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    November, 2009

    宮脇昭先生講演会&苗木作り体験会のお知らせ (12月4~5日@長野)

     


    宮脇昭先生の講演会、また先生が指導されるポット苗作り体験会が長野で開かれますので、お知らせいたします。

     

     

    ~ふるさとの森づくり講演会~

     

    日時:124日(金) 14時~16

    場所:長野県上水内郡飯綱町町民会館ホール

       (最寄駅:JR信越本線牟礼駅)

    主催:NPO法人 国際ふるさとの森づくり協会 (ReNaFo

     

     

    ~苗木作り体験会~

     

    日時:125日(土) 10時~11

    場所:長野県上水内郡飯綱町 国際ふるさとの森づくり協会長野事務所 

       (最寄駅:JR信越本線牟礼駅下車)

    主催:NPO法人 国際ふるさとの森づくり協会 (ReNaFo


     

    詳細およびお申し込みは直接下記リンクからお願いいたします。

    http://www.renafo.com/12051204.html


     

    ご興味ある方は、ぜひお誘いあわせの上ご参加くださいませ。

     

     

     

    秋の弘前城へ

     
     

    闇夜に浮かぶ弘前城を眺めた翌朝。昨夜とはうって変わって明るく、爽やかで、清々しい弘前城を心行くまで堪能することにする。平日ということもあり、それほど観光客も多くないのだが、目にした多くの方々がアジア圏からの旅行者であったのに驚いた。青森空港からは韓国、インチョン空港まで直行便が出ているのである。羽田・成田に出て海外に出るよりも韓国を経由したほうが早くて楽というのだからなんとも不思議な感じである。

     


     

    さて、そんな秋の弘前城。ここで私は、実に多くのことを学ぶことになった。とりわけそれは、天守だけではないお城全体の複雑な構造と、計算されつくした守りの堅さとその美しさだ。そしてまた、土塁の機能にもいまさらながらいたく感心した。土塁の存在に、遅まきながら開眼してしまったといってもいいくらいだ。今までどうして土塁に目を向けなかったのかなと思ったのだが、やはり石垣ほど目立たないし、ともすれば元あった自然の地形だと思えてしまうほどに空間に溶け込んでいることが要因なのだろうと思う。

     


     

    ちなみに、弘前城は日本に残る現存12天守のうちの一つだが、その天守には珍しい特徴がある。それは、天守であるのに、櫓のようであるということだ。石垣の上に構えている天守は、見る角度によって見事に表情が変わる。裏手にまわると、とてもシンプルな作りに見えるようにできている。が、その天守の内部に入ると、その違いはより明らかであり、敵の攻撃を阻む「石落とし」などがあるものの、実に構造がシンプルで不思議な感じがする。正直、私は天守内に足を踏み入れたところで、「???」という感覚に陥った。中には弘前城の歴史を知る展示物などがあるのだが、不思議なのは使われている木材がなんだかとてもシンプル、というか簡素な感じがするのである。3階建ての天守の最上階に上がっても、現代で使われているような角材で組まれた梁、天井がはっきりと見える。はて。なんでこんなに木材がシンプルなのでしょう。ちなみに、現存天守を巡っていると分かるのだが、大抵がエネルギーあふれる立派で高級な木材を使っており、「木造って素晴らしい~」と樹木好きにはたまらない感覚に包まれるのだが、弘前城にはそれがほとんど感じられない。実に不思議な感覚なのだ。

     

     

    どうやら、後に調べたところ、弘前城はもともと1600年代初めに五層の立派な天守閣が作られたらしいが、その後すぐに落雷のために焼失しているそうだ。なんともったいない。しかしその後、200年ばかりの時を経て、ふたたび天守が建造されたらしいのだが、どうやらここがトリックらしい。そもそも天守ではなく、櫓として作られたものを、その後事実上の「天守」として扱うようになったそうなのだ。つまり、見張り台などの機能である櫓は天守と違って豪華な木材で作られないため、今残る弘前城の天守も、櫓が天守に昇格(?)したものであり、シンプルで質素な木材のまま残っているというわけである。しかし、だからといってこの天守が面白くないというわけでは毛頭ない。これだけシンプルな天守を見られるのはなかなかないだけではなく、寒い青森の特徴として、瓦が「銅瓦」であることも見てわかる。どうやら雪対策らしく、他のお城ではなかなか見られない特徴であろう。さすが、お城も、郷に入っては郷に従えとばかり、その土地土地の特徴があるのだから、なんとも楽しく奥深いというものである。

     

     

    そんなわけで、少々変わった天守が楽しい弘前城であるが、見所はそれだけではもちろんなく、公園内のあちこちに現存している門もものすごく立派でかっこよく、そしてまた三重の水掘に、美しい曲線を描いた土塁が実に素晴らしいのもポイントだろう。公園内にはあちこちに解説の看板が立てられており、文化度がとても高いように感じた私は、この弘前城でお城の持つ巧みな構造に今更ながらえらく感心してしまった。そしてまた、園内は桜やイチョウだけではなく、常緑樹も多いし、季節の花々も愛でることができる。なんともバランスの取れた空間なのだろうと弘前市の感覚に感心してしまったのであった。

     

     


    そういえば公園の中には、観光物産館のような場所もあり、弘前の名品が数多く用意されていた。はたまた、小学生が遠足でやってきてお弁当を食べているようなロケーションもあり、市民の憩いの場になっていることもわかって、なんだかとってもほほえましい。さらには、もう一つ、書いておきたいことがある。天守の北側にある櫓の近くで、弘前ならではのりんごのシャーベットが売られていた。お願いするとその場でコーンに盛ってくれるような、観光地ならではのシャーベット屋さんである。せっかく弘前まで来たのだからと、ひとつお願いした私だが、なんとその後小銭がないことに気がつき、大きなお札しかないことを告げると、「せっかくだから、食べていって~」と優しいお母さんにご馳走になってしまった。申し訳ないやら、ありがたいやらで、私は美味しくシャーベットを頂き、お礼を告げて弘前城を後にした。なんとも心温まる弘前時間であった(ぜひ、お城を訪れる機会があれば、このシャーベットを食べて頂きたいので、ブログにも書いておきます。爽やかで美味でございました)。


     

    弘前の街を満喫した後、再びリンゴジュースやらリンゴのお菓子を買い、大好きな青森を離れることにする。特急と新幹線を乗り継ぎ、5時間以上かけて帰宅の途へ。またしても青森のことが好きになった、そしてお城も大好きになった楽しくありがたい旅。お世話になった皆様に心から感謝いたします。


     

    November, 2009

    弘前へ

     


    むつ市での植樹祭を終えた後、青森を経由して私はひとり、次の目的地、弘前へと向かった。弘前を訪れるのはこれが初めてだ。普段であればそのまま青森から八戸を経由して東京に戻るのだが、旅の数日前にふと、「あ、弘前城に行きたい」と思い立ち、急遽ルートを変更したのである。弘前城は桜の名所として名高いのだが、私にとっては桜よりも何よりも、「現存12天守」のひとつなのであるということのほうが、圧倒的に重要である。そんなわけで、あと1日足せば弘前にも行けると気がつき、えいっと足を伸ばすことにした。時間とお金は有効活用しないとやっぱりもったいないのである。


    夕方、弘前市内のホテルにチェックインした後、ライトアップされているという情報を頼りに、てくてくと弘前城を目指す。誰しもが「弘前城、とにかく広いよ~」と口にしていたので、それなりに覚悟していたのだが、実際に弘前城が位置する弘前公園にたどり着いて驚いた。なにせ、お堀が3重になっていたのである。つまり、それだけ、だだっ広い敷地であるということだ。しかも、お堀だけではない。門も土塁も石垣も、そして櫓も天守までもが、膨大な敷地の中に綺麗に残っているのだから心底驚きである。東北地方で最も素晴らしい状態の遺構という話も聞いていたが、本当にこんなにお城の構造がしっかりと残っているとは感激である。しかも、復元ではなく現存のものばかり。なんとまぁ、弘前は素晴らしい土地なのだろう。そんなことを弘前公園にたどり着いてすぐ感じてしまった。

     

     


     

    とは言いつつも、ライトアップをされているという天守にたどり着くまでは正直真っ暗で怖かった。てっきり、皇居のお堀のライトアップのように、観光客や地元の人が見に来ているのかと思ったら、ひとっこ一人いないのである。時刻は夜7時前だというのに、真っ暗で本当に怖い。お堀を越え、門をくぐり、真っ暗な敷地内を歩きと恐る恐る暗闇を抜け、ライトアップされている天守を見つけたときは正直ほっとした。やっぱり、知らない土地に夜行くのは少々怖い。とはいえ、ライトアップはどうしても見たかった。そしてまたその美しい姿を見上げたときは、正直感嘆の声をあげた。闇夜に浮かぶ天守はなんだかどこか怪しくも輝かしい。怖さを乗り越えて、ここまではるばる来た甲斐があったというものだ。

     


     

     

    しかしながら、ライトアップだけでは満足しない私は、翌朝ふたたび弘前公園を訪れることにした。どれだけお城が好きなんだと言われそうだが、弘前までやってきたのはお城を見るためだけなのだ。

     


    明るい空の下、再び天守閣を眺めるのを楽しみにしながら、真っ暗の弘前公園をあとにした。

     


     

     

    November, 2009

    ふるさとの木によるふるさとの森づくり

     


    秋の下北半島は、紅葉と美味海の幸が楽しめるが、今回の旅の目的は、もちろんそんな贅沢なことだけではない。メインイベントは、毎度おなじみ植樹祭なのである。今年で4度目となる、NPOGEMBU」主催の植樹祭だ。気がつけば毎回参加で、皆勤賞ものなのだから、どうりで下北半島に詳しくなっているわけである。勝手に下北半島宣伝担当を買ってでてもいいくらい、これまであっちこっち行っているのだから、いまや私にとって第3の故郷と言ってもおかしくないだろう。


    さて、そんな今回の旅の目的である植樹祭。今回はむつ市の水道局の敷地内でその植樹が行われることになっていた。天気予報では雨だったが、朝迎えたお天気は曇り模様。毎度ながら、ほっとする瞬間である。気温もいつもより温かいようで、ついこの前まで最低気温が5度なんていう厳しさだったとは思えないほどである。


    8時過ぎ。植樹会場に伺うと、すでに関係者や水道局の職員さんたちが準備に勤しんでおられた。敷地内の山の斜面には、「早く植えて~」と言わんばかりの苗木たちがたくさん待っている。1万本近い苗木たちは、ミズナラやコナラ、クリなど、寒い地域だけあって落葉広葉樹が多い。関東地域では滅多に見ない木も多く、苗木を見ても、「あなたはだーれ?」と首をかしげることもしばしばだ。これも、宮脇昭先生の提唱する「ふるさとの木による、ふるさとの森づくり」という植樹方法ならではだ。

     

     


     

    私は以前から思ってきた。結局のところ、「ふるさとの木による、ふるさとの森づくり」という概念は、ごくごくシンプルで自然で、当たり前のことなのだと。「郷に入っては郷に従え」、「地産地消」、「所変われば、品変わる」。こんな言葉たちと、きっと同じようなことを意味しているのだろう。その土地、その地域独自のものをきちんと守り大事にしないと、いつかは自然も人間も、バランスが崩れてしまう。そんな、ごくごくシンプルな考えが、ずっと長い間ないがしろにされてきたのかもしれない。いまや、多くの日本人が、こぞって日本の歴史に興味を持ち、日本独自の文化に舞い戻り、誇りや価値観を取り戻そうとしている時代である。きっと、すべては同じ回帰現象なのかもしれない。ここのところ、私はこんなことを思うようになっている。


    当初、700人近くの参加者を見越していた植樹祭だが、生憎インフルエンザの蔓延で地元の小学校が閉鎖となり、子供たち数百人が参加できないという突然の事態に見舞われていた。こうなると、参加者はぐんと減るのだが、その一方で、参加した人間にとっては植える苗木の数が倍増になるという嬉しいハプニングが起こるわけである。もともと、スタッフとしてお手伝いをする予定だった私だったが、植え手にまわっていいと聞き、ますますテンションがあがっていく。なにせここのところ、植樹祭の人気も知名度も着々と上昇しており、参加者が多くなりすぎて一人当たりの苗木の数があまり多くなく、さらには、私自身ほぼ毎回スタッフとして働くために、1本も植えないで終えるという植樹祭も珍しくないのである。そんな中にあって、いくらでも植えられる植樹祭というのは、はっきり言ってラッキーなのである。「一人50本は植えられるよ~」。そんなありがたい言葉に一気にわくわくしてしまうのだから、なんて単純な私なのだろうと思ってしまう。


    9時半頃。いつものように開会式が始まり、主催者挨拶、来賓挨拶の後、宮脇昭先生の植樹指導と続いていく。学校閉鎖とは関係なく、集まってくれていた数十人の小学生達は、一番前に座り、先生の話にじっと耳を傾けている。早くから長い時間待っていたのに、騒いだり、ふざけたりすることもなく、なんてすごい小学生達だと感心してしまう。きっと、木々の生長に負けないくらい、みんなぐんぐんと大きく、素敵な大人になるんだろう。つい、そんな渋いことを思ってしまった。いやはや、すっかり私も大人になってしまったものだ。ついこの前まで子供だったというのにもかかわらず。

     


     

     

    開会式を終えた後、各ブロックに別れていよいよ植樹が開始となる。傾斜の厳しい植栽地は前日の雨で非常にぬかるんでおり、開始前から、よりによって新しく、超お気に入りのスニーカーで来てしまったことを大いに悔やみ、猛省していた。が、ある時点から、えーい仕方ないと、思いっきりぐちゃんぐちゃんの泥の中に足を踏み入れ、一心不乱に木を植えることにした。なにせ、一人あたり数十本はあるという苗木たちが、いまかいまかと出番を待っているのである。普段、滅多に満足するまで木を植えられない私は、普段とは180度違うくらい寡黙に、ひとり静かにただひたすら木を植えた。まわりの参加者の方たちも、何度か経験したことのある人が多いようで、さしてサポートをする必要もなく、安心して木を植えることだけに傾注する。我ながら、驚くほどの集中力である。これだけの集中力と熱心さがあれば、他にもっと何かできるんじゃないかと思うのだが、どうやらこの熱意は植樹祭くらいでしか発揮されないようである。ある意味、不器用な私である。

     

     


     

    開始から少し時間が経ったころ、グレーだった空は次第にどんよりと重くなり、時々雨粒が落ちてきた。急いでレインジャケットを羽織り、「お願いだから止んで~」と空に願うことにする。植樹祭にはこれまで50回以上出ているが、作業ができないような本降りになったことはこれまで一度もないのである。今回も、パラパラと雨粒は落ちてきたが、ふっと気がつくとその雨もあがり、まぶしい日差しが差し込むようになっていた。相変わらず、ありがたい天の味方である。そんな空の力も借り、参加者は黙々と次々に木を植え続けている。普通、自分が参加しているブロックが終われば、そのまま作業を終えて帰ってしまうものなのだが、今回の参加者の皆さんは、非常に自主的で、言われるよりも前にまだ手をつけていない植樹ブロックに移動し、次から次へと苗木を大地に植えていた。なんと素晴らしい、ボランティア精神だろう。私も、「まだまだ植えるぞ~」とばかり斜面を上がり、植えても植えてもまだ終わらない苗木たちと、なかなか言うことを聞かない土とずっと格闘していた。あとで仲間から、「珍しく声が聞こえなかった」と笑われたくらい静かに、そして夢中になって作業していたのだから、どれほど貴重な植樹祭だったかがよくわかるだろう。

     


     

     

    作業開始後、2時間弱。植えても植えても飽きたらない私ではあったが、「もう下りないと、バスに間に合わない!」との再三の声かけに従い、いやいやながらも植栽地を後にする。「いや~、まだ帰りたくない~」と大声で叫んだら、周りの笑いを誘ってしまったのだが、苗木が残っているのに植樹現場を離れるというのはやはり寂しいことである。できることならば片付け作業までやりたかったが、帰りの時間もあり、後ろ髪を惹かれる思いで身支度を整え、宮脇先生や植樹仲間とともにバスに揺られて、一路、脇野沢方面へと向かう。お世話になった植樹祭関係者の皆様、友人たちには、いつもながら感謝感謝である。


    バスの中から手を振り、別れを告げた後、50本以上は植えただろうかという疲れが突如出てきて、思わずバスの中で眠くなる。ありがたい、心地よい疲れである。しかし、うとうとしたところで脇ノ沢のフェリー乗り場へと無事到着。なんとか待っていてくれた雨雲も、フェリーに乗り込むと同時に一気にその表情を変えはじめ、待ちかねていたかのように一気に激しい雨粒を落としてきた。どしゃぶりの雨も、苗木にとっては恵みの雨となるのだろう。



    やっぱり宮脇先生は、天気図を変える男だな。



    いつもどおりのシナリオに、ふとしみじみと、そんなことを思っていた。



    November, 2009

    紅葉の下北半島へ

     


    八戸で迎える土曜日の朝。北の寒さを感じながら、電車に乗り込みさらに北上する。八戸駅を出発し、野辺地駅を経由し、本州最北端の下北半島へ。八戸から約2時間の電車の旅である。むつにくるのは、これで5度目だろうか。2年ぶりのむつ滞在となるが、今回もむつの友、通称、酒蔵嬢に駅で迎えられ、楽しいむつの旅がスタートとなる。少し早い紅葉の青森。美味しさも、美しさも、格別の季節である。

     

    車に乗り込み、最初に向かったのは、青森に来た際に絶対に外すことのできないお店、「ラグノオ」。何かといえば、弘前に本社を構える青森県のお菓子屋さんなのだが、私は青森に来るとこのラグノオでお菓子を大人買いし、宅急便で他のお土産と一緒に自宅に送るというのが恒例行事になっているのである。ちなみに、私のイチオシが「パティシェのりんごスティック」である。毎日でも食べたいくらい美味しいアップルパイで、誰に差し上げても感嘆の声をあげてもらえるほど、素晴らしく、コストパフォーマンスの高いお菓子である。ちなみに、青森出身の文豪、太宰治先生の生誕100周年ということもあり、今年はラグノオでも太宰先生ゆかりのお菓子が発売されていた。いやはや青森、そしてラグノオ、期待を裏切ることのない素晴らしい土地である。ますます、青森好きに拍車がかかりそうである。


    お菓子をどっさり買い込んで大満足した後、むつ市の中心部から車で30分ほど走った東通村にある、尻屋崎の灯台へと目指す。ここは、「寒立馬(かんだちめ)」と呼ばれるお馬さんたちがいることで有名な場所なのだが、私は2度目のお馬さん訪問である。初めて来たときも、晴天の下、かわいいお馬さんたちと触れ合えたのだが、今回も素晴らしく空は晴れ、そして海も綺麗という絶景のロケーションの中、うようよいる馬くんたちと遊ぶことにする。が、その前に、灯台近くのお店でひとまずランチ。秋鮭のいくらがたっぷりのったいくら丼をペロリと頂き、青森に来たことをしみじみと実感する。

     



     

    おなかも一杯になったあと、あっちこっちにいる馬くんに近づき、ひたすら写真を撮ることだけに傾注する。いきなり蹴られても大変なので、むやみに体には触らないのだが、やっぱり馬はかわいいし、きれいである。ほれぼれしちゃうほどかっこいいのもいれば、ぼんやりしているのもいるのだが、爽やかな空の下でのんびりとしているお馬さんたちを眺めて、心がほんわりとほぐれていく。幸せで、あたたかな、ひと時である。

     

     


     

    小一時間ほど尻屋崎で遊んだ後、お馬さんに別れを告げ、再び車で走り出す。途中、名産のブルーベリーを使ったソフトクリームなんぞを頂き、ますますテンションがあがった私たちは、むつ市の大畑地区を目指すことにする。このあたり、すでに紅葉が見ごろになっており、紅葉目当ての観光客も多いようだ。しかも、渓流沿いで紅葉を楽しめるという温泉があるというのだから、渓流温泉好きの私にはたまらない。これまで下北半島でいろんな温泉に入ってきたが、この奥薬研修景公園の「夫婦かっぱの湯」は初めて。赤く染まったもみじを眺めながらお風呂に浸かれるんだから、想像しただけで気持ちよさそうなのだが、ここは実際、私の温泉ランキングとしてもトップクラスの素晴らしさであった。開放感に溢れており、渓流の爽やかな風を受けながらお湯につかれるんだから、もう気持ち良いことこの上ない。きっと、春や夏は新緑が楽しめるのだろう。驚いたことに、それほど長く浸かっていなかったにもかかわらず、夜まで体がぽかぽかと温かかった。きっと、お湯が肌に合うのだろう。また絶対に行きたい、名湯「夫婦かっぱの湯」であった。

     

     

     

     

    お湯でほっこりしたのち、酒蔵嬢宅にひさびさにお邪魔する。ここでも、美味しく楽しい時間を過ごした後、翌日に控える植樹祭の前夜祭のために、むつ市内のお鮨屋さんへ。現場入りしていた宮脇昭先生や植樹祭関係者、そして東京からやってきた植樹仲間と合流し、溢れんばかりの下北の海の幸をありがたく、美味しく堪能する。むつ湾のまろやかなホタテ、海峡サーモンをはじめとし、アワビにヒラメ、そして鯛の塩釜焼き。ビバ、下北半島。ありがとう、素晴らしき本州最北端の地。これで、私がお酒が飲めたら、きっと大変なことになっていただろう。アルコールを受け付けない体なのは、幸か不幸か、それは自分でもよくわからない。お酒好きにはたまらない銘酒「関の井」を片手に、仲間はすっかり酔いしれていた。

     

     


     

     

    郷に入れば郷を喰え。そんなモットーを掲げる私には、楽しすぎる下北の旅。

     


     

    ますます青森、そして下北半島が好きになった、秋の一日だった。


     
    November, 2009

    青森への夜

     
     

    ある金曜夜の東京駅。新幹線「はやて」に乗りこみ、一路、青森県八戸へ。なぜか私は、東北新幹線が好きだ。東海道新幹線よりもどこかしら居心地がいいのは単なる気のせいだろか。観光気分だからなのか。それとも車内の音楽がいいのだろうか。どこがどう好きなのか分からないが、最終の新幹線に乗って、3時間という長い時間をひとりゆったり過ごすことにする。


     

    お夕飯を食べ、文庫本を読みふけるという穏やかな時間。実に幸せな、ひと時である。今回の旅のお供は、少し前に古本屋で偶然見つけた絶版の文庫1冊。30年前に出版された、『北極圏一万二千キロ』である。大好きな植村直己さんが記した北極圏の犬ぞり冒険記だ。私が生まれた年に出版された本を、30年もの時間を経て手にしたのだから、なんだかすごい時間の流れである。植村さんの他の本は何冊も読んでいるのに、どうして今まで読まなかったのかが不思議なくらいだ。

     

     

    極寒の地を旅しながら、23時過ぎに八戸へと到着。東京よりもぐんと気温の低い青森に、思わず、「寒いっ」と声をもらしていた。


     

    吐く息を白くさせながら、駅近くのホテルへチェックイン。



    青森への旅、一晩目。



    ひとまず八戸で、金曜の夜を終えることにした。


     

     

     

    November, 2009

    表現と顕示と

     


    ここしばらく、ニュースを見るたびに、「自己表現」と「自己顕示」の境目って難しいなとしみじみ思っています。

     

     

    自分の個性や感性、主観を表すのが自己表現で、自分の才能や外見、そして所有物をナルシストよろしくひけらかすのが自己顕示なのだろうか、と。


     

    いまいち、線引きが分かりません。


     

    自己表現がなんのためなのかも、自己顕示がどの程度から危険として人の目に映るのかも、なんだかいまいちよく分からなくなってきた今日この頃です。


     

    とりあえず少なくとも、自分の欲望のために、自分の生活レベルを高めるために、人を傷つけたり、あざむいたり、殺めたりすることだけはしてはいけないということは、やっぱり誰の目にも明らかなんだろうと、ごく普通に思います。



    複雑怪奇な世の中でも、大切なものはたぶんごくごくシンプルです。



    できるだけ毎日、心も体も機嫌よく、そして健やかに過ごしたいものです。

     

     

     

    November, 2009

    読書の秋に

     

    最近、ふとした瞬間に、こんな質問を投げかけられた。


     

    「マンガとかって、読んだりする?」


     

    あまりにも寝耳に水の質問だったので、私は「へっ??何??」と訊き返していた。話の流れからは、そんな問いかけは浮かんでこなかったのだ。


    どうやら、私がいつも活字の本ばかりを読んでいることに対しての素朴な疑問だったようなのだが、そう言われてみれば、私は普段ほとんどマンガを読むことはない。別に、嫌いとかいう話ではなく、ただ単に読まないというか、特に読みたいものもないという次元の話なのだが、やっぱり普通それなりに読むものなのだろうか。あんまり考えたこともないのだが、振り返ってみれば、小中学生のときは、集英社系の少女マンガをごく普通に読んでいた。高校生の時はと言えば、古典の勉強も兼ねて、源氏物語の「あさきゆめみし」を何回も読破したりもしたのだが、今ではほとんどマンガには縁のない生活をずっと送っている。


    そもそも、フィクションよりもノンフィクションが好きという性格の私である。フィクションを読む時間があるのなら、本当に起きたことを、知らないことを、もっと知りたいという人間なのだ。ある意味、冷めているというか、史実的なところに興味があるため、どうしても作られた話よりも、リアルな出来事に興味が向かう。しかも、活字好きということもあって、なかなかフィクションでイラストのマンガには興味が向かない。もちろん面白いマンガは山ほどあるとは思うのだが、はまってしまうと抜け出せない私であるため、むやみにも手を出さないような感じである。


    とはいえ、今になって、読みたいなぁと思うものがでてきた。それは、マンガ版の日本の歴史。またしても史実なわけだが、城めぐりをしていたら、案の定、歴史の知識が足りないことを痛感し、やっぱりここでちゃんと復習しておくかと思ったのだ。別に、歴史の教科書を読んでもいいのだが、マンガのほうが古代から現代まで短期間で一気に追えそうだという安易な考えで、今読んでいる本が終わったら、どっぷり読みふけろうと思っているわけである。そしてまた、それと同時にお城の本にもどっぷりとはまりたいし、読みたい本が次から次へと出てきて困るような今日この頃なのである。



    時間があるうちに1冊でも多くの本をと思う、読書の秋。


     

     

    October, 2009

    訃報によせて

     


    三遊亭円楽師匠、突然の訃報。



    落語を聴かない日のない私にとって、とても悲しい出来事です。



     

    心から、ご冥福を、お祈りいたします。


     

     

    October, 2009

    活字ブログ


     

    思いのほか、「四国・中国城めぐりの旅」に時間がかかってしまったのだが、最近、ひょんなことから、こんなことを思うようになった。

     

    それは、


     

    「私のブログって、全然女らしくない」


     

    ということである。


    いや、そもそも、「ブログとかいうよりも前に、一人の人間として女らしくないぞ」と言われてしまうと、ぐぅーーの音も出ないのだが、なにせ私のブログには、かわいらしい絵文字が一切と言っていいほどない。なぜ突然そんなことを思ったかと言えば、最近たまたま目にしたブログの数々で、私の許容範囲を超えるほどの絵文字が使われていたのである。目にした瞬間、「うっ・・・・・」と、思わずしばらく固まってしまった。それは女性のブログだけではなく、男性のブログも多くあったのだが、私は、その時しみじみと思ったのである。


     

    「そっか、私、絵文字使う男の人、ダメなんだ」


     

    ブログだけではなく、メールでも異様なまでに絵文字を使われると、なんとなく、気分的に引いてしまう傾向がある。しかも、それが男性であれば、うにゃにゃと一気にテンションが下がる。差別しているわけでもなんでもなく、個人的で勝手な解釈なので、こんなことを言うと、人からどう判断されるかもよくわからない。が、ただ単に私は、とにかく絵文字よりも活字が圧倒的に好きな人間なのである。しかも、女性的な文章よりも、ノンフィクションストーリーみたいな、冷静で淡々としていて、時にガツンとくるような男性的な文章が好きなのだ。そんなわけで、男性が絵文字を多用していると、なんとなく悲しくなるということが、最近ようやっと判明した。いや、判明したところで、何がどうなるわけでもないのだが、そんな深層心理があるからこそ、もしかしたら私のブログは重いのかもしれない。いや、重いというよりも、真っ黒で活字のオンパレードという雰囲気なのだろう。決して「軽くて読みやすい」といったブログではなく、その対極をなすようなものだろうと自分でも思っている。


    女性らしくないブログだからなのか、(私の知る限り、)読者の割合としては男性のほうが多いようである。しかも、業種的には、出版系やらマスコミ系やらの活字系職業の方が多いらしく、それはある意味、ありがたいことでもある。なにせ、私のブログ、モットーは「読むブログ」なのだ。「見るブログ」、「眺めるブログ」ではないのであり、活字好き、ノンフィクション好きの方に読んで頂けると、個人的にとても嬉しいのである。


    そんなわけで、私のブログは何年経っても相変わらず活字ばかりだし、写真もまったく女性らしくない。絵文字もなければ、可愛らしいネタもなく、華やかさなんてほぼ皆無である。


     

    前世というものがあったのであれば、私はきっと、男性だったんだろう。

     

     

    そんなことすら思う、今日この頃だ。



     

    いつも読んで頂いているあなたが、男性であれ、女性であれ、これからもどうぞご贔屓のほどを。

     

     

     

    October, 2009

    宮脇昭先生テレビ出演のお知らせ (10月30日)

     
     

    さて、重めのブログが続きましたが、ここで、お知らせです。


     

    宮脇昭先生が、下記のテレビに出演されます。


    ご興味ある方は、ぜひご覧くださいませ。



    日 時 : 2009年10月30日(金)夜8時~8時45分(予定)

    放送局: テレビ東京系列

    番 組 : 『世界を変える100人の日本人』

    web: : www.tv-tokyo.co.jp/100japan


     

     

     

    広島、鯉城へ

     
     

    安芸の宮島を離れ、電車に揺られ再び広島の中心地へ。路面電車に揺られて10分ほど、目的地の原爆ドームへとたどり着く。


    時おりポツポツと落ちてくる雨を見上げながら、なんとも言いようのない気分を抱えて、原爆ドームの前に立つ。12年前に広島を訪れたときにもこの場所にいたはずなのだが、なんだか初めて訪れたような不思議な感覚に陥る。制服に身を包んだ修学旅行生の団体が過ぎ去るのを待った後、ドームの様子をじっと眺め、手を合わせて静かに後にする。すぐ隣に育っていた大きな大きな常緑樹が、なんだか命の象徴のように思えて、心がすっとすくわれた。


    「あと2時間だけ、雨は待っていて」

     

    そう空に願いながら、原爆ドームのすぐ前に位置する広島市民球場を見上げ、もの思いにふける。12年前は、意識もしなかったカープの聖地。なんだか再び不思議な感覚のまま、私は市街を北上することにした。広島最後の目的地、鯉城が待っているのである。


    広島東洋カープの「カープ」は、もちろん「鯉」のことを意味しているが、それはこの広島城、通称「鯉城」が由来でもある。幅の広いお堀をながめ、橋を渡り、門をくぐったところで、大きなイチョウの木に迎えられる。やはり、お城には大木が合う。雨粒が時々落ちてきたが、敷地内のベンチで美味しいあなご飯のお弁当を頂いているうちに、雨雲はどこかへ消えていた。相変わらず、雨逃れ運だけは強い私である。

     

     

     
     

    広島城は平城(ひらじろ)と呼ばれるつくりであり、まっ平らな場所に作られたお城である。日本三大平城と呼ばれるのが、この広島城、そして漆黒の烏城こと岡山城、そして金のシャチホコ城である名古屋城であるという。さて、そんな平城の鯉城。たしかに、実に平坦で、ものすごくわかりやすいし、歩きやすいし、なんの苦労も迷いもなく、あっという間に天守閣が見えてくる。少し高いところに位置する天守は、木々の合間からその姿が見えてかっこいい。近づくとすぐに、「あ、このお城、茶色い」という感覚を覚える。本来は、「あ、黒い」という認識になるはずなのだが、やはりあの真っ黒烏城、岡山城を見た後だと、こげ茶色に見えてしまうのかもしれない。ちなみに、この鯉城も岡山城も、ともに「黒い城」であり、豊臣秀吉系のお城であることがわかる。逆に、「白いお城」は徳川家康系のお城とされているので、ぱっと見た瞬間に、素人でもある程度認識できる特徴があるというのが、面白いところである。

     


     

    さて、そんな鯉城。見た目も古い感じだし、中に入っても相変わらず素敵なので、「おぉ、いい感じ」と一瞬嬉しくなる。「いいぞ、この雰囲気。私の好きな古い感じじゃないの」と、わくわくする。が、2階に上がった瞬間に、「あ、違った・・・」と、自分のぬか喜びにちょっとしょげる。いや、展示物がたくさんあるし、歴史好きにはたまらない資料がたくさん並べられているので、これはこれですごくいいと思うのだが、自分の下調べが足りず、木造建築じゃないことを把握していなかったのである。いや、もっと言えば、木造の天守閣なんて、極めて珍しいと思わなければならないのだ。どうやら、天守閣の最上階だけは木造で、それ以下は鉄筋コンクリートで作られているらしい。岡山城のようにエレベーターはなく、階段で最上階まで上がれるのだが、その動線もはっきりとしていて、展示も見やすくて、実に現代的で快適な造りだ。もちろん最上階からは、広島の街を眺めることができる。市民球場が遠くに見えて、なんとなくまた不思議な気分になった。


    この鯉城、実は、原爆投下の影響を受け、天守閣が倒壊されてしまったのち、一度、「模擬天守」が作られたという。模擬天守というのは、本当は天守がないのに勝手に作っちゃったり、本来あったものからかなり変えて作っちゃった、もしくは、ほとんど想像で作っちゃった天守という意味なのだが、広島城も一度、そんな模擬天守が一時期出来ていたらしい。が、その後、昭和33年に、創建当初の天守閣を目指してもう一度復元したというのだから、その心意気がなんだか素敵である。模擬天守よりも、より本物に近いものを作ろうっていうのが、個人的に好きな話である。さすが、広島。熱い感じが、私は大好きである。


    そんなわけで、私の中で言うならば、「お城型博物館」にジャンルわけされるこの広島城なのだが、見た目的には私が結構好きなタイプであり、できることならば、もっと長く滞在して、きちんと二の丸も見てみたかった。が、時間的にもう余裕がなかった私は、さささっとポイントだけを見た後、足早に鯉城を後にした。あと1時間あれば、石垣も樹木ももっとちゃんと見れただろうに。マニアックになればなるほど、時間が必要になる。そんなことを痛感した広島城時間であった。


    時間を気にしながら、広島駅を経由し、バスに揺られて広島空港へ。香川から始まったこの旅も、高松城、丸亀城、岡山城、そして広島城を予定通り制覇(?)し、無事に終えたことになる。立て続けに見ることで、城の違いも特徴も、そして奥深さもたくさん学ぶことができた、ありがたい旅。ますます城好きに拍車がかかったことは、言うまでもない。これから先、どんな城好き女子になるのかは、それはこれから、乞うご期待である。



    この旅にあたり、お世話になりました皆様に、改めて感謝いたします。


    どうもありがとう。


     

    October, 2009

    安芸の宮島へ

     


    広島で迎える朝。お天気が心配だったが、なんとか曇り空をキープしてくれているうちに、電車に揺られて宮島口へ。安芸の宮島を訪れるのは、実に12年ぶり。高校の修学旅行以来なのだから、懐かしさもひとしおだ。宮島にある厳島神社は、私が中学生のころから最も憧れていた場所であり、実際に足を運ぶことができた日には、それはそれは感動した覚えがある。そんな思い出のある宮島に久しぶりに訪れた私だが、フェリーに乗り込むと、思いのほか外国人の観光客が多くてびっくりする。やはり、世界遺産、厳島神社である。日本人が見てもすごいと思うのだから、海外からの旅行客にもそれはそれは素敵に見えるに違いない。


    フェリーが宮島に到着後、あちこちで鹿に出迎えられながら、てくてく歩いて厳島神社へと向かう。船上からもその様子が伺えたが、やはり、厳島神社は美しい。あぁ、あたしって日本人なんだなとしみじみ思ってしまう瞬間でもある。鹿の写真を撮り、神社の写真を撮り。ふらふらしながら、神社内へ移動する。

     

     

     

     

    団体観光客の波にまぎれないように、一人であちこち移動しながら見て回るが、どことなく朱の色が明るくなったのは気のせいだろうか。もちろん、定期的に補修や塗り替えを行っているのだろうが、私のなかの朱の色はもう少し地味だった気がした。とはいえ、きっとそれも、私の感覚が変わってきたということなのだろう。

     

     


     

    厳島神社を端から端まで堪能した後、ふらふらしていると、五重塔へとたどり着く。別に、五重塔自体に興味があるわけではないのだが、なんとなく引っ張られるような感覚がして、引き寄せられたのだ。たどり着いた先には、ものすごいエネルギーを貯えたような古い古い神社があった。神社というよりも、お堂という感じだろうか。なんだかよくわからないが、木造建築物好きの私には、どうしても気になる存在であり、拝観料がたったの100円という親切心に誘われて、思い切って、中に入ることにする。とにもかくにも、木のエネルギーがすごいのだが、ここが一体なんなのかもよくわからない。

     

     


     

    人のいない神社に入る前に、頂いた入場券の裏を見ると、こんなことが書いてあった。「豊国神社(千畳閣)。天正15年(1587年)豊臣秀吉公が毎月千部経を読誦し、戦没将士を慰霊するために建立した大経堂」。なんとまぁ、厳島神社と同様に、由緒正しく歴史深い木造物ではないか。そして隣にある五重塔も1407年に建立というのだから、恐るべし宮島である。

     

     


     

    この千畳閣。木々で組まれた空間に足を踏み入れた瞬間、私がこれまでの人生で見てきたどんな木造の建築物よりも、圧倒的な力強さをたたえていることを痛感した。もう、一瞬して魅了されてしまい、ただひたすら目の前に広がっている木々のエネルギーに圧倒されっぱなしであった。千畳閣という名前のとおり、とにもかくにもだだっ広いのだが、その柱や梁といった木材が、自然な曲線を保ったまま生かされているのだ。しかも、柱の組み方までもが特殊で実に興味深い。もう、こんなに美しい木造建築、あっていいのだろうかと思うほどだ。

     

     

     


    一体、この木々はどこからどうやって運ばれたのだろうか。宮島で育つ木なのか、それとも他の地域のものなのかは見当もつかないが、梁好き、柱好きには、1日中居たくなるような信じられないほど素晴らしい空間である。勝手に世界遺産を認定して差し上げたいほどの素晴らしさだ。ぜひとも多くの方に、この地味ながらも底知れぬエネルギーの充満した千畳閣に訪れて頂きたいと思う。隣の五重塔の朱の美しさとは対照的だが、日本人の美意識って計り知れないな、そんなことを痛感してしまうようなひと時であった。運良く訪れることができたことに、感謝すべきであろう。

     



     

    千畳閣を離れ、趣のある町並みを眺めながら、フェリー乗り場へと戻ることにする。滞在時間にすればものの2時間ほどなのだが、実にのんびりとして、贅沢な時間であった。もと来た航路をたどり、宮島口へと戻ると、ちょうど時刻はお昼過ぎ。ここで、広島出身の方におすすめ頂いた「あなご飯」を食べるべく、お目当てのお店「うえの」に向かったのだが、平日の昼間だというのに、なんと行列30分待ち。話には聞いていたが、やはり相当有名なお店なのだろう。店内で頂くのを諦め、あなご飯のお弁当を買って帰ることにする。


     

    「ごめんなさいね、また来てくださいね。」


     

    そう口にするお店の方の気持ちが、なんとなくうれしかった。

     

     

     

     

     

     

    October, 2009

    カープの街、広島へ

     
     

    岡山を後にした私は、新幹線に乗りこみ、西へと向かった。普通であれば、岡山駅から東京に向かうか、岡山空港から羽田に戻るかという感じなのだろうが、ここで西に向かったのは、わけがある。広島へと足を伸ばすためだ。


    もともと、広島にはずっと行きたいと思っていた私だが、香川、岡山と来たついでに、「えーい、寄っちゃえ」と無理やり足を伸ばしてしまった。普段東京で生活をしている私にとって、広島というのはそれほど気軽に行ける近い場所でもない。しかし、岡山から新幹線にのれば40分たらずで広島に辿り着けるということに気がついた私は、広島だけをいつか訪れるよりも、今回の旅で寄ってしまったほうが、時間的にもお金的にもいいと判断し、広島で1泊することにしたのである。


    そんなわけで、私は新幹線に乗り込み、つかの間の電車の旅を楽しんでいた。夕暮れ時に広島入りすることになった私は、広島駅到着のアナウンスを耳にしたと同時に、「わぁっ」と窓ガラスから見える景色に目を奪われていた。広島駅を目前に左手に見えたのはあのマツダスタジアム。そう、広島カープの本拠地である新球場が、陽の落ちた空にまぶしい光をはなっていたのである。


    駅に着いた途端、右を見ても左を見ても、カープ一色という楽しすぎる環境に、私はわくわくしきっていた。カープを好きになったのが今年の4月の開幕戦。野球にまったく縁のなかった私が、「今年はマツダスタジアムに行く~」なんてことを目標にしてしまったのだから、それはそれでとんでもない変化なわけだが、そんな目標をもうすぐ達成できる環境にいることに、自分自身でなんだか笑ってしまった。そう、広島を訪れたのは、他の目的もあるものの、メインイベントはこの新市民球場を訪れることであったのだ。


    駅から歩いてホテルに向かい、荷物を置いた後、てくてく20分ほど歩いて念願のマツダスタジアムへ。駅からは赤いカープロードが続いており、広島駅周辺の地理がよくわかっていない私でも、迷うことはない。通り沿いには選手の写真やデータが記されたボードが続いており、見ているだけでも十分楽しい。なんか、こう、街全体がカープな感じで、なんとなく広島の人たちがうらやましくなってしまう。


    初めて訪れたマツダスタジアム。一応、内野自由席というチケットを持っていたものの、いまいち座席がどこかよくわからなかったこと、いや、それよりも、あちこち見て回っていたほうが楽しかったということもあり、座席につくこともなく、あっちをふらふらこっちへふらふらしながら、試合観戦をすることになる。「はぁ~楽しい~、このスタジアム」。はっきり言って、そんな感じである。もちろん、試合展開はきちんと見ていたのだが、私が訪れたこの日は、運よく横浜ベイスターズを対戦相手として大きくリードしていたために、非常に気持ちよく試合を眺めつつ、遊ぶことができたのである。

     

     


     

    それにしても、このスタジアム、とにもかくにも楽しいし面白い。座席間は広いし、球場内はぐるっと一周もできるし、新幹線も見えちゃうし、飲食店のレベルも高いし、グッズ売り場も充実してるしと、試合を見ているだけでも楽しいのに、球場自体が楽しいんだから、なんだか得した気分である。野球ファンからすれば、素人がスタジアムに行って何が分かるんだ?と言われそうなのだが、今年は東京ドーム、神宮球場、そしてマツダスタジアムと見てきたので、その違いは、ど素人の私にも明らかだ。神宮もかなり気持ちがよかったど、やっぱり新しい球場って、構造はすごいし、エンターテイメント性は高いし驚きである。できれば、昔の市民球場でも見たかったのだが、一年そのタイミングが遅かった私は、マツダスタジアムで見られただけでもありがたやと思うべきだろう。

     

     


     

     

    試合は大盛り上がりでカープの快勝。真っ赤なファンがますます熱血になっていて、なんだかとっても満足だ。今年は3回ライブで試合を見たが、ありがたいことに全試合カープの勝ち。運の良い私、である。来年は何回試合を見られるかなぁなんてことを思いながら、カープグッズのおみやげを手にして、楽しかった夜のスタジアムを後にした。

     



     

    来年は、3位以内に入ってねー。

     

     

     

     

    October, 2009

    実り深き岡山にて

     
     

    漆黒の岡山城を後にした私は、岡山駅までもどり駅地下にある「夢二カフェ」でほっと一息いれた。普通のカフェでは味気ないと思っていたところ、岡山にゆかりある竹久夢二氏をモチーフとしたカフェを見つけ、小豆島ブルーベリーを使ったパフェなんぞを頂き、すっかり満足である。さすが、フルーツ大国、岡山である。


    夜、市内に住む後輩宅にお邪魔し、ご好意に甘えて一晩泊めさせて頂く。半自給自足的な生活をしている後輩が自ら育てた野菜を中心に、美味しいお夕食を頂き、感激である。久々に会って話もつきず、楽しい夜はあっという間に過ぎてゆく。

     

     



    翌日。後輩のおばあちゃん家へと車で向かい、手塩にかけて育てている畑を見せてもらう。数十種類の野菜や豆を見て、食べ物の原点を改めて学ぶような感覚を覚える。

     

     

     

     

    すごいぞ、農業。ありがたや、農家の皆様。ビバ、収穫の秋。そんな気分である。

     

     

     

     

    お言葉に甘えて美味しいお昼ごはんを頂いた後、山間を散歩し、お庭にある栗の木の下で、いがぐりと格闘。栗を拾う。

     

     


     

    なんて楽しい。なんと清清しい。なんたる心の平穏か。


    そんなことを思うほど、心がリラックスして、浄化されたような岡山滞在。

     


     

     

    快く迎えてくださった後輩とご家族の皆様に、感謝。

     

     

     

     

     

    漆黒の城、岡山城へ (後編)

     

    (前編から続く)


    漆黒の岡山城を訪れた私は、わくわくしながら天守閣へと向かい、入場券を買うことにした。そこで受付の方に言われた一言が、私を大きくうろたえさせた。驚きというよりも、衝撃な一言。それは、城内にエレベーターが設置されているということであった。


    これまで日本全国、いろんなお城に行ったが、こんな衝撃は正直初めてである。いや、もちろん、復元されている天守閣の多くは、鉄筋コンクリートで作られているということは知っている。が、まさか、城の中にエレベーターがあるとは思ってもみなかったのである。私は、そんな予想をはるかに超える衝撃を受けながら、荷物をロッカーに押し込み、エレベーターでひとまず4階を目指した。乗り合わせた乗客は、どういうわけかみな同い年くらいの女性ばかりだったが、なんだかお城の中で機械的な音や動作のするエレベーターに乗っていることが、私にはどうにも信じられなかった。


    館内は言わば資料館、展示室という造りで、岡山城の歴史や、江戸時代の文化などがきれいに分かり易く展示されていた。最上階からは後楽園が眼下に見える。遠くには岡山の町を見渡すことができ、高台から望める景色はすがすがしい。

     

     

     


    しかし、私の気持ちはどことなくぼんやりしていた。そう、エレベーターの衝撃である。いや実は、後々気がつくことになるのだが、これまで私が訪れていたのは、どういうわけか、たまたま貴重な天守閣ばかりで、実にいい状態のお城ばかりだったのである。


    現在、日本で現存している天守閣、つまり、江戸時代までに作られ今も保存されている天守閣は、たったの12城しか残っていない。日本各地で見られる天守閣のほとんどが、復元天守閣や模擬天守閣(本当は天守閣はなかったのに、無理やりあとで作っちゃったものなど)であり、本当にきちんと残っている貴重な天守閣というのはほんの12城しかないのである。そんな現存12天守のうち、唯一の世界遺産が、泣く子も黙るあの「白鷺城」こと「姫路城」であり、これは国宝に指定されている。さらに、国宝とされているのが、彦根城、犬山城、そして松本城の3城であり、これらは合わせて通称「国宝四城」として呼ばれている。私は数年前に、ふと気がついたらこの4城をすべて巡っており、「あ、国宝全部まわってたんだ」と驚いたことがあるくらい、特に意識せずにお城めぐりをしていたのである。


    そして、その他に現存天守閣として残っているのが8城あるわけだが、その中でも松山城、高知城、丸亀城にはこれまで足を運んでいる。その後、もう一ヵ所また増えるので、結局12城中8城をめぐったことになるのだが、あまりにもいいお城ばかり知らないうちに行っていた事が原因で、エレベーターの存在に異様に反応してしまったようなのである。


    実は、奇妙なことに、私はあの有名な名古屋城と大阪城に行っていない。名古屋にも大阪にも何度も足を運んでいるのだが、どういうわけか、あまり興味を持てず、これまでずっとその機会を避けていた。有名で、立派なお城を知らないうちに避けて、小さくて地味目で、そして、偶然にも現存木造の天守閣ばかり見てきたわけである。もともと、お城の中の梁や柱など木材を見るのが好きで、ギシギシ言うようなはしごを上がるのが好きな私であるがため、木で作られていないお城だと興味が半減してしまうのだが、さすがに岡山城がエレベーターがあるお城だとも思ってもみず、私は非常に衝撃を受けていた。現存天守閣に対し、岡山城のようなタイプは、言ってみれば、「お城型博物館」というところだろうか。いや、これでも別に、いいのである。何せ見た目は、漆黒の武将といった威容をはなっている。朝焼けにも夕焼けにも映えて、きっとそれはそれはカッコいいお城なのだろう。それに、バリアフリーで子供からお年寄りまでが誰でも楽しめるのだから、新しい楽しみ方と言えるのかもしれない。


    とは言え、やはり、私のタイプは現存木造の古い天守閣なのだろう。実に快適で見やすい館内、いや、城内よりも、頭をぶつけそうなほど天井が低かったり、あまりの傾斜に上るのも下りるのも怖そうなはしごがあるような古いお城が好きなのだ。



    人の好みは十人十色。自分の好きなものがより明確になった、有意義な烏城時間であった。

     

     

     

    October, 2009

    漆黒の城、岡山城へ (前編)

     


    雨の瀬戸大橋を渡りきり、電車は岡山駅へと到着した。どしゃぶりだった空模様。幸運にも、岡山の街は曇り空だ。雨粒ひとつ落ちてこない。なんとまぁ、いつものごとく雨を逃れる、ありがたい幸運なのだろう。


    路面電車に揺られ、その後10分ほど歩いていると、最初の目的地、岡山城が視界に入ってきた。左手には日本三代名園として名高い後楽園。岡山をきちんと訪れるのはこれで2度目だが、まだ後楽園には足を踏み入れたことがない。というよりも、これから向かう岡山城ですら初めての場所なのだ。数年前岡山にやってきた際、時間がなくて岡山城を見られなかったのが、悔いに残っていたのである。そんなわけで今回はそのリベンジを兼ねて、ここ岡山までやってきたわけである。

     

     

     


    石垣が目に入ると、私のテンションは次第に上がってきた。そして天守閣が見えた時には、あまりの黒さに「おぉっ」と声を上げていた。さすが、別名「烏城(うじょう)」を誇る岡山城。真っ黒なお城の代名詞である長野の松本城は、「烏城(からすじょう)」としても有名だが、それよりもなんかこう、恐ろしく黒い気がする。夕暮れの薄暗い空の下、なんだか、真っ黒の甲冑を身に着けた武将の亡霊みたいな感じがする。松本城はなんかこう、真っ黒ではあるが、もう少し女性的な感じなのだが、岡山城はもっと勇ましいというか、剛健な男性的な感じがする。シャチホコの金色がその勇ましさを引き立てているのかどうなのかは、よくわからないが、私史上、もっとも黒いお城との出会いにびっくりしてしまっていた。

     

     

     

     

    さてそんな岡山城。敷地内に入ると、石垣がいい感じだし、古くから息づいているであろう木々も立派だし、重要文化財という月見櫓も実に素敵である。あちこちに、城の名残が感じられ、ふむふむここにお部屋があったのねなんて、今は何にもない地面の上で、空想にふけったりしてもみる。夕暮れ時ともあってそれほど人も多くないが、女性の観光客が目に付くのは気のせいだろうか。とはいえ、石垣をじっと見たり、丸瓦に見入っているような人は皆無。誰もいないところでシャッターを切り続けていたのが、やはり異様だったのか。「?」という視線があちこちから飛んでくる。でも、別に、いいのである。私は、城好き人間なのだから。でも、歴女じゃないぞ。そんな風に、ちょっと開き直ったりもしてみてしまう。

     

     


     

    思う存分写真をとった後、いよいよ岡山城天守閣へ。期待に胸を膨らませ、入場券を買いに行く。「大人1枚ください」。そういってお金を渡すと、「ロッカーありますよ。お金戻ってきますから、手ぶらでどうぞ」とのこと。なんとまぁ親切なお城である。その親切心をありがたく思い、ロッカーを使うことにする。が、次の瞬間、私は予想だにしない衝撃を受けた。単なる驚きではない。頭をゴンと殴られたようなショックである。

     


    受付の方は、チケットを手渡しながら、私にこう言った。



    「お城は6階までありますから、4階まではあちらのエレベーターで上がってくださいね。その上は階段でどうぞ」



    「え、え、エレベ~タァ~~~ ?!?!?!」



    ごぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーん。 


     


    表情にこそ出さなかったが、私は思わずそのままふらふらと倒れこみそうなほどに、衝撃を受けていた。



    お城の中に、エレベーター・・・・。

     


     

    そんなあまりの驚きに、私はしばらく、ぼんやりとしてしまっていた。


     

     

    (後編へ続く)



     

     

    October, 2009

    香川・菅組植樹祭へ (後編)


    2009/9/27


    香川滞在2日目の朝。丸亀のホテルを出て、電車で一路、詫間駅へ。再び、植樹祭の会場である菅組さんの本社へと向かう。天気は晴れ。香川県特有のからっとしたお天気で、植樹祭日和である。


    9時前というのにもかかわらず、会場には多くの人が集まっていた。今回の植樹祭の規模は、苗木53種類、約5300本、そして参加者は約600名である。社員さんをはじめ、ご家族、近所の方、関係会社の方々など、ありとあらゆる方が集まっての植樹祭。開会式では、植樹祭を計画された菅組の菅社長から、その思いが語られた。木を使う人が、森を育てる。今回植えられた木々が直接木材として利用されるのではないが、どこかで木が切られれば、その分どこかに新たな木を植え、バランスをとることがやはり最も自然なやり方なのだろう。

     

     

     


    宮脇昭先生の熱くもユーモアあふれる指導に、会場内は沸いていた。帽子をもってくればよかったというほどにまぶしい太陽の光を浴びながら、子供も大人も熱心に先生の話を耳を傾け、木の植え方を吸収する。もう、こんな光景を50回以上見てきたが、やはりどこへ行ってもまったく雰囲気は異なるし、どの植樹祭にもそれぞれ個性がある。どれが正解というわけでもなく、どれが間違いというわけでもない。ただ私は、やっぱり主催者の思いが伝わってくるような、人の心がより感じられるような植樹祭が好きだ。小さな子供からお年寄りまで、いろんな世代、職業の方が混ざっているほうが、より自然で気持ちよいと思ってしまう。結局は、自然も人も、多様性が大事ということなのだろうか。

     

     

     


    開会式終了後、それぞれの班に別れ、植栽地へと移動する。お手伝いを頼まれていた私ではあるが、菅組さんのスタッフさんは指導も見事だし、全然私の手など必要もない。安心して裏方に回り、子供に木の植え方を教えたり、苗木を運んだりと、自由にあちこち動き回る。日ごろ、土いじりをしていそうなお母さん、お父さん方は、手つきもいいし、次から次へと快調に苗木を植えていく。子供はといえば、ママやパパ、はたまたおじいちゃんやおばあちゃんにサポートを受けながらも、楽しそうに木を植えている。私の経験からすると、4歳にもなれば、ひとりで充分木を植えられるようになる。もちろん、2歳、3歳でも、ママ、パパがほぼつきっきりにはなるが、木を植える意欲を見せて楽しそうに土まみれになっているのだから、ぜひひとりでも多くのお子さんに植樹祭に参加してほしいと思っている。苗木を植え、稲わらを敷き、わらが飛ばないようにロープで抑える作業に入ると、参加者の皆さんは熱心に、そして満足そうな表情を見せていた。親子3代で参加されたというご家族の皆さんも、良い機会でしたと嬉しそうだ。きっと来年には、お子さんの背も越えるほどに、木々は成長しているだろう。

     

     

     


    一連の作業を終え、片づけをしていると、小さな女の子たちと話す機会があった。


    「今日、楽しかった人~?」


    3歳、4歳くらいのそのふたり姉妹。「はーーい!」とそろって元気よく手を挙げた。その光景を見ていたママとパパ、そしておじいちゃん、おばあちゃんの顔には、嬉しそうな笑みがこぼれている。


    「また見にきてくださいねー」


    そういって、ご家族をお見送りした。別の場所では、記念撮影をしようとカメラを準備しているご家族がいらっしゃる。「写真、撮りましょうか?」。そう声をかけてご家族3人の写真をおさめようとすると、シャイな男の子が走り回り、親御さんが困り顔。「すみません、言うこと聞かなくて。早くおいでー、お姉ちゃんが待ってくれてるでしょー」。そんな言葉も、どことなく温かく聞こえる。結局、きれいに並んでとはいかなかったが、後ろのほうで隠れている男の子もなんとかおさめて、記念撮影を終了。


    「ありがとうございました。いい記念になりました」


    きっと、男の子が大きくなったとき、この木々を自分で植えたとはきっと信じられないかもしれない。ましてや、そんな記憶が断片でも残っているかもわからない。それでも、やはり体を使って経験することで、何かが少しでも変われば、反応すれば、それは絶対に無駄ではない。どこかに経験がインプットされれば、それは写真以上にきっと価値のあることなのだろうと思う。


    正直、私がこの地を再び訪れ、木々の成長を見られるかどうかは、はっきりいって定かではない。それでも、地元の方々に時折森の成長を見てもらい、何かを感じて頂ければ、それだけでも私は十分だと思う。どこかで植えた木が、今日もすくすくと生きている。そう思えれば、私もどことなく爽やかな気分になる。それだけで、別に、いいのである。

     


     

    手直し作業に片づけを終えた後、菅組さんが参加者全員のために準備してくださった讃岐うどんをおいしく頂く。わざわざ製麺所の方を呼んで一杯ずつ丁寧に作るのだから、さすが、うどん大国讃岐である。シンプルで美味しいうどんを頂き、満腹になったところで、再び傾斜のきつかった植栽地に移動し、小一時間ほど手直し作業に傾注する。まぶしかった日差しも徐々に曇り空にさえぎられ、作業を終えたころには、グレーの空へと変わっていた。

     


    すべてのお手伝いを終えた後、身支度を整え、お世話になった菅組の皆様にご挨拶をして、仲間とともに会場を離れる。駅までの10分ほどのタクシーの中、「あぁ、そうだ、詫間城に行きたかったんだ」と思い出し、地元のドライバーさんに聞いてみるが、どうやら地元の人にもあまり知られていない城郭だったらしい。もしもまたこの場所に訪れることができたら、今度はぜひ詫間城にも行ってみよう。そんなことを思いながら、詫間駅から電車に揺られ出す。徐々に仲間たちと別れ、乗り継ぎの電車をひとりホームで待っていると、次第に雨が降ってきた。小雨ではなく、じゃんじゃんぶりの大雨だ。植えられた木々にはきっと、恵みの雨にほかならないのだろう。



    いつもどおりのお天気のシナリオに感心しながら、岡山行きの電車は、瀬戸大橋へと向かっていた。


     

     

    香川・菅組植樹祭へ(前編)

     
     

    丸亀城を後にした私は、電車に揺られて詫間駅へ。途中、仲間と合流し、詫間駅からタクシーで今回の旅のメインイベントである植樹へと向かう。

     

    今回この植樹祭を計画されたのは、香川の土地で創業100年を迎える建築会社、「菅組」さんである。もともとは宮大工としてスタートされたそうで、現在はその高い技術を様々な建築物に活かされているらしい。今回は創業100年を記念して、会社の敷地内で宮脇昭先生の指導による植樹祭が行われることになっていた。まったく初めての植樹祭ということもあり、少々のお手伝いをとお声をかけて頂き、私や植樹仲間はこの讃岐の国までやってきたのである。

     

      

    植樹祭を前に行われる講演会の会場へ到着すると、ふと、建物の造りに目がとまった。木が多用されていて、実に気持ちよい造りなのだ。市民会館のような多目的ホール風の建物なのだが、よくあるコンクリートなどの冷たい感じがなく、実にあたたかでぬくもりがある。聞けば、菅組さんが手がけられた建物だという。その話を聞いたときに、「あぁ、なるほどな」と、なんだか納得できるような気がした。木を使い、建物を造る。その企業が森をつくるのは、ごくごく自然な流れの発想なのかもしれない。

     

     

    宮脇昭先生に久しぶりにお会いした後、関係者の皆様へのご挨拶を経て、会場内へと入る。毎度のように先生からカメラを託された私は、話に耳を傾けつつ、シャッターチャンスを狙っていたわけだが、先生の調子もよさそうで何よりである。御年81歳。あと30年は頑張りますという先生の口調は、いつにも増して熱い。菅組さんの森づくりへの思いと、宮脇先生の情熱があいまって、これは絶対良い植樹祭になるだろうなと、舞台を眺めながら思っていた。結局のところ、森づくりも、ビジネスも、人が何より重要なのだろう。


     

      

    講演会終了後、菅組さんの本社へ移動し、すぐに翌日のためのリーダー研修が開始される。会社の周りを囲むように作られた植栽地には、すでに苗木や稲わら等が準備万端に整えられていた。菅組さんのスタッフさんや現場関係者、そしてボランティアの全員が集まり、夕刻からリーダー研修が開始される。すぐに分かったのは、スタッフさんが「ものづくり」のプロであるということだ。建築士の集団だけあって、当たり前なのかもしれないが、手際もいいし要領もいい。「あぁ、匠ってこういうことか」。すぐにそう納得した。宮脇先生の植樹指導に耳を傾け、内容を把握し、すぐさま実行に移す。しかも、皆さんの雰囲気があたたかく、気持ちよく、あぁ、良い会社だなと心の中で感じていた。

     

     

    リーダー研修は何の問題もなくさくさくと終了し、翌日の準備を終えた後、夕食の会場へと移動する。菅組さんや関係者の皆様とお食事をさせて頂くことになっていた私たちは、開始前、瀬戸内の夕焼けをぼんやりと眺め、「瀬戸内ってまろやかでいいなぁ」と口にしていた。瀬戸内沿いは、なんだかいつもやわらかく、まろやかでほっとする。四国を旅するたびに、私はいつもそんな感覚を覚えてしまう。人も土地もやわらかく、温かな香川で、植樹祭が迎えられることをありがたく思っていた。

     

     

    夕食会開始後、瀬戸内の美味しいお料理を頂き、すっかり満足して眠くなっていた私は、あとはホテルに戻って眠るだけとのんびりしていた。実際、翌朝は早いし、早目にベッドにもぐりたいと考えていたのである。しかし、そんな私に、予想だにしない展開が起きた。私のまったく知らぬうちに、サプライズが用意されていたのである。ちょうど2日前に誕生日を迎えていた私に、なんとバースデーケーキのプレゼントがあったのだから、もう驚きとしか言いようがない。突然の出来事にまったく状況が理解できなかった私だが、宮脇先生をはじめ、仲間や植樹関係者、そして菅組の皆さんにもお祝いされてしまい、嬉しいやら恥ずかしいやら。正直、こんなサプライズ、今まで受けたこともなく、何をどう言っていいのかわからない自分がそこにはいた。とにもかくにも、私の気がつかないところで計画してくれた仲間たち、そしてお祝いしてくださった皆様には感謝としか言いようがない。


     

      

    人生で一番驚いた、美味しい美味しいバースデーケーキだった。

     

     

    October, 2009

    日本一の石垣、丸亀城へ

     

    高松を離れ、電車に揺られて一路丸亀へ。丸亀駅で下りるのはこれが初めてだが、ここでもメインの目的はお城、そう、数少ない現存天守閣を誇る丸亀城である。


    丸亀駅から歩いてすぐのホテルにひとまず荷物を預け、そこから10分弱でお目当ての丸亀城へと到着。それにしても、このお城、びっくりするほど上のほうに見える。いや、別に高い山の上に位置しているというよりも、ものすごく石垣自体が高いのだ。なんとこの丸亀城、3段に組まれた石垣は60メートルと日本一の高さである。こんなに大きくて高い石垣、よく積んだな・・・と見上げてしまう程だ。しかもこの石垣、ただ単に高さがあるだけではなく、ラインがとても美しい。どことなく女性的な感じで、なんだか惚れ惚れしてしまう。

     

     

     


    時間のなかった私は、お堀で白鳥を眺め、大手門をくぐり、大急ぎで天守閣を目指すことにする。が、この大手門、かなり私好みで、思わず足が止まってしまう。現存の門のようで、その威厳たるや実に立派である。全体像を写真におさめたかったが、門ということもありあちらこちらに自転車が停まっている。写真、断念。とはいえ、梁?の木材が素晴らしく、しばらく美しいラインにじいっと見入ってしまう。が、近くにいた人が、「はて?」という面立ちで私のほうを不可思議に見ていた。見るもの、見られるもの。人、それぞれである。

     

     

     

     

    門をくぐり、傾斜のきつい坂を上り始めると、一気に濃い緑に包まれる。アカガシやカナメモチなど、常緑樹が多くて気持ちがよい。美しく高い石垣を見上げながら、結構な角度の坂を上がり続けるのだが、これが思ったよりもきつくて息が切れる。ご年配の方は休み休みじゃないと上れないだろう。

     

     

     

     

    それにしても、いきなりこれだけの坂道で迎えるお城も珍しいような気がするが、それでも、頂上まで登りきった後のご褒美が格別だ。穏やかな瀬戸内の海を高台から一望できるのだ。そしてまた、瀬戸内だけではなく、讃岐富士も眺めることができるのだから、海も山もといいとこどりな立地なのである。

     


    さて、この丸亀城。日本で現存している12天守閣のひとつなわけだが、びっくりするほど、そのサイズは小さい。思わず「へ?これ天守閣?民家並みにこじんまりしてる」と思ってしまったほどだ。木造3層づくりでは、日本で一番小さい天守閣らしい。おぉ、いいぞこのお城。私のテンションは益々あがる。私は現存天守閣好きなので、大きくて立派で新しい天守閣より、こんな丸亀城みたいな味のあるほうが好きなのだ。同じく現存天守閣、そして国宝の彦根城も小さくてかわいいのだが、その彦にゃん城もびっくりの小ささである。なんとも、かわいらしい、素敵なお城である。

     


    残念ながら時間がまったくなく、天守閣の中に入れなかったのが心残りだが、美しい石垣と小さな天守閣を眺め、そして数々の素晴らしい樹木に包まれて、いい気分で足早にお城を後にする。

     

     

    私のお気に入りランキング上位に入るような、素敵なお城、丸亀城であった。