どういうわけか、ニューヨークを舞台にしたものは自然と選んでいなかったという結果になっていたのである。
ページを進めるごとに、登場人物が見えている世界、置かれている世界が、私にも手に取るようにわかるような気がしていた。私がニューヨークに滞在したのはたったの3日間。全部を回ることなどもちろんできておらず、時間が十分にあったとは言い難い。しかし、あの街で過ごした時間と経験は、確実に自分の体と心、そして意識に吸収されていたのである。
ストーリーを追いながら、私は1回目に読むのをやめてしまった50ページの辺りを、問題なく通り越していた。やめてしまったのは、英語のせいではなく、内容のせいでもなく、きっと何か他の要因があったのだ。
そして途中、何気なく読んでいると、思わず目を止めてしまう文章に出くわした。
「You’ve seen the pictures , but the pictures don’t tell you what it was like. You have to go there and smell it for yourself ; you have to be there and touch it with your own hands. 」
まるでわが恩師宮脇昭先生がいつも口にする、この言葉のようである。
「現場に行き、目で見、手で触れ、匂いを嗅ぎ、舐めて触って、初めてわかる」
私はこの言葉をじっと見つめながら、1年以上忘れていたこの本のことを考えた。途中まで進みながら、読むことをやめてしまったこの洋書。それはまるで、私がニューヨークを訪れる時をじっと待っていたかのような、そんなタイミングの図り方である。1年前にすんなりと読み終えていたら、きっと私はさして頭の中でストーリーのイメージを膨らませることもなく、タイミングの良さを覚えることもなく、ただ普通に物語を読み終えていたに違いない。
そう思うと、なんだかやっぱり、目に見えない何かの力が働いているような気もするし、それはまた引力のような気もするし、同時に偶然といったタイミングの良さと思えるような感じもしてしまう。
1年以上前のある日、ふいに手にとった1冊の本。
その本が、ここまでストーリーを紡ぎだしてくれることもまた驚きであるし、本を読みながら、幸運に感謝しなければと私は密かに思っている。
しかし、この話。実は、これで終わりではない。
まだ続きがあるというのも、これまた不思議な引力なのであった。
January, 2009 思い出した本 vol.2
2009/1/14
(前回から続く)
1年以上前に衝動買いをした1冊の洋書。その存在を長らく忘れていた私は、ある日突然ふとしたきっかけでその本を思いだすことになる。ベッドの枕元という“灯台もと暗し”な場所で見つけ、久しぶりに手に取った私は、思わず、動きが止まっていた。表紙を見た瞬間、その写真に驚いてしまったのである。
洋書を飾るモノクロのカバー写真。それは私がつい2週間前に訪れたニューヨークの夜景だった。しかも、一番見ることを楽しみにしていた、ブルックリンブリッジの景色。なぜそれが、一番行きたかった場所だったのか、自分でもいまいちよくわからない。しかし、私は妙にその風景を心待ちにしていた。そうして私が、初めてニューヨークを訪れた日、一番最初に訪れたブルックリンブリッジが、表紙を飾っていたのである。洋書の舞台はニューヨーク。それは私も覚えていたし、なんとなくストーリーも頭には入っていた。しかし、表紙が何だったかは、私は全く覚えていなかった。ブルックリンブリッジであったなんて、まったく予想もしていなかった。実際、この洋書を買った時は、まだニューヨークにさして興味も示していなかったし、実際にニューヨークへの旅の計画を始めた時は、この本の存在を完全に忘れていたのである。
手にした瞬間思わず固まってしまった私は、表紙をじっと眺めながら、あぁこれは呼ばれているんだなと確信した。きっと、今読んでと言われているんだろう。そう、心の中で感じていた。
表紙を開き、中を見てみることにした。しおりが示していたのは50ページ過ぎ。ストーリーはおぼろげながら覚えているが、このまま先に進めるべきか。それとも1から読み始めるべきか。その時私は、なんとなく最初から読んでと言われているような気がしていた。また、引っ張られるような感覚に陥ったのだ。
これから何が始まるんだろう。
そう思いながら、私はページを進めることにした。ある日の真夜中の出来事だった。
January, 2009 思い出した本 vol.1
2009/1/13
ふとした瞬間に、忘れていた本のことを思い出した。1年以上前に何の計画も情報もなく、衝動買いした1冊の洋書だ。
買った当初私は、その本を夢中になって読んでいた。むさぼるように読み、そして50ページ以上まで進んでいた。しかし、どういうわけか、そこでその歩みは止まっていた。きちんとしおりが、そのページを記録していたのである。
どうして途中でやめてしまったのか。今ではその記憶をたどることもできないが、おそらくはかなり仕事が忙しい時期であったこと、また大きく体調を崩していた時期であったことが大きな理由だったのではないかと思う。難解な英語に苦労したのは想像に難くないが、確かそれが一番の理由ではなかったはずだ。いずれにせよ私は、その本を、3分の1程度まで読み進めていた。そして、いつの日かぱったりと読むのをやめた。そうして気がつけば、1年以上の年月が過ぎ去ってしまっていた。
すっかり本のことを忘れていた私は、ある日急にその洋書の存在を思い出すことになった。そしてどこにやったかとすぐさま自宅の本棚を探したが、どうもありそうなところには並べられていなかった。
「おかしいなぁ。無くなるはずないのに。」
そう思って私は、ふとベッドに目をやった。今読んでいるものや、そのうち読もうと思っている本がベッドの横には何冊も積み上がっている。そのタワーのように重なった本を一冊ずつ見ていくと、探していた本はみつかった。下から数えたほうが早い位置にはあったが、確かにその本は枕元に置いてあった。ずいぶんと長い間ここにあったにもかかわらず、しょっちゅうタイトルも表紙も目にしていたはずにもかかわらず、まったく私はその本の存在を気にも留めていなかったのである。
「なんだ、ここにあったんだ。」
久しぶりにその洋書を手にし、表紙を見た瞬間、私の動きは止まってしまった。
自分も予想していない展開は、こうして少しずつ、始まろうとしていた。
(次回へ続く)
January, 2009 ブログのこと
2009/1/12
ここのところMSNのサービスがどんどんと進化して、なんだかすごいことになっている。昔からあるhotmailの機能、それとこのSpece、つまりブログがあれば十分という私には、はっきり言ってその進化とサービスについていけてない状態にある。
最近も、「はて?なんでしょうこの機能?」というものに出くわし、英語の画面を見ながらうーむとしばらく固まってしまっていた。で、結局、「よくわからないから、ほっておこう」という結論に至った。厄介なことになったら面倒だと思ってしまったからだ。というのもその少し以前、ある時からプロフィールの表示や登録内容がよくわからないうちに変わっており、指示どおりにクリックしていたら、「えぇ?なんで?」ということになってしまったのだ。すぐに直したからいいものの、知らないうちに本名やメールアドレスが公開されそうになって、一瞬焦ってしまった。まぁ世の中には、本名を公表しているだけではなく、メールアドレスや顔写真などまでどしどしWEB上に出している方もいらっしゃるので、そういう方から見れば、「いいじゃんそんなの別に」と思われるかもしれないのだが、個人的にはちょっとそれは避けたいと思ってしまう。まぁ、ある程度限定で公開されていればいいのだろうが、誰しもが個人情報にアクセスできるとなればそれはちょっと厄介な話だ。そんなこともあり、ネット上でよくわからないものをそのまま受け入れると、後で面倒だなと思ってしまったのだ。
そういうわけで、MSNだけではなく、様々なWEB上でのネットワークシステムが充実しても、いまいちというか、全くというほどに私は活用できていないし、さして活用する気もいまだ起きていない。って、これって単なる、めんどくさがり屋というのか、機械音痴?というのかはよくわからないが、とりあえずこのブログの機能については、あまり進化しすぎることなく、普通に続いてほしいなぁと思っている今日この頃であった。
おしまい。
月夜の下で
2009/1/11
オレンジ色の東京タワーを見上げながら、公園の近くを歩いていた。
しんしんと冷えた、とある夜のこと。
東京タワーは、やっぱり冬が一番キレイだな。
そんなことを思いながら、かさかさと音を立てる葉っぱの道を歩いていた。
クスノキとシイノキの葉が積もっているんだろう。
暗がりの中、そんなことも思っていた。
どこからか何かが聞こえたのは、薄暗い公園の中だった。動物が鳴いているような、かすかな声。
何かいるのかな。
辺りを見渡すが、暗さのせいか何も見えない。もしかしたら、気のせいだったか。
そう思いながら視線を前に戻すと、そこにはなんと小さなネコがいた。
「にゃぁ」でもなく、「みゃぁ」でもなく、かわいい声で鳴いているその子ネコ。
大きな瞳でこっちを見ながら、彼女はじっと動かないでいた。人見知りもしていない、その小さな子。ただ私をじっと見て、何か言いたそうな顔をしていた。
「こっちにおいで ?」
「こっちにこないでよ ?」
1秒、2秒、3秒。5秒、10秒もあっただろうか。
長い間止まっているような、そんな、ゆっくりとした流れ。
ふっと何かに引っ張られるように視線を上げると、雲のない空にぽっかりと明るい月が浮かんでいた。黄色よりも白と呼びたい、まあるい月。
あ、もうすぐ、満月か。
月に見とれ、我に返ると、目の前にいたはずのネコはどこかに消えていた。
あれ、にゃんこがいない。
周りを見るが、彼女はどこにもいなかった。そもそも、彼女なのか彼なのか。
それもわからないが、瞳の大きなあの小さな子は、音も立てずにどこかへ消えた。カサリと音も立てずに、暗がりにそっと消えていた。
諦めて空を見上げると、まだ月はそこにいた。まばゆい白さで、何も変わらず、さっきと同じ顔で夜に浮かんでいた。
にゃんこ、どこいったんだ。
月は、ゆくえを知っているだろうか。
ネコは、月を見ているだろうか。
しばらく足を止め、じっとなんだか考えていた。
子ネコもきっと生きているし、月も今も生きている。落ち葉もきっといつの日か、大木に還るときがやってくるのだろう。
- 過去も夢、未来も夢、いまこの瞬間生きていることだけは現実 ―
どこからともなく、そんな言葉が頭の中に浮かんでいた。
このお話は一応フィクションです。
森の中で
2009/1/10
休日の土曜。
宮脇昭先生や植樹仲間、そしてお世話になっている関係者の皆様と横浜にて新年会。約40名が集い、昼過ぎから夜までわいわいと騒ぐ。
20歳から80歳までが一堂に会するというのも、きっと珍しいことだろう。
「老体木から若木まで。いがみあいながら少し我慢して、競争しながら共生する。それが、健全な生き物の社会です」
その宮脇先生の哲学の通り、若者からベテランまで、性別も年齢も職業も住む場所も違う40人が集まり盛り上がるというのは、ある種この時代に、貴重なことだと思う。まだまだこの中では若木のひよっこだが、はるか年上の相手であっても、別に引け目を感じる必要もないし、相手がこちらをないがしろにすることもない。一人ひとりが個人として、お互いの立場や考えを尊重される空気がここにはある。様々なことを教えてくれるのは、本物の森の中と同じでなのだ。
今回の新年会は、お料理やデザートの数々を、横浜在住の料理研究家、植野美枝子さんにアレンジ頂いた。植野さんは人気のお料理教室を横浜、そして都内でも主宰され、数々の著作もお持ちの方である。今回は特別に、宮脇昭先生が昨年訪れた外国のお料理をモチーフに、実に多種多様で素晴らしいお料理をお作り頂いた。あまりの素晴らしさに、とりわけ女性陣は驚きと歓声をあげ、写真を何枚も、何回も撮ってしまうほどだった。和食から始まり、ベトナム、マレーシア、アメリカ、ドイツなどのお料理が彩り美しく仕上げられ、あまりのレベルの高さに、一流ホテルも真っ青と思うほどである。見た目もお味も、もう、歓喜の嵐。お料理だけではなく、最後のデザートまで、どれをとっても本当に丁寧で、愛情と心、そして創作意欲が込められた素晴らしいお食事であった。植野さんをはじめ、一緒にご尽力頂いた多くの皆様には、心の底から感謝である。今度はぜひ、お料理を習ってみたい。そう思ってしまっていた。
夜8時ごろ。一次会も無事に終了し、そのまま流れて二次会へと移動。この頃になると、やる仕事もなくなってきて、ただぼけっと甘味を楽しむというのが、いつもの私のパターンである。
モンブランを食べ、エネルギーをチャージ。お腹も心も満たされて、夜の横浜を後にした。
お世話になった全ての皆様に、心から感謝いたします。
January, 2009 銀座で思うこと
2009/1/9
新年になって数日過ぎた頃から私はふと異変を感じ始めていた。
銀座の大通りを夜に歩いていたときの話だ。数日にわたり同じ場所を歩いていたが、どうも様子が変なのである。うーむなんだろう。何が変なのだろう。そう思いながら私は銀座を歩いていた。そこでふっと気がついた。妙に、人が、いないのである。最初はたまたまかと思っていた。しかし、どう考えても、明らかに人が少ないような気がする。12月にはそれなりに人がいたのに、一体どこに消えてしまったのだろう。そう思うほどに通りは静かな様子を見せていた。
あまりにも不思議に思ったので、銀座近くの京橋のカフェで、顔なじみの店員さんに質問を投げかけてみると、「飲食店はどこも空いているみたいですよ」とのこと。そうか、やっぱりそうなのか。高級クラブ街だってお客さんが少ないという話だし、きっとどこもかしこも不況の影響なのだろうか。
とはいえ、みんな、どこにいるのだろう。
ひと気の少ない銀座を歩きながら、世の移り変わりを感じる今日この頃なのであった。
宮脇昭先生講演会 ~2月8日(日)横浜にて~
2009/1/8
本日も宮脇昭先生の講演会情報をアップいたします。
宮脇先生をはじめ、漁師さんが森に木を植えるという「森は海の恋人」運動を宮城県で続けておられる畠山重篤さんのお話も伺える貴重な機会です。ご興味ある方はぜひぜひお申し込みください☆
≪国際生態学センター&毎日新聞主催 市民環境フォーラム≫ 日時:2009年2月8日(日) 13時~16時30分 場所:パシフィコ横浜国際会議場
詳細およびお申込みは下記をご覧ください。 https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/ueru16/
January, 2009 宮脇昭先生講演会情報 ~1月31日(土) 神奈川にて~
2009/1/7
本日は宮脇昭先生の講演会情報をアップいたします。ご興味ある方はぜひお申し込みください☆
≪湘南国際村アカデミア ふるさとの木によるふるさとの森づくり~湘南国際村から世界へ~≫
日時:2009年1月31日(土) 14時~16時 場所:神奈川県葉山市 IGESにて
詳細およびお申込みは下記をご覧ください。なお、申し込み締め切りは1月20日(火)ですので、お早めにどうぞ。 http://www.iges.or.jp/jp/news/event/090131academia/index.html
January, 2009 年賀状に思ったこと
2009/1/6
今年の年賀状、いろんな方から頂いたが、ちょっと私には気になることがあった。いや、年賀状だけではなく、メールでも同じなのだが、年上の多くの先輩方から同じようなメッセージを頂いたのである。それは別に、私だけに対してではないのかもしれないし、私にのみ書いたことなのかもしれないのだが、とにかく妙に引っかかった。簡単に言うと、こんなことだ。
「今年は元気で、明るくいきましょう」
いや別に、毎年これを書く方もいらっしゃるだろうが、今までかつてこれほどいろんな方に同じようなメッセージを頂いたこともないような気がしてしまう。おそらくそれは、「世の中先行き不安で暗くなっているけど、とにかく気分は明るく前向きに頑張っていきましょう」という意味がかなり込められているようにも感じてしまう。
そしてまた、こんなメッセージをとある方から頂いた。
「今年は特に、あなたの明るい笑顔が必要になりそうですね」
自分がどんなふうに笑っているのか意識してはいないが、作り笑いが苦手でケラケラ笑う私は、以前、「屈託のない笑顔だねぇ」と言われたこともあるし、きっとおそらくあっけらかんとした能天気な笑いを人に見せているのだろう。
「お先真っ暗大恐慌」と必要以上に煽りたてるようなマスコミの論調とは違って、「そんなに必要以上に煽ってどうすんの」と私はずっと思っている。煽るよりも、もっといいニュースの芽を見つけたほうがいいじゃないか、と。
「明るく元気に」、そうやって地道に頑張っていきましょう。
年賀状を眺めながら、そんなことを思っていた。
仕事始め
2009/1/5
2009年仕事始め。
久々に仕事に向かうと、なんだか全てにくらくらしそうになった。朝から走りまわり、気がつけば夜遅く。初日だというのに、「なんでこんなに忙しいの~」と誰かに訊きたいくらいの忙しさである。そんなことをしていたら、つい数日前までニューヨークにいたことさえ、遠い過去の記憶の中においやられそうだった。悲しいけど、これが現実か。
今年一年も、こんなスピードでいくのだろうか。
そんなことをついつい思ってしまう、仕事始まりの日。
January, 2009 旅写真アップのお知らせ
2009/1/4
年末年始のナイアガラ、トロント、ニューヨークの旅の写真をフォトアルバム内にアップいたしました。が、なんでだかわからないけど、トップページに表示されてません。。。ので、ご興味ある方は、「My Photos」というところをクリックの上、中をご覧ください。。。スライドショーで見えると思います。。。もし見えなかったら、どなたかご一報をお願いします(自分の画面では見えているのですが。。。)。
少々急ぎ足で撮った写真が多いうえ、MSNの機能が複雑になってややこしく、少々変なアルバム(順番的に)なってますが、どうぞご了承くださいませ。
sandyayano (2009/1/12)
旅を終えて
2009/1/3
旅を終えて思ったこと。
20代の海外渡航者が減っていると、以前からよく言われているが、本当に、それはもったいないことだと私は思っている。とりわけ旅好きだからそう思うのかもしれないが、早いうちにいろいろな刺激に触れ、異文化に触れ、世界中の多様性を知ることは、きっと人生の上で極めて重要なことだろうと心底思う。それは私の経験からでもあるし、旅好きの周りの人間が同じく口にすることでもある。
そういえば、私が24歳くらいの頃、アメリカのキャンプツアーで一緒になった日本人の30歳過ぎの女性にこんなことを言われたことがある。
「30歳過ぎると、なかなか物事に感動しなくなってくるんだよね。いろんな場所に行ったり、いろんなものを見るのは、やっぱり早いうちがいいと思う」
おそらく、30歳頃にはいろんな物事の経験を積んできているせいか、感動までのハードルが上がってしまうのかもしれない。今30歳を前に思うのは、とにかく、学生や20代はもっとどんどん旅に出ろということだ。もちろん、「お金がない」、「時間がない」、「興味がない」という理由は分かっている。でももしそれが学生の言い分であったとすれば、それは大いなる間違いである。社会人になれば、時間なんて皆無に等しくなるぐらい減る。学生の「時間がない」と社会人の「時間がない」はその中身が違い過ぎるのだ。「金は借りてでも旅をしろ」というのが、私が学生の後輩に言っていた言葉だし、「有休は使える時に使え」というのが、社会人の後輩に言うことでもある。
少し前、新聞か雑誌の何かで、旅行業界のトップの方がこんなことを話していた。
「20代の渡航者が減るのは、お金がないとかの理由もあるだろうが、バーチャルな世界にひたってそれで満足しているからではないか。自分の体や五感を使って、新しい何かや違いを感じたりすることがもっともっと重要ということに、気がついてほしい」
さあ、次の旅。目的地はどこにしよう。
そんなことを考えるのも、人生の醍醐味だ。
そう、私は思っている。
帰国
2009/1/2
13時間のフライトを経て、午後の3時過ぎに成田空港へと到着。気がつけば元旦はどこへやら、1月2日になっていた。当たり前だが、アメリカから帰ってくると、なんとなく1日消えてしまったようでちょっと変な感じである。
久々の日本に馴れないまま、入国審査。バゲッジクレームで荷物を待っていると、係員が上から流れてくるスーツケースをきちんと並び替えて取りやすくしているのが 妙に新鮮に感じる。海外じゃ、誰もそんなことしてくれないし、下手したら放り投げられる。うーん、日本ってきめ細かいなぁ、丁寧だなぁ。そんなことを思ってしまった。
帰国ラッシュもまだなのか、成田はそれほど混んでいなかった。きっとこれから混むのだろう。お正月の音楽も流れ、あぁ、年を越したんだなぁとしみじみと思う。冬休みがもうすぐ終わりなんだなぁとちょっとさみしくなる。
友と別れ、2つのスーツケースを引っ張りながら帰途に着く。
重い荷物とたくさんの写真。充実したカナダ、ニューヨークの旅は、静かにすぅっと終わっていった。
一緒に旅をしてくれた友、事前にアドバイスを下さった方々、現地でお世話になった全ての方に心から感謝いたします。
2009年のはじまり
2009/1/1
ニューヨークで過ごす最後の朝。しかも、そう、元旦である。夜中3時前にベッドに入り、朝の6時半には目を覚ます。さして眠らず荷物をまとめ、ホテルを出てグランドセントラル駅近くから出るニューアーク行きのバスに乗り込む。出発時刻は朝8時。昨日からぐんと下がっていた気温は、今日も上がることなく相変わらず寒い。マイナス何度であろうか。
バスに揺られること30分ほど。元旦ということもあってか道も空いており、ごくスムーズにニューアーク空港へ到着。2個のスーツケースをチェックインするのはこれが初めてだが、真っ赤のTUMIはやっぱり何度も見ても愛おしくて嬉しくなる。普段であれば時間のかかる手荷物検査も、元旦のせいなのか、Happy holidaysモードなのか、それとも朝一だからなのか、「はいはい、次どうぞ~」みたいな感じでびっくりしてしまう。みんな、気が抜けているのだろうか。
朝食にレストランに入り、フルーツとグラノーラを食べようとしたところで、ふとカメラの異変に気がつく。シャッターを切っても、写真が撮れていないのである。はて?と思い何度もやるが全くダメ。もしかしたら前夜、気温がきわめて低い中カメラを持ち出していたのがいけなかったのだろうか。結局のところこの時点でカメラは使い物にならず、その後修理に出す羽目になったのだが、数百枚のデータはきちんと生きていたし、ニューヨークの観光がすべて終わるところまできちんと動いてくれたことには感謝である。すごいタイミングでのトラブルであった。
食事をし、日本では買えないダンキンドーナッツをまとめ買いしたのち、コンチネンタル航空に乗り込み13時間の空の旅。行きより長いが、エンターテイメントが素晴らしく、エコノミーでもなんと300以上の映画やテレビが見られるという充実ぶりだった。ボーイング777でもこんな素晴らしいエンターテイメントとは、やっぱり13時間のロングライトだからだろうか。
睡眠→食事→映画→睡眠→おやつ→映画みたいなのを繰り返し、予想よりも早く時間が過ぎる。新作の「WALL-E」で感動し、「ブリジッドジョーンズ2」を見て笑い、「ハリーポッター」の2、3を見たところでイギリス英語にくらくらし始め、時間がないのでハリーポッター4を諦め、「ER」の初代シリーズを見てしんみりするという、実にお気楽な空の旅。
苦痛も感じず、ひたすら映画にふけるという怠惰な元旦が、あっという間に過ぎていった。
2008年の最後に
2008/12/31
ブルックリンで迎える2日目の朝。妙に寒いと思ってカーテンを開くと、なんと、雪が降っている。どうりで寒いわけだ。ということは、気温は0度に近いということ。前日に買ったUGGのブーツを履いて、身支度を整え、荷物を引っ張りホステルを離れる。マンハッタンからはちょっと時間がかかるが、静かな環境にあるし、値段も下がるので、ブルックリン滞在はいいかもしれない。そんなことを思いながら、慣れた道を進み地下鉄に乗りこみ一路グランドセントラル駅へ。大晦日のこの日、同じホステルの予約がとれず、マンハッタンでホテルの予約をおさえていたのである。グランドセントラル駅から歩いて5分程度という好立地にある3つ星程度のTudor Hotelだが、やっぱり高い。ま、予約が取れただけありがたいのだが、カウントダウンをする大晦日ということもあり、やっぱりホテル代はうぅーんと唸ってしまうほど高い。次にニューヨークに来るといは、もっとリーズナブルな時期に来ようなんて思ってしまう。
荷物をいったん預けた後、おなかが減った~とばかり、一番楽しみにしていたレストラン、グランドセントラル駅構内にある「オイスターバー」へと向かう。ニューヨークに来たなら絶対にはずしちゃいけないと思っていた場所である。運良くオープンの11時半少し前に到着し、またここでも列に並ぶ。世界中の観光客が集まっているような気もするが、ニューヨークでこんなに並ぶとは思ってもいなかった。
わくわくしながら素敵な店内に入り、クロークでコートを預けた後、待ちに待っていた時間がスタート。一番有名なクラムチャウダーは、ホワイトソースベースとトマトベース?の2種があり、どちらも文句なしに美味。そして東海岸の生牡蠣も、もう、抜群に美味しくて涙が出そうになる。レモンやビネガー、岩塩や生姜などいろいろなスパイス?も用意されているが、私はレモンだけが一番おいしいなとペロリと頂いてしまった。よくわからないままオーダーしたムール貝も美味だし、デザートに頼んだクラシックなアップルパイも言うことない(実はカナダ、アメリカを通じて、甘いものを食べまくっていそうな雰囲気だが、ほっとんどデザートにたどりつけず、きちんとしたスイーツを食べられたのは、ほんの2、3回であった)。心底美味しく、幸せなオイスターバーであった。
お腹が満たされた後、1時間前から気になっていたすぐ近くのTUMIのお店を覗く。TUMIと言えば、ビジネスマン御用達のバッグのイメージがあるが、もともとアメリカのブランドであり、日本で買うよりも半額近い値段設定になっている。そもそも私は数年前からTUMIのスーツケースが欲しかったのだが、いかんせん高くて手が出ず、ずっと「いいなぁ」と思っていた。アメリカに来る度に帰りの空港で、うーんと思っていたのだが、なかなかスーツケースを買って帰るというのは大変そうで、いまだに手を出せずじまいだったのである。もちろん、アジアの国でもさして安くならないし、日本で通販などで安くなっているのは限られた商品だけだし、日本でもセールには全く期待できない。というわけで、これまでずぅーっと憧れのTUMIだったわけだが、オイスターバーに向かう前に見つけたTUMIのウィンドウを覗くと、なんと、信じられない価格でスーツケースが売られていたのである。しかも、日本で見たことのない色のものが(ちなみに、定番の黒はセール外だった)。結局オイスターを食べながら、「あぁ~どうしよう~」と悩み、その後お店に入った私は、あまりの安さに衝撃を覚えると同時に、「これを逃したら一生買えないかも」という衝動買いのモードに入っていた。店長さんらしき女性スタッフに声をかけられ、「見てるだけだから」と返事をしたのが、いや、ちゃんと訊こうと、色やデザイン、機能の説明を受け、うぅーんと最後まで色を迷った結果、「絶対この色のほうがいいわよ。私も持っているの。スタイリッシュだし、お洒落だし、スマートよ、ハニー!」と言われた結果、「これ買うっ!」と赤いスーツケースの購入を決定。おそらくこの機会を逃したら、TUMIのスーツケースなんて高くて買うことはできないだろう。アメリカだと日本の半額というのが私の目安だったが、実際にはそれよりセールで約40%オフになっていたし、さらには円高様々である。「半額+40%オフ+円高効果=お買い上げ」の公式が成り立たないはずがない。同じデザインの赤という色を日本で見たことがなかったが、店員さんは「世界中基本的にどこでも同じものを売っているわよ。でも、お店によっては在庫が残れば新色は入らないからね」とのこと。なるほど。というわけで私はこの上なく満足で、自分のものになったスーツケースを見ながら満面の笑みである。「いい買い物したわね、ハニー」と店員さんも嬉しそうだ。それもそうだろう。大晦日の日、景気の悪いこのご時世で、スーツケースが売れたのだから。お互い、年末の最後にいい買い物ができて幸せモードであった(ちなみに、帰国後調べたところ、どうやら日本で売られている価格の3分の1程度でスーツケースを買えたらしく驚きであった。しかも、赤は日本未発売らしく、ますますびっくりであった。やっぱりTUMIを買うなら、本場アメリカをお勧めします)。
お腹も心も満たされた後、ニューヨーク大好きの方からお勧めされた美術館「フリック・コレクション」へ。たくさんある博物館や美術館も行きたかったのだが、時間がなく一押しのここだけをチョイス。セントラルパークの東側に位置するこのフリック・コレクションは、もともと鉄鋼王とされたヘンリー・フリック氏の個人宅を美術館にしたものであり、お屋敷の中には驚くべき美術品の数々がとても自然に、素敵に展示されている。私でさえ知っているモネ、フェルメール、ルノアールといった超有名な画家の作品が、ケースにも入らずそのまま数え切れないほど飾られていてびっくりである。そのため、係員が各部屋で監視?しているわけだが、それと同時に10歳以下の子供は入館できないし、コートやバッグなどはすべてクロークに預けるシステムになっていた。確かに、ちょっとした瞬間に美術品を傷つけたりしたら、とんでもない損害だろう。様々な言語でのガイドも用意されていたし、大人がゆっくりじっくりと落ち着いた雰囲気の中美術品を鑑賞できる、素晴らしい空間であった。
芸術品で目の保養をした後、すぐ近くのセントラルパークを少しお散歩。とはいえこの日、雪が降っており気温は一気にマイナスまで冷え込んでいたので、さむさむ言いながらの急ぎ足である。「都会の森」であるセントラルパークだが、もともとニューヨークは常緑広葉樹ではなく落葉広葉樹のナラ帯文化域であるため、秋冬は葉が落ちている。北海道やロンドン、パリ、ベルリンなどの都市も、葉が落ちる落葉広葉樹の地域であり、日本の鎮守の森のようにずぅーっと1年じゅう葉をつけている常緑広葉樹はあまり見かけない。今度は葉が落ちる前の緑豊かなセントラルパークに来たいなと思いながらも、素敵な景色を見て、何だか嬉しくなっていた。
セントラルパークを離れた後、夕方ホテルへ戻り一呼吸。近くのカフェで買ったカフェラテとスイーツで体を温め、あぁ、今日で大晦日だなとしみじみする。ホテル内もとてもクラシックでいい感じである。大晦日を過ごすにはいいホテルで良かった。 その後近くに買い物に行きお土産を買うが、小さなトラブルに遭って、気分が滅入る。とあるドラッグストアで食品を買おうとしたのだが、たったの2ドル程度の買い物でありレジに並ぶのも面倒なので、自分で支払いをするシステムのレジを選んでしまったのだ。アメリカでは、自分で商品のバーコードを読み取らせ、その場で支払うシステムというのがスーパーマーケットでもよくあるのだが、それを選んだ私はカードで支払おうとするとどういうわけかエラーが出てしまったので、キャッシュで払おうと20ドル札を入れたのである。支払価格は2ドル以下なので、すぐさまお釣りがでてくるはずだった。が、どういうわけか20ドル入れたのに何も反応せず、あれ?と思って、返却ボタンを押しても何にも反応がしない。おかしいなぁと何度もやるがダメだったので、店員さんを呼び事情を説明すると、「本当に20ドル入れたの?」と何度も疑われる。こちらは200%確実に入れたので、「絶対間違いなく入れた」と何度も主張するが、結局、「機械を開けないとわからない」と言われてしまう。そこで、「じゃぁ、20ドルは諦めるから、この商品持って行っていい?」と訊くと、それもダメ。「もう一度支払ってもらわないと」と言われる始末。さらには、「機械を開けて確かめるまでだいぶ時間がかかる」と言われ、「電話番号を教えて」とのこと。「明日帰国するから」と断ると、店員さんもうーんと困り顔。もうどうしようもなくなり、結局私はその20ドルも諦め、その商品も諦めた。おそらく日本であれば確実に20ドルは返ってきたであろう。がここはアメリカ。主張しただけではだめらしい。証拠がないとダメなのだ。せっかく母へのお土産に持って帰ろうと思ったお料理用のシーズニングだったのに、結局買えずじまいで後味が悪い。大晦日なのになんなんだよぉと思ったが、TUMIでその分お買い得だったんだと自分に言い聞かせて納得させることにした。
その後、気温もぐんぐん下がる中、友と夕食の店を探すが、どうもお目当ての店が見つからず、近くのイタリアンレストランへと飛び込む。夜遅かったため、あまり開いているお店もなく適当に飛びこんだが、野菜たっぷりのラザニアやスープなど、どれも美味しく、2008年最後の食事として満足する。
夜も11時過ぎ。2009年が間近に迫っているころ、カウントダウンをどこで迎えようかと思い、あえてタイムズスクエアをはずしてロックフェラーセンターのクリスマスツリーを見ながらがいいかと急いで向かうが、何とすでにイルミネーションが消えていた。あぁ、なんてこったとショックのまま、友と大急ぎでタイムズスクエアに向かう。が、実はこの世界でも一番有名なニューヨークのカウントダウンをタイムズスクエアに迎えるためには、午後の6時ごろから待っていないといけないのである。前々からそのことは聞いていたが、本当に辺りの道路が全て封鎖され、警察が取り締まっており、車だけはなく歩行者も入れないようになっていた。結局、タイムズスクエアが遠くに見えるところで偶然時計があり、タイムズスクエアに入れない人が大勢集まってカウントダウンと相成った。その瞬間、あたりから紙吹雪がどんどん舞ってきて、不思議な景色になる。これがあのカウントダウンかと妙にしみじみ思うと同時に、「Happy New Year」の大合唱である。数日前から買い物などをする度に、最後に「Happy New Year !」とお互い言うのが決まりの挨拶となっていたが、なんだかちょっと幸せな響きであった。
カウントダウンが終わった瞬間、封鎖されていた道路は解除され、一気に周りの人が走り出した。なに?と思いながらも一緒にタイムズスクエアに向かうと、まだものすごい勢いと混雑ぶりで盛り上がっており、コンサートが開かれて皆が一緒に歌を歌っていた。しかも、私の好きな「Over the Rainbow」(しかも、Israel Kamakawiwo'ole氏のハワイアンバージョンでかなり良かった)。みんながものすごい笑顔とテンションの中、紙吹雪が舞い続け、見たことのない幻想的な景色が広がっていた。テレビの取材もあれば、カメラのフラッシュもあり、なんだか夜中とは思えない世界だが、妙に楽しくてわくわくする。気温はマイナス8度くらいまで下がっていて凍える夜だったが、人混みの中は妙に温かく、なんだかとっても楽しそうだった。
しかしその後、タイムズスクエアを離れるのにも一苦労。道路規制がされているので、なかなか行きたい方向にも行けず時間がかかる。大声で騒いだり、酔ったりしている人もいるが、ほとんどの人はきちんとマナーを守っていたようにも思うし、機会があればまたこのカウントダウンに来たいなと思っていた。
寒い寒いと数え切れないほど言いながら、タイムズスクエアを離れ、一路ホテルへ。深夜1時ごろ戻り、真夜中2時半頃にベッドにもぐる。
楽しいニューヨークの時間が刻々と過ぎていった。
January, 2009 マンハッタンで過ごす時間
2008/12/30
ブルックリンで迎える初めての朝。身支度を整え外に出ると、なんだか青空の下の街並みが素敵に見える。昨日は少し怖く思えた街も、そしてニューヨークの地下鉄もぐんと慣れて、気持ちも楽になっている。適応能力は、まだ、私にもあるようだ。
地下鉄に乗りこみ30分以上揺られて最初の目的地であるセント・ジョーン・ディバイン大聖堂へ。すぐ近くにはコロンビア大学もあるという素敵な立地である。世界最大の大聖堂と聞き、興味を持って足を運んだが、聖堂に入る前から驚きと感嘆の連続である。まず大聖堂の横にある銅像を見て、度肝を抜かれる。ものすごく大きくて、なんだか不思議な世界である。何をモチーフにして作られたのだろう。有名な作品なのだろうか。しかしよく説明文を見ると、実はこれが、小学生から高校生までの数十名が創った合作のアートだと知り、衝撃を覚える。
そんな驚愕ののち、気持ちも新たに大聖堂の中へ。が、ここでも、驚愕と脱帽と畏敬の連続で、30分程度で帰るつもりが 結局1時間以上費やしてしまう。この世界最大の大聖堂は、1892年にロマネスク様式で建築が開始されたが、1911年にゴシック様式に変更されて、まだ3分の2にしか完成されていないらしい。いつごろ完成するのかわからないが、それよりも何よりも、この大聖堂はもう信じられないほど素晴らしい。海外で教会を見つけると、ついつい中に入ってしまいたくなるのだが、これほどまでに大きく、そしてこれほどまでに細部まで完璧で、とにもかくにも「いちいち」美しい教会は初めてだ。どこか1か所位手を抜いてもいいんじゃないかというほどに、「いちいち」芸術的でびっくりしてしまうのだ(もちろん、この「いちいち」という意味は、最高の褒め言葉である)。ステンドグラス、キャンドル、そして色とりどりの花が飾られ非常に美しく、厳かな雰囲気の中、心静まる素敵な時間を過ごすことができた。息をのむほどに美しいこの大聖堂。入館料などは設けられていない。ただ、寄付だけを受け付けており、来場者は自分の意思で寄付をするシステムになっている。日本の寺院などである拝観料とは違い、個人の気持ちがものを言うのだが、やっぱりこのほうがいいよなぁと私は心底思っていた。
大聖堂で気持ちも静かになったところで、おなかが減ったのでブランチへ。地下鉄に乗り、セントラルパークの西側にある地元で人気のレストラン「Good Enough to Eat」へ。びっくりしたことに、店の前には行列が出来ていた。世界中でお店に入るのに並んで待つのは日本人くらいだと前にどこかで聞いたことがあったが、ニューヨークでも並ぶんだなぁと妙に感心する。あんまり海外で見たことがない景色なので、ここも日本も美味しいものを食べるにはちゃんと並ぶのかと変なことを思う。ここのお店、地元誌でもよく取り上げられる人気店らしく、カジュアルなアメリカンフードなどが頂ける店らしい。小さな店の中はお客さんでごった返していたが、それよりもすごいのは、店内に飾られている「牛」の数々である。牛の置物、ぬいぐるみ、写真、絵、そしてスタッフのTシャツなどもすべて牛のモチーフが使われている。牛だらけのカントリー風な店内で思わずおぉっと驚いてしまう。肝心のお味は、大味ではなくヘルシーな味で、頂いたケサディーラ(メキシコ料理だが)もスープも独特で美味しく満足であった。
お腹が満たされたあと、地下鉄で移動し、ウォール街へ。あの9.11の現場であるグラウンドゼロを目の前にし、なんとも言い難い重い気分になる。まだ何も出来ていない工事現場のような景色が、妙にリアルで、異様に生々しく感じられる。あれからもう、7年以上が経つのが私には信じられない。2012年頃に完成というメモリアル施設ができる頃には、世の中何がどうなっているんだろう。そんなことを思っていた。
ウォール街から少し歩いたところで、海の向こうに自由の女神を眺める。すでにフェリーが終了していた時間だったので、遠くから眺めただけだったが、「あぁ、ニューヨークにいるんだな」としみじみ思った。その後、ウォール街にあるトリニティ教会へ移動し、中を見学。信者と思しき方も、観光客も混ざっており、なんだか不思議な雰囲気であるが、ここで驚くべきことが起きる。教会内にあるギフトショップで、私はとあるアクセサリーを発見した。ハートの中に天使がうかぶようなデザインのネックレスだが、目にした瞬間、思わず驚いて固まってしまった。それは、私が数年前に日本のタータンショップ・ヨークで購入したイギリス製のアクセサリーとデザインも素材も全く一緒だったのである。私が持っているのは、天使ではなくクロスだったが、どう考えても同じ場所で作られたネックレスであり、それが数年隔てた今、ニューヨークという遠く離れた場所で偶然出会えてしまったことに驚きを隠せなかった。しかも、別に有名なメーカーでも、なんでもないのである。一瞬悩んだが、結局私はこの双子のようなアクセサリーを買ってしまう。全然高くないものだったし、せっかくここで引きあったのも何かの縁だろう。そんな嬉しい瞬間であった。
ウォール街の証券取引場の前には、クリスマスツリーやイルミネーションのせいなのか、恐ろしいほどの観光客が集まっていた。ここで何かのイベントがあるんですか?そう聞きたくなるほどのごったがえしぶりで、本当に今、世の中が大不況なんでしょうか?と思うほどだった。
ウォール街を離れた後、ソーホーに移動し、今度はお買いもの。とはいえ、目的地のお店にたどり着いたところで、またしてもびっくりする。お店の前には長い行列が出来ていたのだ。今度は何かと言えば、シープスキンブーツで人気のUGGというオーストラリアのブランドである。そもそも、2年ほど前からあたたかいボア付きのブーツが欲しかったのだが、どうもいいのがなく、結局今までずっと変えずじまいであったのだが、ニューヨークのガイドブックにこのお店が紹介されており、のこのことやってきたのである。が、このブランドが今や世界でもっとも人気のあるお店だとも露知らず、「は?なんでこんなに並んでいるの?」と驚いてしまった。店内はそれほどには客がいないのだが、ゆっくりちゃんと選ぶためにも、入店規制をしているらしい。結局、他の人に様にはさして調べないまま、どんなアイテムがあるのかも知らず、のこのことやってきて、そしてそのまま列に並んでしまう。20分くらいかなと思いきや、結果的40、50分ほど寒いなか並ぶはめになる。別にセールをやっているわけでもないのにこれだけ人が並ぶんだから、よっぽどの人気なのだろう。前から後ろからは、英語以外の言語ばっかり聞こえてくる。きっと、観光客も多くいるのだろう。行列に気がついて呆れて帰る人もたくさんいたのだが、結局私も友も、店内に入り、しっかり物色したのち、可愛いブーツを買ってしまう。セールではないが、物の割にはリーズナブルだったので嬉しくなったが、荷物がどんどん増えていてちょっと帰りのことを不安に思い始めていた(しかし、日本に帰国後調べると、どうやら日本で買うよりも、かなりリーズナブルな価格でブーツを買えていたらしく、驚きであった)。
買い物を済ませて一息入れた後、地下鉄でブロードウェイを目指し、ネットでチケットを買っていたミュージカル「オペラ座の怪人」を鑑賞。ベタなチョイスだとは思ったが、ブロードウェイで最も長い上演記録を誇っており、さらには主人公役の方も、なんと2300回以上も舞台に立ち続け、最多記録を打ち出しているらしい。その記録どおり、とんでもなく素晴らしい舞台であり、あまりミュージカルを見たことがないながらも、その非の打ちどころのないすごさに圧倒されてしまった。館内の雰囲気もクラシックで素敵であり、多くの人が毎日毎日足を運んでこの舞台を楽しんでいる理由が、私にもよくわかった。ニューヨークに行くなら絶対にミュージカルは見なきゃと言われていたが、まったくその通りだなと感心しきっていた。
夜の10時半過ぎ。ミュージカルを終えて満足したのち、カフェでごく軽く食事をとり、地下鉄でブルックリンへ。
よく歩き、よく学び、五感をフルに使った充実の1日だった。
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